しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

名古屋市緑区有松は、古い日本的な建物が並ぶ素敵な風景です。絞で有名なことを知りました

2018-02-28 20:20:28 | Weblog

 1月17日(水)のことです。名古屋市内の郵便局訪問をしていた私は、名古屋有松郵便局に向かうため、北側から名鉄線を越え、2本目の道を左に曲がりました。そこには、素敵な風景が有りました。

 

 

 あいにくの雨降りでしたが、日本的な古い建物が立ち並んでいます。楽しく、歩いて進んで行きました。

 服部家住宅と書かれた掲示のある建物が有りました。

 

 そこに書かれていたのは、「服部家は、寛政二年(1790年)創業の絞問屋で、屋号を井桁屋という。」でした。私は、「アッ!有松絞りって聞いたことがあるな。」と思いつきました。「ここなんだ。」と気が付きました。「どおりで古い建物が並んでいるわけだ。」と理解できました。私は東海道を歩いていることも分かりました。服部家住宅は、1964年(昭和39年)に県の有形文化財に指定されています。

 さらに歩みを進めると「有松・鳴海 絞り会館」が有りました。トップの写真です。

 有松・鳴海 絞り会館は、歴史資料や技術を実物を使って、わかりやすく展示しているそうです。もちろん展示販売場も有ります。
 有松絞は、1608年(慶長13年)に竹田庄九郎により誕生し、絞の町有松となったそうです。尾張藩では、特産品として保護していたそうです。

 さらに進むと有松山車会館が有りました。

 

 有松にある山車、布袋車、唐子車、神宮皇后車のどれかが展示されており、まつり文化を楽しめるそうです。

 それにしても、絞関係の店が多いです。

 


 やっと、名古屋有松郵便局に到着しました。14時7分、7768番目の訪問局です。

 
 
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札幌はホワイトイルミネーションが有名ですが、豊橋駅前のイルミネーションも素敵でした。おでんしゃの運行は終わりました

2018-02-26 20:27:26 | Weblog

 1月15日(月)の18時過ぎに、私は愛知県豊橋市お豊橋駅に降り立ちました。駅から外へ出ると、素敵なイルミネーションが私を迎えてくれました。トップと下の写真です。

 

 


 私の住む札幌では、毎年、ホワイトイルミネーションが開催されます。それよりはかなり規模は小さいですが、充分、感動できます。


 冬の豊橋市には、豊橋鉄道㈱が「おでんしゃ」を走らせます。駅前から運動公園前を往復する路面電車です。1時間20分くらいです。名前の通り、ヤマサちくわのおでんが味わえる電車です。ビールも飲み放題です。面白いと思います。今年は、2月25日(日)で運行が終わりました。

 美しいイルミネーションを後に私は、豊橋カレーうどんを食べるため、玉川広小路本店に向いました。
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初めて行った愛知県犬山市の博物館明治村、3丁目には旧京都市電が運行されています。駆け足で見ました

2018-02-24 13:30:36 | Weblog

 今年の1月14日(日)に行った、愛知県犬山市の博物館明治村のご紹介です。今回は3丁目です。

 3丁目には、旧京都市電が運行しています。トップと下の写真です。

 

 1895年(明治28年)に日本で最初の市内電車として運行されたのが、京都市電だそうです。現在の京都駅近くから伏見までの約6.4kmで開業したそうです。当時は告知人を乗せ、通行人に危険を教えなければならなかったそうです。たしか、自動車も同じような制度だったと思います。

 3丁目はバスの帰りの時刻が近いことから、かなり急いで回りました。中などは見ていません。外観のみです。

 線路を横断し、進むと北里研究所本館医学館が有ります。

 

 東京都港区白金にあったそうです。1915年(大正4年)に建築されたそうです。北里柴三郎はドイツに留学し、細菌学の権威、コッホの下で学び、破傷風の血清療法を確立しました。建物はドイツバロック風を基にしているそうです。


