妹が目を跡見(とみ)の崎の秋萩(あきはぎ)は
この月ごろは散りこすなゆめ
=巻8-1560 大伴坂上郎女=
あなたが後で見ると言う跡見(とみ)の崎の秋萩よ、ここ暫くは散らないでおくれ、あなたが見にくるまで散らないでおくれ。という意味。
桜井市にある等弥(とみ)神社は神武天皇時代に鳥見山中に創建された古社である。ここは古代の跡見(とみ)の地であったと推定されている。閑静な神社にこの歌碑が建っている。
大伴坂上郎女の子(坂上大嬢)が、大伴旅人の子である大伴家持の妻となったため、家持にとって大伴坂上郎女は姑であり叔母でもあった。
家持は万葉集の偏纂に大きく係わり473首の歌を残しているが、その家持の母代わりとなり教育したともいわれる大伴坂上郎女の歌は万葉集に86首も残されている。豊かな叙情性をもった恋の歌が多く見られる。
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