日の暮れに 碓氷(うすい)の山を 越ゆる日は
夫(せ)なのが袖も さやに振らしつ
=巻14-3402 作者未詳=
日暮れ時に碓氷の山を越えていかれた日、あなたの袖もはっきりと振ってくださったのが見えましたよ。という意味。
ここの解説版には、「袖もはっきり見える程、ひどく振って峠を越えていった人、防人に旅立ったあの方の最後のお姿だった。」とある。
碓氷(うすい):古代では入山峠が「うすひのさか(碓氷坂)」であったとされている。
古代、東国から徴発されて北九州の防衛にあたる防人にとって、碓氷峠(入山峠)はふるさとを離れることを実感する場所だった。群馬県境の坂本宿から軽井沢宿に至る途中にある峠で、古代より「薄日」のさす険しい難所の山道であった。
この万葉歌碑は、群馬県高崎市の高崎自然歩道、山の上碑と古墳がある一角に建っている。
山の上碑と古墳は万葉時代に建造されたもので、当時の万葉歌と相通じるものがあるようだ。
この歌碑から高崎自然歩道の本格的な山道が連なっていくようで、自然歩道の実質的な起点であろう。
碑文:万葉仮名で刻まれている。<クリックで拡大>
比之暮尓薄日
乃山遠古由流
比者世奈濃賀
袖毛沙耶尓不
良志津
山の上碑
山の上碑は、 681年に立てられた日本最古級の石碑で、高さ111センチの輝石安山岩の自然石に53字が刻まれている。放光寺の僧である長利が、亡き母の黒売刀自を供養するとともに、母と自分の系譜を記して顕彰したもの。近隣の金井沢碑・多胡碑と合わせて上野三碑と呼ばれている。
碑文には、次のように記されている。
佐野(さぬ)の三家(みやけ)と定め賜える健守命(たけもりのみこと)の孫
黒売刀自(くろめとじ)、此れ新川(にっかわ)の臣(おみ)の児
斯多々弥(したたみ)の足尼(すくね)の孫大児(おおご)の臣に娶(めあ)いて生める児、
長利の僧、母の為に記し定る文也
碑に隣接する山の上古墳は、直径約15メートルの円墳で、精緻な切石積みの石室を持ち7世紀中頃の築造と考えられ、その築造時期は、山の上碑よりも数十年古いため、もともと黒売刀自の父の墓として造られ、後に黒売刀自を追葬(帰葬)したものと考えられている。
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