自分自身の消化管粘膜の細胞が剥がれて落ちたものは消化吸収しているから、すべての人は自分自身を喰っている、とは言えますね。これは消化管を持つ動物にはすべて共通していることではありますが。
【ただいま読書中】『史上最恐の人喰い虎 ──436人を殺害したベンガルトラと伝説のハンター』デイン・ハッケルブリッジ 著、 松田和也 訳、 青土社、2019年、2000円(税別)
20世紀の最初の10年間、ほとんど週に1人のペースで人を襲って食った虎がいました。そしてそれを狩ったのが伝説のハンターですが……著者はまず大昔に戻ります。
今から6200万年前、ヨーロッパとアジアの森林で、樹上を跳ね回りながら昆虫を食べていたミアキス科が虎(イヌ科やネコ科)の祖先です。200万年くらい前に「虎」が出現。彼らは、熊や豹、犀や象まで“メニュー”に載せていますが、なぜか人はメニューから除外していました(事故で出くわした場合などは除きます)。だからこそ「人喰い虎」は異常な存在なのです。
1899年か1900年にネパールで人喰い虎が活動を始めました。口の牙を半分失っているところから、猟師に撃たれて手負いとなり、それで人を襲撃して“容易な獲物”であることに気づいたのではないか、と著者は推測をしています。正確な記録はされていませんが、ネパールで数年間で200人の犠牲者が出ているようです。そして虎はインドに活動の場を移し、さらに236人を殺しました。
ただ著者は「その虎の異常性」に注目はしません。「虎と人との不幸な出会い」さらにはそれを生んでしまった「状況(自然破壊による虎の生息域の減少と人の「自然」への侵入)」が「人喰い虎」を生んだ、と言います。
ちなみに南アジアで人喰い虎はそれほど希少な例ではなくなっているようです。たとえば1997年にネパールのバイタディ郡で活動した虎は10箇月で100人(ほとんどは少年少女や若者)を殺して喰いました。2014年に国境を少しインド側に越えたところで6週間に10人殺した虎もいます。
一時人肉の味を覚えた虎は、ジャングルでの偶発的な出会いに頼らず、集落を襲うようになります。つまり安全地帯はなくなるのです。牙を失った手負いの虎としても、“武器”があっても苦労が必要な野生動物よりも、楽に殺せる人の方が生きやすいのです。
そして「ハンター」が登場します。インドで生まれ下っ端鉄道員をやっていたジム・コーベットは1903年に「200人を殺した虎」の話を聞きます。彼は銃が上手なだけではなく、インドの自然に精通し、虎に対して畏怖と尊敬を抱いていました。ちなみにこの畏敬の念は、南アジアでは普通のことです。生態系に君臨する虎にちょっかいを出さないこと、彼らの住み処の森を破壊しないこと、それが南アジアの文化に組み込まれていました。それを大きく変えたのが“グローバリズム”でした。それまでの「王族のための儀式」あるいは「虎の個体数の維持」のための虎狩りが、娯楽や害獣退治目的に大々的に行われるようになります。紀元前400年頃の『マハーバーラタ』にすでに「森なくしては虎は滅ぶ。そして虎なくしては森は滅ぶ」と書かれていたのに。
ハンターは次々失敗し、コーベットに依頼が来ます。アイルランド系(それだけで“イギリス”では差別の対象)で父は高卒の郵便局長でインド生まれで低収入という、イギリスの“カースト”では低位に位置する彼に。虎は人を狩り、コーベットはその虎を狩ります。自分自身が殺される予感をねじ伏せながら。何日も続く不安と恐怖の日、そして最後の対決。ここを単純にカタルシスで片付けても良いでしょうが、著者は「永遠」を思わせる詩的な描写をしています。
「チャンパーワットの虎」を退治して“ヒーロー”となったコーベットは、人生の後半は野生動物(特に虎)の保護に費やしました。彼は「虎」だけではなくて「森」とインドと、そして地球環境そのものも守りたかったのかもしれません。
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