しなしなの記録

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山形県郵便局訪問 NO.4 米沢市 上杉の城下町としての歴史を感じることができました

2016-09-19 10:18:29 | Weblog

 8月23日は、4回目となる山形県の郵便局訪問でした。今回は米沢市です。行きたかった街です。2013年に計画した時は、北海道が大雨で急行はまなすが2日間も運休したので行けませんでした。今回も台風9号で奥羽線の山形駅から南が運休したため、山形から仙台にバスで行き、仙台から米沢にバスで入りました。苦労しての訪問です。でも、その甲斐のある訪問だったと思います。

 訪問したのは、次の17局です。

 関根、南原、米沢通町、米沢城南、米沢大門、米沢丸の内、米沢松が岬、米沢御廟、米沢館山、米沢城西、米沢中央七、米沢春日、米沢、米沢花沢、上郷、万世、米沢駅前

 トップの写真は、7020局目となった米沢中央七郵便局です。


 米沢市といえば、米沢牛です。高級品です。米沢駅には、米沢牛の実物大の像が有ります。隣の女子高生で大きさが分かります。

 


 仙台から米沢でバスで来る時、バス停に一番に並んでている(30分以上も前です、私が2番目です)方、Sさんと親しくなり、米沢の丸茄子は漬物にするとおいしいと教わりました。下の茄子でしょうか。

 

 うす皮丸茄子と言うそうです。浅漬がおいしいそうです。残念ながら、ホテルの朝食にはありませんでした。なので、味わっていません。


 「さすが、米沢!上杉の城下町だ!とおもったのが、米沢市民憲章です。

 

 市民憲章の1番目が「教養を高め、文化のまちにしましょう」です。札幌の市民憲章は、「元気ではたらき、豊かなまちにしましょう」です。この辺りに品格が違うなと感じました。


 南原では、武家屋敷とウコギ垣の看板が有りました。

 

 上杉家が会津130万石から米沢30万石に減封になった時、家臣も移りました。しかし、城下には、収まらず、下級武士は城の郊外の南原や東原に半士半農で入ったそうです。その武家屋敷の姿を残している家が、この辺りに多くあるそうです。下のお宅がそうでしょうか。

 

 垣根にはウコギが用いられました。

 

 ウコギは新芽を食用にするそうです。米沢の春の味覚だそうです。根や皮は強壮剤に用いられるそうです。


 歴史のある街です。様々な名所が、歩いていると見つかります。
 まずは、直江石堤です。

 

 直江兼続が、最上川(松川)の水害を防ぐため、約10kmの堤防を築いたものです。大小の川原石を並べて積み上げるという工法が採られた堤防です。

 こちらは、吉田松陰旅宿の地です。

 

 吉田松陰は、1852年(嘉永5年)3月25日、友人の米沢藩士、高橋玄益を訪ねてこの地に宿泊したそうです。残念ながら、参勤交代で高橋玄益は、江戸に立つ前日だったので、逢うことはできなかったそうです。

 幟を見て、初めて前田慶次が、この米沢市万世町堂森に住んでいたことを知りました。

 

 前田利家の甥であり、文武両道に優れていた武将だそうです。傾奇者(かぶきもの)としても有名です。直江兼続と親交があり、上杉景勝に仕えるようになったそうです。

 ほかにも尊敬する上杉鷹山公の関係する名所も多いです。こちらは別途、ご紹介します。


 米沢市は醸造業が盛んなのかなと思いました。まずは、カクリキ味噌です。

 

 

 ㈱花角味噌醸造が造る味噌がカクリキ味噌です。2007年で創業150年になったそうです。上杉家とともに移ってきたようです。

 こちらも味噌です。秋葉糀味噌醸造㈱です。

 

 創業は1832年(天保3年)だそうです。

 そして、こちらは日本酒です。香梅の香坂醸造㈱です。

 

 

 酒米を手で洗い、ビンのラベルも手で貼る等、手作りにこだわって、醸造しているそうです。


 「懐かしいセドリックだ!」と思ったのが下の写真です。

 

 あの上が広く、下が狭い三角窓(四角窓ですが)が、懐かしいです。捨てられているようですが、カスタムと1900が有りました。


 別にご紹介しますが、上杉神社も有り、古い建物も多く、見どころ満載の米沢市でした。最後に「おしょうしな(米沢弁でありがとう)」です。

 
 

 
コメント
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