里の家ファーム

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自然の中に身を置いてみませんか?

待望の雨となるか?

2019年06月15日 | 自然・農業・環境問題

 予報では、日が変わってからの雨だったがすでに降り始めている。豆をまいても芽が出てこない。カボチャのツルが全然伸びていない。少しまとまった雨が必要だ。

 わたしも少し疲れ気味。明日は休もうか?

スイレンが咲き始めました。上は赤い花。下は白い花。

沼に鴨が戻っています。つがいでしょう。


子どもがひきこもったら・・・?

2019年06月14日 | うつ・ひきこもり

「子どもがひきこもったら怖い」親や周囲がひきこもる人に打てる3つの手立て

「どんな手が打てるのか」の前に「なぜひきこもるのか」を知らないと、いかなる対応も空回りに終わる。

  ハフポストBLOG 2019年06月13日

ふたつの事件によって「ひきこもり」が再注目されています。

ひとつは児童を含む17人を殺傷した川崎殺傷事件。事件翌日の5月29日、川崎市が容疑者(51歳)は「長期間のひきこもり傾向にあった」と発表。その数日後、6月1日に元官僚の父親(76歳)がひきこもる長男(44歳)を殺害する事件が起きました(以下、練馬事件)。

ふたつの事件は「ひきこもり」というワードが共通しており、ひきこもりに関する報道が、連日されています。そうした影響も受け、ひきこもりの当事者や親には波紋が広がっています。

 

「うちの子は中学生だが、学校へ行かずひきこもっているのは正直、怖い」(40代・主婦)

「やっぱり自分も最後は親に殺されるのではないかと思った」(20代・ひきこもり男性)

そんな声も聞かれました。川崎殺傷事件と練馬事件が「ひきこもりだから起きた」という短絡的な見方には疑問がありますが、今日は、ひきこもりの人に周囲はどんな手が打てるのかを書きたいと思います。以下は、私がひきこもりや不登校の当事者、親、支援者を取材するなかで見えてきたことです。

ひきこもるメカニズム

「どんな手が打てるのか」の前に、そもそも「なぜひきこもるのか」を知ってもらわなければ、いかなる対応も空回りに終わってしまいます。「ひきこもるメカニズム」を最初に書きます。

ひきこもりは、体が緊急停止した状態だと言われています。多くの場合、ひきこもる要因は、ひとつではありません。いじめ、パワハラ、就職活動や受験の失敗、親からの期待が重圧に感じていたなどの理由が相まって、心にストレスが溜まり、限界を超えたときに体が緊急停止します。

緊急停止と言っても指や目が動かすなどの単純な行動ができないわけではありません。学校へ行こうと思っても頭痛や腹痛が起きる。朝起きようと思っても起きあがれない。働こうと思っても強烈な不安感などに襲われるなど、いままでと同じ生活ができなくなる、という状況が「緊急停止」の状況です。

つまり、心に負担をかけすぎて体が「もうムリはできない」とストップをかける。それが「ひきこもるメカニズム」なのです。

ひきこもりはなぜ長期化するのか

ひきこもりが長期化するのは、緊急停止の状態が解除されないことが多いからです。ひきこもった後でも心の傷が深まるのが、その要因です。

ひきこもった後、本人は「働けない自分はおかしい」「学校へ行けない自分は怠けている」「こんなの甘えだ」と罪悪感や自責の念、そして早くなんと解決しなければという焦燥感を感じ、自分を否定します。この際には、周囲による「がんばろう」という励ましの言葉も、本人からすれば責められたような気持になってしまいます。

このように、ひきこもったあとでも自責の念が絶えず、心の傷が深まるのが長期化の要因の一つになっています。たとえば練馬事件で殺害された英一郎さんは、ツイッターなどで攻撃的なツイッターもされていました。ネットのなかでは、よく見られる書き込みとも言えますが、ひきこもりに理解の深い人であれば、自責の念が強いあまりに他者に対して攻撃的な言葉を吐いて自分を落ち着かせている、と考えるのが自然です。

病気として噴出するケースも

また、傷が深まっていくとその苦しさは「病気」として噴出することもあります。躁うつ病、強迫神経症、摂食障害、パニック発作など。なかには自傷行為や家庭内暴力が出ることもあります。すべて心のSOSだと言っていいでしょう。

家庭内暴力は、家族からも孤立感を感じ、自己否定感が高い状態が長く続くときに起きるものです。自己否定の末に、まずは「物」に当たる期間が長く続き、それでも改善されない場合は人に当たります。報道によれば、練馬事件の英一郎さんも中学生のころから母親への家庭内暴力が出ていたそうです。この場合は、中学生になる以前から苦しい思いを抱えていたと考えざるを得ません。本来なら「人」に当たる前の期間は長いはずですから、その期間に本人が苦しんでいる背景を掴む必要がありました。

周囲にできること1「相談」

ここから先はひきこもりの当事者らに聞いた「必要だと感じたサポート」について書いていきます。

まず周囲からの適切なサポートは、ひきこもり当事者にとって大きな力になります。本人は「どうにかしたい」と思っていても、うまく体が動かなかったりするからです。

周囲は、まず緊急性の高いものから手を打ってください。つまり自分と他人の健康を害する症状(状況)の場合は、早めに精神科医やメンタルクリニックなどにご相談ください。

この際、本人が病院へは行かず、親や祖父母だけが相談に行っても大丈夫です。

医師も千差万別です。たくさんの病院を転々とするのは、お勧めできませんが、相性の悪い医師にかかっているのもよくありません。当事者たちからの経験則をもとにすると「よい医師」は、決まって当事者の苦しさに共感できる人でした。世間体や常識よりも当事者の立場に立って物を言える人、こういう人に相談を続けられるのがよいかと思います。

相談がうまくいかないのは

しかし、相談してもうまくいかないケースもあります。練馬事件などでも「相談してもうまくいかなかった」と報じられています。一般論として相談してもうまくいかないケースは、ふたつに大別されます。ひとつは相談先に専門的な知識がなかった場合。もうひとつは「周囲が解決策を決めつけている」場合です。

いじめによって不登校になった子の親から一番多い相談が「なんとか学校へ行けるようにしたい」です。学校へ行くことのみを解決策として決めつけられても、子ども本人は、すぐに登校できる状態にないことがあります。相談者の親や先生がゴールを決めつけていると、相談機関としては打つ手がありません。ふつうの相談機関ならば、子どもの困りごとを掘り出し、本人が安心できる環境を整備し、その先に子どもが求めているゴールを探る、という手はずをとります。ゴールのなかには学校復帰もありますし、家で学ぶこともあります。状況次第でゴールは揺れ動きます。誤解が多い言い方ですが、親や先生の「思い通りの結果」を求めて相談されてもうまくいかないケースが多いです。

周囲にできること2「安全基地」

本人にとっての安全基地をつくることは有効な支援です。安全基地とは、衣食住が保障されていこと。親や周囲が干渉されすぎないこと。そして本人を快く受け入れられている場のことです。

そんな安全基地があると「ますます外に出られなくなる」「一生ひきこもる」と不安に思われる方がいます。

それは誤解です。「ダメになったら戻れる場所がある」と思えることが、チャレンジを支えます。登山といっしょでベースキャンプ(基地)がなければ、トライできません。自然と自暴自棄な選択肢が生まれてしまいます。

私が取材した当事者も、みなさん安全基地(家)と外の世界(会社や学校)を行ったり来たりしながら、社会との距離の取り方を学んでいました。

周囲にできること3「話し相手」

自分の気持ちを整理するためには話し相手が必要です。ひきこもりの人も、病院の先生、カウンセラー、当事者グループの集まり、親などに「気持ちを聞いてほしい」という場合があります。話し相手になった方は、本人の気持ちを否定せずにじっくり話しをきいてほしいと思います。

ということで周囲が打てる対応は3つです。

自分と他人の健康を害する場合は医師に相談

本人の安心基地をつくる

本人から選ばれたら話し相手になること

 サポートをする際は、自分のサポートやケアを忘れないでいただけたらと思います。サポートをする人もしんどいのは事実です。

ひきこもれたから生きられた

最後になりましたが「ひきこもることでやっと自分らしく生きられた」、「本当の自分になれた」という人もいます。なので「ひきこもり=悪」だと決めつけないでもらいたいとは思っています。

ひきこもり経験者の石崎森人さんがその例です。石崎さんは就職活動と就労に疲れ果て、自殺未遂を経てひきこもり始めました。ひきこもった直後から「この状況から抜け出したい」とアルバイトを始めるも吐いてしまうなどまともに働けませんでした。石崎さんは、ひきこもりながら自分と向き合い、将来のプランニングを始めました。その後、石崎さんは、ひきこもり当事者から担がれるようなかたちで「ひきポス」というひきこもり専門メディアの編集長をしています。

石崎さんは、ひきこもりを経て「以前の僕よりはるかに真剣に生きている気がする」と感じたそうです。

ひきこもりには、自分と向き合う作用もあります。また、もし親や周囲の方が、ひきこもりについて心配になったら、本人に直接アプローチをする前に当事者や親の経験談を聞いたり、ネットで読んだりしてください。

体験談などは『ひきポス』や『不登校新聞』にはもちろん、たくさんネットで読めます。できれば「浴びる」ように読んでもらえると、本人の気持ちが少しずつ見えてきます。気持ちが見えてくること、それが最初の手掛かりになるはずです。

 


 まとまった雨がありません。日曜日は降水確率80㌫と出ています。期待してもいいのでしょうか?
沼の水位もこんなに下がっています。

定植したカボチャ2株が消えています。沼からポンプアップして、作物に水やりです。

スベリヒユ、結構うまい

 

ツルアジサイ。

不詳草花1.


〈流動化する世界情勢と日本5〉なぜ安倍支持率は下落しないのか

2019年06月13日 | 社会・経済

 

自信喪失が生み出す現状肯定意識

Imidas時事オピニオン2019/06/13

岡田充 (共同通信客員論説委員)

 「外交の安倍」の6年余りを振り返るこのシリーズの最後は、「対米従属の深化」以外にこれといった成果がないにもかかわらず、なぜ安倍政権の支持率は下落しないのか、そのナゾに光を当てたい。

 

大相撲夏場所千秋楽の表彰式で賞状を読み上げるトランプ大統領(2019年5月26日、東京・両国国技館)

政権・メディア・国民がシンクロ

 令和初の国賓として来日したトランプ米大統領が、令和初の大相撲夏場所で、令和初の優勝力士、朝乃山に米国大統領杯を授与――。
 2019年5月1日の改元以来、どんなニュースにも「令和初の」を付けたがるメディア報道を見ると、日本人が今置かれている「内向き」な精神構造がよく透けて見える。土俵に上がったトランプが表彰状を読み、「レイワ・ワン(令和1年)」と結ぶと、会場には「どよめき」が起きたそうだ(「朝日新聞」19年5月27日)。「どよめき」の理由を想像すると、「世界のトップリーダーも『令和』を公認してくれた」ということか。自尊心をくすぐられたのだろう。

大統領が「レイワ」を発信してくれたこと、懸案の日米貿易交渉の妥結時期を「参院選後」にしてくれたこと。この2点だけで、安倍にとって「令和初の日米外交」の目的は半分以上達成したのではないか。

4月初めに始まった「改元狂騒曲」ほど、見事に成功した「政治ショー」はないと思う。指揮者は「一丸となって」が大好きな安倍。彼が振るタクトにメディアが合奏し、多くの人々が踊りまくった。 政権・メディア・国民の三者が、うまくシンクロナイズしたのである。

 経済停滞と日本の存在感・発言力の後退――。自信喪失状態にあるはずの日本人が、その裏返しとして「日本人としての誇り」や「一体感」を“共有”できる絶好の機会を得た、ということなのだろう。だとすれば、こんな安上がりな「ナショナリズム」製造装置は、ほかに見当たらない。

外交評価低いが、支持率は上昇

「安倍外交」への国民の評価は決して高くない。内閣府が19年4月5日に発表した「社会意識に関する世論調査」によると、「現在の日本で悪い方向に向かっている分野」という質問(複数回答)に、「外交」を挙げた人は37.5%と、1年前より12.6ポイントも急増した。その理由としてメディアは「韓国人元徴用工問題など悪化の一途をたどる日韓関係や、進展が見えないロシアとの北方領土返還交渉などが影響したとみられる」(共同通信)と分析した。

 だが安倍政権の支持率は逆に上がっている。改元をはさむ4月と5月の2回のNHK世論調査 を見ると、3月と比べて5~6ポイントも上昇した。

毎日新聞、朝日新聞の調査でも支持率は上昇し、40%台半ば。共同通信調査では前回調査より1.4ポイント減少したが、それでも50.5%という高さである。

 米中貿易戦争の激化と長期化のあおりで、日本の対中国輸出が減少。景気は事実上後退局面に入り、秋には消費増税が待ち構える。スイスのビジネススクールが5月28日に発表した19年の「世界競争力ランキング」で、「日本の総合順位は30位と前年より5つ順位を下げ、比較可能な1997年以降では過去最低となった」(「日経電子版」、19年5月29日)。

日本の地盤沈下は鮮明なのに、なぜ安倍政権の支持率は上がるのか。

 支持理由は、NHK調査では「他の内閣より良さそうだから」が50%と半分を占める。積極支持ではなく、「他と比べて」という消去法的な選択であることが分かる。

 片山杜秀慶応大学教授はその背景について「(日本は)自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない。思想や政策に十分な相違がないとすれば、有権者は同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全と考える」と説明している(「日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる」「日刊ゲンダイDIGITAL」、19年5月20日)。

世論づくり進める政権

「三者のシンクロ」には、安倍という「指揮者」がいる。自民党の二階俊博幹事長は5月27日、日米首脳会談が終わった直後の記者会見でこう述べた。

「皆さんのご協力で報道量が格段に増えて、安倍外交の成功を内外にアピールすることが出来たと思っております」。シンクロ構造を見事に説明してくれている。

 自民党は、改元にあわせて5月1日から「新しい政治の幕開けを宣言する」という広報戦略 を打ち出した。自民党が、世論形成を意図的かつ組織的に進めているのは明らかである。NHKの報道番組「クローズアップ現代」が2016年3月、番組の顔であった人気キャスターの降板と併せて「リニューアル」されたのは、安倍政権に近い籾井勝人前会長の下でのことだ。

 しかしここで問題にするのは、政権による言論介入や圧力という「外在要因」ではない。メディアと世論の両者に内在する要因と、両者の相互関係である。

「朝日新聞DIGITAL」(19年5月23日)は「縮まるNHKとの距離感」と題する記事で、NHK元幹部の「政治からの口出しやNHKの忖度もあるが、政権を支持するふくれあがった世論に迎合しているという側面も大きいのではないか」という発言を紹介している。

 しかし、世論はメディアの影響力から自立して存在しているわけではない。世論が、メディア報道によって「つくられている」側面は軽視すべきではない。

「大戦が天皇の名において遂行された事実がほとんど語られない現実。皇室批判を許さない構造を作っているのは報道機関自身。『陛下・殿下・さま』という敬称を使い、特別な対応を続けている」と、指摘するのは根津朝彦立命館大学准教授(「好書好日:皇室タブー、今も続く自主規制」「朝日新聞DIGITAL」19年5月22日)。先の二階発言も、メディアの世論形成の役割を率直に認めているものだと言ってよい。

「日本ボメ」の氾濫

「三者のシンクロ」によって形成された世論は、日本人が今抱えている「内向き」な精神構造を象徴している。それが安倍政権支持率の高止まりを支える現状肯定にもつながっている。これが私の仮説である。

「それ」が気になり始めたのは、11年3月11日の東日本大震災の直後あたりからだ。テレビは「頑張れニッポン」「日本の力を信じてる」と、タレントが合唱する「公共広告」を毎日垂れ流した。「世界が驚いたニッポン!」(テレビ朝日)、「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京)など、“ガイジン”の目から「日本人の素晴らしさ」を誇る番組も、やたらと目につくようになった。私はそれを「日本ボメ」現象と名付けた。

「3・11」の後の7月23日、中国の高速鉄道列車が浙江省温州で衝突し40人が死亡する事故が起きた。「天声人語」(「朝日新聞」11年7月26日)は、汚職や強権体制の中国で生命が粗末に扱われていることを嘆いたうえで「日本に生まれた幸運を思う」と書いた。

「日本に生まれた幸運」? これも「日本ボメ」の一種だが、そう言うなら福島原発事故で今も避難生活を余儀なくされた人たちは、なんと言えばいいのか。この前年、尖閣諸島(中国名:釣魚島)で、漁船衝突事件が発生した。日本側が逮捕した船長の身柄をめぐり、日中外交問題に発展し、日本世論でも中国脅威論が急激に高まっていた時期に当たる。

「リベラル」とされるメディアを含め、メディアの多くが「中国叩き」を始めた。中国を「敵」にした敵対型ナショナリズムの発露でもあった。書店では「反中嫌韓」本が平積みになった。

 中国当局が事故車両をすぐ地中に埋めたのは論外だが、「責任逃れ」「証拠(データ)隠し」などの批判は、「天に唾する」コメントと言うべきだろう。福島原発事故の政府と東電の対応と処理、「モリカケ疑惑」に対する政権の対応につけるべき批判だ。

 中国のずさんな安全対策を引き合いに「日本では起こり得なかった事故」という「日本ボメ」もいただけない。脱線電車がマンションに激突し107人もの犠牲者を出したJR福知山線事故(05年4月)を忘れたのだろうか。

他者攻撃によって成り立つ自己肯定と、それによって形成された世論のシナジー(相互作用)のモデルケースを見る思いがした。

「日本は一流国」が急上昇

「日本ボメ」が「3・11」後に顕著になるのは、経済の低迷に続いて技術神話も砕け、日本社会に自信喪失感が広がったことと無関係ではない。

 そんな仮説を裏付けるデータがある。NHK放送文化研究所が、高度成長期の1973年から5年ごとに行っている「日本人の意識」調査である。この中の「日本人は、他の国民に比べて、きわめてすぐれた素質をもっている」と「日本は一流国だ」という、気恥ずかしくなるような二つの設問への回答を表にしたグラフを見てほしい。

 

2013年は「日本人は、他の国民に比べて、すぐれた素質をもっている」が67.5%と、前回調査(08年)より10ポイント以上も増え、「日本は一流国だ」の回答も54.4%と、約15ポイントも跳ね上がる結果になった。

13年は、国内総生産(GDP)の総額で日本は中国に追い抜かれてから3年後、「3・11」の2年後でもある。前年には、尖閣諸島と竹島(韓国名:独島)領有権をめぐり日中・日韓関係が急激に悪化した。

「すぐれた素質」「一流国」を誇れるような現実はどこにもないにもかかわらず、数字は反比例的に跳ね上がったのである。

 グラフの変化をたどると興味深い。バブル前夜の1983年はそれぞれ「70.6%」に「56.8%」と、肯定的回答がピークに達した。79年に米社会学者エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版し、日本が海外から持ち上げられた時代。多くの日本人が有頂天になった様子が素直に反映された数字だ。

 バブルがはじけた98年、数字は「51.0%」と「37.5%」まで下落した。97~98年、山一證券と日本長期信用銀行など大手金融機関が相次いで破たんし、日本経済が長期停滞に入った時代を反映していると言っていいだろう。

 しかし98年と2003年を「底」に、長期にわたる経済の低迷をよそに、数字は08年、13年と、どんどん上昇していく。これをどう説明すればいいのだろう。

 最新の18年は「64.8%」に「51.9%」と、13年よりは下落した。少しは現実を見つめる冷静さが戻ったのなら結構なことだが、調査開始からの46年間の流れの中で見ると、依然として高水準にある。

「国家」にすがる不安意識

 不安にさいなまされ、自信が持てない現実の裏返しとして、日本をホメまくる心地のよい言葉を聞いて「癒される」。そんな平均的な日本人の心理状態が浮かび上がる。逆境になればなるほど「日本ボメ」が、かま首をもたげる。

各社の世論調査結果を見ると、20歳代、30歳代の安倍政権支持率は、他世代より高い傾向にある。不景気が常態になった時期に生まれ育った彼らは、現状肯定意識が強いとされる。

 一方、ヘイトスピーチ・デモの参加者は、国旗や旭日旗を掲げることで「国家の大義」を背負う幻想に浸り、自分たちより社会的立場が弱い人々に罵声を浴びせ、「敵対型ナショナリズム」を満足させる。

 不安定な雇用に低賃金、少子高齢化が進み、年金制度をはじめ不確実な将来への不安が雪だるま式に膨らむ。不安が膨らむ中で、「国家」に拠り所と居場所を求める。安倍が叫ぶ「世界の真ん中で輝く日本を」とか、「日本を、取り戻す」といったスローガンは、現実には存在しない「大国」願望を、ある程度満たす答えなのかもしれない。

 少なくとも、「これ以上悪くなってほしくない」と「同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全」(前出・片山杜秀)という意識の反映であるのは間違いあるまい。

