しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

西条の酒蔵めぐり NO.3 & 旅のお供 その145 亀齢酒造㈱の蔵を見て、万年亀(まねき)井戸の水を味わい、子亀カップをいただきました

2017-06-30 20:40:17 | Weblog

 5月21日(日)、酒都の西条に行こうと、私は、JRに乗っていました。西条駅が近づくと、列車から、カタカナの「キレイ」の煙突が見えました。「たぶん、酒蔵だな。でも、「キレイ」はどんな漢字を書くのかな。」と考えました。見えたのは、下の写真の煙突だと思います。

 

 そして、「キレイ」は、漢字では、亀齢と書くのでした。

 


 亀齢酒造㈱は、1868年(明治元年)の創業だそうです。吉田屋として、酒屋を営んでいたそうです。1939年(昭和14年)に亀齢酒造㈱として、酒造を始めたようです。辛口の酒にこだわっているようです。

 


 亀齢酒造㈱には、井戸が有ります。「万年亀(まねき)井戸」と命名されています。

 

 一口、飲んでみました。柔らかな水だと思います。


 現在は、「心ときめき 夢ふわり」という、ピンク色の微炭酸の日本酒も醸造しています。3、4月の限定商品だそうです。

 
 その夜、東広島市内のホテルで、私は、買ってきた子亀カップをいただきました。トップの写真です。つまみは、いつものとおり、バターピーナッツです。辛口の酒を味わいました。
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備中松山城を見た後、岡山県高梁市を散策しました。武家屋敷や明治に建築された建物を見ました

2017-06-28 20:20:42 | Weblog

 備中松山城から坂道を降りてきた私は、武家屋敷を見にいきました。備中松山藩は1774年(延享元年)から、板倉家が支配していました。その家臣の家です。
 下の写真の旧埴原家住宅は、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役を勤めていた武士の住まいだそうです。

 

 

 江戸中期の建築だそうです。家の中は、かなり質素でした。


 旧埴家住宅のすぐ傍に、別の武家屋敷も有ります。旧折井家住宅です。こちらは、二百石取りの家臣だったそうです。なので、少し立派な建築物になっています。

 中に入ると居間の所に3人います。

 

 こちらは、台所です。

 

 台所からすぐの所は、畳ではなく、蓆が敷かれていました。

  

 奥座敷は、さすがに格式が高いです。

 

 ここには、資料館が有り、鎧、兜や火縄銃等が展示されていました。


 武家屋敷から備中高梁駅に向かって歩いていくと、教会が有りました。トップの写真です。

 1889年(明治22年)に建築された、高梁基督教会堂です。バルコニーや鐘のある部分等、素敵な建物になっています。


 さらに歩いていくと、高梁市郷土資料館が有りました。

 

 旧高梁高等尋常小学校の本館だそうです。こちらは、1904年(明治37年)に建築されたそうです。現在は、資料館として、江戸時代から昭和初期までの生活用具等、3000点を展示しているそうです。時間が有れば、寄ってみたかったです。

 こうした古い建物の有る街は、私は、歩いていて本当に楽しく、疲れを感じません。高梁市は郵便局訪問で来ることになるでしょうから、その時にまた、街を味わってみたいです。
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西条の酒蔵めぐり NO.2 & 旅のお供 その144 福美人酒造㈱の2つの蔵を見て、福美人のカップをいただきました

2017-06-26 21:09:33 | Weblog

 5月21日(日)、私は、東広島市西条で酒蔵めぐりをしました。狭い地域に7つの酒蔵がある酒都「西条」ですので、それほど時間をかけずに7の蔵をめぐれます。

 福美人酒造㈱は、2つの酒蔵があります。下の写真は、大黒庫(だいこくぐら)です。

 

 現在、酒造りはこちらが、メインで行われているそうです。


 もうひとつは、恵比寿庫(えびすぐら)です。

 

 こちらのレンガ造りの煙突は27mで、西条で一番高いものだそうです。


 福美人酒造㈱は、創業は1917年(大正6年)だそうです。「ふっくらとした味の厚みをもちつつ、後口のキレがよく飲み飽きしない」酒だそうです。


 その晩、東広島市内のホテルで、カップをいただき、味わってみました。
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長野県郵便局訪問 NO.4 長野市 前回は、北陸新幹線の西側でしたが、今回は東側の郵便局を訪問しました

2017-06-24 21:09:01 | Weblog

 6月13日(火)は、前日の上田市に続き、長野市の郵便局を訪問しました。長野市は2回目です。前回は、北陸新幹線の西側(善光寺側)でしたが、今回は、東側の郵便局が対象です。訪問したのは、次の22局です。

