しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

北海道日本ハムファイターズ、パ・リーグ優勝おめでとう!!で、頂いた越の寒梅を開けてしまいました

2016-09-29 19:02:07 | Weblog

 北海道日本ハムファイターズ、4年ぶりのパ・リーグ優勝おめでとうございます!!!!

 福岡ソフトバンクホークスと11.5ゲーム差で、3位なのが、逆転で優勝です。あきらめない精神が勝ったものでしょうか。
 それにしても、大谷翔平は次元が違う選手だと思いました。
 ともあれ、嬉しさいっぱいです。ありがとうございました。お祝いしなきゃ。

 で、妻が新潟の親戚から頂いた「越乃寒梅」を開けることにしました。

 


 風呂上りだったので、その前に「一番搾りの北海道づくり」をいただきました。

 


 「越乃寒梅」の白ラベルの4合壜です。白ラベルは晩酌用の酒だそうです。さっぱりして、まろやかな日本酒です。料理に合い、飽きずに、次の日残らないように、低温で長期間じっくりと発酵させた日本酒だそうです。
 「越乃寒梅」は日本でも有名な酒銘柄です。醸造する石本酒造㈱は、1907年(明治40年)創業だそうです。新潟市江南区に会社があります。日本酒のほか、乙類焼酎、梅酒なども醸造しています。
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8月23日(火)、米沢市の郵便局訪問の途中で、米沢城本丸跡に築かれた上杉神社に寄ってみました。

2016-09-27 21:37:48 | Weblog

 8月23日(火)、私は山形県米沢市の郵便局を訪問していました。「ここまで来て、上杉神社に寄らないのも、来た甲斐が無いな。」と思い、時間を割いて、寄ってみました。

 上杉神社はトップと下の写真です。

 

 上杉神社は、米沢城本丸跡に1886年(明治9年)に建立されたそうです。当初は、上杉謙信公と上杉鷹山公が祀られていたそうです。しかし、1902年(明治35年)に上杉鷹山公は、二の丸に建立された松岬神社に祀られたそうです。松岬神社には、その後、1923年(大正12年)に上杉景勝公、1938年(昭和13年)に直江兼続、上杉鷹山公の師匠の細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政も祀られることになりました。


 上杉謙信公の像が有ります。

 

 
 そして、私が尊敬する上杉鷹山公の像も有ります。

 

 

 上杉鷹山公の「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の言葉も刻まれています。


 上杉景勝と直江兼続の像も有りました。

 


 伊達正宗公生誕之地の碑も有りました。

 

 「伊達正宗は米沢で生まれたのか」と初めて知りました。伊達正宗=仙台のイメージが強かったからでしょう。調べたところ、1567年(永禄10年)米沢城で生まれたそうです。そして、18歳で家督を継ぎ、1584年(天正12年)に米沢城主になったそうです。1589年(天正17年)、蘆名氏を滅ぼし、居城を会津黒川城(のちの会津若松城だそうです)に移したそうです。


 米沢城下の図が有りました。

 

 それを見て、私は本来の郵便局訪問に戻りました。

 
 

 
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山形県郵便局訪問 NO.5 山形市 2回目となる山形市は、山形市郊外の郵便局訪問です

2016-09-25 20:27:59 | Weblog

 8月24日(水)は、前日の米沢市に続き、山形市の郵便局を訪問しました。前回、山形市の中心部は訪問しましたので、今回は郊外の郵便局訪問になっています。局間が距離が有り、1時間以上歩いた所も有ります。暑かったです。

 訪問したのは、次の12局です。

 金井、山形大学病院内簡易、東青田簡易、山形南、南沼原、宮浦簡易、椹沢、江俣、山形銅町、大野目簡易、山形流通センター内、山形長町

 トップの写真は、7029局目となった東青田簡易郵便局です。


 山形の理髪店には必ず、夏には「冷シャンプー」の「氷」に似た幟が掛かります。この理髪店も同様です。

 

 その横には、大きな「冷シャンプー」の幟が有りました。

 

 そして、看板を見て驚きました。「阿波踊り」です。でも、よく見ると「みちのく」が頭に付いています。山形駅前の商店街等で行われるもので、今年で12回目になるようです。お祭りとして定着したとの見方もされているようです。札幌のよさこいソーランを高知のよさこい祭りを真似たものです。今では、すっかり定着し、初夏の風物になっています。同じようなものなどでしょう。


 素敵な川が有りました。人が歩いているのでその魅力が解ります。

 

