消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 73 福井県「ふるさとの日」2月7日

2007-02-17 00:25:42 | ふるさと(福井日記)
 他の県にもあるのかもしれないが、寡聞(かぶん)にして知らない。福井県には、「ふるさとの日」という記念日がある。なんともゆかしい命名ではないか。

 「福井県成立記念日」などといった無粋(ぶすい)な名称でなく、ひらかなで「ふるさと」と表現する。素敵な響きである。福井県の「ふるさとの日」は、2月7日である。

 今から126年前の1881年(明治14年)の2月7月、現在の福井県が成立した。



 
県成立1周年記念祝賀会で、元福井藩主の松平春嶽((まつだいら・しゅんがく、松平慶永(よしなが)の号)が最大級の喜びを示した。この日のことは死んでも忘れないとして、「越ノ海ヨリ深ク白山ノ嶺ヨリ高イ」と当時の石川県令に感謝した。その県令が石川県に属していた越前を放棄を受けて、同じく滋賀県に属していた嶺南を併せて福井県が誕生したのである。

 越前には、現在の嶺北に相当する7郡があった。越前を放棄する前の石川県には、越前の他、加賀、能登、越中という4つの地域があった。

 
これら4つの地域は、まとまりを欠き、石川県令は予算案を通すことすら困難を覚えていた。そもそも議会が紛糾して、石川県としての統一的思考など、とてもではないが、できなかったのである。悲鳴を上げた石川県令は、越前と越中を放棄する。

 福井では商人たちが、「勉強会」という名の組織を作って、福井の石川県からの分県運動を組織していた。東京にいた松平春嶽も福井を分県させるべく、新政府に働きかけていた。そして、福井県が成立した。この日を、福井県は誕生日として祝っている。

 今年の2月7日も、「ふるさと」をもり立てる各種イベントが全県で開催された。
 福井市では福井県科学学術大賞の表彰式があった。今年は、セーレンの研究者の山田英幸氏が受賞した。蚕の現代社会への応用が評価されたのである。

 山田さんはまだお若い。45歳。セーレンに1987年入社。「セリシン」というタンパク質の保湿効果を発見した。「セリシン」は、繭から絹に精錬する過程で発生するものである。昔からセーレンの社内では、精錬作業に従事する作業員の手の肌荒れが少ないという話があった。山田氏はこれを実証した。化粧品に応用することができるようになった。

 福井新聞の取材に答えた同氏の言葉が素晴らしい。
 「天然物ののエリシンを研究してきたことで、自然の原理原則をわきまえて開発に取り組むことの大切さを学んだ。私の原点はものづくり。ひとつの研究にとどまらず、いろんな分野に展開するきっかけとなった。今後もチャレンジする気持ちを忘れないでいたい」。

 これまでは手作業であった「あん」を包む機械を発明した坂井市のコバード社の関係者も特別賞を受けた。

 多くの人材を福井県は擁しているのであろう。こうした人材の発掘を今後も真剣に継続していただきたい。本当にいい試みである。関係者に拍手を送りたい。

 県生活学習館では、「ふるさと料理を楽しむ会」(福井新聞社後援)が開かれた。大野里芋の煮っ転がし、勝山水菜の四色白あえ、旧美山町の保存食、花びら餅、地酒がなんと43銘柄、等々が参加者に振る舞われた。
 以上は、『福井新聞』平成19年2月7日と8日号に依拠した。

 せっかくのお祝いムードに水を差すようで申し訳ないが、2月7日は、アジアにとって不幸な日をも含んでいる。米軍による北ベトナムへの爆撃開始の日でもあったからである。

 1965年2月7日、米空軍が北ベトナム南部のドンホイを空爆した。これが北爆の合図となった。

 
北ベトナムによるトンキン湾事件への米国ジョンソン大統領の命令による報復であった。そして、翌3月、海兵隊がダナンに上陸した。



 私の大学卒業直前であった。それこそ、涙を流しながらベトナム反戦デモに加わったことを鮮明に覚えている。



 空からの爆撃を受けて、無辜の人々が、なす術もなく、地上で殺されている。しかも、殺戮の戦闘機は、横田基地から、嘉手納基地から飛び立っている。

 日本の企業は特需の恩恵を受け出していた。こんな理不尽なことを神が許すはずはない。卒業の喜びなどなく、毎日毎日デモに参加した。

 そして、毎日毎日デモがあった。いたたまれなかった。なにかをしていなければ、日本は米国に引き摺られて倫理のない社会になってしまう。そうした思いが私を突き上げていた。

 それにして、いまのイラクでの戦争、信じられないほどの日本の無風情況、反戦運動はおろか、社会運動すら起こらない。そして、米国に学べとの大合唱。米国帰りの研究者しか「学者にあらず」。社会性なき、社会科学。涙が出てくる。

 若い研究者たちは、私たちの時代に比べて、確かに、はるかに、知識的には、優秀である。しかし、私などは、血が通った研究を、若い人たちに見ることが、ほとんどなくなったと、感じている。若い人たちは、後世に何を伝えようとしているのだろうか。暗澹(あんたん)とした気持ちになっているのがいまの私である。でも、歯を食いしばる。申し訳ない。弱音を吐いてしまった。

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1 コメント

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Unknown (persona)
2007-11-28 03:30:47
学部時代に先生にお世話になったものです。社会性を失った社会科学に未来は無いとのご指摘に感動いたしました。私は現在某法科大学院に通っておりますが、法律は所詮政治であって、国家という暴力装置の発動手段に過ぎないことを知り、(その意味で法解釈学は社会性の乏しい学問分野なのかもしれません)日々法律を学ぶことの意味について思い悩む日々を送っております。そのような中で、退官されてもなお社会の改造に闘志を燃やしてらっしゃるお姿にこの上なく勇気付けられました。
今後ともお体ご自愛され、ご活躍されることをお祈りいたしております。
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