自信喪失の中で敵を探そうとする心理について、アメリカの政治学者、故ベネディクト・アンダーソンは次のように言う。

「自分の国がどうもうまくいっていないように感じる。でも、それを自分たちのせいだとは思いたくない。そんな時、人々は外国や移民が悪いんだと考えがちです。中国、韓国や在日外国人への敵対心はこうして生まれる」(「朝日新聞」、2012年11月13日)

 

日米安保の相対化を

 ナショナリズム製造装置を再起動する機会は、これからも外交面でたくさん待ち構えている。

まず、主要20カ国・地域(G20)首脳会合が6月末大阪で開催。安倍は「日本が主催するサミットとしては史上最大」と自画自賛した。米中首脳会談をはじめ日中、日ロなど、形ばかりの「大国外交」の見せ場が揃った。

 そして10月22日、皇位継承に伴う「即位礼」が世界約195カ国の元首らを迎えて行われる。年が変わり2020年。今度は国を挙げてナショナリズムを煽るイベント「東京五輪」の番だ。「頑張れニッポン」の大合唱は、スポーツ・ナショナリズムの枠を超え、安倍が大好きなスローガンの「世界の真ん中で輝く日本」という幻想と高揚感を多くの日本人に与えるのではないか。 5回にわたり、この6年半に及ぶ「安倍外交」を振り返った。連載の第1回で展開したように、今世界で起きている流動化状況は、第二次世界大戦後に形成された米一極支配と同盟構造の崩壊が引き金になった。にもかかわらず安倍外交は、「日米同盟の深化」という事実上の対米追従外交を続け、自ら選択肢を狭めている。

ドイツや英国など多くの欧州「同盟国」やASEANの「同盟国」は、中国の台頭という現実を受け入れたうえで、米国との同盟に代わる新たな関係と距離を模索し始めている。

 では日本はどうすべきなのか。

 そのヒントを、5月末来日したマハティール・マレーシア首相が与えてくれる。5月30日、東京で開かれた「第25回国際交流会議 アジアの未来」(日本経済新聞社主催)で、彼は流動状況下での自らの選択を説明した。「日経電子版」(2019年5月30日)から引用する。

・米中対立とファーウェイ問題

「衝突は選択肢としてあってはいけない。完全な破壊は解決にならない」と述べ、両国に自制を求めた。米国が輸出を禁じる中国の通信機器最大手、華為技術(ファーウェイ)について「技術を可能な限り利用したい」と語った。

・南シナ海問題

 軍事拠点化を進める中国に対して「戦争に発展すれば東南アジア全体が破壊される。南シナ海に戦艦が停泊するようなことがあってはならない」と自制を求めた。米国に対しても「戦艦を送る脅しのアプローチを使うべきではない」とけん制を抑制するよう主張した。「すべての国が机の上での交渉で解決すべきだ」と提案、地域間の対立を解消する新たな枠組みの必要性に言及した。

・対中姿勢

「新しい強力な中国を認識しなければならない」と、中国と向き合う必要があると強調した。「西側諸国は中国がいつか民主化すると思っているがそうではない。政権を変えようと強制してはいけない」とも述べた。「お互いが良い関係を築けば、そこから変化が起きる。中国はオープンで開放的だ」との認識を示した。

 マハティールの姿勢は、「中国も米国も敵視しない」ことにあり、決して米中の「中間」を選択している訳ではない。事の是非と「国益」に基づき、自立的に判断する重要性をわれわれに教えてくれる。本来は日本が発信しなければならない発言だと思う。日本がアジアで一定のリーダーシップを発揮しようとするなら、今からでも遅くない。「日米安保の深化」に代わる「日米安保の相対化」を模索すべきである。(敬称略)


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雨宮処凛がゆく! 第485回:『つみびと』から、大阪二児置き去り死事件を思う。の巻

2019年06月12日 | 社会・経済
 

 痛ましい児童虐待の事件が続いている。

 昨年、目黒で命を奪われた5歳の結愛ちゃん。そして今年、千葉県野田市で虐待の末亡くなった10歳の心愛ちゃん。また、最近も札幌で2歳の女の子が衰弱死し、母親と交際相手の男が逮捕されている。女の子の体重は、2歳児の平均を大きく下回っていたという。

 年間の虐待件数は13万件を超え、そのうち、死亡したのは49人。主たる加害者でもっとも多いのは実母で、全体の61%を占めているという。

 そんな児童虐待について考える時、必ずと言っていいほど思い出すのはあの事件だ。

 2010年夏、大阪のマンションに子ども二人を置き去りにして死なせたシングルマザーが逮捕された事件。クーラーもつけない部屋で、飢えと渇きの果てに幼い子ども二人が亡くなったというあまりにも痛ましい事件。日本中の人々が胸を痛め、そうして母親・A子が猛烈なバッシングに晒された。風俗店で働いていたことやホスト通いなどがことさらに強調され、「鬼母」などと騒がれた。

 そんな喧騒を見ながら、思っていた。もちろん、A子のしたことは絶対に許されることではない。しかし、なぜ、彼女「だけ」がこれほどに責められるのだろうと。元夫や彼女の周りにいた大人たちはなぜこれほどに免責されるのだろうと。

 この事件でもっとも疑問に思うのは、なぜ、二人の幼い子の命が、未熟すぎる母・A子に預けられたのかということだ。なぜ、周りの大人たちはそれでよしとしたのか。なぜ、ほとんど働いたこともない20代前半の彼女が、養育費をもらわず、誰のサポートもなく3歳と1歳の子どもと自身の生活費を稼ぎながら子育てができると思ったのか――。

 離婚の原因は、彼女の浮気だった。そのことにおいて、彼女に責められるべきことはあっただろう。しかし、それと「子どもの安全」はまったくの別問題である。彼女はまるで厄介払いでもされるように、子どもとともに家を出された。

 夫とその親にしてみれば、「結局は自分の実家に泣きつくだろう」という思いがあったのかもしれない。が、A子に頼れる親はいなかった。だからこそ彼女はすぐに現金を得られる仕事として、水商売、風俗に流れていく。しかし、危機はすぐに訪れる。子どもが熱を出してしまったのだ。連絡したのは、熱血漢のラグビー指導者として知られる父親。この父親は、「子どもがインフルエンザかもしれないので面倒をみてほしい」と助けを求めた娘に、「急に言われても仕事もあるし」と断っている。

 のちにそのことを父親は裁判で、「急なことを言ってきて無理だ。勝手なことを言うな、という気持ちがあった」と語っている。また、そうやって突き放すことで娘が成長するのでは、というようなことも別の場で語っている。典型的な「根性論」が、孫の命を奪うことにつながってしまった。彼女は父親の態度によって「誰も助けてくれない」という思いを募らせていったからだ。

 一方で、A子が子どもの頃に家を出ていった母親は精神的に不安定で、頼れるような状況ではなかったという。

 事件について詳しく取材した『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』(杉山春/ちくま新書)によると、離婚するまでのA子は、びっくりするほど真面目に子育てをしていたという。が、自身の浮気からあっさりと離婚が決まってしまう。話し合いの場には夫、夫の両親と自身の父親、父親の交際相手がいて、彼女が一人で子どもを育てることが決まってしまう。

 彼女は裁判で、その場で「私には育てられない」と言ったと述べている。「今までもきちんと働いたことがないし、皆の協力があったからやってこれたことはわかっていた」からだ。しかし、「母親から引き離すことはできない」と言われたという。その場にいた皆から言われた気がしたそうだ。

 「育てられないということは、母親として言ってはいけないことだと思い直しました。自分はひどいことを言ったのだと思いました」

 この瞬間、幼い二人の運命が、ほぼ決まった。そうして放り出された若い母親と二人の子ども。彼女は、以下のような誓約書を書かされている。

・子どもは責任をもって育てます。
・借金はしっかり返していきます。
・自分のことは我慢してでも子どもに不自由な思いはさせまん。
・家族には甘えません。
・しっかり働きます。
・逃げません。
・うそはつきません。
・夜の仕事はしません。
・連絡はいつでもとれるようにします

 こうして、すべての退路が断たれた。それから1年と少し。二人の子どもは変わり果てた姿で発見される。

 親子3人が半年間住んでいた部屋は、越してきて以来、一度もゴミ出しをしていない状態だったという。彼女の心は、子どもを置き去りにするずっと前から、もう修復できないほどに壊れていたのかもしれない。

 ここまで大阪の事件について書いてきたのには理由がある。

 それは小説『つみびと』を読んだからだ。著者は、山田詠美氏。山田詠美氏がこの事件をモチーフにして小説を書くことを意外に思ったのは私だけではないはずだ。「灼熱の夏、彼女はなぜ幼な子を置き去りにしたのか」。帯にそんな言葉が躍る本書のページを開いたが最後、ほとんど一気読みした。読み進めるのはあまりにも苦しかったけれど、どうにも止まらなかった。

 小説は、それぞれの視点から進んでいく。若いシングルマザーの蓮音。その母親の琴音。そして置き去りにされる「小さき者たち」。

 小さき者たちは、母親が大好きだ。だけど小さき者たちから見える母親は、いつもいろいろな人たちに怒られ、なじられている。そんな時、母親はいつも「毛を逆立てた猫のように」なり、その場を去ることしかできない。その後一人で泣き、時には「ふざげんな」と毒づき、そして時には、「駄目だなあ、私の人生」と呟く。

 そんな母が外出したきりの期間がどんどん延びていく経過が、小説では丁寧に描かれる。置いていく食事も、お菓子などだんだん腐りにくいものになっていく。母親は子どもたちと一緒に食事をとることも、一緒に風呂に入ることもなくなっていく。やっと戻ったと思っても、着替えだけをバッグにつめて慌ただしく出ていってしまう。

 「私、何やってんだ…ほんと、何やってんだよ。もう! でも、もうどうにもならない…もう、どうにもなんないんだよ…」と言いながら。

 小説には、蓮音の母・琴音の生育歴も細かく描かれる。なぜ、母親は娘・蓮音を捨てたのか。その背景を見ていくと、母親も大きな心の傷を抱えていることがわかる。

 もちろん、どんな背景があろうとも、子どもを置き去りにすることは許されることではない。しかし、琴音を、蓮音を、そしてA子をここまで孤立させたものはなんなのか。

 A子は裁判で、「区役所に連絡を取る等、誰かに助けてもらおうとは思いませんでしたか」と問われ、答えている。

 「思いませんでした。誰も助けてくれないと思っていました。助けてくれそうな人は、思いつきませんでした」

 が、A子は一度、泣きながら役所に電話をかけている。大阪に行く前、名古屋で働いていた頃だ。「子どもの面倒が見られないから預かってほしい」。そんな申し出だったが、すでに担当者は帰ったあと。A子には児童相談所の電話番号が伝えられ、そこに電話すると「今までつらかったね、しんどい気持ちはわかります。一度来てください」と言われたそうだ。が、具体的な来所日時の指定や段取りについての話はなかった。これを受け、A子は「やっぱり誰も助けてくれないのかなと思いました」と裁判で語っている。児相側によると、その後、何度か携帯の留守電にメッセージを入れたそうだ。しかし、A子が電話を折り返すことはなかった。

 『ルポ 虐待』によると、事件が発覚した後、名古屋市では事例検証委員会が設けられている。委員会は職員全体の危機意識の向上などを示したが、現場の職員は困惑気味にこう言ったという。

 「でもそれは、時間的にも体制的にも難しい。予算が充実しないと。私たちは通常業務で精一杯なんです」

 予算がない。人手がない。

 この手の話になるたびに、幾度この言葉を聞いてきただろうか。少なくとも私は、貧困問題にかかわり始めた13年前からずーっと耳にしている。それなのに、予算や人手が少しでも増えたなんて話はとんと聞かない。虐待件数はこれほど増加し続け、社会の関心もこれほど高まっているというのに。なぜ、ここに大胆に予算が使われず、戦闘機に手軽に一兆円が使われてしまうのだろう。

 そんなことを考えてふと思うのは、現政権の姿勢についてだ。ことあるごとに「家族の大切さ」を強調するわけだが、そもそも彼らの中では「虐待事件を起こしたりする人々」は、最初から「国民」にカウントされていないのではないだろうか?

