消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(322) オバマ現象の解剖(67) レフトビハンド(9)

2010-09-02 15:57:44 | 野崎日記(新しい世界秩序)


あとがき


 二〇〇九年一二月一〇日、オバマ米大統領は、オスロにおけるノーベル平和賞受賞演説で、「正しい戦争」を肯定した。「平和は願望だけではほとんど達成されない」ので、平和の構築には戦争が正当化される場合があるとした。戦後の六〇年間、米国は武力によって国際秩序の安定を図ってきた。国際秩序を破る勢力に対する制裁と圧力をかけるためにも「正しい戦争」は必要であると言明した。イスラムをはじめとして、米国に抵抗する組織は、米国のこうした狂信的価値観に戦いを挑んでいるのである。米国が攻撃する相手は悪で、その悪を叩き潰すのが正義であるという泣きたくなるような歴史認識の欠如は、オバマ政権が短命であることを予兆させるものである。

 そもそも、戦争の一方の当事者に平和賞を授けるノーベル平和賞選考委員会のブラック・ユーモアは置いておくとしても、「平和賞」の受賞演説で戦争を擁護する大国のリーダーを世界が戴いているのは悲劇である。オバマは、反米闘争の劇化に見舞われるであろう。 それにしても、歴史を正確に理解できない単細胞はどのような経緯で生み出されるのであろうか。

 日本でも、沖縄の普天間「移設」問題で、本土の人間やマスコミの単純な歴史理解が、沖縄の人々を苦しめている。日本の防衛の最重要のシステムである日米安保体制を危うくする鳩山政権は、米国を怒らせ、日本の経済社会を奈落の底に落とすであろうとか、日本の平和を守ってくれている米国の面子を汚した鳩山政権の将来はないといった論調が日本の本土を支配している。本ブログ、第一章でも説明したが、歴史認識の欠如、事実関係の正確な理解の欠如が、世界にも、日本にも蔓延している。本ブログは、そうした哀しい現実に異議申し立てすることを目指している。

 普天間問題を例にとって、浅い歴史理解の怖さを指摘しておこう。
 普天間「移設」の発端は、一九九五年の沖縄での米兵による少女暴行事件だった。このときから沖縄の負担軽減が語られた。

 そして、二〇〇九年二月、ヒラリー・クリントン米国務長官と当時の中曽根弘文外相がグアム移転協定に署名した。それは、普天間の代替施設確保を前提に、普天間駐留米海兵隊の一部を米軍グアム基地に移転させることが柱であった。二〇〇九年五月に民主党などの野党連合の反対で否決されたが、衆院の再議決でこの法案は成立した。ここで、グアム移転協定は日本の正式の議会の審議の下で法的に成立したのである。この点は重要である。ところが、米国での扱いは議会承認を必要としない行政協定にすぎない。中曽根外相は、二〇〇九年四月一五日の参院本会議で、議会承認条約とするか、行政協定とするかは、米国自身が決定することなので、まったく問題はないとの判断を示した。しかし、行政協定には法的な拘束力はない。たとえば、移転を議会が承認したのならそこで発生する費用を米国は負担しなければならない。しかし、行政協定になるとそれは交渉事項であり、米軍にとっての義務ではない。その意味で、この協定は日本のみが拘束される片務的なものである。

 しかも、同協定の第八条には、グアム移転に関する協議の発議権は米側にしかない。

 そもそも海兵隊は他国に軍事介入するさいの陸上部隊である。名護市辺野古への移転は海軍力強化を図るという名目であるので、これはおかしなことである。

 しかも沖縄駐留海兵隊員数は一万八〇〇〇人として計算されているが、実数は一万二〇〇〇人を下回る。数字だけがひとり歩きしているのである。

 まず、私たちが認識すべきは、普天間基地は世界一危険な飛行場を持っているということである。住宅密集地に基地の飛行場ができているのである。

 米国内では、軍事飛行場に対する安全基準が厳しく設定されている。それは、一九七八年のカーター米大統領令(「米国の軍事施設に関する環境保護条例」)に基づいた基準である。そして、翌七九年、米国の域外での軍事施設にもこの大統領令は適用されることになった。米国の域外で米国軍事施設が、環境と人権を破壊することがあってはならないという基準がそれである。ただし、冷戦下で域外の基地にはこの基準は適用しなかった。それでも、一九九〇年代になってその基準の検証が米議会できちんとおこなわれるようになった。ところが、域外基地のうち、日本だけはそうした検証から除外され続けていた。

