しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

日本でも最大級の鍾乳洞である「秋芳洞」に行ってみました。自然の造形や不思議な空間を産み出します その1

2019-03-31 15:37:29 | Weblog

 私は子供の頃、秋吉台国定公園の切手を見て、いつかは「秋芳洞」を見てみたいと思っていました。今回、岩国市の郵便局訪問の前に行くことができました。

 岩国駅から普通列車で新山口駅に行き、バスに乗り秋芳洞に着きました。かなりの移動時間でした。

 

 渓流に沿って進みます。

 

 入口が見えてきました。

 

 「秋芳洞」は公開されている部分は約1kmだそうです。総延長は10.7kmもあるそうです。洞内の温度は四季を通じて17℃だそうです。


 中はかなり広い空間が有ります。もう少しするとコウモリがたくさんいるようになるそうです。

 


 水により流れ出た石灰分が縁に溜まり、皿のようになった「百枚皿」が有りました。トップの写真です。実際には、500以上の皿が有るそうです。


 「洞内富士」と呼ばれる洞内最大の石筍が有りました。

 

 下から上に成長するのが石筍です。上から下へつららのように伸びるのが鍾乳石だそうです。石筍と鍾乳石が成長し、繋がるものが有ります。それが石柱です。下の「大黒柱」もそうでしょう。

 


 山陰地方で渋柿を藁に包み、軒下に吊るした笣柿(すぼがき)に似ていることから名づけられた、笣柿(すぼがき)が有りました。

 


 他にも「空滝」や「蓬莱富士」という自然の造形を見ることができました。

 

 

 見どころが多いため、この記事はその2、その3と続きます。
 
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山口県岩国市に行ったのは、郵便局訪問のほか、「錦帯橋」を見たいとの思いがあったからです。定年前に達成できました

2019-03-30 15:27:46 | Weblog

 3月9日(土)です。岩国駅から歩いて錦帯橋へ向かった私は、40分ほどで着くことができました。
見たかった錦帯橋(私も20数年前は橋梁技術者ですので)が目の前に有ります。トップと下の写真です。

 

 アーチ形状が美しい橋です。全長は193.330mだそうです。

 ここには、過去から橋が架橋されていたようです。古文書によると、1639年(寛文16年)の記述があるそうです。1657年(明暦3年)にも架橋されています。しかし、いずれも錦川が暴れ川であるため、流失しています。
 その後、1673年(延宝元年)の架橋に際し、今のアーチ橋の形式が採用されたようです。1682年(天和2年)には、鞍木と助木が考案され、相当に橋の強度が上がったようです。


 川の中央は、アーチ橋です。35.10m有ります。

 

 端部はそりのある桁橋(6径間連続)です。こちらは、34.80mです。

 


 「アーチ部は、今の橋梁と同じような構造になっているな。」と思いました。

 

 「横梁を包む垂直のV字の部材が重要なんだろうな。」とも思いました。このV字の部材が鞍木です。

 部材にはマツ、ヒノキ、ケヤキ、ヒバ、クリという6種類の木材が使われています。木材を組み合わせて主桁が造られています。組み合わせた木材のずれを防ぐため、3.6cm角のだぼが1アーチ当り1500個も設けられているそうです。

 この錦帯橋が1950年(昭和25年)のキジア台風による錦川の氾濫で流失しています。1952年(昭和27年)には既存と同じ木橋で復元されています。2001年(平成13年)、50年を経過することから平成の架け替えが行われました。


 錦帯橋を渡ってみました。

 

 アーチの中央に来ると、岩国城の見える素敵な景観が広がります。

 

 アーチ部分を下るのはかなり恐いです。慎重に歩かなければなりません。

 

 見てみたいと思った錦帯橋にこうして、定年退職前に行くことができました。

 昨日、3月29日(金)、私は定年退職となり、退職式に臨みました。でも、まだまだ働かなければなりません(年金が出るのはまだ先です)。引き続き、部署は変わりますが、再雇用で4月1日(月)より勤務いたします。
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旅のお供 その182 姫路城を見た後、岡山市内のホテルで、加茂五葉ニューカップをいただきました