 その隣に芝川又右衛門邸が有ります。

 

 大阪の商人、芝川又右衛門が1911年(明治44年)に西宮市の甲東園に別荘として、建築したものだそうです。


 少し戻り、坂を上がると重要文化財の西園寺公望弁邸「坐漁荘」が有りました。

 

 1920年(大正9年)に静岡県清水市に建築されたものだそうです。清水港や伊豆半島が眺望できる建物だったようです。

 その向かい側には、幸田露伴の居宅だった、「蝸牛庵」が有ります。

 

 明治初め頃の建築で、東京都墨田区向島に有ったものです。幸田露伴は、1897年(明治30年)から10年間、この家で過ごしたそうです。


 京都市電の車庫を通り過ぎると、燈台が見えてきます。重要文化財の品川燈台です。品川台場にあったのだそうです。

 

 1870年(明治3年)に築造されたそうです。高さ約9mの煉瓦造りだそうです。品川台場は、江川太郎左衛門の計画に基づき、幕末に築造された人工島だそうです。


 最後は神戸市にあった西洋人住居です。

 

 1887年から1896年(明治20年代)の建築だそうです。昨年は、3回も神戸市に出張が有り、こうした異人館を見る機会が多かったことを思い出しました。


 とにかく、明治村は広いです。大急ぎで回った3丁目でした。
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1月15日、岐阜県各務原市から名鉄で豊橋市に着きました。夕食は豊橋カレーうどんにしました

2018-02-22 19:52:52 | Weblog

 1月15日(月)、愛知県犬山市、小牧市、岐阜県各務原市の郵便局訪問を終えた私は、各務原駅から名鉄で豊橋駅に着きました。ホテルを豊橋市に取ったためです。豊橋市は郵便局訪問で過去に2回来ています。

 この日の夕食は、豊橋カレーうどんと決めていました。豊橋カレーうどんを食べるのは2回目になります。駅前通りを行き、玉川広小路本店に着きました。

 

 かなり混んでいましたが、カウンター席が開いていました。

 注文した豊橋カレーうどんが出されました。トップの写真です。

 かぼちゃの天ぷら、素揚げのナスがトッピングされています。そして、豊橋カレーうどんには欠くことのできない、ウズラの卵(豊橋産でなければならないそうです)も付いています。野菜が美味しかったです。

 うどんを食べ進めると、とろろが出てきます。

 

 上の写真では、分からないかもしれません。そのとろろの下にご飯が隠れています。

 

 今度は、カレーライスとして食べることができます。けっこうボリュームが有ります。最後に付いていたミカンを食べ、満足して店を出て、ホテルに向かいました。
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旅のお供 その159 一昨日に続き、梅錦山川酒造㈱のカップ酒を和歌山市内のホテルでいただきました

2018-02-20 20:46:58 | Weblog

 2016年11月6日に高松市内のホテルで、梅錦山川酒造㈱が醸造する「媛 栄照カップ」をいただいたことを「旅のお供 その158」で紹介しました。その2日後、11月8日に和歌山市内のホテルで、今度は、梅錦山川酒造㈱の醸造する「上撰 栄冠カップ」をいただきました。

 

 梅錦山川酒造㈱は、愛媛県四国中央市に有ります。創業は1872年(明治5年)だそうです。山川由良太氏の個人創業でした。1954年(昭和29年)に山川酒造合資会社となり、1991年(平成3年)に今の梅錦山川㈱になったそうです。

 日本酒のほか、焼酎はもとより(粕取り焼酎も有ります)、梅錦ビールや「レモングラスの休日」というリキュールも醸造しています。


 ※ 平昌オリンピック、複合の渡部暁斗選手、前半のジャンプはトップでした。この後、クロスカントリーです。金メダルなるでしょうか?期待しています!!このため、かなり手抜きのブログです。申し訳ありません。
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愛知県郵便局訪問 NO.18 名古屋市南区、緑区、豊明市 桶狭間、今川義元の墓、鳴海神社にプロ野球が始めて行われた鳴海球場と歴史を感じました

