村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

一番茶

2024-05-28 14:43:07 | 日記
この5月の末は、狭山茶の製造の一番忙しい時で、できたお茶は一番茶といいます。
7月は2番茶といいます。
どこの農家でもお茶刈で大忙しでした。畑にお茶の木を植えて摘んでお茶屋に持って行き貴重な現金収入となりました。
機織りと同じです。
草木染でお茶を使った染色があり、きれいなグレーがでます。かなりの昔からあります。

そこで、木の葉を使った染色についてですが、梅雨前の新しい葉はタンニンがほとんどなく色が出ません。
自分の体験では梅雨を過ぎた葉は色が出ます。もちろん古い葉、枝、根は染色に使えますが。季節により微妙に色合いが違います。
また染料の煮だし方で色が変わります。一回目に煮出したものは捨てて、二回目に抽出したものを使ったりします。

抽出液はいろいろな色が含まれていて、それを取り除くときれいなのが出てきたりします。
以前、紫紫蘇をアルカリ抽出したら、葉が青紫蘇になって驚いたことがあります。
茜は根を何回も水に浸けて茶色の成分を取り除いてから、赤色を染めます。

お茶はいわゆる墨染めの衣を染めるのに、黒色を出すのに使ったようです。
藍は全く染色方法が違い醗酵させて使います。
当産地は江戸末期、藍染紺絣から出発しております。
青色は藍以外には出ませんのでかなり研究がされています。

お茶の葉↓


とにかく自然のものを使うと、季節、温度、湿度、植物の取れた場所。一番違うのは水質です。

          ^^) _旦~~




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春本番

2024-04-22 11:05:34 | 日記
遅かった桜も咲き終わり、新緑のシーズンとなってきました。
これから織物組合もいろいろと活動が始まります。

学校教育事業もありますし



各種販売会も参加予定です。



さて今年度は何をしようか?役員会で検討中です。

>

遅ればせながら、残堀川のさくら


    (^_-)-☆



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年々歳々花にたり

2024-04-11 10:36:32 | 日記
今年は、予想に反して桜が咲くのはかなり遅れました。
4/11で満開で、花吹雪が舞っております。
50年ぐらい前では、大体4月上旬が各織り元主催の花見大宴会が行われていました。
寒いのでたき火をしたのを覚えています。
ほとんどは、狭山湖の堰堤近くでしました。
いろんなグループが大騒ぎしています。
隣のグループに間違えて入り込んで酔っ払っていたりします。



我々子供は、バヤリースオレンジジュース、三ツ矢サイダーぐらいしかありませんでしたが大喜びで行きました。
重箱にはご馳走がいっぱい入っていて、むろん無礼講。各自の持ち芸が出てきます。
しまいにはなにがなんだかわからなくなり、解散。

今は多摩湖などは立ち入り禁止になってしまい花見はできません。
また桜の木が古くなってほとんどが伐採されてしまいました。



この写真の下に多摩湖に行く送水管の大きな物が埋まっています。

      (^_^)  (^_^)  (^^;)

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春は名のみの

2024-03-15 13:49:53 | 日記
来週からお彼岸になりますが、いまだ天気定まらず。
ジャガイモが植えられません。もう種芋が芽が出ていますが。
白菜はまとまれずバサバサ、いまだかつてない出来の悪さ。



30日は桜まつりですが、ちょうどいいですか?昔は4月が花見で仕事を早じまいで貯水池に花見でどんちゃん騒ぎでしたが。
梅は咲いたか?桜はまだかいな?
そんな雰囲気が織元の中ではありました。



今年はどんなことになるのやら?

  (^_-)-☆





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春がもうすぐ!

2024-02-27 11:05:19 | 日記
春よ来い、早く来い、なんですが外は寒くなったり暖かだったり。
この辺の武蔵野は春先は土が乾燥して大風が吹くと空が土埃でまっちゃになります。
家の中まで土埃が入り込み、床がザラザラになります。
今は家が多く建ちましたので前よりかは少ないようですが。



この武蔵野は多摩川が作った台地です、今でもよく見るとその名残の小さな川が狭山丘陵にあります。
北は川越から南の昭島の多摩川までが一応武蔵野の北南ですが、川がほとんどありません。
ススキの野原でありました。
明治初期の様子が国木田独歩の「武蔵野」に書かれており、とてもきれいであったそうです。
その面影が狭山丘陵に残っています。60年前には、武蔵村山の南の畑はススキが生い茂って、雉が鳴いていました。ここにきてあっという間に変わってしまいました。



   (^_-)-☆

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