それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

秋、近況

2012-10-15 18:43:46 | 日記
日本に帰ってきてから2か月以上経っているのだが、ブログに書いているからいいだろう、という安易な理由で知り合いにメールもしないままであった。

とりあえず、近くに住んでいる友人にメールをしようと思い、一言書いて送る。

ちょっと出張などがこれからあって、もちろんそれは日本国内なのだが、ひどく億劫で、少し精神も秋の気候にやられてダウナーになっている。

そこをなんとかウェス・モンゴメリーやらアート・テイタムやらのジャズの演奏でもってドーピングをして、一応なんとか心の平静を保ちつつ、博論を直しているというような具合である。

今時期のイギリスは、ちょうど新しい学期も始まったあたりで、誰も彼もそわそわしているに違いない。日本とは全く逆であり、逆だからこそ、私にはちょうど良かったような気もする。

イギリスを懐かしく思っている。

過去を振り返ることがないまま、これまで研究、留学と続けてきたのだが、まさかイギリスのことをこんなに度々思い出すとはどういうわけだろう。

でも、あの頃は良かった、というふうに考えるつもりはないのだ。ただ、思い出し笑いするような感じで懐かしく思うだけなのだ。きっとそうすべきなのだ。

何か書こうと思いながら、結局、今日に至る。どうしても書くエネルギーが博論に向かう。良いことではある。このブログの読者にとってはどうだろう。

例によって博論はネイティブ・チェックがしばらく続き、これから見てもらう章を今のうちに色々直している。

日本にいるとやはり無駄な力を日常生活で使わないから、しっかり研究できるという側面がある。

とはいえ、イギリスの大学におけるネットシステムの成熟がなければ、帰国して博論を直すということは不可能だった。

日本に帰ってきて、母校に行ったりして、そこで改めてイギリスの大学の(文系における)秀でたところを感じてしまう。これはどうしようもない。日本の大学の怠慢のせいというわけでは必ずしもない。

文句をだらだら言うよりも、自分が出来ることをやるべきなのだ。



私は今、不安かつ孤独な気分なのかなと思う。

理由などは問題ではない。

そういう気持ちをやり過ごす力というか、癖のようなものが、長年の経験のなかで奇妙に培われてきた。というほどでもない。

ただ、そういう時に(やりたくなっても)敢えてやらない方がいいこととか、(やりたくなくても)敢えてやってみた方がいいこととかのリストが出来ている。というほどでもない。

けれど、私にはこういう時にメールをしたり、あるいは会って話をしたりするべき友達がいる。というほどでもない。

だから、そういう時には、ケセラセラ。ケセランパサラン。パンダコパンダ。ゲロッパゲロッパ。

つまり、だから、すなわち、よく分からない。

よく分からないということを、よく分からないということにしておいて、そして、それをきちんと次の月に回してしまう。

それを解決するとか、あるいは自然消滅させるとか、そういうことではなしに、あるような無いような、非常に積極的かつ勇敢なたち振る舞いで、見なかったような、見たようなことにする。