2019-03-27 20:43:28 | Weblog

 昨年の5月20日です。私は姫路城を見た後、列車で移動して岡山市内のホテルに入りました。そして、途中で買った賀茂五葉ニューカップをいただきました。

 

 加茂五葉ニューカップを醸造しているのは、岡山県津山市の合資会社多胡本家酒造場です。創業は1880年代(寛文年間)だそうです。兵庫県産の「山田錦」と岡山県産の「日本晴」を主として、加茂川の伏流水で酒造しているそうです。

 清酒、焼酎のほか、「作州津山ビール」というビールも醸造しています。また、ブドウのビオーネのリキュールや「美作ももちゅう」という桃を使ったリキュール等も醸造しています。
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山口県岩国市にある西岩国駅は、レトロな立派な駅舎です。元は岩国駅でした。駅前には、木炭自動車が展示されています

2019-03-26 20:21:10 | Weblog

 岩国駅を出て、私は錦帯橋を見るために歩いて向かいました。その途中にレトロな西岩国駅が有りました。

 

 トップの写真のように素敵な構えの駅です。そのはずです。元は岩国駅であり、観光で錦帯橋に行く人は皆、この駅を利用していたそうです。1929年(昭和4年)4月5日の開業だそうです。現在は岩徳線ですが、1934年(昭和9年)から1942年(昭和17年)まで、こちらが山陽本線として利用されていたそうです。現在の岩国駅は麻里布駅という駅名でした。1942年(昭和17年)4月1日から山陽本線ではなくなり、こちらが西岩国駅となり、麻里布駅が岩国駅になったそうです。

 内部も古いままが残っています。

 

 


 駅前には、木炭自動車が展示されています。

 

 正確にはガソリン車ですが、後部のボイラーに木炭を入れ、燃焼させるとガスが発生し、それをエンジンに送り込むことにより、ピストンを動かし、進むこともできる自動車だそうです。
 麻里布モーター㈱の故藤村一夫会長が、2005年(平成17年)に製造し、岩国市に寄贈したものだそうです。ナンバーも取得しており、公道を走ることができます。公道を走れる木炭自動車は、岩国市にしかないそうです。岩国城ロープウェイ山麓駅にも木炭自動車は展示されています。
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山口県郵便局訪問NO.3&広島県郵便局訪問NO.6 山口県岩国市、和木町、広島県大竹市 しろうお(素魚)としらうお(白魚)は違うことを知りました

2019-03-23 16:59:57 | Weblog

 3月11日(月)は、山口県岩国市から始めて、和木町を経て、広島県大竹市に至るという郵便局訪問でした。北海道では、感じることの無い、春の息吹を感じることのできる郵便局訪問でした。

 訪問したのは、次の局です。

 岩国錦見、岩国西、岩国川西、岩国平田六、岩国藤生、南岩国三、岩国尾津簡易、岩国愛宕、岩国川下、岩国今津、岩国室木、岩国、岩国元町、岩国新港(以上、岩国市)、和木(和木町)、小瀬簡易(岩国市)、大竹木野、大竹本町、大竹、大竹栄町、大竹木戸(以上、大竹市)

 21局の訪問です。山口県和木町内には、和木郵便局1局しか有りませんので、和木町は完訪です。
 トップの写真は、8250局目となった南岩国三郵便局です。


 岩国市のマンホールには、錦帯橋と鵜飼、そして岩国城が描かれています。

 

 錦帯橋に近い地域には、古い建物が現役で使用されていました。山口銀行に細田寫眞場です。

 

 

 「細田寫眞場」は、横に書かれたものを右から左に読みます。写真も旧字です。


 「作家の宇野千代さんの生家と墓はこちらです」との案内板が有りました。「おはん」「色ざんげ」などで有名です。

 


 川の中州に菜の花が鮮やかに咲いていました。春の息吹を感じます。私の住む北海道札幌市は、このような春はまだまだ先です。

 


 「しろうお料理」との幟が建つ立派な建物が川岸に有りました。

 

 割烹旅館「油政」です。

 