 はからずも、池袋の高齢ドライバー(元官僚)による無残な事故を受け「上級国民」という言葉が話題となっている。

 それを思うと、現政権が「家族」という時の家族は、限りなく上級国民に近いもののように思えてくる。形態は経済成長時代に「標準世帯」とされた、正社員の夫と専業主婦の妻、子ども二人みたいなモデル家族。もちろんその夫婦では別姓など論外だし、妻の浮気など起こり得ないし、子供は絶対にひきこもらないし、親による子の虐待なんて起こりえない、というような。しかし、現実には様々な困難がある。そしてそのためにこそ、政治は存在するわけである。が、現政権の、虐待や貧困に極端に冷淡な姿勢を見ていると、そもそもそういう人はあらかじめ「国民」にカウントされていない気がして仕方ないのだ。

 例えば、13年には「子どもの貧困対策法」が成立したが、同時期からずーっと続いているのは生活保護基準の削減で、それは「子どものいる世帯」にもっとも大きな打撃を与えるものなのである。そういった現実を見るにつけ、「子どもの貧困対策法」の対象に、生活保護世帯の子どもはカウントされていないのだな、と思う。

 また、現政権の特徴として、「母性」を強調するところを指摘する人も多い。例えば18年、萩生田幹事長代行は、「0〜3歳児の赤ちゃんに、『パパとママ、どっちが好きか』と聞けば、どう考えたって『ママがいい』と答えるに決まっている」「『男も育児だ』とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」と語っている。萩生田氏だけでなく、現政権には母性神話への信奉が色濃く見られ、また第二次安倍政権が始まった頃には「3年抱っこし放題」が打ち出され、「今の時代に子育ては母が基本って、どんだけ時代を逆戻りさせるんだよ」と失笑を買いもした。

 が、このような言説を笑い飛ばせる人は強いのかもしれない。

 「母親たるもの、母性さえあればどんな困難でも乗り越えられる」という呪いは、時に女性の口を塞いでしまう。置き去り死事件は、A子が「いい母親」であろうとこだわりすぎたことがひとつの原因と言われている。彼女が信じる「いい母親」でいることが、彼女のかなりの部分を支えていた。「母親たるもの、こうでなければならない」というプレッシャーにがんじがらめになっていた。そして「いい母親」でいられなくなった瞬間、彼女はあっという間に壊れていったのだ。

 しかし、その前に「母親」から「降りる」ことができれば、子どもたちは死なずに済んだように思うのだ。が、現政権は、決してそれを許さないだろう。「母親たるもの、そんな試練に耐えられなくてなんだ」と彼女をなじるだろう。具体的に助けを求められても断るのに、その上金も出さないのに、根性論で口だけの励ましを続け、より追い詰めていくような手法を使って。まるでA子の父親のように。

 『つみびと』には、蓮音の母親が以下のように思う描写がある。彼女自身、過去に子どもを置き去りにして家を出た過去を持つ。

 「私も、娘の蓮音も、自分の子を捨てた。事実だけを取り上げれば、同じ残酷で非道な行いに思われる。でも、私は、後先を考えずに逃げ出したから、子供たちを死なさずにすんだ。そして、すべてを引き受けて来た蓮音の子供たちは死んでしまった」

 大阪の二児置き去り死事件について、これまで何回書いてきただろう。

 それほどに、私はこの事件にこだわってしまう。それはどこかに「自分がそうなっていたっておかしくない」という思いがあるからだ。40代となった私は今、作家・活動家という肩書きで時に偉そうなことを言ったり書いたりしているけれど、A子と同じ年代だった頃、もし妊娠して出産していたら、彼女が落ちたのと同じ穴にはまっていたっておかしくないと思うのだ。

 A子だけでない。ネットカフェで出産した、死産したその子をコインロッカーに入れていたら逮捕された、なんてニュースを耳にするたびに、思う。私だったかもしれないと。A子が子どもを置き去りにしたのと同じ20代前半、私は自分が親や周りの大人たちから「愚か者」で「厄介者」と呆れられているのを感じていた。そんな私がもし、小さな子がいるのに浮気して離婚なんてしようものなら、もっともっと厳しい目で見られたことは容易に想像がつくのだ。存在するだけで舌打ちされ、迷惑がられ、「家・親族の恥」のように扱われれば扱われるほど、素直に助けなんて求められなかっただろう。周りがすべて「敵」にしか思えなくなるだろう。それはどれほど心細くて惨めなことだろう。

 そして同時に思うのだ。なぜ、子を孕ませた男側が責められ、罪に問われることはないのだろう、と。

 『つみびと』は、男側の罪についても触れられている。

 あの事件から、来年でちょうど10年。

 今年も灼熱の夏がやってくる。

 夏になるたびに、私はあの子どもたちを思い出すだろう。


桑の実が赤くなってきた。


もっと怒れ 無策・搾取の末に「2000万円稼げ」の責任転嫁

2019年06月11日 | 社会・経済

  日刊ゲンダイ 2019/06/11

    10日の参院決算委員会は途中で審議が何度も止まる大紛糾だった。もちろん揉めたのは年金問題。金融庁が<夫婦が95歳まで生きるには年金だけで賄えず、2000万円の蓄えが必要>と試算したフザけた報告書について、ようやく野党が安倍首相や麻生財務相を追及する場ができたのだ。

    「100年安心」だったはずの年金制度の破綻が明らかとなったことについて謝罪の言葉でもあるのかと思いきや、安倍も麻生も「誤解を与えるものだった」「豊かな老後を送るために資産形成も大切との見方が述べられたもの」などと開き直るばかり。麻生に至っては、「報告書の全体を読んでいるわけではない」と言い放ったから許し難い。先週の会見で、「100歳まで生きるつもりなら、いまから老後のことを考えておけ」と上から目線で国民を説教していたが、報告書も読まずに、自分勝手な見解を押し付けていたわけで、あまりに腹立たしい。

   安倍も安倍で、いつもの質問をはぐらかす冗漫な答弁に野党が反発して委員会室がざわめくと、「大きな声を出すのはやめましょう」と逆ギレ。揚げ句に、「年金の運用益は民主党政権の時よりプラスになっている」と毎度の民主党批判だからア然である。

  決算委で安倍が何度も言い訳に持ち出したのが「マクロ経済スライド」だった。これは、賃金や物価の上昇率だけでなく、現役世代の減少や平均寿命の延びを加味して年金支給額を調整するもの。「将来世代のために給付と負担のバランスを取る」「マクロ経済スライドで100年安心は確保されている」と強弁したが、冗談じゃない。年金制度が立ち行かなくなったから、給付額を抑えるために窮余の策で2004年に導入が決まった“制度改悪”だ。

 マクロ経済スライドによって、今後、毎年1%ずつ年金支給額が減っていくとされる。それなのに、どうして安倍や麻生は「安心だ」とエラソーな態度を取っていられるのか。政府が「現役世代が減っているため」と長期にわたって国民を言いくるめてきたからだろう。ネットの投稿などを見ても、「少子化なのだから仕方がない」などという認識が広がっているが、あまりに物わかりが良すぎる。

   法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が「もっと国民は怒らなきゃいけない」とこう続ける。

「少子化によって若年人口が減っているのは、今の日本が子供を産み育てる環境にないからです。『子どもは3人産め』などと簡単に言う政治家がいますが、少子化は政策の失敗が原因。幼児教育の無償化など小手先ではなく抜本的な政策転換が必要です。そして国民は政府に対し、『2000万円貯められるような給料にしてくれ』と言うべきです。老後の心配をしなくていいように国が面倒を見るのが年金制度。『自己責任でよろしく』なら政府は要りません」

弱肉強食の新自由主義が間違いだった

 年金額が減ったのは、少子化もさることながら、経済政策の失敗が根本にある。長期にわたってこの国が経済成長できなかったことが原因だ。

 経済評論家の森永卓郎氏が、平成が終わるにあたってNHKインタビューで「平成は転落と格差の30年だった」と振り返ったことを今年3月、日刊ゲンダイで取り上げたが、あらためてもう一度、ここに記したい。

「日本の世界に対するGDPのシェア、日本経済が世界のどれだけの割合を占めているのかっていうのは、例えば1995年は18%だったんです。それが直近では6%まで落ちた。つまり日本経済の世界でのシェアが20年余りで3分の1に転落したんです」 

「ジワジワ来たので、みんなあんまり感じてないかもしれないんですけれども、その世界シェアっていう面で見ると、とてつもない大転落を日本経済が起こしてしまったっていうこの30年の歴史なんだと思います」 

「日本の会社が海外あるいはハゲタカのものになって、しかもそこで稼ぐお金を全部ハゲタカが持っていって労働者に分配しない。この構造の中で一気に大転落が起きて、その結果、なにが起こったかっていうと、とてつもない格差の拡大っていうのがこの平成の間に起こったんだと私は見ています」 

 過去20年のGDP伸び率の国際比較を見ると、日本だけが成長していないのは歴然だ。中国は18倍、インドは6倍、英は3倍、米と独は2倍に伸びているのに、日本は0・9倍で唯一マイナス成長なのである。

