【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

無問題

2022-08-19 10:44:33 | Weblog

 「旧統一協会との関係はない」と言いつつ、選挙に協力してもらっていた人がいます。さらに「問題はないが、これからの関係は見直す」と同時に言う人もいます。関係があるの?ないの? 問題がないのなら、どうして関係を見直す必要があるの?

【ただいま読書中】『暁の宇品 ──陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』堀川惠子 著、 講談社、2021年、1900円(税別)

 広島が原爆投下の標的とされたのは、地形的に“好条件が揃っていたこと"があったこともありますが、軍都であることも大きな理由でした。ただ、戦前の日本の都市はどこも“軍都"だったはず。軍都広島の特異な点は「陸軍船舶司令部」があったことです。これは、陸軍の兵員輸送・補給・兵站を一手に担う組織で、人員は30万人と方面軍一つに相当するぐらいの巨大さでしたが、日本の史料にはその記述はほとんど残されていません。
 広島が軍港として注目されたのは、日清戦争のとき。東京からの鉄路が広島までで、しかも港が早くから整備されていたため、陸軍糧秣支廠・被服支廠・兵器支廠・缶詰工場・倉庫・検疫所などが次々整備されました。世界的に海上輸送関連は海軍の仕事です。しかし日本帝国海軍はそれを拒否しました。船を一艘も持っていない陸軍は自前で海上輸送をすることになります。しかし、陸軍が船舶や船員を必要とするのは戦時だけ、平時には不要です。そこで採用されたのが「民間船のチャーター」。これは西南戦争で大隈重信が三菱に兵員輸送を依頼したのが始まりと言えます。一般日本語では「賃船」ですが、軍事利用の場合は「傭船」と言うそうです。
 大正8年、広島の宇品港にある陸軍運輸部に、陸大を卒業したばかりの田尻昌次が配属されます。後に「船舶の神」と呼ばれ中将まで出世した人でした。
 大正期、敵前上陸の重要性が世界的に言われるようになり、日本陸軍も当然それは認識していました。ところが使えるのは木造手漕ぎの小型船、しかも漕ぐのは民間人。田尻はその改革に乗り出します。ところが陸軍の予算には「研究開発費」がありません。田尻は金を何とか工面し、天才的な技師たちがついに世界で最新鋭の鉄製上陸用舟艇「大発」開発に成功します(のちにアメリカ軍は大発を参考に自分たちの上陸用舟艇を開発し、南太平洋で活用することになります)。田尻はさらに船舶を扱う専門職として「船舶工兵」という新しい科も陸軍の組織内に作ってしまいます。また、田尻は海軍との協力関係も重視しました。「海」に関して、海軍は明らかに陸軍の“先輩"ですから、その教えを請わなくてどうする、という態度です。そのためか、満州事変まで、陸軍と海軍の(少なくとも輸送に関する)関係は良好でした。
 輸送は「合理性」を要求します。輸送するもの・その量・積み込む場所・おろす場所・期間、それらが決まれば、必要な船舶・輸送に必要な人員・設備(クレーンなど)の数・積み込みの人足数・おろす人足数、などが「数字」として表現されなければなりません。田尻にはこれらの数字が一瞬で浮かんでくる天賦の才があったようです。しかし、イデオロギーがちがちで根性主義でしかも兵站軽視の将官には、田尻の“価値"は全然見えなかったようです。
 第一次上海事変が勃発。田尻たちに「一個師団の輸送」が命じられます。ところが必要な資材や人員を田尻が計算して提出すると、参謀本部はあっさり却下。予算も人員も無しで、まるで魔法のように一個師団を輸送しろ、が参謀本部の要求です。威張ることしか能がないただの××だね。ところがこの××が権力を握っているからタチが悪い。参謀本部に要求を次々突きつけ、結果として上海事変での上陸作戦を成功させてしまった田尻は、以後冷や飯を食わされ続けることになります。皆が間違っているときに正しいことを言う少数派は、“皆"に憎まれるのです。田尻が要求した輸送船の武装化、敵から発見されにくいように煤煙を減らす装置の導入、などなどもすべて参謀本部によって却下却下却下。それによって日本軍の損害はどんどん増えますが、偉い軍人さんにはそんなことはどーでもよいことだったようです。“たかが輸送"ですから。
 対中国戦が泥沼化するにつれ、「日本の数字」は悪化の一途。こんなことでは、対米開戦も南進論も絵に描いた餅であることは、「数字が読める」田尻には明らかでした。
 昭和14年7月、田尻は「民間ノ船腹不足緩和ニ関スル意見具申」を提出します。これは、陸軍中枢だけではなくて、船舶輸送に関係する厚生省、大蔵省、逓信省、鉄道省、商工省すべてに“業務改善(改革)"を迫る“建白書"でした。その全文が本書に掲載されていますが、あくまで「数字」と「論理」を前面に出しているもののその背後に鬼気迫る迫力を私は感じました。これは「正論」ですから、ある種の人間の逆鱗に触れます。また「越権行為」ですから、これまたある種の人間の逆鱗に触れます。この「ある種の人間」に共通するのは、「国の利益」「戦争の勝利」よりも「組織内での権力闘争に自分が勝つこと」や「序列」と「既得権」の方を重視する態度です。かくして田尻中将は「諭旨免職」となりました。
 結局、日本が戦争に負けたのは、「勝利より大切なものがある」と考える人間が役に立つ人間を放逐したから、とも言えそうです。ちなみに、太平洋戦争中に死んだ船員は6万643人。戦死者の比率は、陸軍20%、海軍16%、(民間人の)船員は43%です。
 なお、広島の船舶部隊は地元では「暁部隊」とも呼ばれていたそうですが、その「暁」の由来については、こちらも明治時代に遡る別のお話があります。詳しく書いたらたぶん本一冊分にはなるでしょう。

 



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