 そして、二〇〇〇年九月一一日、日米政府は、基地の「環境原則に関する共同発表」を出した。そこには、「日米政府の共通の目的は、施設及び区域に隣接する地域住民並びに在日米軍関係者及びその家族の健康及び安全を確保することである」と明記されていた。在日米軍の環境基準は、日本の国内関連法が定める基準かそれを上回る水準でなければならないとも公言したのである。そして、日米政府は、こうした基準を米軍基地が満たしているか否かの定期協議がなされることも確認された。しかし、そうした協議がおこなわれているのかどうかについて両政府は明かにしていない。

 日本の航空法では、滑走路に沿う一定の区域を設定し、その中では建造物があってはならないと定めている。それは、もちろん、飛行機と住民の安全を守るために定められた規定である。

 米軍基地の区域は、危険性の度合いに応じて、三つの区分けがされている。
 もっとも危険な区域はクリアゾーンと呼ばれている。クリアゾーンには一切の建造物も障害物も設置を認められていない利用禁止区域である。通常のクリアゾーンは、滑走路の中心線を挟んで幅約九一四メートル、滑走路先端から約九一四メートルの長方形がクリアゾーンである。

 普天間基地にも当然、この規定が踏襲されるはずである。ところが、同基地のクリアゾーンは通常よりも狭い。滑走路先端から台形になっていて、滑走路先端部分の幅が約四五七メートルと通常幅の一八二八メートルに比べると四分の一の幅である。つまり、滑走路の中心線からの幅は九一四メートルでなく、二二九メートル弱でしかない。また滑走路の先端から伸びる部分は規定通り九一四メートルであるが、その地点での横幅が約七〇五メートルである。これも通常幅の半分にも満たない。要するに、普天間飛行場のクリアゾーンは、米国の基準をはるかに下回っているのである。

 普天間の狭いクリアゾーンなのに、その中に約八〇〇戸、三六〇〇人の住民が居住し、普天間第二小学校、児童館、保育所が設置されている。少なくとも明白なことは、普天間飛行場が、米国の航空法に抵触しているということである。しかも、反基地の姿勢を明確にした宜野湾市長が二〇〇八年四月八日にグアム移転審議で国会で証言するまでは、日本人の多くがその事実を知らされなかった。外務省は、その事実を知っていたが、とり立てて議論する必要性を認めていないと、宜野湾市長に返答したという。

 そもそも、いまだに日本政府は、普天間基地を正式の飛行場として認知していない。実際、一九四五年六月に作られたときには、普天間飛行場は補助飛行場でしかなかった。正式の飛行場は米海軍基地として使われていた那覇空港であった。しかし、その那覇空港は一九七二年の沖縄の日本への返還によって、日本のものになった。それに伴い、米海軍基地は嘉手納に移転、その余波を受けて嘉手納での訓練基地が足りなくなったので、普天間飛行場の整備がなされた。そのときまでは、普天間はヘリコプター基地ではなかった。それまでのヘリコプター基地は北谷(ちゃたん)町のハンビー(北前、北谷一、二丁目界隈)にあったのだが、このハンビーも返還されることになり、ヘリコプター隊は一九九六年頃に普天間に移転してきたのである。

 米国防総省や米軍太平洋指令部は、安全基準を無視して普天間飛行場を拡張してきた。日本も普天間は飛行場ではないという認識を示して、米軍が安全基準を無視することに抗議を示さなかった。ところが、整備費用は日本の思いやり予算から出された。那覇空港返還時にも、北谷ハンンビー返還時にも日本政府は普天間整備費用を出している。

 重要なことは、普天間基地が整備されたのちに、日本人の住宅が建てられたのではないということである。住宅はすでに一九五〇年代からあった。小学校も一九六〇年代には建設されていた。すでに住宅が密集している中に普天間が飛行場として整備されたのである。それも安全基準を無視した形で。そして、二〇〇四年八月、沖縄国際大学に米海兵隊の大型ヘリが墜落、炎上したのである。