 日本人の賃金も世界からどんどん引き離されている。OECDのデータをもとに全労連が作成した「実質賃金指数」によれば、1997年を100とした場合の2016年の指数は、仏126、独116、米115と1割以上上昇しているのに、日本は89。1割以上、下がっているのである。

シグマ・キャピタルのチーフエコノミスト、田代秀敏氏がこう言う。

 「日本の成長率が鈍化したのは『賃金デフレ』をやってしまったからです。労働者の賃金上昇を抑えることで、イノベーションを起こせずグローバル競争から脱落する大企業を存続させてきた。日本の大卒初任給は月額20万円前後で、ここ24年変わっていません。しかし例えば、いま注目されている中国のファーウェイは本社なら初任給が月額80万円、日本法人でも40万円ですよ。いかに日本は低賃金の国かということです。加えて、日本では非正規雇用を増やし、賃金水準をさらに引き下げている。これでは若い人はお金を使えない上に、将来不安から貯蓄に励むしかない。これで経済が成長するわけがありません。現在の年金制度は現役世代が引退世代を支えるものです。人口減少社会を耐えうるためには、まずは若い人の賃金を上げなければなりませんでした」

■日本だけがGDP横ばい、賃金低下の失政

  結局、日本を成長しない国におとしめたのは小泉構造改革が最大の戦犯だ。規制緩和の名の下、市場原理主義で民営化を加速、ハゲタカに日本の富を売り払い、大企業・金持ち優遇政策を推進する一方、地方や中小企業は切り捨てられ、サラリーマンの賃金は抑えられ、正社員から非正規へのシフトを推し進めた。その結果、取り返しのつかないほどに格差が拡大し、消費は低迷。給料の少なさから結婚にも出産にも躊躇するような社会にしてしまったのである。

 安倍はその小泉政権で幹事長や官房長官を務めるなど一翼を担ってきた。そして自分の政権でも、構造改革の旗振り役だった竹中平蔵東洋大教授を使って新自由主義を続けているのだから最悪だ。その竹中らが「未来投資会議」を仕切って「働き方改革だ」「定年延長だ」と「人生100年」の青写真を描き、そうした政府の方針に沿って出てきたのが、今回の金融庁の報告書なのである。

   政治の無策で国富を減らし、その穴埋めに労働者から搾取する。国民は老後が不安で死ぬまで働き続けなければならない。その末路が「2000万円貯めろ」だと。こんなバカな話があるか。

  政治評論家の森田実氏が言う。

「英国のサッチャー首相や米国のレーガン大統領の路線に乗って、日本も弱肉強食の自由主義競争を走ってましたが、そうした経済政策が間違っていたということです。米国に言われるがまま、新自由主義の下、構造改革を推し進めてきた結果、国力が低下し、むしろ経済成長を止めてしまった。新自由主義の失敗はもはや明確になったのに、いまだ官邸の奥深くには新自由主義の信奉者が巣食っている。これでは日本は潰れてしまいますよ」

 野党は予算委の集中審議を求めているが政府与党は完全無視。閣僚全員が出席した10日の決算委は、その代わりのアリバイづくりだ。「参院選前に一度くらいは言い訳しておこう」というズルい魂胆がミエミエ。「嘘」と「ペテン」と「欺瞞」にまみれた不誠実な安倍政権の極みである。

 この政権は、根っから国民を軽んじている。それなのに、国民が怒りもしないという喜劇的惨状に、さぞ安倍政権はシメシメだろう。


 余ったナスの苗を路地に植えておいたたのが、またもや食われてる。先日は上だけ食われていたのだが、今回は、地上部全部がなくなっているのが結構あった。獣除けにラジオをかけているすぐ近くだ。ネコか?


危ない「健康診断」

2019年06月10日 | 健康・病気

巨大利権か。被ばくリスクのX線胃がん検診を受けさせたい人々

  MAG2NEWS2019.06.07

    新恭(あらたきょう)

 

   現在も広く行われているX線胃がん検診の被曝リスクが国会で取り上げられ、話題となっています。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、具体的な被曝線量を示しその危険性を記すとともに、このようなリスクを伴う検査法が無くならない理由を白日の下に晒しています。

 

ようやく国会で取り上げられたX線胃がん検診の被ばくリスク

   ようやくというべきか。集団健診バスなどで昔から続けられているバリウム使用のX線胃がん検診について、被曝の危険性が国会で取り上げられた。現在、先進国でバリウムによる胃がん検診を行っているのは日本だけともいわれる。

   筆者は30歳代のころ集団検診で胃に数個のポリープが見つかり、胃カメラ検査を受けて良性と判断されたが、その後数年間は年に1回、嫌なバリウムを飲んで変化していないかどうかを確かめた。当時の胃カメラ検査はチューブが太かったため喉に通す時がひどく苦しく、二度と受けたくないと思っていたので、X線検査を選択したのだ。

   幸いなことに、胃の良性ポリープが癌に変化する可能性は低いという医師の知見を信じて、その後はいっさい胃がん検診なるものを受けたことがない。

   なぜ幸いかというと、あのまま毎年1回、30年以上にわたってX線検査を続けていたら、どれだけの放射線被曝量が体のなかに累積していたか、空恐ろしいからである。

   では、胃のX線検査で1回どれだけ被曝するのだろうか。530日の参議院財政金融委員会において問題を提起した風間直樹議員は次のようなデータを示した。

「私の手元の資料によると、大きなフィルムで撮影する直接撮影では115ミリから25ミリシーベルト、検診車による小さなフィルムでの間接撮影方法では、120ミリから30ミリシーベルトも被曝する。胸部レントゲン撮影の被曝線量は1回あたり0.1ミリシーベルトだから、いかに胃のX線検査の被曝量が多いかがわかる」

   このデータについては多少、疑問がある。胃部X線検査はさまざまな角度から最低8カット撮影するほか、撮影の合間もX線を当てたまま胃の状態を見る「透視」が必要だ。その分、被曝量は多くなる。だから、透視の時間を考慮しなければ実際の被曝量は推定できない。

   風間議員は、間接撮影の場合遠い位置からの撮影なので線量が強いと説明したが、透視時間を考慮すれば、集団検診車より医療機関の直接撮影のほうが高くなるのがふつうだろう。

   実際、名古屋大学の調査では、間接撮影で2.9ミリシーベルト、直接撮影で4.013.4ミリシーベルトという数値が出ている。風間議員が指摘した数字に比べて低いが、それでも十分、健康被害が懸念されるレベルだ

   福島原発事故の直後にさかんに使われた一般人の年間許容量「原則1ミリシーベルト以下」という基準値を思い出せばわかるだろう。

   集団検診を受けるだけで、たやすく年間1ミリシーベルトという許容基準を上回ってしまう。なんらかの病気でCT検査を受けると、さらに1020ミリシーベルトも被曝線量がプラスされる。

   70歳となった筆者の場合、直接撮影による胃部のバリウム検査を35年にわたって続けたと仮定すれば、最低でも4×35140ミリシーベルトを体が受ける計算だ。累積で100ミリシーベルトをこえたら、健康被害が出る可能性が指摘されている。

   そもそも日本は世界一、医療による被曝が多いらしい。2004年、世界有数の医学雑誌「ランセット」に掲載されたオックスフォード大学研究グループの論文によると、75歳以上の日本人の年間がん発症者の3.2%にあたる7,587人はX線撮影の被曝が原因だというのである。

   諸外国に比べXCT装置の台数が多いこともあるだろうが、それに加えて、日本がいまだにバリウム検査を重視していることを見逃すわけにはいかない。

   国立がんセンターの「有効性評価に基づく胃がん検診ガイドライン」を読めば明白だ。2014年に改訂されているのだが、胃X線検査については従来通り「住民健診型」「人間ドック型」のいずれについても「推奨する」とされている。

   胃カメラ検査に関しては、2005年版で「住民健診」を「推奨しない」とされていたが、14年版でようやく「推奨する」に引き上げられた。

   一方、ピロリ菌の有無などを調べる胃がんリスク検診は「推奨」されていない。「死亡率減少効果を判断する証拠が不十分」というのがその理由だ。

   血液検査でピロリ菌の有無と胃粘膜の萎縮度を調べ、胃がんリスクの程度によってグループ分けし、最もリスクの低いグループは定期胃がん検診を不要とするのが胃がんリスク検診である。

   胃がん患者の99%がピロリ菌感染者だということは医学的に証明されている。ピロリ菌に感染していないと判定されたグループは、無駄な検査を回避し、その他のグループだけが、胃カメラ、つまり内視鏡検査を受ける。そのほうがはるかに合理的ではないか。この検査を排除しょうとするのは不可解である。

   WHOの専門家会議は、胃がん診療で最も大切なのはピロリ菌対策だと結論づけているのに、なぜかバリウム集団検診がいまだに偏重されているのが日本の現実だ。

   厚労省によると胃がん検診のうち77%がバリウムによるX線検査で、内視鏡検査は22%にすぎない。その理由について厚労省の佐原康之審議官は次のように述べた。

「有識者による議論をいただきながら国の指針を定めて科学的根拠に基づくがん検診を推進している。内視鏡に切り替えにくい理由としては、被験者の負担感が高く、巡回のバスによる職場での検診ができないので利便性が低下することがある」

しかし、ほんとうにそのような理由なのだろうか。

   がん検診事業を進める国内最大の民間組織は「日本対がん協会」である。東京を除く46道府県に提携団体(支部)があり「日本対がん協会グループ」を形成している。

1960年に同グループの宮城県対がん協会が東北地方に胃X線の健診車を巡らせ住民検診を始めたのが日本で最初の集団検診だ。現在では、子宮、肺、乳房、大腸の集団検診も行われている。

   グループ全体で約1,000台の検診車を持ち、申し込みを受けて地域や職域を巡回する集団検診には、市区町村から補助金が出る。国から自治体に配られる地方交付税のうち約180億円がその原資だ。

   日本対がん協会は1958年に朝日新聞の80周年記念事業として設立されたため、現在でも事務局は朝日新聞からの出向者が中心だが、役員の顔ぶれをみると、国立がん研究センターの強い影響下にあることがわかる。

会長は元国立がん研究センター総長、垣添忠生氏、常務理事の一人は中釜斉・国立がん研究センター理事長である。元総長と現理事長が運営にたずさわっているのだ。

   国立がん研究センターはもともと厚生労働省直営の機関で、201041日に独立行政法人へ移行し、国立がんセンターから国立がん研究センターに改称された。

   国立がん研究センターと密接に結びついた日本対がん協会を「検診ムラ」の総本山と呼ぶのはジャーナリストの岩澤倫彦氏だ。

   薬害C型肝炎に関する調査報道で「新聞協会賞」などを受賞した岩澤氏は著書『バリウム検査は危ない』のなかで、ピロリ菌感染の有無などを調べるリスク検診を重視する立場から、次のように「検診ムラ」の利権構造を暴いている。

