サシの入った柔らかい牛肉とかトロを食べるとき、私たちは「肉」ではなくて「脂」(あるいは両者の“ブレンド”)を味わっているんですよね? だったら「肉」「魚」を食べている、ではなくて「脂を食べている」と言うべきでは?
【ただいま読書中】『続・英国脱出』リチャード・ローマー 著、 矢野徹 訳、 集英社、1978年、1200円
カナダはえらいことになってしまいました。これまで抑圧されているという意識が強かったフランス系カナダ人が「英国人が大挙して押し寄せてくる」という知らせに危機感を募らせ、ケベック州にこれまであった分離独立運動に爆発的に火がついてしまったのです。ケベック出身のカナダ首相は、自身はフランス系の愛国者意識が強いため分離独立運動には肯定的ですが、連邦の首相としては「カナダ」がばらばらになることを放任できません。しかしフランス系カナダ人の抑圧意識は、なんと200年前まで遡っています。
ここで非常に印象的なのは、ケベック州首相とカナダ首相およびカナダ副首相との話し合いが「政治の分離」と「経済での共同市場」とを「両立可能なもの」とすることを大前提としていることです。たとえケベックが政治的にカナダから独立したとしても、共同市場が維持されるのなら「カナダ(およびケベック)」が被る損害は最小限にできる、という理性的な計算です。「分離」は「感情」で行われますが、そこから何かを救い出すのは「理性」のようです。
イギリスの内閣も分裂します。アメリカに北海油田開発を乗っ取られるという危機感を目の前の危機よりも感情的に優先する人たちが内閣から去ります。ここでも「アメリカの言いなりになってたまるか!」という「感情」が強く機能しています。危機のまっただ中で腰を据えて議論をしていて良いのかなあ、なんてことを私は思います。
かくしてカナダでは、ぼろぼろになった内閣の再編成とケベック州では住民投票が行われます。そして「国家解体」を「暴力沙汰」ではなくて「外科手術のような手つき」で行うための委員会が発足します。ここで面白いのは「国家」が「一枚岩」ではないことです。当然のことですが、国家は「国民」によって構成され、国民は「各個人」なのです。だから異論や不協和は「あるのが当たり前」なのでした。
ただ、ちょっと「不協和音」が混じってきます。国際的な政治パニック小説だったはずなのに、なぜか『ジャッカルの日』のような描写が挿入されるのです。このままだとカナダも英国も「行くところ」まで行ってしまいそうですから、「場面転換」のためのなにか「衝撃」が用意されているのかな、なんてことを私は思います。さてさて、カナダと英国の「民主主義」と「民族主義」は、どんな道をたどっていくのでしょうか?
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