「カルテット」が話題だが、実際、このドラマは面白い。すごく面白い。
人間の本質がいくつも照らされる。しかも、ストーリーのテンポが見事。ひとつ斜め上をいく展開。
さらに楽曲、衣装、キャスト、台詞回しなどの細かいギミックが凝らされていて、飽きさせない。
語りたくなる余地を沢山残し、視聴者に多くの余韻を楽しませる。
凄まじいレベルで作りこまれている。主演の俳優陣のお芝居にもしびれる。
ここから、「カルテット」にまつわる僕の幾つかの記憶の話をする。それを僕の「感想」とする。
それを書かないと感想にならない。これは、そういうドラマ。
僕の友人のイギリス人が、昔、結婚式場のアルバイトをしていた。彼は牧師の役をやっていて、少し訛りのある日本語で、お客さんに誓いを立てさせていた。
言うまでもなく、彼は教会関係者ではなく、それどころか、おそらく限りなく無神論的な人だった。
でも、僕は友人として、彼が自分の結婚式で牧師役をやってくれるなら、それはそれですごくいいかもな、と思った。
日本の式場は「教会」ではない。教会風の建物で、そこにキリスト教徒はいない。
つまり、結婚式の会場の多くは、虚構だ。みんな、それを分かって使っている。
一方、式場で演奏している演奏家たちは本物。芸大を出た人たちは、演奏会で食べていくことはできない。
音楽の先生になるか、いや、そんな需要はない。家庭教師になる?これまた、それほどの需要はない。
一流の経歴の音楽家と知り合う機会が度々あって、彼らの重要な仕事に結婚式での演奏があった。
僕は彼らの一流具合を知っていて、彼らが演奏するなら間違い無い、と思った。
つまり、縁もゆかりもない演奏家の多くは、実のところ、本物だ。
さて、めでたく式を終え、結婚して夫婦になった後、お互いに何を求めるか、お互いにどういうストーリーを構築するか、それは大きな課題だ。
最近読んでいる研究書では、複数のアクターが関係を結ぶ場合、アクターそれぞれが合意を「誤解」することこそ、平和と和解につながる、という切ないテーゼを実証していた。
もし、それぞれの「本心」がすべて分かってしまったら、紛争だ!とその研究書は主張していた。
夫婦の関係は、虚構と真実の組み合わせで出来上がっている。それは、夫婦関係の始まりである結婚式から、すでにそうなのだ。
このドラマの本質は、今言ったところにかなり集約されている。
主人公たちは、それぞれの過去をもった(クラシックの)演奏家。
それぞれの欲望に基づいて、偶然を装い、弦楽四重奏団を結成することになる。
第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。
それぞれに嘘をつき、それぞれに本心があり、それが入れ替わり、立ち代りしながら、徐々に関係を築いている。
そこには「結婚」というライトモチーフが、絶妙なテンションで扱われている。
結婚に憧れているとか、そういうクソくだらないことではない。
結婚とは、一種のサスペンスだ、という話。
まあ、ドラマを見てください。としか言いようがない。
一緒に演奏するということは、深く力強いコミュニケーションだ。それを性的なものに例える人はとても多い。
音は人間性をすべて曝け出す。僕はこれまでの経験から、そして、出会ってきた多くの音楽家たちから、そう言われたし、考えるようになった。
結婚もそれに似ている。毎日一緒にいることは事実だし、そこに嘘はない。
だけど、お互いの主観的な物語すべてが一致しているわけではない。そこにはお互いの勘違いがいくつも絡み合っている。
どちらが先に好きになった?この間の喧嘩の原因はどっち?あの時のプレゼント、本当は嬉しかった?そうでもなかった?