 「しろうお(素魚)」と「しらうお(白魚」は別のものであることを知りました。「しろうお」は、スズキ目ハゼ科の魚です。「しらうお」は、サケ目シラウオ科の魚です。「しろうお」はハゼの仲間なので、腹に吸盤があるそうです。安芸地方に春の訪れを告げる魚だそうです。残念ながら、食べていません。割烹旅館「油政」では、2~3月にこの「しろうお料理」を味わうことができます。


 「エッ!不発弾処理の為の通号止め。」と驚いたのが下の看板です。

 

 こちらの旧学校と思われる部分で不発弾が発見されたのでしょうか?

 


 和木町に入りました。

 

 モクレンでしょうか?綺麗に咲き誇っています。

 


 「岩国和紙の発祥はここだったのか!」と教えてくれたのが岩国市小津にあった下の掲示です。

 

 太郎右衛門という方が、天正年間(1573年~1592年)に製紙の仕事をこの地で始めたのが最初だそうです。


 大竹市に入ると旧街道だったのでしょうか、蔵のある通りが私の歩みを後押ししてくれました。

 

 

 美しい景観でした。最後に大竹駅から、私はこの日の宿のある広島駅に列車で向かいました。

 
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猫との出会い その148 愛知県犬山市の「博物館明治村」には、悪い猫ちゃんがいました

2019-03-22 20:59:36 | Weblog

 2017年12月18日、私は愛知県犬山市の「博物館明治村」に行きました。観光と札幌から里帰りしている木製22号電車を見るため、さらに博物館明治村簡易郵便局を訪問するためです。

 園内で、「食道楽」のカレーパンを買って、食べました。明治時代に大ヒットした小説「食道楽」で紹介されている材料、調理法を元にその味を再現したものです。

 

 

 ベンチで食べているとき、貼られている注意書きに気が付きました。下の写真です。

 

 「エッ!猫がカレーパン食べるの?」でも、絵が明らかにカレーパンです。そして、「また、悪い猫ちゃんがいるんだな!」とも思いました。


 その向かい側にある「安田銀行会津支店」は、「ハイカラ衣裳館」が営業しています。

 

 その横で、猫ちゃんを見つけました。トップと下の写真です。上の写真にもちょっこと写っています。

 

 ほとんど白で、縞が少しある猫ちゃんです。

 実は、この猫ちゃん、「悪い猫ちゃん」でした。この後、ハイカラ衣裳館にそろそろと入っていき、店の人に見つかり、追い出されていました。猫にはそういう倫理観はないでしょうから、「今日は、ついていない。」と思ったことでしょう。
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1月14日(月・祝)、私は東京で、六義園を出たあと、最後に旧古河庭園に行ってみました。ここでも、晴れ着で写真撮影です

2019-03-21 15:10:22 | Weblog

 1月14日(月・祝)、私は最後はに旧古河庭園に行こうと思いました。歩いてほどなく着きました。

 

 入口に芍薬でしょうか?綺麗な花が咲いていました。

 

 旧古河庭園についての表示板も有ります。

 

 庭園は1919年(大正8年)古河家によって造られたそうです。和洋が一体となった庭園で、1955年(昭和30年)から東京都が管理しています。2006年(平成18年)1月26日に国の名勝に指定されたそうです。


 道を進むと洋館が見えてきました。

 

 

 素敵な重厚な感じの石の洋館です。設計したのは、英国人のジョサイア・コンドル博士だそうです。前庭欧風花壇も博士の設計だそうです。バラ園になっています。

 


 六義園でもそうでしたが、ここでも振袖の晴れ着を着た女性が洋館を背景に写真撮影していました。トップと下の写真です。

 



 

 
 和風回遊式庭園は、京都の庭師植治(小川治兵衛)氏の作庭だそうです。立派な燈籠がアクセントになっています。

 

 

 笹に囲まれて、お茶室が建設されてもいました。

 


 日も落ちそうになってきたので、私はこの日の宿泊ホテルに行くため、上中里駅を目指して歩きました。
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1月14日(月・祝)、私は東大赤門を過ぎ、六義園に着きました。美しい庭園と成人式を終えた振袖の女性はお似合いです