 須川の支流のようです。


 田圃は実っています。今年も豊作でしょうか。奥の穀物乾燥貯蔵施設が映えます。

 


 江俣郵便局近くでは、地蔵尊がちょうどこの日、8月24日が祭りでした。

 


 江俣地区は、大きな古い建物が塀に囲まれてたくさん有りました。

 

 

 調べた所、国道112号(江俣街道)は、馬見ヶ崎川の自然堤防の上に築かれており、江俣街道は、江戸時代から、最上川船運における交通の要所だったそうです。江俣地区は伝馬集落の性格を有しており、羽角家などは、大地主で大庄屋だったそうです。

 そんな江俣地区の東端に立派な山門の延命寺が有りました。

 

 寺の中には、松尾芭蕉の「ものいえば 唇寒し 秋の風」の句碑があるそうです。


 最後に、私は山形県は好きです。下の山形日和は、そんな魅力を短く、言い表していると思います。

 
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2016年9月の洋楽カラオケ ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」の全曲を歌ってみました

2016-09-23 19:31:30 | Weblog

 9月21日(水)、一人カラオケをしました。8月は郵便局訪問が忙しく、カラオケはお休みです。ひとりなので、遠慮無しに歌えるので、ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」の全曲を歌ってみました。その14曲を含め、25曲も歌いました。


レット・イット・ゴー(イディナ・メンゼル)

 アナと雪の女王の曲を最初の曲に選びました。なかなか力の入る歌です。


 ここから、「ラバー・ソウル」のA面です。

ドライブ・マイ・カー(ビートルズ)
ノルウェーの森(ビートルズ)
ユー・ウォント・シー・ミー(ビートルズ)
ひとりぼっちのあいつ(ビートルズ)
シンク・フォー・ユアセルフ(ビートルズ)
ザ・ワード(ビートルズ)
ミッシェル(ビートルズ)


 初めて歌ったのは、ユー・ウォント・シー・ミー、シンク・フォーユアセルフ、ザ・ワードの3曲です。次は、高音で歌い疲れたので女性の歌にしました。


コール・ミー・ベイビー(カーリー・レイ・ジェプセン)

 カラオケがライブの映像でした。今年、札幌にもカーリー・レイ・ジェプセンは来ていたと思います。


 「ラバー・ソウル」のB面がここからです。

ホワット・ゴーズ・オン(ビートルズ)
ガール(ビートルズ)
アイ・ルッキング・スルー・ユー(ビートルズ)
イン・マイ・ライフ(ビートルズ)
ウェイト(ビートルズ)
イフ・アイ・ニード・サムワン(ビートルズ)
ラン・フォー・ユア・ライフ(ビートルズ)


 ガール、イン・マイ・ライフとウェイトは過去に歌ったことが有りますが、他は初めて歌いました。ジョージとリンゴがボーカルの曲は歌いやすいのですが、ポールのボーカルはキーが高くつらかったです。
 アルバム全ての曲がカラオケで配信されているとは、さすがにビールズだと思います。他のアーティスト(日本を除く)にあるのでしょうか。


ラブ・フール(カーディガンズ)

 可愛い曲です。おっちゃんが歌うと気持ち悪いかもしれません。

ファンタジー(ヴァージネリー)

 パラパラ曲です。印象に残る曲です。

ナイト・オブ・ファイアー(ニコ)

 続けて、パラパラ曲です。けたたましいシンセで、ノリが良く、大好きな曲です。

ラヴィン・ユー(ミニー・リパートン)

 久しぶりに歌いました。歌の音域は広いです。

嵐の使者(ディープ・パープル)

 ハード・ロックも歌わなくてはと思い、選曲です。

悲しみのバラード(エルトン・ジョン)

 初めて歌いました。裏声になるところもうまくいき、満足です。

スメルズ・ライク・ア・ティーン・スピリット(ニルヴァーナ)

 何とも言えない、ダークでヘヴィな曲です。狂気的な曲かもしれません。

マニー・マニー・マニー(アバ)

 低い音が多いので、歌い疲れてきたので、歌いました。

太陽は燃えている(エンゲルベルト・フンパーディンク)

 締めは、おじさんソングです。歌っていて、気持ち良いです。でも、疲れてきて高音が上がりきらなくなりました。


 トップの写真はいつものように、カラオケとは何も関係の無い、福岡市営地下鉄の「福岡空港駅」の駅名表示です。


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鳥取県境港市には、水木しげるロードが有り、妖怪のブロンズ像がたくさん有ります。でも、ねこ娘はイメージが・・・