もし、白黒つけようとすれば、すべてはグレーになる。
でも、すべてを赤白にしようとすれば、ピンクになる。
虚構と真実は、混ざると何色になるだろう?それはお互いに何色を持ち寄ったかで変わってくる。
第5話まで見て、僕はそういう感想をもった。
このドラマは、ここからさらに急転換していくらしい。見た方がいいと思う。
もし僕の感想を信じるなら、だけど。
人間の本質がいくつも照らされる。しかも、ストーリーのテンポが見事。ひとつ斜め上をいく展開。
さらに楽曲、衣装、キャスト、台詞回しなどの細かいギミックが凝らされていて、飽きさせない。
語りたくなる余地を沢山残し、視聴者に多くの余韻を楽しませる。
凄まじいレベルで作りこまれている。主演の俳優陣のお芝居にもしびれる。
ここから、「カルテット」にまつわる僕の幾つかの記憶の話をする。それを僕の「感想」とする。
それを書かないと感想にならない。これは、そういうドラマ。
僕の友人のイギリス人が、昔、結婚式場のアルバイトをしていた。彼は牧師の役をやっていて、少し訛りのある日本語で、お客さんに誓いを立てさせていた。
言うまでもなく、彼は教会関係者ではなく、それどころか、おそらく限りなく無神論的な人だった。
でも、僕は友人として、彼が自分の結婚式で牧師役をやってくれるなら、それはそれですごくいいかもな、と思った。
日本の式場は「教会」ではない。教会風の建物で、そこにキリスト教徒はいない。
つまり、結婚式の会場の多くは、虚構だ。みんな、それを分かって使っている。
一方、式場で演奏している演奏家たちは本物。芸大を出た人たちは、演奏会で食べていくことはできない。
音楽の先生になるか、いや、そんな需要はない。家庭教師になる?これまた、それほどの需要はない。
一流の経歴の音楽家と知り合う機会が度々あって、彼らの重要な仕事に結婚式での演奏があった。
僕は彼らの一流具合を知っていて、彼らが演奏するなら間違い無い、と思った。
つまり、縁もゆかりもない演奏家の多くは、実のところ、本物だ。
さて、めでたく式を終え、結婚して夫婦になった後、お互いに何を求めるか、お互いにどういうストーリーを構築するか、それは大きな課題だ。
最近読んでいる研究書では、複数のアクターが関係を結ぶ場合、アクターそれぞれが合意を「誤解」することこそ、平和と和解につながる、という切ないテーゼを実証していた。
もし、それぞれの「本心」がすべて分かってしまったら、紛争だ!とその研究書は主張していた。
夫婦の関係は、虚構と真実の組み合わせで出来上がっている。それは、夫婦関係の始まりである結婚式から、すでにそうなのだ。
このドラマの本質は、今言ったところにかなり集約されている。
主人公たちは、それぞれの過去をもった(クラシックの)演奏家。
それぞれの欲望に基づいて、偶然を装い、弦楽四重奏団を結成することになる。
第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。
それぞれに嘘をつき、それぞれに本心があり、それが入れ替わり、立ち代りしながら、徐々に関係を築いている。
そこには「結婚」というライトモチーフが、絶妙なテンションで扱われている。
結婚に憧れているとか、そういうクソくだらないことではない。
結婚とは、一種のサスペンスだ、という話。
まあ、ドラマを見てください。としか言いようがない。
一緒に演奏するということは、深く力強いコミュニケーションだ。それを性的なものに例える人はとても多い。
音は人間性をすべて曝け出す。僕はこれまでの経験から、そして、出会ってきた多くの音楽家たちから、そう言われたし、考えるようになった。
結婚もそれに似ている。毎日一緒にいることは事実だし、そこに嘘はない。
だけど、お互いの主観的な物語すべてが一致しているわけではない。そこにはお互いの勘違いがいくつも絡み合っている。
どちらが先に好きになった?この間の喧嘩の原因はどっち?あの時のプレゼント、本当は嬉しかった?そうでもなかった?
もし、白黒つけようとすれば、すべてはグレーになる。
でも、すべてを赤白にしようとすれば、ピンクになる。
虚構と真実は、混ざると何色になるだろう?それはお互いに何色を持ち寄ったかで変わってくる。
第5話まで見て、僕はそういう感想をもった。
このドラマは、ここからさらに急転換していくらしい。見た方がいいと思う。
もし僕の感想を信じるなら、だけど。