2019-03-18 21:06:30 | Weblog

 1月14日(月・祝)、東京を訪れた私は、本郷通り沿いの東大赤門、正門を見たあと、六義園を目指して歩きました。到着です。まだ、門松が残っています。

 

 六義園は、徳川家5代将軍徳川綱吉公から側用人の柳沢吉保が賜った土地に、1695年(元禄8年)に、柳沢吉保が下屋敷と庭園を造ったそうです。江戸初期に完成した桂離宮の様式を採用したそうです。回遊式築山泉水庭園と呼ばれています。

 江戸時代末期になると荒廃し、明治維新後はかなりひどい状況だったようです。1878年(明治11年)、それを買い、さらに藤堂家、前田家、安藤家の土地も加えて別邸を造ったのは、岩崎弥太郎氏だったことを下の掲示で、知りました。

 


 中に入ると美しい庭園が広がります。

 

 

 

 




 私が、特に美しいと思ったのが、下の写真で、藤代峠と書かれた案内看板の築山からの眺めです。

 

 眺めはトップの写真です。


 藤代峠を降りると、吹上茶屋が有りました。

 

金沢の兼六園で見た、松の雪吊りも行われています。

 


 そして、この日は成人日、成人式を終えた振袖の女性が公園をより美しくしていました。

 

 

 

 皆さん、記念写真の撮影地にこの六義園を選んだようです。
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1月14日(月・祝)私は東京で、旧岩崎邸庭園を出て、本郷通りを歩き、東大赤門と正門を見ました

2019-03-16 15:05:43 | Weblog

 1月14日(日・祝)です。私は今度は、旧岩崎邸庭園を出て、西側の本郷通りを北へ進みました。六義園の行くためです。その途中に東大赤門と正門が有ります。

 東大赤門に到着です。トップと下の写真です。

 

 

 立派な門ですが、元は加賀藩上屋敷の門だったそうです。加賀藩第13代前田斉泰公が徳川家第11将軍徳川家斉公の娘、溶姫を正室に迎えるに当たり、1827年(文政10年)に建立されたものだそうです。当時の加賀藩上屋敷は相当の広さを誇っていたそうです。その跡が東京大学になったのでしょう。

 門は横から中に入ることができます。下の写真のような風景が広がっていました。

  

 正面が医学部2号館のようです。

 赤門は1931年(昭和6年)に国宝に指定され、現在は重要文化財に指定されています。


 東大の正門はこちらです。

 

 1912年(明治45年、大正元年)に完成したそうです。石造りの洋風の門です。煉瓦と御影石の組み合わは守衛室でしょうか。建物が付いています。

 

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1月14日(月・祝)、私は湯島天神を後にして、都立旧岩崎邸庭園に向かいました。目の前にすごい洋館が有りました

2019-03-15 19:14:46 | Weblog

 1月14日(月・祝)、私は湯島天神を見た後、都立旧岩崎邸庭園に向かいました。

 

 角を曲がると、目の前にどでかい洋館が存在していました。トップと下の写真です。

 

 壁が美しい建物です。

 

 バルコニーも素敵です。

 

 旧岩崎邸が竣工したのは、1896年(明治29年)です。岩崎久弥氏の住宅として建設されました。設計したのはイギリス人のジョサイア・コンドルです。洋館は社交の場であり、並んで立つ和館が生活の場だったそうです。

 こちらが、生活の場だった和館です。

 

 



 庭園からは、洋館と和館を眺めることができます。

 

 洋館から離れた所に、撞球場が有ります。

 

 こちらも素敵な建物です。洋館や和館の内部も見ましたが、写真撮影はできませんでした。こちらは、入口から中を撮影してみました。

 屋根を支えるトラス構造が美しいと思います。

 

 撞球場と洋館は地下道で繋がっているそうです。


 1961年(昭和36年)に洋館と撞球場は、重要文化財の指定を受けています。切手の「近代洋風建築シリーズ」に選ばれの建物を見ることができました。

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