    胃がんリスク検診が導入されると…国が定める5つのがん検診のなかで最も大きな収益をあげるバリウム検査を失う…ここ最近で買い替えが進んでいる15,000万~9,000万円という高額なデジタル式X線検診車が無用の長物と化して、大量の診療放射線技師が職を失うことになる。つまり、バリウム検査は、全国に存在する検診組織、天下り役人、バリウム製剤、X線フィルム、X線装置メーカー、診療放射線技師、さらには科学的根拠というお墨付きを与える研究者まで、実に幅広い利害関係者を抱えているのである。

    「バリウム検査」が「リスク検診」にとって代わられるのを避けるため、日本対がん協会と天下りを通じて密接な関係にある国立がん研究センターは「胃がん検診ガイドライン」で、リスク検診を「推奨」から外し、排除しようとしたのではないのだろうか。

   厚労省では「がん検診のあり方に関する検討会」を20125月以来、28回にわたって開いてきた。構成メンバーは9人で、うち国立がん研究センターの幹部が2人、日本対がん協会支部の幹部が1人と、「検診ムラ」で3人を占めている。あとは大学の医学部教授、健康保険組合幹部、日本医師会幹部、自治体の担当者らである。

   参院での質疑で、厚労省の佐原審議官は「有識者による議論をいただきながらがん検診を推進している」と答弁したが、国立がん研究センターの意見が通りやすいメンバー構成になっている有識者会議で、どこまで公正な判断が期待できるのか、はなはだ疑問だ。

   バリウムによる胃の集団X線検査は、“要精検率”が他のがん検診に比べて圧倒的に高いという。要精検の判定を下された受診者に別料金で胃カメラ検査を行って二重取りをすれば、検診による収益はさらに増える。

   以上のような諸事情により、バリウム検査を手放せないのだとすれば、バカを見るのは受診者だ。国会でもっと議論を深めてもらいたい。


 わたしも来週「検診」だ。ここ数年、「がん検診」は受けてこなかったのだが、切れ目のいい年齢で受けておこうなどと思ってしまったのだ。うーん、キャンセルしたいよう!今までもそうだったけど必ず引っかかって胃カメラを飲み、「無罪」放免・・・・。だから受けてなかったのに。



「安心して引きこもれる」仕組みづくりこそ、8050問題の解決策だ

2019年06月09日 | 社会・経済

DIAMONDonline  

2019.6.6  窪田順生:ノンフィクションライター

    引きこもりを巡る殺人事件が連続して起きて、にわかに注目されている「8050問題」。これまでも「自立支援」の名目で支援の手は差し伸べられてきたが、全国の中高年引きこもりの数は約61万人。とてもではないが、草の根の支援体制でどうにかできる人数ではない。それよりも、目指すべきは「親亡き後も、安心して引きこもれる体制」づくりではないか。(ノンフィクションライター 窪田順生)

「安心して引きこもれる」

環境づくりこそが望ましい

 川崎の殺傷事件に続いて、元農水事務次官が息子を刺殺する事件が起きたことで、「8050問題」が注目を集めている。80代の後期高齢者にさしかかった親が、50代の中高年引きこもりの生活の面倒をみるケースのことだが、これからの日本の大問題になるというのだ。

 内閣府の調査によると、4064歳の中高年引きこもりは約61万人ということだが、そんなものではないという専門家もいる。世間体を気にして家族が周囲に隠す「隠れ引きこもり」や、親の身の周りの世話をするという名目で同居する「パラサイトシングル」も含めると、もっと膨大な数に膨れ上がるという。

では、そんな8050問題を解決するにはどうすればいいか。

 メディアや評論家の主張の「王道」は、「1人で問題を抱えこまず周囲に相談」である。行政や専門家の力を借りて、中高年引きこもりが自立できるよう社会全体で支援をすべき、要は「自立支援」で引きこもりを1人でも減らしていこう、というわけだ。実際、某有名引きこもりの自立支援施設は、「引きこもりをなくす」というスローガンを掲げている。

 しかし、事件取材で少なからず、引きこもりの人たちや家族と過ごしてきた経験から言わせていただくと、この「解決策」はあまり良くない。「引きこもりをなくす」という表現からもわかるように、自立支援施策は、「引きこもり=撲滅すべき悪いこと」という大前提に立っている。そういう考えで、引きこもりの人たちと向き合っても、うまくいくどころか、事態を悪化させる可能性が高いのである。

 では、どうすればいいかというと、「なくす」のではなく、いかにして「無理なく続けられるようにするか」だ。親が亡くなってからも、中高年引きこもりがこれまでの生活を継続できる仕組みを早急に整備することだ。

従来の引きこもり支援では

歯が立たない3つの理由

 役所に行かずとも、生活保護の申請などの面倒な手続きができるような制度の整備、親が遺した不動産や資産を活用して、安心して引きこもり生活が送れるようなアドバイス、そして誰とも顔を合わせずにできる在宅ワークの斡旋などなど、「引きこもり生活の支援」である。

 もちろん、社会復帰したいという方には、これまで通りの就労支援をすればいい。が、引きこもりは10人いれば10通りの問題があり、中には社会に出たくないという人もいる。というよりも、そっちが大多数なのだ。そのような人たちを無理に外へ引っ張り出して、「みんなと同じように働け」と迫るより、これまでのライフスタイルを維持しながら、引きこもりの人なりに社会と関わる方が、本人にとっても、社会にとっても幸せなのだ。

「はあ?そんな甘っちょろいやり方では、引きこもりが増えていく一方で何の解決にもならないぞ!」と怒る方もいらっしゃるかもしれないが、現実問題として、初老にさしかかったような人の生き方・考え方をガラリと変えさせるのは非常に難しい。しかも、60万人以上という膨大な数の人々を変えることなど不可能だ。

だったら、社会が変わるしかない。「引きこもり」は撲滅するようなものではなく、「サラリーマン」とか「専業主婦」とかと同じような位置付けで、この社会の中に当たり前のように存在する生き方として受け入れて、それを継続できる仕組みを国や行政がつくるという方が、よほど現実的なのだ。

 そこに加えて、筆者が従来型の「引きこもり自立支援」をもうやめるべきだと思うのは、以下の3つの理由が大きい。

120年継続して状況が改善していない

2)引きこもりの人たちの「プライド」を傷つける

3)腫れ物扱いが「被害者意識」を増長させる

 まず、(1)に関してはじめに断っておくと、自立支援に尽力されている方たちを批判するような意図はまったくない。そのような方たちの血のにじむような努力によって、引きこもりではなくなったという方もいらっしゃるだろうし、献身的な活動をされている方たちに対しては、尊敬の念しかない。

 が、そのような立派な方たちがどんなに頑張ったところ、61万人以上という圧倒的なスケール感の前には歯がたたない。B29に竹やりで挑むようなものだと言いたいのである。

 引きこもりが社会問題となった1980年代から「自立支援」という対策は続けられている。1990年代後半から2000年代にかけて、「引きこもりに対する理解を深めて、彼らの自立を支援しよう」という、現在にもつながる考え方が社会に広まり始める。支援をする人たちも増えていった。

 そこから20年が経過した結果が、「中高年引きこもり61万人以上」である。もちろん、自立支援をする方たちの血のにじむような努力で、引きこもりから社会復帰したという方もいらっしゃるが、社会的には「状況は改善していない」というのが、動かし難い事実なのだ。

「自立支援」という言葉自体が

引きこもりに喧嘩を売っている

 これはつまり、この問題が「草の根の頑張り」で解決できるような類いのものではないということである。多少の税金を投入して、引きこもり支援の人員を増加するとかではなく、これまでとはまったく異なる方面からアプローチしなくてはいけないということなのだ。

 そこに加えて、従来の自立支援が問題なのは、(2)の《引きこもりの人たちの「プライド」を傷つける》という側面があるからだ。

 偏見とかディスっているわけではなく、引きこもりの人というのは、一般の人よりも「自尊心」が高いという傾向がある。それは内閣府の調査(生活状況に関する調査、平成30年)でも浮かび上がっている。

「他人から間違いや欠点を指摘されると、憂うつな気分が続く」という質問に、「はい」「どちらかといえば、はい」と答えた人の割合が、引きこもりではない人たちが34.8%だったことに対して、「広義の引きこもり群」は55.3%と明らかに高くなっている。

 また、「自分の生活のことで、人から干渉されたくない」という質問に関しても、引きこもりではない人たちが79.9%なのに対して、「広義の引きこもり群」は93.6%となっている。

 皆さんの周りにいる、他人の意見に耳を貸さない人、間違いを指摘されると不機嫌になる人を思い浮かべていただければわかるが、このような人たちは基本的に、プライドが高いのである。では、そういう人たちが「あなたが自立するように支援しますよ」「手を差し伸べますよ」なんて言われたら、どういう感情が湧き上がるのかを想像していいただきたい。

 憂鬱、苦痛、不機嫌――中には、侮辱されたと怒りの感情を爆発させる人もいるのではないか。プライドが高い人に対して「引きこもり自立支援」というのは、明らかに「上から目線」で喧嘩を売っているようなものなのだ。

「かわいそうな人」扱いが

他責傾向を増長させる

 その典型的なケースだった可能性が高いのが、川崎の事件を起こした岩崎隆一容疑者だ。

 今年1月、引きこもり傾向を相談していた市職員からアドバイスを受けて、おじが手紙を書いた。手紙の中で自分のことを「引きこもり」と書かれていることに対して、岩崎容疑者はカチンときたようで、「自分のことはちゃんとやっている。食事も洗濯も自分でやっているのに、引きこもりとは何だ」と怒ったという。

 もちろん、引きこもりの人はすべてプライドが高いなどと言うつもりは毛頭ない。受け取った手紙に「引きこもり」という文言があっても、なんとも思わないという方もいらっしゃるだろう。しかし、9割の人が「他人に干渉されたくない」と思っているのも事実だ。

 そういう人たちに、「自立支援」という、かなり一方的で押しつけがましい「干渉」をしても、反感を買うだけというのは容易に想像できよう。

 また、「自立支援」というスタンスの最大の問題なのは、(3)の《腫れ物扱いが「被害者意識」を増長させる》ということだ。

「支える」「助ける」という「上から目線」の扱いがまずいのは、引きこもりの人たちに「自分は社会からサポートされるようなかわいそうな立場の人間なのだ」と錯覚させてしまうことにある。そういう被害者意識を植え付けられた人は往々にして、周囲を困らせるパターンがよくあるのだ。

