to, too, two,2,toe……
どうやって耳で区別をしたらいいのでしょう?
【ただいま読書中】『狭き門』アンドレ・ジッド 著、 中条省平・中条志穂 訳、 光文社古典新訳文庫、2015年、980円(税別)
昨日の「カルピス」と同様、昔懐かしい記憶を今日も語ってしまいます。
本書を初めて読んだのはまだ小学生の時で、なんで学校の図書室にこんな本があったのか、今でも謎です。ともかく読んだときの感想は「キリスト教って、窮屈だなあ」だけでした。まあそれでキリスト教に興味を持って、中学校で新訳や旧訳聖書を読むことになったのだから、無駄ではなかったのですが。
で、50年以上経って読んでみての感想は「もどかしいなあ」に要約できます。
ジェロームは初心な少年が初心な思春期を迎え初心な青年になっていますが、もうちょっと成長しろよ、と言いたくなります。アリサに対しては「妹がジェロームに恋している」「自分の方が年上だ」「神様がお許しにならない(狭き門を選択するべきで、簡単に幸福になってはならない)」などと細かく理由をつけてジェロームを焦らしまくっていますが、これは「愛を二人で育てて豊かにする」のではなくて「純粋さを求めて愛の細部を削りまくって結局貧相にする」態度に私には見えます。欲望に簡単に負けない、というのは「立派な態度」なのでしょうが、表面にざらつきがあるから摩擦力が生じて両者が噛み合うのに、「純粋な表面」を求めてつるつるに磨き上げてしまったら(見た目は綺麗だしその努力の成果に自己満足は得られるでしょうが)両者のあいだの摩擦力は「ゼロ」になってすれ違いになってしまうだけでしょ。
本書は、残酷なまで美しい作品です。世界は光に満ち、美しく耀いています。人の心もまた美しく耀くものばかり。だけど頭でっかちの理屈が、その美しさを陰らせます。ジェロームはアリサに拒絶された、と思っていますが、実はジェロームの方が(自身が成長しないことによって)アリサを拒絶していたのではないか、なんてことも感じました。で、解説を読むと、著者は結婚はしていたが実は同性愛だった、とのこと。そのへんが「女性を愛すること」に「女性に拒絶されること、女性を拒絶すること」が影響して、表現を屈折させてしまったのかな。
ともかく、もどかしいなあ。異性愛でも同性愛でもいいですけど、愛は豊かに育っていって欲しい。
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