2016-09-21 21:17:16 | Weblog

 境港市は、漫画家、水木しげるさんの出身地です。なので、水木しげる記念館が有ります。

 

 そして、境港駅から記念館へ向かう道は、水木しげるロードになっており、たくさんの妖怪のブロンズ像が有ります。位置を示す表示も置かれています。

 

 郵便局も水木ロード郵便局という名前です。

 

 水木しげる一色の街になっています。


 ゲゲゲの鬼太郎の塔が有ります。

 

 もちろんねずみ男もいます。

 

 目玉親父もいます。

 

 こちらは豆腐小僧です。

 

 豆腐小僧は、特別な能力は持っておらず、悪さもしない妖怪です。妖怪の小間使いだそうです。

 こちらはつるべ落としです。

 

 木から大きな生首が落ちてきて、人を驚かすとも、人を食べるとも言われる妖怪です。

 最後はねこ娘です。

 

 トップの写真のように、水木しげるさんの漫画のねこ娘の印象が強いのでしょうか、何かイメージが合いません。私は、ねこ娘はトップの写真のように可愛いいイメージを持っています。
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山形県郵便局訪問 NO.4 米沢市 上杉の城下町としての歴史を感じることができました

2016-09-19 10:18:29 | Weblog

 8月23日は、4回目となる山形県の郵便局訪問でした。今回は米沢市です。行きたかった街です。2013年に計画した時は、北海道が大雨で急行はまなすが2日間も運休したので行けませんでした。今回も台風9号で奥羽線の山形駅から南が運休したため、山形から仙台にバスで行き、仙台から米沢にバスで入りました。苦労しての訪問です。でも、その甲斐のある訪問だったと思います。

 訪問したのは、次の17局です。

 関根、南原、米沢通町、米沢城南、米沢大門、米沢丸の内、米沢松が岬、米沢御廟、米沢館山、米沢城西、米沢中央七、米沢春日、米沢、米沢花沢、上郷、万世、米沢駅前

 トップの写真は、7020局目となった米沢中央七郵便局です。


 米沢市といえば、米沢牛です。高級品です。米沢駅には、米沢牛の実物大の像が有ります。隣の女子高生で大きさが分かります。

 


 仙台から米沢でバスで来る時、バス停に一番に並んでている(30分以上も前です、私が2番目です)方、Sさんと親しくなり、米沢の丸茄子は漬物にするとおいしいと教わりました。下の茄子でしょうか。

 

 うす皮丸茄子と言うそうです。浅漬がおいしいそうです。残念ながら、ホテルの朝食にはありませんでした。なので、味わっていません。


 「さすが、米沢!上杉の城下町だ!とおもったのが、米沢市民憲章です。

 

 市民憲章の1番目が「教養を高め、文化のまちにしましょう」です。札幌の市民憲章は、「元気ではたらき、豊かなまちにしましょう」です。この辺りに品格が違うなと感じました。


 南原では、武家屋敷とウコギ垣の看板が有りました。

 

 上杉家が会津130万石から米沢30万石に減封になった時、家臣も移りました。しかし、城下には、収まらず、下級武士は城の郊外の南原や東原に半士半農で入ったそうです。その武家屋敷の姿を残している家が、この辺りに多くあるそうです。下のお宅がそうでしょうか。

 

 垣根にはウコギが用いられました。

 

 ウコギは新芽を食用にするそうです。米沢の春の味覚だそうです。根や皮は強壮剤に用いられるそうです。


 歴史のある街です。様々な名所が、歩いていると見つかります。
 まずは、直江石堤です。

 

 直江兼続が、最上川(松川)の水害を防ぐため、約10kmの堤防を築いたものです。大小の川原石を並べて積み上げるという工法が採られた堤防です。

 こちらは、吉田松陰旅宿の地です。

 

 吉田松陰は、1852年(嘉永5年)3月25日、友人の米沢藩士、高橋玄益を訪ねてこの地に宿泊したそうです。残念ながら、参勤交代で高橋玄益は、江戸に立つ前日だったので、逢うことはできなかったそうです。

 幟を見て、初めて前田慶次が、この米沢市万世町堂森に住んでいたことを知りました。

 