10年くらい前、世間を震撼させた猟奇事件を起こして服役していた人物と親交があった。当時で50代後半だったが仕事はなく、大企業の役員をしていた父の家で暮らし、その父が亡くなった後も、父の残した資産で食べ繋いでいた。今でいう「中高年引きこもり」だ。

 最初は普通に友人付き合いをしていたが、何かにつけて社会が悪いとか、自分のことを評価しない、誰それが悪いという愚痴っぽい話が多いので、次第に距離を取るようになっていった。すると、ある日、携帯電話にこんな留守電が入っていた。

「そんなに僕に冷たくするのなら、これから包丁を持って渋谷のスクランブル交差点に行って誰かを刺します。捕まったら、友人から避けられて人生が嫌になったと言ってやりますよ」

 私は速攻で自宅に伺って、話相手になってご機嫌取りをする羽目になった。なにせ相手は一度、人を殺した経験がある人物なのだ。

被害者意識が募って

家族を脅す人もいる

 そういう「他責癖」のある人が、周囲の人間を「放っておいたら何するかわからないよ」と脅すというのを、身をもって体験した立場から言わせていただくと、今回の元農水事務次官による事件には、かなり思うところがある。

 被害者の44歳の息子は刺される前、隣接する小学校の運動会の「騒音」を巡って、容疑者である父と口論になって、こんなことを口走ったという。

「うるせえな、子どもをぶっ殺すぞ」

 男性はSNSでいろいろな人と交流を持っていて、殺害される直前もメッセージを投稿するなど、情報的には社会とつながりを持っていた。この発言が事実なら当然、川崎の事件を意識してのことであることは間違いない。

一方で、この男性はSNSで母親を執拗にディスって、「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ私は」と主張するなど、かなり「他責癖」のある人だった。裏を返せば、強く自分のことを「被害者」だと思っていたのだ。

 自分のような引きこもりが、川崎の事件のようなことを起こせば、父と母に対してこれ以上ないダメージを与えることになる。このような「脅し」をすれば、機嫌を直してくれと懇願して、父もひれ伏すはずだ――。そう思ったのではないか。

 もちろん、これはすべて筆者の想像に過ぎない。しかし、引きこもりの人が「暴走」する際に、強烈な「被害者意識」が原動力になることが多いのは、紛れもない事実だ。つまり、引きこもりの人を必要以上に「かわいそうな人扱い」をすることは、本人のためにも、周囲の家族のためにもならない。

引きこもりを「変える」のではなく

そのままで暮らせる社会づくりが重要

「引きこもりにもっと理解を」「社会みんなで手を差し伸べましょう」というのは、一見すると引きこもりの人たちに優しい社会ではあるのだが、他方で、引きこもりの人たちに「俺は社会から気を使われる存在」だと思わせて、その強烈な「被害者意識」から「暴走」をさせてしまう恐れがあるのだ。

 以上が、引きこもりの「自立支援」がよくない理由である。

 この手の話が注目が集めると、お約束のように「引きこもりというレッテル貼りはやめるべき」「引きこもりの人たちへの差別や偏見を助長するような言葉は控えるべき」とか騒ぐ人たちがいる。

 その主張には何の異論もないが、そのような優等生的な意見だけでは何も変わらないという現実も直視すべきだ。

 まずすべきは、引きこもりの人たちを「変える」とか、どうにかして社会に適応させるなんて、「上から目線」の傲慢な考え方を捨てることだ。

一方で、過度な哀れみや配慮もやめるべきだ。引きこもりの人が傷つくので、これを言うな、ああいう問題と結びつけるなと「タブー」扱いをしても、本人たちがいらぬ勘違いをするし、口を封じ込められた人たちの憎悪も増す。何もいいことはない。

 そういう「弱者を守れ」的な政治運動に利用するのではなく、引きこもりという人たちのありのままを受け入れればいい。そして、彼らの生き方を持続できるシステムを整備するだけでいいのだ。

 そうすれば、高齢の親に寄生することなく、1人で引きこもることができる。多くの悲劇が家族間で起きているという現実に鑑みれば、我々が目指すべきは、「引きこもりのいない社会」ではなく、「家族と離れても引きこもりができる社会」ではないのか。


 今日の江部乙の天気予報では、昼から雨。期待はまたもや裏切られた。

 


ゲーム障害

2019年06月08日 | うつ・ひきこもり

<心を取り戻せ ゲーム障害との闘い> (上)少ない支援、孤立する親たち

コラージュは上から時計回りに、ゲームに熱中する若者=中国で(ゲッティ・共同)。ゲーム障害の治療に取り組む久里浜医療センター。送検される元農林水産省次官の熊沢英昭容疑者

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 白いシャツを着ているのが、真面目そうに見える理由だろうか。その容疑者の表情は淡々としていて、とても無防備に思えた。

 長男(44)を刺殺したとして逮捕された元農林水産省次官の熊沢英昭(76)。送検される映像をテレビで見た時、大原みゆき(50)=仮名=は胸を突かれた。

 「あれは、将来の私かもしれない」

 みゆきの息子、中学三年の哲也(15)=同=は、二年前からオンラインゲームにのめり込んでいる。学校を休み、家族に暴言を吐いたり、時に暴力を振るう。

 「刺さなければ、自分が殺されていた」と供述したという熊沢。殺害された長男は働いておらず、ゲームに没頭していたという。自宅に引きこもりがちで、熊沢らに暴力を振るったとみられている。

 その人物像が、みゆきには哲也と重なる。息子を殺(あや)めたとしたら、とんでもないことだ。しかし、そこに至る苦しみを想像できる気がする。「追い詰められていたと思うんです。うちみたいに」 (敬称略)

◆カプセルの中の「地獄」

 「昼夜の生活が逆転してしまった」「三週間風呂に入らず、着替えもしていない」

 五月上旬、ゲーム障害の子どもを持つ親の集いが、国立病院機構久里浜医療センター(神奈川県横須賀市)であった。関東、中部、北陸、関西…。各地から訪れた十数人が、深刻な実態を打ち明けた。

 ゲーム障害の当事者は主に十代の男の子。オンラインゲームにのめり込み、食事や勉強には見向きもしない。ゲームを取り上げようとすると、暴言や暴力に訴える。

 「こんなにも皆が同じ症状になるのか…」。大原みゆき(50)=仮名=は驚いた。中学三年の息子、哲也(15)=同=の不登校が始まって二年になる。

 毎日十時間以上、ゲーム漬け。まばたきもしないで画面に向かう。話し掛けると、「うざい、くそばばあ」。母親のみゆきに向ける目つきは、まるで刃のようだ。

 夫がゲームを取り上げようとすると、つかみ合いになった。テレビのリモコン、コップ…。手近な物を投げ付け、みゆきも足蹴(あしげ)にされた。「ゲームに触ったら殺す」とまで口にする。

 耐えきれず、警察を呼んだこともある。

 「毎日が地獄です」

     ■

 みゆきはここ数年、息子を何とかしようと奔走してきた。スクールカウンセラーに教育相談所、消費者相談センター。窓口で助言は受けられても、ゲームをやめさせるための直接的な支援には程遠かった。

 「もう病院しかない」と精神科のクリニックに何軒も問い合わせたが、「高校生以上でないと治療に向かない」「ゲーム依存は扱っていない」と門前払いが続いた。

 やっとの思いで、診察してくれる医師を見つけても、予約した日に哲也を家から連れ出すのが難しい。「本人が来ない限り、治療はできない」と突き放され、「落ちる所まで落ちるよ」と脅された。

 国内にゲーム障害の人がどのくらいいるのか。病気の歴史が浅く、はっきりした統計もない。全国に先駆けて二〇一一年にインターネット依存専門外来を設けた久里浜医療センターでは、予約の受付日に、用意した枠の何倍もの電話が殺到し、対応できないのが現実だという。

 困り果てた親たちが、あちこちに存在する。しかし、その家庭は「カプセル」のように閉ざされ、医療や行政から切り離されていると考えられる。

     ■

 みゆきは時々、駐車場の車にこもって一人で涙を流す。「体が心配。受験も控え、将来どうなるのか…。何もかも、どうしていいか分からない」。「死」さえ頭に浮かぶという。

 小学生時代、哲也は真っ暗になるまで公園でサッカーボールを蹴っていた。リーダーシップもあり、同級生や先生から頼りにされる存在だった。あの子は一体どこへ行ったのか。

 確かめるように、古い手帳を開くと、小さな紙切れがはってある。鉛筆書きの文字が見える。

 「皿洗い券」

 みゆきを「ママ」と呼んでいた頃、小学二年だった哲也が、プレゼントしてくれた宝物だ。「肩たたき券」「ごみ出し券」「スーパーの重いもの持つ券」…。どれも、もったいなくて使ったことがない。

 優しい子だった。

 「今はゲームの殻の中に閉じ込められているけど、それを剥いだら、本当のあなたがいるのよね」

 その場にいない息子に言葉を届けるように、つぶやいた。 (敬称略)

<ゲーム障害> オンラインゲームやテレビゲームをしたい衝動が抑えられなくなり、日常生活に支障が出たり、健康を害したりする依存症。世界保健機関(WHO)が5月、新たな依存症として正式に認定した。WHOの基準では、家族や社会、学業、仕事に著しい障害が起き、症状が少なくとも12カ月続く場合に診断できる。2017年の厚生労働省研究班の調査では、インターネット依存の中高生は93万人(推計)で、この一部がゲーム障害と考えられる。


(中)過酷な現実 安らぎ求め
2019年6月9日付朝刊


木村亮平さん(仮名)の右手首は、ゲームで長年酷使したせいで瘤ができている=神奈川県内で(一部画像処理)

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 大きさは、サクランボの実くらい。木村亮平(27)=仮名、神奈川県=の右手首には瘤(こぶ)がある。

 医学的には「ガングリオン」と呼ばれる。亮平の場合は、世界で三百五十万人が登録するオンラインゲームで、国内二位になるまで手を酷使した結果だ。

 「僕の勲章です」。色白の手首を見せながら、亮平は言った。

 お気に入りは、自分の選んだキャラクターが敵を次々に倒し、それに伴ってキャラクターのレベルが上がるロールプレーイングゲーム。中学一年で始め、高校時代は一日に二十時間も没頭した。食事は二日に一度。二十代前半の二年間は一歩も外出しなかった。

