5月23日(火)、広島から深夜バスで大阪に移動し、地下鉄、南海電車に乗り、石津川駅で降り、堺市の郵便局訪問を始めました。
訪問したのは、次の21局です。
堺浜寺石津、堺浜寺船尾、諏訪ノ森、堺浜寺昭和、鳳、堺上野芝、堺北条、堺家原寺(以上、堺市西区)、堺八田荘(堺市中区)、福泉、堺万崎(以上、堺市西区)、堺八田西、堺小阪、堺中、堺深井沢、堺深井、堺土師、堺大野芝(以上、堺市中区)、堺大美野、堺福田(以上、堺市東区)、堺福田西(堺市中区)
トップの写真は、7320局目となった堺上野芝郵便局です。
「立ち吞み処 よこかわ」というお店が有りました。もちろん、朝ですので閉まっています。
私は、こうした立ち吞みは、関西の文化ではないかと思っています。あまり、他の地域で見たことが有りません。最近は、札幌のすすきのでも、こうした店ができましたが。
堺市のごみ収集は、戸別収集のようです。
家々の前にごみが置かれています。この日はプラの日です。札幌も戸別収集にしてほしいと思います。ごみステーションを管理する町内会の苦労は大変です。
藤井製桶所が有りました。製桶所は珍しいと思い、写真を撮りました。
札幌に帰り、調べてみて、驚きました。日本で木製の20石、30石といった大きな桶を製造できるのは、現在、この藤井製桶所だけだそうです。また、堺は桶製造が盛んな地域だったことも知りました。背後に紀州や吉野の山が有り、吉野杉が調達しやすいこと、灘・伏見といった二大醸造場への供給に有利だったからのようです。堺の桶樽製造組合は最盛期、47社もあったそうです。
大桶は、酒蔵で30年ぐらい使用した後、板を変えたり、削ったりして、醤油や味噌の桶に使い、だんだん小さくなって、150年くらい使用されるそうです。
「深井花のこみち」は素敵な小道となっています。
管理はボランティアグループが行っているそうです。かなり熱心に管理されていなければ、こうした状態を維持するのは難しいと考えます。
屋根の上に黄色いゴリラを見つけました。
パチスロ専門店だそうです。
西高野街道の碑が立っていました。
堺市の大小阪から始まり、河内長野で東高野街道と合流し、和歌山県高野町まで伸びていたそうです。
「歴史の散歩道」の案内が有りました。
和泉街道(伊勢道)が有ったことが示されています。最近では、江戸時代は空前の旅行ブーム(お伊勢まいり)だったとされています。また、陶器遺跡、南陶器遺跡、小角田遺跡、辻本遺跡等の遺跡も示されています。陶器千塚古墳群というのも示されています。弥生時代、古墳時代からこの地には多くの人が住んでいたのでしょう。