【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

利益の公私

2019-12-26 07:14:24 | Weblog

 社会で「万人に共通の利益」はありません。たとえば平和でさえ、武器商人には有害なものです。そこで、利益と不利益の間でできるだけ上手く調和を取ることが、政治家の仕事になります。ただし、自分(と家族と仲間)が常に「利益を受ける側」に位置するように法律を作る政治家は、少なくとも公正とか誠実ということばは似合わない政治家と言えます。

【ただいま読書中】『現場検証 ──平成の事件簿』合田一道 著、 拍艪舎、2019年、1500円(税別)

 「平成」という「時代」を「事件簿」で再構成してみた本です。
 「事件」について、平成のはじめ頃には私はまずマスコミ報道で知っていました。コンピューター通信を始めたのが1990年代前半、インターネットを使い始めたのはそれから数年後のことですから。当然「報道されないこと」については知るよしもなく、続報に気づかずそのままになっていることも多かった。
 「女子高生校門圧死事件」についても「事件」は知っていましたが、「その後」については知りませんでした。本書でそれを見て、驚きます。事件の後、何が変わったかというと、校門が、230kgの重量級から小型軽量のものに交換されたことと、校門を力一杯閉めた教師が禁固1年執行猶予3年を裁判で言い渡されたこと。それだけです。「一人の死」が、まったく無駄になっているわけで、ひどく「非教育的」に見えます。
 「信楽高原鉄道での正面衝突事故」も覚えています。裁判では信楽鐵道の人間だけが刑事告発されましたが、実はJR西もけっこう変なことをやっていたそうです。民事でそれを攻められても、JR西は知らぬ存ぜぬで押し切ろうとしているのですが、さすがに押し切りには失敗。だたこのとききちんと「反省」していたら、のちの福知山線での大事故は起きなかったかもしれません。
 「オウム真理教」については、わずか10ページでは足りません。ただ、「昔のこと」を知らない人はこれで概要をつかんで興味があったら詳しい本やネット記事(で信憑性が高いもの)を読むことをお勧めします。
 「事件」ではありませんが「北海道旧土人保護法」も取り上げられています。「犯罪よりも悪質な人間侵害史」として。この法律、すごいですよ。たとえば戸籍謄本には「旧土人」と印が押されます。なにが「保護」なんでしょうねえ。アイヌには絶滅してもらったら「単一民族の国家」ができるのに、と願う人が作った法律かな? 「らい予防法」には(医学的に間違ってはいましたが)「感染の拡大予防」という大義名分がありました。では「北海道旧土人保護法」にはどんな大義名分があったのかな?(ちなみに、「人権侵害」の見地から「優生保護法」も本書に登場します)
 「通り魔事件」「旧石器発掘捏造」「世田谷一家殺害」「池田小学校」……ああ、こんな事件でこちらは気持ちが動いたり滅入ってしまったりしたな、と次々記憶が蘇ります。「明石花火大会歩道橋事故」では「群集雪崩」という言葉を覚えましたっけ。ただこのときの第一報は、茶髪の青年が歩道橋で暴れたので事故が起きた、というものでした(テレビで言っていたのを覚えています)。実際にはその「茶髪の青年」は、事故が起きたので歩道橋を覆うプラスチックの隔壁を壊して外に出て事故発生を周囲に教えると同時に人がこれ以上歩道橋に押しかけてこないように止めようとしていたのですが。あんなデマを堂々と流した人は、少し反省した方が良い、と私は思います。まだ「茶髪」が「不良」と重ね合わされて見られていた時代だった、というのは、言い訳にはなりません。
 こうして事件や事故の列挙を読んでいると、ある一つのパターンが見えます。「反省の欠如」が「再発」につながる、という。事故や事件を真摯に受け止めて反省し、教訓を得て行動を改めたら、まったく同じこと(事故や冤罪事件の再発)は起きないはずです。「反省をしなければならない」とたとえば安倍首相はよく口にしますが、それが欠如しているから、また同じ台詞を口にしなくちゃいけないのではないかな。「反省をしなければならない」と「反省をしてこんな風に行動を改めました」は、まったく別のものです。前者は反省の予告(あるいは口先だけごまかし)、後者は反省の実行ですから。




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