銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも
=巻5-803 山上憶良=
銀も金も玉もなんの役に立とう。優れた宝も、子供に及ぶことなどあろうか。という意味。
小学校の教科書にも取り上げられている有名な万葉歌である。
山上憶良は42歳で遣唐少録として渡唐して、帰国後は、伯耆守、東宮侍講(聖武天皇の教育係)などを経て、60代半ば過ぎに筑前守となり、現地で大伴旅人らと交流した。
儒教や仏教の教養が深く、また、漢詩文の素養もあり、その和歌に大きく影響している。家族愛を隣人愛・人間愛に押し広げ、「貧窮問答歌」に代表されるように、人生の暗黒面・苦悩を多く取り上げ、修辞技巧を凝らさず率直に表現した。
山上憶良は『万葉集』に長歌十首、短歌六十一首(うち反歌二十首)、旋頭歌一首、漢詩文数編を残している。
この写真の万葉歌碑は木更津市馬来田の妙泉寺に建てられている。
妙泉寺
妙泉寺は曹洞宗の寺で、甲斐武田氏の一族がこの地を治める為に真里谷城を築いたが、その武田一族の菩提寺であったようだ。
妙泉寺とこの歌の関連を調べていたら次のようなことがわかった。
第二次世界大戦時、昭和19年に本土空襲の危険が高まり学童疎開が始まった。東京の小学校も学童疎開が始まり、千葉県各地にも多くみられたという。
ここ妙泉寺(馬来田村真里谷)に東京市本所区の日進国民学校から3年男子33人、女子20人、5年男子22人、女子21人の計96名が学童疎開していた。
戦時をふまえてお寺と学童とのつながりがあったのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます