それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

9月になれば僕らは

2010-09-01 20:35:13 | 日記
急に友達から連絡が来て、僕は予定していた他の友人のライブに行く予定をキャンセルして、そいつと飲むことにした。

結局、朝までそいつと飲み明かしてから、僕は彼女の家に帰る。そして少しだけ眠る。

この数週間のストレスがもう限界に来ているのか、僕はどうしても一人になりたくて。
それで大学に行ったあと、久し振りの「ひとり」を味わって、ひとりで実家に帰った。

友達が貸してくれたマンガを読みながら、電車に乗る。

そのマンガのストーリーがどうしても自分と重なってしまって、切なくなってしまう。

そんなに似ているわけじゃないのに。



電車から降りると、日は暮れかけているけれどまだ暑い。

この暑さが僕の精神をずいぶんと消耗させているのだ、と信じている。

歩きながら、

・・・もし彼女と出会っていなかったら、

もし彼女をデートに誘っていなかったら、

もしあのとき彼女と別れていたら・・・、

疲れた僕は「もし」を繰り返していた。

彼女はもっとちゃんと生きていただろうか?

僕はもっと研究していただろうか?

それとも、その逆だったろうか?

僕らは甘え合っているだけなのかな?僕は君の成長を妨げているのかな?



でも色々な場面の「もし」は結局、僕の頭のなかで消えていく。

彼女と出会っていなかったら今の僕はない。

あの論文もあのペーパーも留学さえもなかったかもしれない。

僕はもっと子供で、僕は結局誰もうまく愛せていなくて、僕はまだ僕を探し続けていたかもしれない。

だから。だから。僕は「もし」と問うのをやめた。



でも・・・、僕らの関係が「もし」終わったら、僕らは楽になるのかな。

それはただ僕が君から逃げているだけで解決じゃないのかな。

僕はただ悪者になりたくないのかな。

でも、どこまで頑張ったらいいのかな。

どこまで頑張ったら、終りが来るのかな。

それとも僕らの関係に終りが来るのかなぁ。

僕か彼女のどちらかが、それを決断したら、

それはきっと悲しいだろうなと思う。

それはそれは悲しいだろうなと思う。