「これは売名行為だ!」と非難のコメントを熱心に上げる人がネットにいます。私にはその熱心さが不思議です。
もしも「これ」が売名だとして、そしてその売名行為が「目的」だったら、「非難」もまた注目を集めさせる、つまり「売名の手助け」となってしまいます。私だったら無視します。無視が売名に対する一番の“薬”ですから。
もしも売名だとして、そしてその売名行為が「手段」だったら、話は違ってきます。その「手段」によって達成しようとする「目的」が何か、が重要となるのです。もしもその「目的」が良からぬ事だったら、その場合にはその「目的」とそれを達成するための手段としての「売名」と、両方を非難しても良いでしょう。でも「目的」が良いことだったら?
【ただいま読書中】『グレタ たったひとりのストライキ』マレーナ&ベアタ・エルンマン、グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ 著、 羽根由 訳、 海と月社、2019年、1600円(税別)
著者の所、マレーナの夫はスヴァンテで、二人の娘のベアタはグレタの妹だそうです。スウェーデンの「姓」はどうなっているんだろう、と私はまずそちらで戸惑います。
著者夫妻が戸惑ったのは、グレタが突然食べなくなったこと。病院、クリニック、カウンセラーなどを片っ端から訪れますが診断はつかず、2箇月で体重は10kg減少。そして「アスペルガー症候群」と断言する心理カウンセラーに出会います。この時の一家の努力のすごさに、私は感銘を受けました。特に「記録」。グレタが食べたものと量、要した時間が書いてあるだけなのですが、これがそのままグレタの状態の悪さと回復過程を雄弁に物語るのです。そして、グレタがやっと落ちついてきた頃、こんどは妹のベアタが爆発します。後から思えば、ADHDの徴候が揃っていてしかも姉のことに両親が熱中して妹は放置されていた、という条件だったのです。
二人の娘に対処するために、マレーナはベアタに、スヴァンテはグレタに集中することにします。そしてグレタは「環境」に熱中していました。
ここから「環境」についての文章が続きます。グレタにとって、人々の態度は不思議です。口では「環境は大切」「環境破壊は良くない」と言いながら、環境を破壊する行為を平気で続けているのですから。知らないのだったら学べば良いが、知っているのに行動しないのはなぜ? 一家はグレタに感化され、環境について調べ、いかに自分たちが無知か、そして“残された時間”がいかに少ないかを知ります。とりあえず一家は「飛行機を使わない」「自動車は電気自動車」「ソーラー発電」などを始めますが、これだけでは不十分です。
「環境問題」を「地球の問題」であると同時に「自分自身の問題」と感じたグレタは、「行動」を始めます。はじめは回りの人間やネットでの活動でしたが、これでは多くの人に影響を与えることはできませんでした。そこで「直接行動」。「危機」を「危機」として扱え、と訴えるために「学校ストライキ」を始めます。その準備をしているとき、これまでグレタの足を引っ張っていた摂食障害と強迫性障害は少し軽くなっていきます。
2018年8月20日、国政選挙のさなか、グレタは国会議事堂まで自転車で出かけ、たった一人で座り込みを始めます。情報はすぐに拡散。色々な人が集まってきます。その人たちと会話をしているグレタを見て、両親は驚愕します。だってそれまで選択的緘黙症で他人と口をきくことが苦痛だったんですよ。
「子供」がこういった行動をしていると「大人の言いなりで動いている」と自動的に決めつける人が登場します。私は不思議です。思春期の子供って、そんなものでしたっけ? 少なくとも私は大人が言うことには逆らってばかりいましたけれどね。まあ、そういった決めつけをする人はご自身がよほど「良い子(親や偏向教師の言いなり)」だったのでしょう。そして、大人になった今も「良い人(特定集団の言いなり)」をやっているのでしょう。
グレタの行動に対する、政治家の反応はみごとに“想定内”のものでした。そういえば今回のコロナ禍に対する政治家たちの反応もまた“想定内”のものばかりです。彼らには「自分たちが扱える範囲」というものが厳然と存在していて、それを越える問題では思考停止になって、しかし思考停止はしていないぞというポーズだけは反射的に取るのかもしれません。なんだか使えねえなあ、というのが私の感想です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます