【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

命の値段

2021-09-11 07:21:39 | Weblog

 「視覚障害者の逸失利益「平均賃金の8割が相当」、未成年時の事故で働けなくなった女性の控訴審判決 広島高裁」(中国新聞)
 障害者の命の価値は、健常者の7割(山口地裁)あるいは8割(広島高裁)、だそうです。すると交通事故で障害者を殺したら「ラッキー、健常者より安くつく」と叫ぶ人が出てきそうですね。さらにこの裁判官は「もっと差別をして障害者の賃金を目減りさせたら、障害者への賠償金はもっと減らすことができる」と主張していることにもなります。でもそれって憲法違反では? というか、人の価値って、障害獲得賃金(の予想)だけで決まるものなんです?

【ただいま読書中】『ナチスに抗った障害者 ──盲人オットー・ヴァイトのユダヤ人救援』岡典子 著、明石書店、2020年、2500円(税別)

 ナチスドイツは「優秀なアーリア人の血への汚染」を防ぐために「劣等民族の根絶」を目指しました。その代表がユダヤ人ですが、ドイツ人であっても「血統」に関係する障害者は収容所送りの対象でした。そういった社会の中でも、反ナチスの活動(多いのがユダヤ人の保護)をする人がいました。その中で“有名”なのは「シンドラーのリスト」のシンドラーさんでしょうが、本書で扱われるのは自分自身がナチスに迫害されるべき立場にあった障害者であるオットー・ヴァイトです。彼は、20世紀初めの若き日に労働運動に身を投じていましたが、「資本家に搾取される労働者」と「ナチスの圧政に苦しめられるユダヤ人」を重ねてみていたのかもしれない、と著者は推測しています。
 ナチス支配下のドイツでは、ユダヤ人だけではなくて、ユダヤ人を支援する(どころか、同情を示す)ドイツ人も処罰の対象でした。ゲシュタポが目を光らせていましたが、もっと怖かったのは密告制度です。誰が自分を密告するか、わからないのです。
 42歳で失明したヴァイトは、第一次世界大戦の戦傷によると申し立ててそれが認められ、職業訓練を受けて箒とブラシ製作の職人として自立でき、さらに盲人作業所の経営者になります。雇用された失明者には、ドイツ人もユダヤ人もいました。ナチス支配下の社会でユダヤ人は「馘首の対象」ではあっても「雇用の対象」ではありません。それなのにヴァイトは「戦争遂行に必要な企業」の認可を(袖の下を使うことで)入手、それを“錦の御旗"として、弱い立場のユダヤ人(の中でもさらに弱い立場の障害者)を何人も雇い入れたのです。これは彼が「傷痍軍人(=国家の英雄である障害者)」だったからできたことでしょうが、そのためには危ない橋も渡らなければなりませんでした。相当な覚悟が必要な行動です。
 ただし彼は孤立はしていませんでした。彼の作業所がある第16管区の警察署は、警察が積極的にユダヤ人弾圧に動いていた当時としては例外的にユダヤ人に対して同情的、というか、強制連行などの情報を流してくれる点で“反ナチ"的だったのです。
 1941年3月にユダヤ人に対する強制労働は「義務」になりました。本人の希望や心身の状態には関係なく労働が割り当てられます。ヴァイトの作業所では「労働に耐えられない」人たちを次々に「強制労働」として雇いました。小さな工場には不似合いなくらいの人数を。
 ヴァイトの作業所は、最初は「きつい肉体労働」からユダヤ人を少しでも救い出す場所でした。やがて「労働能力なし」として強制収容所に送られるユダヤ人障害者を「有用な労働力」と偽って保護する場所となります。「ユダヤ人の東方移送(=強制収容所送り)」が始まるとゲシュタポと交渉(おそらく賄賂つき)して駆り集められた場所から「従業員」をヴァイトは奪還します。そして戦争が激化すると、多くの協力者のネットワークを生かして、ドイツ社会の中に「ユダヤ人ではなくてドイツ人です」と偽って潜伏生活を行えるための拠点ともなっていきます(そのための身分証明の書類に、公印を押してくれる警察官もいました)。正確な数はわかりませんが、当時のドイツで潜伏生活に入ったユダヤ人は1万人とも1万5千人とも言われています(ベルリンにはおそらく5000人〜7000人)。そして、それを支援するドイツ人は、ユダヤ人ひとりにつき7人〜10人(あるいはそれ以上)と言われています。ゲシュタポだけではなくて、近所の人の密告も警戒しながらユダヤ人を匿うために、どのくらいの勇気が必要だったことでしょう(もしばれたら、匿った人も厳罰に処せられます)。
 潜伏する人も大変です。人がいないはずの建物に人の気配がしてはいけません。電気や水の使用は最小限、生活音は立てない、買い物や洗濯は誰かに頼らなければなりません。ヴァイトは、信頼できるドイツ人一家に任せるだけではなくて、自分でも(たとえば作業所の倉庫や地下室に)ユダヤ人を隠します。「ユダヤ人に好意的」ということでゲシュタポに目をつけられていたヴァイトの作業所は、たびたび家宅捜索を受けましたが、ヴァイトはうまく隠し通しました。戦後のヴァイトの証言では、ヴァイトと仲間が匿ったユダヤ人は総計56人になったそうです。たとえばそれだけの人数分の食料を闇市場で手に入れるのは、大変だったでしょう。病気になったり、あるいは死亡したらその遺体をどうするか……なんだか考えるだけで頭が痛くなりそうです。
 ウィーンは“きれい"になったのにベルリンではユダヤ人の気配が消えないことに苛立ったナチスは、強引なローラー作戦を繰り返して潜伏していたユダヤ人を捕まえ続けます。ヴァイトの作業所も空っぽになってしまいました。しかしヴァイトはあきらめません。こんどは強制収容所に「小包」を送ります。命の救援物資です。さらに強制収容所からの脱走まで画策します(中と連絡を取り、収容所のそばにアパートを借りて逃げ込めるように準備をしたりしています)。
 本書で印象的なのは「支援する人」と「支援される人」とが「上下関係」ではないことです。これはたとえばパラリンピックや、身近な「支援が必要な人」についても同じことが言えるでしょう。「可哀想」とか「上から目線」で言うのではなくて、「同じ人間」としてお互いが振る舞うことができるかどうか。
 ヴァイトは「強い人」ではありません。社会的には下層の出身で身体障害があり、社会的には弱者として扱われる人です。しかし、権力に阿って居丈高に振る舞う人と比較したら、心の芯の強さは際立っています。何しろ、戦前も戦中も戦後も、その基本態度は変化しなかったのですから。