 柳原、朝陽駅前簡易、朝陽、長野東、尾張部簡易、東和田簡易、長野吉田町東、中越簡易、長野古牧、三陽簡易、屋島簡易、大豆島、日詰簡易、松岡簡易、母袋簡易、長野若里、長野アークス簡易、真島簡易、更北、青木島、三本柳、川中島駅前

 トップの写真は、7400局目となった、川中島駅前郵便局です。

 
 玉ねぎの収穫が行われていました。

 

 

 北海道では、玉ねぎは春に植えて、秋に収穫します。本州方面では、秋に植えて、春に収穫します。冷涼な気候が玉ねぎの生育に適しているからのようです。玉ねぎの花が咲いているのを見ることは有りません。花が咲く前に収穫するからだそうです。


 街路樹に実が生っていました。

 

 普通、街路樹に実のなるような樹木は植えません。実まで、管理できないからのようです。イチョウもオスの木だけです。「珍しいな。」と思い、写真を撮っていたら、この地域にお住まいの方が声をかけてくれました。「ハナモモの木です。実は食べられません。」と教えていただきました。ありがとうございますした。


 長野オリンピックの施設を2つ見かけました。

 まずは、エムウェーブです。

 

 

 長野オリンピックのスピードスケートの会場です。建築面積は31,300㎡で、20,000人が収容できるそうです。長野オリンピックミュージアムも有ります。

 次は、ビッグハットです。

 

 

 長野オリンピックのアイスホッケーの会場でした。建築面積12,050㎡だそうです。


 私は、札幌生まれ、札幌育ちなので、四方を山に囲まれた盆地の風景はとても新鮮です。遠くに見える山は妙高山でしょうか?

 


 「巴の錦」の看板が立っています。

 

 
 「巴の錦」は、花びらの内側が真紅で、外側が黄金色の菊です。大豆島地区が発祥だそうです。命名したのは、加賀百万石の3代目の前田利常公だそうです。


 犀川がゆったりと流れます。



 かつて、武田信玄と上杉謙信は、この地で戦を5度も交えます。川中島の合戦です。第二次の合戦は、この犀川を挟んで繰り広げられたそうです。200日にも合戦は及び、今川義元の仲介で和睦したそうです。その結果、犀川から北が上杉領、南が武田領となったそうです。


 乗合タクシーの停留場が有りました。

 

 タクシーが時刻表の時間にくるようです。乗合タクシーというものが有るのを、初めて知りました。


 あまり、暑くなく、梅雨入りしているが、雨が降るわけでもなく、快調に歩くことができた。長野市の郵便局訪問でした。
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神戸市には何度も行きましたが、布引の滝へは初めてです。都市の中心部のすぐ横にこのような滝があるのは驚きです

2017-06-22 21:06:04 | Weblog

 私は、母方の親戚が神戸市に住んでいることから、神戸市には何度も行っています。しかし、布引の滝は行ったことが有りませんでした。三大神滝のひとつなので、5月20日(土)に異人館を見た後、行ってみました。

 砂子橋(いさごばし)を過ぎると、渓流になります。

 

 

 砂子橋(いさごばし)は、煉瓦造の橋です。重要文化財になっています。


 すぐに雌滝が見えてきました。落差は19mだそうです。

 

 手前に堰が有り、取水塔も有ります。取水塔も重要文化財だそうです。

 

 「この構造は、何か理由が有るな。」と思いました。後ほど、解りました。


 布引の滝は、雌滝、鼓滝、夫婦滝、雄滝の4つからなっています。下の看板で知ることができました。

 


 鼓滝は、案内の石が置かれているのですが、よく見えません。

 

 

 
 かなりの階段の山道を登らなければならなくなりました。

 

 やっと夫婦滝と雄滝に到着です。

 

 上の写真の手前が夫婦滝です。水が二手に流れています。

 

 雄滝は、勇壮に流れ落ちます。トップと下の写真です。落差は43mだそうです。

 


 下の写真の解説板で、下流に堰があったのかが解りました。

 

 布引の滝が有る生田川には、滝の上流に布引五本松堰堤(布引ダム)が有ります。布引の滝の水が少なくなると、堰堤から遠隔制御でバルブを開き、放流しているそうです。そして、放流した水は、雌滝下の堰で取水し、奥平野浄水場に送られているそうです。そして、水道水として利用されているのだそうです。かなり考えています。