 前田利家の甥であり、文武両道に優れていた武将だそうです。傾奇者(かぶきもの)としても有名です。直江兼続と親交があり、上杉景勝に仕えるようになったそうです。

 ほかにも尊敬する上杉鷹山公の関係する名所も多いです。こちらは別途、ご紹介します。


 米沢市は醸造業が盛んなのかなと思いました。まずは、カクリキ味噌です。

 

 

 ㈱花角味噌醸造が造る味噌がカクリキ味噌です。2007年で創業150年になったそうです。上杉家とともに移ってきたようです。

 こちらも味噌です。秋葉糀味噌醸造㈱です。

 

 創業は1832年(天保3年)だそうです。

 そして、こちらは日本酒です。香梅の香坂醸造㈱です。

 

 

 酒米を手で洗い、ビンのラベルも手で貼る等、手作りにこだわって、醸造しているそうです。


 「懐かしいセドリックだ!」と思ったのが下の写真です。

 

 あの上が広く、下が狭い三角窓(四角窓ですが)が、懐かしいです。捨てられているようですが、カスタムと1900が有りました。


 別にご紹介しますが、上杉神社も有り、古い建物も多く、見どころ満載の米沢市でした。最後に「おしょうしな(米沢弁でありがとう)」です。

 
 

 
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8月7日(日)、暑い中、石段を登って、米子城址に上がりました。城跡からの眺めは素晴らしいです。

2016-09-17 19:06:46 | Weblog

 8月7日(日)、私は島根県松江市を堪能した後、前日からの宿泊先である米子市に戻りました。まだ、ホテルに入るには早いので、米子城址に行こうと考えました。

 駅から歩いて、城の麓に着きました。

 

 中に入っていくと、入口の石段が有ります。

 

 石段を登ると、ほどなくして旧小原家長屋門が有りました。

 

 小原氏は、米子荒尾家の家臣で禄高120石だったそうです。米子市内での唯一の武家建築で、1953年(昭和28年)に寄贈を受け、現在地に移築されたそうです。米子市指定の有形文化財です。


 暑い中、石段を登るのは想像以上にキツかったです。それでも、天守閣跡に近づきました。

 

 いつも思うのですが、城の石垣は本当にうまく積み上げています。この米子城の石垣も素晴らしい積み上げだと思いました。

 

 この湊山に城を築いたのは、毛利家の家臣、吉川広家だそうです。1591年(天正19年)のことだそうです。そして、1600年(慶長5年)、中村一忠が完成させたそうです。本丸には五重の天守閣と四重の櫓が配されていたそうです。

 

 天守閣の石垣からの眺めは最高です。

 

 奥に見える山は大山でしょうか。

 

 そして、中海と米子港が見えます。

 

 

 登ってきた甲斐が有りました。この眺めは価値が有ります。トップの写真は、日傘を差し、本を読んでいる女性がいたので撮りました。なかなか絵になっていると思います。でも、なぜ、暑い中、この場所で読書していたのでしょう。
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8月6日(土)、米子駅を降りた私は驚きました。駅前から、「がいな祭」の万灯パレードで、すごい人です。

2016-09-15 19:58:41 | Weblog

 8月6日(土)、関西空港から快速と普通列車を乗り継ぎ、私は米子駅で降りました。米子のホテルで一泊するからです。
 駅を出ると、祭りが開催されていました。すごい人です。なにやら秋田の竿灯のようなものが行われていました。

 

 

 

 この日は、「がいな祭」の万灯パレードが行われていたのでした。がいな万灯が36基、おんな万灯が6基、こども万灯が8基だったそうです。後で知りました。
 真ん中の写真ですが、「陸自」と書かれています。陸上自衛隊の方が演技していたのでしょう。
 人が多く、なかなか進めず、ホテルまですごい時間がかかりました。


 翌日の7日(日)、米子城址を見たあと、私は湊山公園に行きました。
 中海に落ちる夕日が綺麗に見える公園だということです。

 夕日の像が有りました。

 

 ここでも、がいな祭が行われており、多くの出店が有りました。

 

 その中に「でこまん」を売る店も出ています。

 

 買い求める方も多くいらっしゃいます。
 「でこまん」は、七福神を型どった、味噌味のカステラだそうです。米子市民のソウルフードとか。買って食べてみればよかったと後悔しています。

 住宅街の中は、七夕飾りがされています。なかなか綺麗です。

 

 

 そして、重要文化財の後藤家住宅にも七夕飾りが施されていました。

 