2018-02-18 19:24:29 | Weblog

 1月17日(水)は、名古屋市南区の残っている局を訪問し、名古屋市緑区から豊明市までの郵便局を訪問しました。訪問したのは、次の20局です。

 名古屋大同、名古屋柴田、名古屋要町、名古屋鳴尾(以上、名古屋市南区)、名古屋大高、名古屋鳴海、名古屋下中、名古屋左京山、緑、名古屋薬師山、名古屋花井、名古屋浦里、名古屋滝ノ水、名古屋鳴海団地内、名古屋有松、名古屋桶狭間(以上、名古屋市緑区)、豊明新栄(豊明市)、名古屋植松(名古屋市緑区)、豊明前後、豊明(以上、豊明市)

 この日は朝から雨でした。地図を見ながら歩くことができない(パソコンのプリンターで印刷した地図なので、雨が当ると滲んで読めなくなります)ので、豊明市は全て訪問できませんでした。名古屋市南区だけが完訪でした。
 トップの写真は、7767局目となった名古屋鳴海団地内郵便局です。

 大同町の町名の由来が掲示されていました。

 

 1937年(昭和12年)に現、大同特殊鋼㈱の星崎工場ができたことにより、鳴尾町と星崎町の一部が合併し、大同町ができたそうです。


 名古屋市南区から緑区へは天白川を渡らなければなりません。大星橋という人道橋を渡りました。

 

 この位置に橋がなければ、大きく迂回しなければなりません。扇川は天白川の支流で、ここでは並行して流れています。もう少し下流で合流するようです。


 昨日に続き、今日も東海道を歩きました。平部町常夜燈が有りました。

 

 


 平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した「延喜式」に載っている「愛智郡鳴海神社」にあたるという、鳴海神社が有りました。

 

 686年(朱鳥元年)の創建だそうです。


 日本初のプロ野球が開催された、鳴海球場があった場所を示す表示がありました

 

 鳴海球場は1927年(昭和2年)に愛知電気鉄道(今の名古屋鉄道です)により建設されたそうです。1936年(昭和11年)2月9日に、この球場で日本初のプロ野球が開催され、東京巨人軍と名古屋金鯱軍が対戦しました。10対3で名古屋金鯱軍が勝利しています。1958年(昭和33年)に閉鎖され、名鉄自動車学校になっています。


 桶狭間に着きました。

 

 1560年(永禄3年)に織田信長が今川義元を破った合戦場として有名です。

 その桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した場所を示す七石表が有りました。

 

 ここは豊明市になります。1771年(明和8年)に建てられたものだそうです。そして、今川義元の墓も有りました。

 


 「春が近い」と思ったのが、下の写真です。紅梅の蕾が膨らみ、水仙が咲いていました。

 

 


 名古屋植松郵便局は、中京競馬場の傍に有ります。なので、下の写真のようなモニュメントが有ります。

 


 豊明市では名鉄線を横断しなければなりません。ちゃんと渡れる場所が有りますが、下の写真のとおりのトンネルです。

 

 「これ、水が横断するためのものだろう。腰をかがめて横断するのは初めてだ。」すごい横断施設です。「もっとすごいな!」と思ったのが、下の横断施設です。

 

 電車が通っているときは、怖くて下を抜ける気にはなりません。でも、横断施設だから、頭上注意と書かれているのでしょう。


 雨が降り続けなければ、もっと様々な発見があったかもしれません。もう少し、訪問局数も増えたことでしょう。でも、歴史を知り、すごい名鉄線の横断施設も知りましたので、満足です。
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札幌市交通局所有の木製22号電車は、今、博物館明治村に里帰りしています。もともと名古屋電気鉄道㈱の電車でした