 時間が無かったので、五本松堰堤までは行きませんでした。また、来ることがあれば、行ってみたいと思っています。
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西条の酒蔵めぐり NO.1 & 旅のお供 その143 賀茂泉酒造㈱を見て、緑泉のカップをいただきました

2017-06-20 22:28:06 | Weblog

 5月21日(日)、備中松山城を見た後、私はJRで西条駅に着きました。そして、西条の酒蔵めぐりを行いました。東広島市西条地区には、歩いて行ける狭い区域に7もの酒蔵が有ります。「酒都 西条」と言うのも納得できます。

 その7の酒蔵のひとつが賀茂泉酒造㈱です。

 

 

 1912年(大正元年)に前垣酒造場を創業したのが、始まりだそうです。地名の「賀茂」と山陽道の名水「茗荷名水」を汲んで使用したことから、「賀茂泉」の酒銘としたそうです。
 1971年(昭和46年)から「本仕込 賀茂泉」で純米酒の醸造を行っています。安倍首相とフィリピンのドゥテルテ大統領の晩餐会で、「賀茂泉 皇寿」が飲まれたそうです。

 賀茂泉酒造㈱を見たその晩、東広島市内のホテルで、賀茂泉の緑泉のカップをいただきました。芳醇で私好みかもしれません。
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長野県郵便局訪問 NO.3 上田市 古い建物と素敵な川が印象に有ります。また、ため池と鎌倉道を知ることができました

2017-06-18 18:26:27 | Weblog

 6月12日(月)は、長野県の郵便局訪問でした。3回目となる今回は上田市です。
 訪問したのは、次の22局です。

 上塩尻、秋和簡易、上田常磐町簡易、上田緑が丘、上田、上田新町、上田大手、原町、上田材木町、信濃国分、上田常入、上田駅前、上田三好町、中之条簡易、上田原簡易、川辺、塩田、上本郷、東塩田、富士山、西塩田、別所

 トップの写真は、7376局目となった富士山郵便局です。富士山が見えそうもないのに何故、局名が富士山郵便局なのか疑問でした。局の方に聞いてみました。読みは、「ふじやま」だそうです。郵便局の名前の由来も聞きました。元々、上田郷の「ふじやま」であった。局の前の山は富士岳だからだそうです。富士岳は下の写真です。

 


 上田市は古い建物が随所に有り、歩いていてとても楽しかったです。下の写真は、旧上田市立図書館です。1915年(大正4年)に建築されたそうです。1970年(昭和45年)まで上田市立図書館として利用されていたそうです。

 

 下の建物もかなり古そうです。

 

 そして、下の写真の廃屋になった建物は、「蚕都」の上田市を象徴していると思いました。

 

 屋根の上に外気をいれる部分が有りますが、この下が蚕室のようです。

 家の表札の上に電話番号を掲げているお宅が少なからず、有りました。

 

 このお宅は、今でも624番なのでしょうか。


 そして、川とその周りの景色が素敵でした。下は、千曲川です。

 

 赤いトラス橋は、上田電鉄の橋梁です。周りの景色によく合っていると思います。

 産川も素敵です。

 

 中州には紫色の花が咲いています。

 下の写真の川も素敵です。

 


 香川県にはため池はたくさん有ります。長野県にため池があるとは思いもしませんでした。

 

 

 しかも、農林水産省が「ため池100選」を制定しているとは知りませんでした。上の写真の下之郷新池、中池とも「塩田平のため池群」として、100選に選ばれています。
 ちなみに、ため池が一番多いのは、兵庫県で、47,596も有ります。第二位が、広島県で20,910、第三位が香川県で、15,990だそうです。私はため池についての認識を新たにしました。


 鎌倉道があるのを知りました。

 

 塩田の地は、鎌倉時代、塩田北条氏が支配しており、「いざ、鎌倉」となった場合に備えて、鎌倉への道が整備されていたのだそうです。


 久しぶりに汽車が描かれた、踏切注意の標識を見ました。今はほとんどが、蒸気機関車でなく、電車になっています。

 


 小麦畑は黄金色になっており、素敵な景観になっています。

 

 


 西塩田には、ほたる鑑賞会の幟が立っています。

 

 ホタルは、水中(幼虫)、土中(蛹)、空中(成虫)と棲家を変える昆虫です。しかも、生育条件が厳しく、一つでも整わないと生息しない昆虫です。特に照明などの光はダメなようです。私の住む札幌市でもホタルを育てようとしましたが、多くが失敗しているようです。原因は街路灯等の灯りのようです。でも、この西塩田の環境は、生育条件が揃っているのでしょう。観賞してみたかったです。