 後藤家は、江戸時代、廻船問屋を営んでいたそうです。写真の主屋は、1714年(正徳4年)に建築されたものだそうです。 
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島根県松江市では、さまざまな歴史や産業、文化を知りました。松江の街を歩き回り、街を堪能しました

2016-09-13 21:44:19 | Weblog

 8月7日(日)は、松江城や小泉八雲記念館、小泉八雲旧居だけでなく、街をあちこち歩き回りました。そして、さまざまな歴史や産業、文化を知りました。


 まず、街の中に「鼕」と書かれた倉庫のようなものがあるのに気が付きました。

 

 

 祭りに使う山車が「鼕」のようです。
 松江鼕行列は、毎年、10月の第3日曜日に行われます。今年は10月16日です。松江神社の例大祭に合わせ、松江の開府を祝う祭りだそうです。10月1日(土)には、鼕まつりが行われます。


 「これは、歴史のあるビルだな。横書きを右から左に読むぞ。」と思ったのが、下の写真の出雲ビルです。

 

 1925年(大正15年)に建てられたビルだそうです。松江に建設された、最初の鉄筋コンクリートのビルです。


 松江大橋は、17代目だそうです。

 

 橋長は134mです。いまでは使われないゲルバー桁の鋼橋です。その松江大橋の袂に深田技師殉難記念碑が有りました。

 

 深田技師は、1936年(昭和11年)9月12日、ケーソンでの作業中に事故で命を落としました。30歳だったそうです。橋は1937年(昭和12年)に完成しています。


 「松江市特産来待石」と書かれたものが有りました。

 

 1400万年前に形成された凝灰質砂岩だそうです。石材として使用されます。有名な出雲石灯篭の材料だそうです。松江藩主は御止石として、藩外への持ち出しを禁止したほどの石材です。


 また、石の話題です。松江の街を歩いていて、「めのう」という石の専門店を2つも見つけました。
 古代の装身具であった勾玉や菅玉はその多くが「出雲青めのう」で造られているそうです。
 ㈲川島は、1877年(明治10年)創業だそうです。

 

 こちらの野津めのう店は、松江本店のほか、出雲大社店も有ります。

 

 松江といえば、宍道湖です。

 

 その宍道湖に面して、宍道湖しじみ館が有ります。行ってみました。壁に貼られていたのは、しじみ料理です。

 

 味噌汁やすまし汁は一般的です。でも、しじみのスパゲティ、しじみのピラフ、しじみご飯はどんな味なのでしょう。


 「出雲国風土記登場地」との碑が立っています。

 

 出雲国風土記では、宍道湖は「入海」、嫁ケ島は「蚊島」と呼ばれているとのことです。嫁ヶ島「蚊島」は、下の写真の島なのでしょうか。

 


 最後は、日本酒の話題にします。松江市内には、酒造を営む蔵が多く有るのは、前に行ったときに気づいています。宍道湖近くに、「国暉」「湖上の鶴」と書かれた煙突や蔵が見えます。トップの写真です。

 国暉酒造㈱です。1874年(明治7年)に酒造業を始めたそうです。出雲杜氏が酒を仕込みます。下の写真の店舗は1808年(文化5年)に建築されたもののようです。

 
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松江城に続き、小泉八雲記念館と小泉八雲旧居に行きました。旧居からの庭は芸術的な美でした

2016-09-11 20:55:54 | Weblog

 8月7日(日)、私は松江城を見たあと、城の北側にある小泉八雲記念館と小泉八雲旧居に行きました。

 

 小泉八雲記念館で知りました。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江に滞在していたのは、わずか1年3ヶ月ほどでした。私は、かなり長いこと住んでいたと思っていました。セツさんと結婚したこと、この地で「怪談」の元となるセツさんの語る話を聞いたので、長いこと住んでいたとの印象を大きくしたのでしょう。この地で、島根県尋常中学校と尋常師範学校の英語教師を勤めていたそうです。

 こちらが、旧居です。

 

 部屋に上がることができます。

 

 小泉八雲も気に入っていたという庭が部屋から見えます。

 

 

 

 日の当たる(気温35℃を超える日の日差しです)庭と影になる部屋が芸術的です。日本の美なのだと思います。谷崎潤一郎のいう「陰翳礼賛」です。

 庭には、蛇やカエルが住んでいたという池もあります。

 


 小泉八雲もトップの写真のように好きな庭を眺めたのでしょう。しかし、松江の冬の寒さが嫌だったらしく、熊本に移り住んだそうです。
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