【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

立候補妨害?

2021-09-03 07:36:28 | Weblog

 菅首相は何を思ったか、総裁選挙と衆議院選挙直前に党の人事をつつくそうです。先日下村さんに対しては「党の重職にある者が総裁選に立候補するとはいかがなものか」と言ったわけで、するとこれから立候補されては困る人を党の重職に指名して、従えば「立候補するとはいかがなものか」と言い、就くことを拒んだら「党に貢献しないとはいかがなものか」と言って困らせることができることになりますね。

【ただいま読書中】『内務省の歴史社会学』副田義也 編、東京大学出版会、2010年、6200円(税別)

 内務省は「内政」を担当していましたが、その範囲は広範です。主要五局は「神社局」「地方局(選挙、地方行政)」「警保局(行政警察、政治警察)」「衛生局(公衆衛生、医療)」「土木局」ですが、他にも「復興局(関東大震災後の首都復興)」「社会局(のちに衛生局と一緒になって厚生省に発展分離)」戦時には「防空局(空襲対策)」などもあります。
 しかし「神社局」が内務省の主要局という点に、時代を感じますね。
 私は、警察・検閲・選挙などで国民統制をする役所、というイメージを持っていましたが、もうちょっと“カラフル”なお役所だったようです。
 先日読んだ「工場法」についても内務省は深く関与しています。それも労働者寄りの立場で。昭和13年に内務省の衛生局と社会局が分離して厚生省が作られていますが、これまた“国民寄り”の立場でした。ただ、工場法では、健全な労働力が富国強兵の役に立つ、という視点があり、厚生省もまた健康な国民は健全な労働力と頑強な兵士となるから国家の役に立つ、と言う思惑があったのですが。
 1937年(昭和12年)に「母子保護法」が制定されましたが、「母子」という概念が法律に登場したのは、画期的と言えます。日清戦争や日露戦争で生じた傷病兵(当時の言い方では「廃兵」)は生活が困窮し、その救護を訴えていました。それに対して1917年(大正6年)に「軍事救護法」が公布・施行されましたが、内務省では「これを機会に、一般福祉を制度化しよう」と考える人が動き始めました。その対象と仮定されたのは、廃疾者・児童・寡婦・老衰者でした。社会では同時代に、女性の権利獲得を目指す社会運動や無産運動が盛んとなり、それらが「母子保護法」に結実したと考えられます。法律制定の中心となった田子(内務省救護課課長)は「特に、寡婦と子供に扶助の必要性がある」と主張しました。今だったら貧困にあえぐシングルマザーへの公的援助、と言うところでしょうか。この考え方は「伝統的な家族制度」「自助と共助」を是とする人たちからは攻撃されました。今と同じだ。というか、令和の時代でも大正時代と同じ考え方しかできない人が多くいるんですね。さらにこの法律は、庶子と私生児も無差別としています。大正という時代を考えると、なかなか挑戦的です。
 ところで、戦前に支配的だった「女子は無能力」が正しいのだったら「能力ある人間(つまり成人男子)が無能力者をきちんと保護する義務」が生じるはずです。能力があるのだったら、平等に扱う必要がある。どちらが好ましいと思います? ちなみに「国民は皆天皇の赤子」という言葉自体は「平等」を要求しているように私には読めます。
 ちょっと変わった題材も扱われています。「映画の検閲」です。三谷幸喜の「笑の大学」で映画の検閲がコミカルに扱われていましたっけ。実際にはなかなか大変だったようですが。内務省は「活動写真『フィルム』検閲規則」(1925年(大正14年))と「映画法」(1939年(昭和14年))を根拠として、映画の検閲を行なっていました。面白いのは、「検閲済み」とは「上映許可」と同義になるため、上映を不許可にするために「検閲を拒否」する場合があったことです。つまり映画人は、検閲でフィルムがズタズタにされるのは腹立たしいことですが、その検閲を受けられないとメシの食い上げになってしまう。本章では「検閲を受けた実例」として、小津安二郎監督の「お茶漬けの味」が取り上げられます。シナリオを読むと、召集令状が来た若夫婦の関係の機微が実に生き生きと描かれているのですが、シナリオの事前検閲で検閲官が言うことには「めでたい出征にお茶漬けとは何事か」。小津さんはげんなりして撮影をやめてしまいました。秀作が一つ流産してしまったわけです。黒澤明監督も『蝦蟇の油──自伝のようなもの』(1978年)で自身の映画検閲を公開しています。しかしそこで紹介される内務官僚の「検閲」というか難癖のレベルの低さ(例えば「姿三四郎」での「男女の出会い」を「英米的」と全否定する)のには、呆れてしまいます。レベルの低さというより、知性と徳性の低さ(というか欠落)、と表現するべきでしょうが。
 台湾統治や神社統治についても興味深い論文が並んでいます。戦前に興味がある人だけではなくて、現在の官僚制度の問題点がどこから来たのか(戦前にどんな問題があったか)興味がある人にも、お勧めしたい本です。