 ため池、鎌倉道、養蚕が盛んだった街、古い建物が残る街等、上田市の認識が新たになりました。
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北海道の標茶町虹別には、農村公園があります。そこには、昔、馬が牽いた酪農用の農機具が展示されています

2017-06-17 21:05:05 | Weblog

 5月5日(金・祝)、摩周湖、硫黄山、砂湯を見た私は、コンビニで買ったお昼を食べるのに都合の良い所はないか捜しながら、車を走らせました。
 標茶町虹別に入り、大きな駐車場がある、公園を発見しました。虹別農村公園でした。

 

 お昼をゆっくり、この公園で食べた後、上の写真に写っているように、なにかが展示されているのに気が付きました。近寄って見ると昔、馬が牽いていた農機具でした。

 トップの写真は、畜力用レーキです。これを馬に牽かせて、乾草を集めます。

 下の写真は、畜力用テッターです。

 

 乾草を作るため、刈り取った牧草を反転させる機械だそうです。


 そして、下の写真が、草を刈り取る畜力用刈取モアーという機械だそうです。

 

 車輪が動くことにより、刃に動力を伝えているとのことです。


 最後は、下の写真の畜力用デスクハローと畜力用プラウです。

 

 プラウは、土を耕起させる機械です。デスクハローは、砕土を行う機械です。


 これらの写真を見せた妻が、「あっ!懐かしい。馬が牽いていた機械だ。」と喜んでいました。彼女は、酪農家の娘です。彼女が子供の頃(昭和40年代前半)は、農耕馬がいて、これらの機械を牽いていたそうです。彼女の一番昔の記憶は、夜はランプだった(電気が無かった)とのことです。


 こうした機械を牽いた馬や産業用動物の牛の供養のため、報恩碑が設置されています。

  
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神戸の異人館に久しぶりに行きました。風見鶏の館、萌黄の館に続き、多くの異人館を見て回りました。

2017-06-16 20:22:06 | Weblog
 
 5月20日(土)、萌黄の館を見た私は、そのほかの異人館も見て回りました。

 すぐにハンター迎賓館が有りました。

 

 英国人実業家のエドワード・ハズレット・ハンターが暮らした屋敷を改装したものだそうです。結婚式場として使われているようです。エドワード・ハズレット・ハンターは、日立造船の前身を創業したそうです。日本人の奥さんと結婚し、暮らしたそうです。


 オランダ館の前に通りかかりました。ちょうど民族衣装の女性に行き当たりました。トップの写真です。


 本家オランダ館は、公開が終わったようです。張り紙が出ていました。

 

 何だか、捨てられたような状態に感じました。

 


 坂を登っていくと、うろこの家が見えてきました。

 

 一番最初に公開された異人館だそうです。外国人向けの高級借家として建てられたものだそうです。3000枚もの石のスレートが魚のうろこのように見えることから、「うろこの家」と呼ばれるそうです。美術館が併設されており、マチス、ユトリロ、キスリング等の近現代絵画が展示されているそうです。

 


 こちらのお宅も異人館のひとつのようです。現在は日本人の方がお住まいのようです。

 


 ラインの館は、現在、震災対策と保存修理の工事中でした。

 

 

 1915年(大正4年)の建築だそうです。建築主はJ・Pドレウェル夫人だそうです。


 ラインの館の向かいには、旧アメリカ領事館官舎が有ります。

 

 テラスが素敵です。


 ベンの家は、1902年(明治35年)の建築だそうです。

 

 建築当時のまま、保存されているそうです。


 こちらの家も異人館のようです。

 


 そして、私は布引の滝へ向かうため、山側の道を歩きました。神戸港が遠くに見えます。

 
 
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岡山県高梁市で、川沿いに黄色い花が咲いていました。ヨーロッパ原産のキショウブだと知ることができました

2017-06-15 21:46:17 | Weblog

 5月21日(日)、私は、岡山県高梁市に行きました。そして、備中松山城を目指し、坂を登っていました。川沿いに黄色いアヤメのような美しく咲く花を見つけました。トップと下の写真です。

 

 なかなか美しく、咲いています。綺麗な水辺とも良く合っています。

 札幌に帰り、調べたところ、キショウブだと解りました。ヨーロッパ原産で、明治時代に観賞用として移入されたものだそうです。それが、野生化して、自生するようになり、その分布は全国に及んでいるそうです。
 現在では、外来生物法で要注意外来生物に指定されているそうです。

 
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