【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ポケット

2013-06-15 07:04:50 | Weblog

 私が今使っているパジャマにはどれも胸にポケットがついています。
 これ、ポケットに何を入れて眠れ、ということなんでしょう?

【ただいま読書中】『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』周防正行 著、 太田出版、1998年、1800円(税別)

 映画「Shall we ダンス?」は大ヒットしました。著者はその、原作者・脚本・監督で、「二次使用」に関しては法律通りの権利を持っていますが、それ以外には一切の権利を持っていませんでした(売り上げからのマージンも、厳しい交渉の末やっといくらかもらえるようになったそうです)。日本の映画界では「金を出したものが権利を持つ」慣行で、著者(が属する会社)は出資していないから何の権利もない、のだそうです。したがって「カンヌ」で映画が大評判となりアメリカでも上映されることになっても、著者には口を出す権利は一切ありませんでした。驚きです。
 さて、「アメリカで」という話に著者は一瞬喜びますが、「口を出す権利がない」ことにまずがっくりし、次いで、商習慣の違い・アメリカ式の契約の罠・感覚の違いなどで盛大に苛つきます。特に「2時間16分の上映時間は長すぎる」とずたずたに再編集されたことには頭が沸騰しそうになります。シーンカットの詳細が本書にありますが、たしかに繊細なディテールががんがん切られていて、こちらまでめまいを感じてしまいます。
 日本での著作権者をあまりにないがしろにする商慣行にも驚きましたが、アメリカ式の罠が一杯の契約にも私は驚きます。
 ソルトレイクシティのサンダンス映画祭で「Shall we dance?」(「Shall we ダンス?」英語版)は大好評。全米18箇所でのキャンペーンを著者は求められます。ギャランティは一日100ドル。同行者なし。定められたスケジュールに従って著者が独力でアメリカを横断し、一人で宣伝して回るわけです。日本で「権利」を持っている大映は全米でのキャンペーンに「まったく興味なし」。おやおや。
 各地で繰り返されるインタビューのなかで、著者の応答はどんどん滑らかになっていきます。そういったやり取りの中で、著者は「アメリカ」を体験し、やっと戻ってきたニューヨークが、以前とはまったく違って見えることに驚きます。そうそう、ここで登場する印象的なフレーズが「世界を断片で理解する」。私たちは「世界」をニュースなどで「理解」したつもりになっていますが、それはすべて「断片」なのです。ただ、断片も数を集めたら多くの「面」を擬似的に カバーすることができるのですが。
 著者は繰り返し「日本文化」がアメリカ(とカナダ)で「断片」によって理解(誤解)されていることを痛感します。ただ、それは日本における外国の理解でも同様でしょうし、さらに言うなら、日本における日本文化の理解でも事情は似たようなもの、と私には感じられます。さらにさらに言うなら、個人が他人を理解するのもまた「断片」によっている、とも。
 それほど多くの「断片」を持っていない私があまりえらそうなことを言える立場ではありませんが。
 散々待たされてからの米国公開は、成功でした。日本の外務省は著者にアメリカでの講演を依頼してきます。行ったり来たりで大変そうですが。観客の受けはとても良く、とうとう全米でこれまでの日本映画の最高興行収入記録(それまでの記録は、黒澤明監督の「乱」)を抜いてしまいます。アメリカでの配給をした会社ミラマックスは「よしっ、アカデミー賞にノミネートだ!」と。
 映画は太平洋だけではなくて大西洋も渡って、ヨーロッパでも公開されてしまいます。著者はそれにもついて動きます。本当にまめな人です。
 ダンスが肉体接触を伴う“スポーツ”であるように、映画は、いや、良くできた映画は文化の接触を伴う媒体であり得るようです。「ハリウッド映画」だけではなくて、様々な国の様々なタイプの映画をいろいろ観てみたくなりました。「断片」として。



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