射目(いめ)立てて 跡見(とみ)の岳辺の なでしこの花
ふさ手折り われは持ち行く 奈良人のため
=巻8-1549 紀朝臣鹿人=
跡見の岡辺に咲く撫子の花。その花をたくさん手折って持っていこう。奈良にいるあの人へのお土産に。という意味。
この歌はめずらしい「五、七、七、五、七、七」からなる旋頭歌(せどうか)でできている。
「射目立てて」は地名の「跡見」にかけた枕詞。「「射目」は当時の人々が狩りに使った楯状のもの。目だけ見えるように小さな穴を開け、姿を隠しながら獣を弓で射った。
紀朝臣鹿人が、跡見庄にやってきて詠んだもの。おそらく寧楽人は家で待つ妻のことだろう。
跡見(とみ)庄は桜井市の鳥見(とみ)山山麓と推定されている。山麓にある等弥(とみ)神社にこの歌碑が建っている。異なる漢字でいて読み方が「とみ」と同一である。「とみ」という音により確定した土地が場所により適した漢字を当てた良い例であろう。
鳥見山は神武天皇の祭祀の伝承地とされていて、かつて天皇が山頂にて天神を祀ったという言い伝えがあるように、「とみ」は日本の原風景を彷彿とさせる土地なのである。
鳥見山周辺には古代からの遺跡も多くみられ、写真は1987年聖徳太子の宮跡である上の宮遺跡発掘時のものである。さりげない万葉歌との対比が面白い。
万葉の頃のナデシコは今のカワラナデシコと呼ばれているものだ。
カワラナデシコ
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