2018-02-16 20:55:45 | Weblog

 札幌市に路面電車が走ったのは1917年(大正7年)です。開道50周年北海道大博覧会の開催を契機に札幌電気軌道㈱が、それまでの馬車鉄道に変え、運行させました。当初はイギリスから新車を購入する予定だったそうです。しかし、第一次世界大戦でそれができなくなり、名古屋電気鉄道㈱(後の名鉄さんです)から24両を譲り受けて走らせました。トップの写真の電車です。

 木製22号電車と呼ばれる、この車両は、26人乗りで、1901年(明治34年)に名古屋で製造され、明治40年代まで使われていたことが下の掲示に書かれていました。名電1号型と呼ばれています。

 

 しかし、乗降客が増加したことから、この車両は使われなくなり、保管されていたそうです。それを札幌電気軌道㈱が譲り受けたようです。札幌電気軌道㈱は、その後、1927年(昭和2年)に札幌市交通局となります。1936年(昭和11年)ぐらいまで、札幌市内を走っていたそうです。今回の里帰りで、札幌で運行開始された姿にも復元されました。

 車両の中はこんな感じです。

 

 

 札幌市交通局は、1927年(昭和2年)発足ですので、昨年12月1日開局90周年になりました。50周年の1977年(昭和52年)には、この電車を走らせています。今でも整備すれば動きそうな感じがします。

 平成32年3月まで、木製22号電車は、博物館明治村に行っています。その間に札幌市交通局では、このブログでも取り上げた、札幌市交通資料館をリニューアルするそうです。

 
 
 博物館明治村では、この電車が走った、札幌市の風景も紹介されていました。借り物なので、大事にし、気をつかっているようです。

 
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猫との出会い その133 2016年11月9日、和歌山市で石の招き猫、猫の病院、猫カフェをみつけた後、我が家のくろこそっくりの黒猫に会いました

2018-02-14 20:03:57 | Weblog

 2016年11月9日、私は和歌山市内の郵便局を訪問していました。

 ある店で、石でできた招き猫を見つけました。

 

 石材屋さんの作品でしょうか。さらに歩いていくと、「ねこのびょういん」との看板を見つけました。

 

 

 シャッターが下りていましたが、休みだったのでしょうか。


 さらに歩いていくと、今度は「猫の店 みーこ」の看板を見つけました。猫カフェでしょうか。こちらも営業していなかったので何の店か分かりません。




 最後に本物の猫ちゃんに出会いました。「我が家のくろこ、そっくり。」と一目で気付きました。トップと下の写真です。

 

 我が家のくろこは、お腹に禿げができ、盛んに舐めています。なので、お菓子は禁止となりました。最近、饅頭や煎餅など食べていました(というより、くれというので、私と妻が与えていました)。良くなることを願っています。
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初めて行った愛知県犬山市の博物館明治村、とにかく歩いて楽しいです。今回は2丁目の紹介です

2018-02-12 20:22:22 | Weblog

 食道楽のカレーパンを売る店の手前には、私の住む、札幌市にあった建物がここに有ります。トップの写真の「札幌電話交換局」です。重要文化財だそうです。
 1898年(明治31年)に建築されたそうです。1Fと2Fの間に花紋が連続してある石造の建物です。

 下の写真は千早赤阪小学校の講堂です。

 

 1Fが雨天体操場、2Fが講堂になっているという建物です。元々は大阪市北区の堀川尋常小学校の講堂だったそうです。1929年(昭和4年)に千早赤阪小学校に移築されたものです。


 杉玉が有り、一見して酒造と分かる建物は、京都市にあった中井酒造です。

 

 1864年(元治元年)の蛤御門の変で焼失したものを1870年(明治3年)に再建したものだそうです。
 若竹という銘の酒をだったのでしょうか。

 


 黒塗りの3階建の建物は東松家住宅です。重要文化財です。

 

 中は、いかにも商家という造りです。

 

 東松家住宅は名古屋市の中心部、堀川沿いにあったそうです。1901年(明治34年)に建築されたようです。


 下の写真は金沢市にあった1890年(明治23年)に建築された、第四高等学校物理化学教室だそうです。

 


