バンプ・オブ・チキン(以下、BOCと略記)がミュージック・ステーションに出演した。
バンプ・オブ・チキンはこれまでTVには基本的に出演してこなかった。
だから、今回のMステ出演は一部でずいぶんと話題になっている。
なぜ、やたら話題になるのか。
それは、コミュニケーション障害について見事に歌い上げているBOCが、TVに露出すること自体によく分からない強い不安、あるいは一種の悲しみを感じるからだと私は思う。
BOCの歌が私は好きだ。私は藤原氏の書く歌詞に強烈に共感している。
BOCの曲は自分に寄り添う。これは単なるラブソングを歌うバンドへの支持とは全く異なる。
曲と自分の距離がとても近くなる。
テレビは、その距離感と食い合わせが酷く悪い。
テレビは演者と視聴者の間にとても距離があるメディアだ。それはとても不思議なことだ。
例えば、ラジオと比べるとそれは明確になる。
BOCはひっそりと自分の傍にいてほしいと、おそらくコミュニケーションに問題を抱えるファンの多くが感じているのではないか。
だから、奇妙にもBOCのMステ出演には、賛否の両方が出てきたのである。
では、他のバンドはどうだろう。
比較したいのは、SEKAI NO OWARIだ。
彼らの楽曲は、ひとつの世界観で一貫して作られている。
SEKAI NO OWARIをよく理解しないで批判することは容易い。しかし、よく理解したうえで批判することは苦しい。
彼らの楽曲に一貫しているのは、歌詞の主人公が明らかに強烈なコミュニケーション障害を抱えている点で、しかもその克服が仮想空間のなかでの克服なのではないか、場合によって単なる空想なのではないか、と示唆する点だ。
例えば、代表曲RPGは典型だ。
「空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない」
そして、題名の「RPG」。
冒険、絆、そして、それはまるでゲームの世界。
もう一人じゃなくなる前は、どれだけ孤独だったのだろうか。
でも、今感じているその絆はそれはリアル?それともバーチャル?あるいは、空想?
では、リアルの世界ではどうか。
ライブのなかで一際異彩を放つ一曲が、「銀河街の悪夢」である。
これは精神疾患を患った人の長い一日を歌ったものである。
これがリアルで、先の曲がバーチャルだったら、本当に辛い話である。しかし、それは日本に沢山いる若者の話である。
この明暗の世界観が背中合わせになっていることで、SEKAI NO OWARIはアーティストとして、とても深いのである。
SEKAI NO OWARIの世界観は、メディアに非常に強いと私は思う。
曲はJPOPへの尊敬が随所に込められている。だから、驚くほどキャッチーで沁みてくる。
そして、歌詞は奇妙なほどバーチャルで、奇妙なほどコミュニケーション障害で、しかし、とても明るくファンタジックなのである。
こんなにテレビに向いているアーティストがいるとは思えないほどの世界観。そして、彼らはあまりにも個性的であり、技巧的なのである。
BOPとSEKAI NO OWARIは、ともに強烈なコミュニケーション障害系バンドとしての共通点がある。
しかし、両者の世界観は似ているが、アプローチが決定的に異なるため、テレビ出演の是非が支持者のなかで変わらざるを得なかったと私は解釈している。
バンプ・オブ・チキンはこれまでTVには基本的に出演してこなかった。
だから、今回のMステ出演は一部でずいぶんと話題になっている。
なぜ、やたら話題になるのか。
それは、コミュニケーション障害について見事に歌い上げているBOCが、TVに露出すること自体によく分からない強い不安、あるいは一種の悲しみを感じるからだと私は思う。
BOCの歌が私は好きだ。私は藤原氏の書く歌詞に強烈に共感している。
BOCの曲は自分に寄り添う。これは単なるラブソングを歌うバンドへの支持とは全く異なる。
曲と自分の距離がとても近くなる。
テレビは、その距離感と食い合わせが酷く悪い。
テレビは演者と視聴者の間にとても距離があるメディアだ。それはとても不思議なことだ。
例えば、ラジオと比べるとそれは明確になる。
BOCはひっそりと自分の傍にいてほしいと、おそらくコミュニケーションに問題を抱えるファンの多くが感じているのではないか。
だから、奇妙にもBOCのMステ出演には、賛否の両方が出てきたのである。
では、他のバンドはどうだろう。
比較したいのは、SEKAI NO OWARIだ。
彼らの楽曲は、ひとつの世界観で一貫して作られている。
SEKAI NO OWARIをよく理解しないで批判することは容易い。しかし、よく理解したうえで批判することは苦しい。
彼らの楽曲に一貫しているのは、歌詞の主人公が明らかに強烈なコミュニケーション障害を抱えている点で、しかもその克服が仮想空間のなかでの克服なのではないか、場合によって単なる空想なのではないか、と示唆する点だ。
例えば、代表曲RPGは典型だ。
「空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない」
そして、題名の「RPG」。
冒険、絆、そして、それはまるでゲームの世界。
もう一人じゃなくなる前は、どれだけ孤独だったのだろうか。
でも、今感じているその絆はそれはリアル?それともバーチャル?あるいは、空想?
では、リアルの世界ではどうか。
ライブのなかで一際異彩を放つ一曲が、「銀河街の悪夢」である。
これは精神疾患を患った人の長い一日を歌ったものである。
これがリアルで、先の曲がバーチャルだったら、本当に辛い話である。しかし、それは日本に沢山いる若者の話である。
この明暗の世界観が背中合わせになっていることで、SEKAI NO OWARIはアーティストとして、とても深いのである。
SEKAI NO OWARIの世界観は、メディアに非常に強いと私は思う。
曲はJPOPへの尊敬が随所に込められている。だから、驚くほどキャッチーで沁みてくる。
そして、歌詞は奇妙なほどバーチャルで、奇妙なほどコミュニケーション障害で、しかし、とても明るくファンタジックなのである。
こんなにテレビに向いているアーティストがいるとは思えないほどの世界観。そして、彼らはあまりにも個性的であり、技巧的なのである。
BOPとSEKAI NO OWARIは、ともに強烈なコミュニケーション障害系バンドとしての共通点がある。
しかし、両者の世界観は似ているが、アプローチが決定的に異なるため、テレビ出演の是非が支持者のなかで変わらざるを得なかったと私は解釈している。