やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子
神ながら 神さびせすと 太(ふと)敷かす 京(みやこ)を置きて
隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を
石(いは)が根 禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥の 朝越えまして
玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 阿騎(あき)の大野に
旗薄(はたすすき) 小竹(しの)をおしなべ 草枕 旅宿りせす
古(いにしへ)思ひて
=巻1-45 柿本人麻呂=
天下のすべてをお治めになるわれらの大君、空高く輝く日の神の皇子は、神であるままに神のお振る舞いをなさるというので、宮殿の柱も太く揺るぎない都を後にし、隠れ処の泊瀬の山は、真木が茂り立つ荒々しい山道なのに、地に根が生えたような岩々や、行く手をさえぎる樹々を押し伏せ、鳥のように軽々と朝越えて来られ、夕方には美しい雪が降る安騎の大野で、のぼりのように背の高い薄(すすき)や、小竹の群生を押しなびかせて、旅の宿りをなさる、昔のことを思いながら。という意味。
軽皇子(のちの文武天皇)が10歳の時、安騎野に狩りで泊まりになった。
その時に柿本人麻呂が作った歌で、かつて軽皇子の父君である草壁皇子の狩りのお供をして安騎野に来た時のことを回想し、草壁皇子に対する追憶の思いを歌ったものである。一連の歌、巻1-45~49の最初の長歌である。
歌碑は宇陀市かぎろいの丘にあり、丘近くの中央公民館の大ホールに写真の大きな絵が掲げられている。
草壁皇子の狩りの模様を描いたもので、早朝のかぎろいの光が出る様が見事に描かれている。
かぎろいを歌った有名な柿本人麻呂の歌はこちら。