一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

イエスでいっぱい

2007年02月03日 | 哲学・思想・宗教
サングラハ教育・心理研究所主幹、岡野守也先生の講座「イエスを語る」全5回のCDを聴き終わりました。

いま、私の心の中はイエスでいっぱいです。

人それぞれに、さまざまなイエス像があっていいと思います。

しかし、私は岡野先生が語るイエスに全面的に共感し深い感動を覚えています。

先生の話を聴いていると、あたかもイエスが自分のそばにいるように感じられます。

生々しくイエスが動いているのを感じるのです。

イエスが心の中に深く浸透してくる。

何度も涙がこぼれました。

まさに奇跡の講座です。

一度、イエスに出会ってしまうと大変です。

これから先、ずっと自らの生き方を問われることになるでしょう。

確かに、どっちに転んでも、イエスは「オッケーだよ」と認めてくれる。

しかし、ガリラヤでイエスと出会うには、いま・ここをガリラヤとするような生き方をしなければなりません。

それは、イエスとともに生きるということ。

つまり、それは、私の生き方がイエスに近づいていくことにおいて、はじめて実現する出会いです。

決して易しくはありません・・・。

いま・ここのガリラヤで、美しき菩薩・イエスと出会う。

私の人生の目標です。


<追記>

仏教僧侶にもかかわらず私がイエスを語ることについて、怪訝に思われる向きもあるかもしれません。
しかし、私はこれまで当ブログにも書いてきたように、「全宇宙一体の霊性」において、他宗教間に表現上の違いはあっても本質的な差異をないという立場をとります。
宗教者には、端的に言って二つの選択肢があるでしょう。
硬直した原理原則を振りかざす律法学者の道を歩むか、神と一体の愛の権化イエスの道を歩むかのどちらかです。
諸宗教を見渡しますと、律法学者の道を歩んでいる人々のなんと多いことでしょう。
それは、仏教、わが宗門と言えども例外ではありません。
当然、私は後者を選択したい。

古い皮袋に、新しいワインを入れたら、皮袋もワインも台無しになってしまうのです。


余談ですが、次は岡野先生の講座CD「般若心経」を聴きます。


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