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よき人の よしとよく見て よしと言ひし
吉野よく見よ よき人よく見
=巻1-27 天武天皇=
昔のよい人がよい所だとよく見て、よいと言った吉野をよく見なさい。よい人よ、よく見なさい。という意味。
天武天皇にとっては吉野は壬申の乱(672)の兵を挙げ、この戦に勝利して天武朝の基礎を築く出発地となった神聖な場所であった。
天武天皇が自分の後を継ぐ人たちに自分の思いを伝えた歌である。
壬申の乱から7年後、天武8年(679)に吉野行幸をした天武天皇は、5月5日にこの歌を作り、翌6日には吉野宮において6人の天皇ゆかりの皇子たちに、天皇と皇后に忠誠を誓う「六皇子の盟約」が行われた。
壬申の乱の旗揚げの地である吉野を選んで「この地をよく見よ」と言い、そして「あの戦乱のことを忘れるな」と釘を刺し、さらに「吉野こそが我が皇統発祥の聖地である」と皇子たちに教えた。天武天皇にとって壬申の乱は、自分の運命を変えた戦であり、戦への気概を養ったのが吉野であるとの強い思いが、この歌に現れている。
しかし何とリズムカルな軽妙な歌であろうか。天武天皇が酒席の宴か観劇の場で強い思いを間接的に伝えたと見たほうがよいと思う。
歌の歌碑は近鉄吉野駅前の広場の一角に建っている。ここは吉野山へ向かう人達が出発する場所である。
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