 突き当りに大きな建物が有ります。東山梨郡役所の建物です。

 

 1885年(明治18年)の建築だそうです。1878年(明治11年)郡区町村編制法により、県令が任命する郡長が行政を指導監督することになり、こうした建物が造られたそうです。東山梨郡には日下部村(現山梨市)を含む30町村が所属していたそうです。

 ここには博物館明治村の村長室が有りました。

 

 村長は、初代が徳川夢声氏、二代が森重久彌氏、三代が小沢昭一氏、四代が阿川佐和子氏です。
 以前は、ここで明治村の住民票が発行されていたようです。今は1丁目の近衛兵本部付属舎で行っています。


 京都七条巡査派出所も2丁目に有ります。

 

 1912年(明治45年)の建築だそうです。


 この2丁目にある清水医院は改修中でした。もうひとつ紹介していないのは、安田銀行会津支店ですが、カレーぱんのブログに書いた、悪い猫ちゃんが出没したところですので、後日、ご紹介したいと思います。
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愛知県郵便局訪問 NO.17 豊川市 昨日は中山道、本日は東海道を歩いた郵便局訪問でした

2018-02-10 20:19:14 | Weblog

 1月16日は、昨日の愛知県犬山市、岐阜県各務原市に続き、豊川市の郵便局訪問でした。豊川市には一昨年、豊川稲荷に行ったため、2度目の訪問です。

 訪問した郵便局は、次の18局です。

 長沢簡易、音羽、御油、豊川国府、豊川桜町、豊川代田、豊川、豊川市田、豊川三蔵子、一宮大木簡易、豊川和通、豊川桜木通、豊川駅前通、豊川金屋、豊川牛久保、豊川南大通、小坂井、西小坂井

 トップの写真は、7750局目となった豊川牛久保郵便局です。


 長沢簡易郵便局から歩いていくと、長沢城址の看板が有りました。

 

 長沢の地は、東西三河の境目であり、両側から山が迫る地形で、中世において戦略上重要な地であったそうです。なので、ここに築城されたそうです。長沢城は東西に約200m、南北は250mもあった城で、三重の堀が有ったそうです。今は宅地になっており、堀の一部が残っているだけだそうです。


 赤坂宿の石標が有りました。私は、東海道を歩いていたことに気がつきました。昨日は中山道、今日は東海道を歩いているのでした。

 

 赤坂宿は東海道の36番目の宿でした。35番目の御油宿と赤坂宿は「赤坂御位」と呼ばれる大きな宿だったそうです。80もの旅籠があったそうです。下の街並み図の看板でも、大きな宿だったことが分かります。

 

 本陣跡が有りました。大名や幕府役人が使用したのが本陣だそうです。

 

 赤坂宿には4つもの本陣が有ったそうです。


 御油宿の街並みから続いて、御油の松並木が有ります。

 

 

 300本の松が有るそうです。


 豊川の街は新しい街のようです。畑がどんどん宅地になっていった感じです。なので、下の写真のような風景になります。

 

 豊橋市もそうですが、豊川市も野菜作りが盛んなようです。白菜が収穫された後でしょうか。

 

 野菜が高いです。そのせいでしょうか、我が家では「もやし」の料理が最近、多いです。


 豊川稲荷は、神社では有りません。曹洞宗のお寺、妙厳寺です。その前を通りました。

 

 マンホールの蓋には、それぞれの市町村の特徴あるものが描かれることが多いです。豊川市のマンホールの蓋には、当然、きつねが描かれています。

 


 豊川市には、地区市民館の表示をあちこちで見かけます。「数が多いな。」と思いました。

 

 豊川市内に30カ所(名称が違うものも有ります)有り、市民の趣味や交流、健康増進等に利用されています。札幌では地区センターでしょうか。それにしても数が多いと思います。

 
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