 普天間移転という前に、安全基準をまったく無視した基地である普天間は即刻閉鎖されるべきである。それは、二〇〇〇年の「日米環境原則の共同発表」に照らしても、日本は強く米国に要求できるはずのものである。ところが、日本の外務省北米局長は、普天間のクリアゾーンは、ガイドラインにすぎないものであり、「環境原則の共同発表」も法令ではないので、日本政府としては米軍に守らせなくてもいいのだという基地周辺住民の安全を完全に無視した発言をした。二〇〇八年四月八日の国会答弁である。

 米軍の再編成構想では、海兵隊は六か月のローテーションで世界を回遊することになっている。海兵隊の指令塔は、グアムに集約する。ハワイと沖縄には実働部隊のみ置く。ローテーション部隊(UDP)は、ハワイを基点として沖縄に向わせ、それから、マリアナ諸島のテニアンなどに整備する沿岸戦闘訓練センターで訓練させる。日本の予算で整備するグアムの兵舎で休息させ、太平洋沿岸各地を回遊させる。つまり、沖縄には海兵隊を常駐させることがなくなるのである。

 さらに米軍再編成構想で最近浮上してきたものに、シーベーシング(海上基地)構想がある。ペルシャ湾、太平洋オーストラリア北東沖、インド洋に海洋に浮かぶ巨大基地建設である。米海軍、海兵隊が考案した案であるが、全米軍がとり組む統合戦略として認知される可能性が高い。二〇一五~二〇二五年までの実用化が目指されている。この基地が機能するためには、高速輸送線、新型装甲車、沿岸戦闘艦船などが必要になり、巨額の費用がかかる。そこでは、日本が高速輸送船の運用を託される可能性が高い。こうした構想が実現すれば、海兵隊の沖縄常駐はなくなり、海兵隊は短期間沖縄に滞在するだけのものになるだろう。

 事実、そうした動きは現実に進行している。大規模な地上戦を前提にした大規模な地上軍はかぎりなく縮小されることになる。米国は、ドイツを手始めに、次第に世界から常駐米軍を減少させている。在韓米軍は二〇一二年までに三分の一に減らし、米韓合同の指揮権を韓国に譲渡する方針である。しかし、韓国側がそれを望まず、韓国軍をアフガニスタンに出兵させる見返りとして、米軍の減少数に歯止めをかけようとしている。その点では、在日米軍縮小交渉がもっとも遅い。いずれにせよ、海上基地を主力として、ユーラシア大陸の内陸部をミサイル射程距離に置くという米軍の構想は着々と進行している。インド洋における石油燃料の補給を日本の自衛隊に依存するという外装の下で、実際には日本に供与しているイージス艦の操作能力高上をインド洋でおこなっているのである。

 そもそもが、地元住民の危機回避などが出発点であった普天間飛行場問題は、二〇〇五年になって日米合意、〇六年には「再編実施のためのロードマップ(行程表)」が介在することになって、米軍再編構想実現との絡みで論じられるようになった(パッケージ論)。いま重要なことは、こうしたパッケージ論を克服することである。「移設」問題との関連で普天間問題が論じられるのではなく、普天間基地の即時閉鎖に焦点を絞った対米交渉に重点を移すべきである。

 「移設」が日米国家間の約束によるものといっても、この約束は上に見たように、対等の関係であるとはとてもではないがいえるものではない。沖縄における軍事力の維持の理由にされている中国の軍事的脅威といっても、それは現実的ではない。米軍内でもグアム移転の再編作業が一貫していない。

 日本政府による懸命な移設先探しはお人好すぎる。危険な飛行場を建設したのが米軍なのだから、まず、閉鎖に向って、移転先を米軍の責任において、おこなうというのが筋である。

 ブッシュ時代の日米安保チームのアーミテージ元米国務副長官は、鳩山政権に警告した。「合意を覆せば、日米関係は白紙」にすると。おかしなことである。ブッシュ政権の元高官がオバマ政権の庇護者的発言をしている。政権交代があったのではないのか。二〇〇七年に防衛汚職で逮捕された守屋元防衛省事務次官や商社などが米軍再編問題の情報を得て接近してたのがアーミテージだったはずである。事態がうやむやに放置されたまま、また防衛関係の利害関係者が表に出てきたのである(『東京新聞』(こちら情報部)二〇〇九年一二月一二日の記事に依存した)。

 正しい理解を得る努力をすることが今日ではあまりにもないがしろにされている。本書が、オバマ現象の解剖と銘打ったのも、正しい理解をすることの重要性を訴えたいからである。


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