 「ゲーム依存は社会で『廃人』扱い。でも、僕はゲーム仲間から『廃神』と尊敬されている」

     ■

 亮平は東北地方の山あいに生まれた。父親を早くに亡くし、母親は早朝から深夜まで働きに出ていた。幼い頃から、ゲームが遊び相手だった。

 勉強も運動も苦手で、十一人の同級生中、いつも十番か十一番。忘れ物も多く、「集中していない」と毎日のように教師に殴られ、母親にぶたれた。

 高校を出て建築の仕事に就いたが「物覚えが悪い」と殴られ、長続きしなかった。身を寄せた兄の家からも追い出された。

 自分が発達障害だと知ったのは最近のことだ。

 複数の医療関係者によると、ゲーム障害の患者の中には発達障害を併せ持っている人がいる。興味のある事柄には人一倍の集中力を発揮する一方、読み書きや計算など特定の不得意分野があったり、対人関係が苦手だったりする。このため、周囲の理解が何より大切だとされる。

     ■

 ゲーム障害の治療のため、病院を訪れたのは二年前。ゲームをやめた禁断症状で体の震えが止まらず、「これ以上、禁止するなら全員殺してやる」と叫んでいた。夜は、自分が殺される悪夢にうなされた。

 「僕は現実の世界で誰からも必要とされていない」「つらいことばかりなのに、どうして生きなければいけないの」

 両手で自分の首を強く絞め、何度も自殺しようとした。でも、死にきれなかった。

 それは、ゲームがあったから。

 全国二位の亮平を慕い、やりとりを交わしてくれるプレーヤーが五百人もいる。ゲームのこつ。励ましの言葉…。もちろん話題はゲームが中心だが、うそ偽りのない近況、心の内を語り合う相手もいる。

 現実の世界で縁遠かった人の愛情。それを実感し、安らげる唯一の場だ。「僕は仲間のために生きればいい」。そう決めた。

 今、亮平は一人暮らしをしながら、就職を目指して行政の就労支援サービスを受けている。ゲームをする時間は少しずつ減らし、一日に二、三時間だが、仲間とのチャットや電話は欠かさない。

 病院では「ゲーム以外に夢中になれるものを見つけよう」と助言を受ける。

 「見つけたいです。僕を裏切らない何かを」 (文中敬称略)

<発達障害> 自閉症やアスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害、学習障害などの総称。他人とのコミュニケーションが苦手だったり、興味の偏りがみられたり、落ち着きのなさや不注意さが目立ったり、読み書きや計算など特定の分野だけが不得意だったりと、症状は多様。能力を生かして社会的に成功している人も多いとされ、厚生労働省はサイトで「生まれつきの特性で、病気とは異なります」と紹介。周囲の理解や、本人に合った環境が重要だとされる。


(下)依存ない「楽園ネズミ」
2019年6月11日付朝刊


久里浜医療センター院長の樋口進さん

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 「われわれはさまざまな依存症を診察する責任がある。ゲーム障害の人々への適切な措置を求めたい」

 スイスで開かれた五月の世界保健機関(WHO)総会を前に、こんな要望書がWHO事務局へ届いた。その数、約八十通-。世界精神医学会や日本小児科学会など、各国の医療関係者からだった。

 その要望書の「仕掛け人」が、日本の医師である。国立病院機構久里浜医療センター(神奈川県横須賀市)の院長、樋口進。国内初のインターネット依存専門外来を設けたパイオニアとして、国内外の学会に働き掛けた。

 「WHOが依存症だと正式に認めれば、対策は進むはずだ」

 樋口の狙い通り、ゲーム障害が国際的な病気の分類に加えられることが、WHO総会で決まった。

     ■

 依存症の治療では通常、患者から依存の対象物を無理に取り上げることはしない。再び入手すれば元のもくあみなので、最終的には患者自身がやめようと思わなければならない。

 ゲーム障害で難しいのはそこだ。「大人は『酒に溺れては将来まずい』と頭では理解できる。でも、理性が発達途上の子どもに『ゲームを続けたら良くない』と納得してもらうのは大変」と樋口は語る。

 このため久里浜医療センターでは、患者同士のディスカッションやスポーツ、高原でのキャンプ体験などを組み合わせ、ゲーム以外の喜びを感じてもらいながら「ゲームをやめる決断」を促している。

周愛荒川メンタルクリニックの八木眞佐彦さん

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 一方、周愛荒川メンタルクリニック(東京都荒川区)の精神保健福祉士、八木眞佐彦は、あらゆる依存症の根っこにある「生きにくさ」に目を向ける。

 父親の不在に母親の過干渉、いじめ…。ゲーム障害の子どもは家庭や学校に問題を抱えているという。「個性や能力を無視した受験や習い事、叱責(しっせき)や否定ばかりでは、心に大きな苦痛を抱える」と指摘する。

     ■

 国の統計によると、昨年の中高生の自殺は三百六十二人。ほぼ毎日一人が命を絶っている計算だ。「ゲームで心の苦痛を忘れられるのなら、ゲームは自殺を防ぐ『心の杖(つえ)』になっているんです」

 しかし、それが度を越すとゲーム障害という新たな問題を抱えるだけ。どうしたら良いのか-。

 八木が紹介するのが、カナダの大学でのネズミの実験。依存性の非常に強い薬物「モルヒネ」を水に薄め、二カ月間与える。

 一つは、狭苦しい檻(おり)に一匹ずつ飼育した「植民地ネズミ」。もう一つは、広くて居心地の良い環境に複数の雄と雌を一緒に飼育した「楽園ネズミ」。

 植民地ネズミはモルヒネ水を飲み続けたが、楽園ネズミは普通の水を選び、依存にならなかった。そこにヒントがあるという。

 「孤立の病」といわれる依存症。何より必要なのは疎外感、心の苦痛を取り除くこと。「親が子どもの『批判者』ではなく『協力者』となり、寄り添うことです」と八木は言う。

 「しかし、現実には親自身が孤立し苦しんでいる。まず、親が家族の集まりなどに参加し、人とのつながりを実感するところから始めてほしい」 (文中敬称略)

 =この連載は臼井康兆が担当しました。

<世界保健機関(WHO)とゲーム障害> WHOは5月の総会で、病気や死因の分類に関する国際的な基準である「国際疾病分類」にゲーム障害を盛り込むことを決め、新たな依存症として正式に認定した。アルコールやギャンブルへの依存と同じ扱いとなる。これにより、ゲーム障害の医学的な研究が進んだり、行政の対策が進んだりすることが期待されている。

 江部乙では今日も夕方から大粒の雨となったが長続きしない。畑をある程度は潤してくれた。

もうすこし早く来てくれればよかったのだが・・・

植え付けた苗に水をやらなければ消えてしまう。現に結構な数で株が消えている。余計な仕事が増えている。

なかなか定植作業も進まない。今日で終わらせようと思ったが、明日に伸びた。ところで、定植穴は鉢よりもやや大きく余裕を持った方がいい。というのは根が伸びてポットにぶつかり、巻いている。そこからすんなり外に向かって根を伸ばそうとするときに柔らかい、根を伸ばせる土が必要なのです。

仮植えしてあったイチゴが赤くなってます。まず1個食べました。甘いです。

沼があるせいで、トンボがたくさんいます。今日は沼の水が少なくなったせいで蛍の幼虫が上がってくるのを観察できました。

遊びに来る子供のために、虫取り網も用意しました。無料で貸し出します。


ひきこもり もっと頼ってほしい

2019年06月07日 | 社会・経済

 今日は、札幌へ行く日です。また帰りが遅くなりますので、今のうちにアップしておきます。「里の家ファーム」では、いろんなステージの利用者さんを歓迎いたします。「居場所」を提供します。すべて無料です。


 

 東京新聞社説 2019年6月6日

 ひきこもりの人に関連する事件が続いている。自宅にこもる状態や家庭内暴力に目がいきがちだが、背後に社会からの孤立が指摘されている。苦悩への理解と支援の手を差し伸べねばなるまい。

 ひきこもりの人が必ずしも事件を起こすわけではない。そこに至る要因もさまざまで一様ではない。そういった誤解が広がらないよう事件を慎重に見極めたい。

 長男への殺人容疑で送検された元農林水産事務次官は、長男から激しい家庭内暴力を受けていたという。中学時代に不登校になりひきこもるようになったとも供述しているようだ。

 家庭の状況に気づいていた近隣住民はおらず、行政にも容疑者夫婦から相談は寄せられていなかったようだ。

 本人も家族も長年、不安を吐き出したり、悩みを相談できる場がなく、社会から孤立して追い詰められたことが考えられる。

 川崎市の二十人殺傷事件の容疑者もひきこもりがちだったという。起こした事件は許されないが、孤立していた可能性はある。

 政府はひきこもりを「半年以上にわたり自宅や部屋から出なかったり、趣味の用事や買い物で出かけるほかは外出しない人」と定義、四十~六十四歳の中高年は推計で六十一万人いる。そのきっかけは「退職したこと」(複数回答)が36・2%と多い。就職活動や、職場でのパワハラなど人間関係のつまずきなどが要因にもなっているようだ。

 本人が不安に思うことは約半数が「家族に申し訳ない」(複数回答)と感じていた。働けない自分を責めている姿が浮かび上がる。

 若年層も五十万人を超える。

 どの年代からでも誰でもそうなる可能性がある社会問題といえる。それだけに社会から孤立しないような周囲の支援が大切だ。

 政府は自治体に相談窓口を設置し、生活や就労支援も始めている。自ら相談に行きづらい人たちへは訪問による継続支援が必要だが、十分とはいえない。窓口や居場所を増やすべきだ。

 当事者や家族でつくる支援団体が各地で支援を続けている。悩みを共有すれば不安も和らぐし具体的な対応策の知恵もある。もっと周囲の支援に頼っていい。行政も支援団体との連携を進めたい。

 いったんひきこもりになると復帰しづらい社会の制度や風潮も当事者を追い詰めているのではないか。私たちの見る目、つまり社会が問われている問題である。

 


「いいね」機能について、その他。

2019年06月06日 | なんだかんだ。

今回のblog改変で「いいね」機能が新たに加わった。その趣旨は理解できるし、いいことだと思う。しかし、そこに「差別」を発生させてしまったことは極めて残念なことだ。というのはPC版では、この機能が使えないということだ。全く使えないわけではない。わたしのフォロワーさんの数名は使えるのだが大部分の人には表示されないのです。表示される人にだけは使い、他の人は知らんというわけにはいかないのです。ですから、以前にも記事に書きましたが、私はこの「機能」を使わないと宣言したのです。皆さんからのお心はありがたくお受けいたしますが、わたしの皆さんの記事に対する心はいつも「good!」です。

 もう一点お願いがあります。
わたしはフォロワーボタンを「非表示」にしています。

わたしがフォローした場合、相互にフォローしてくださる場合、ご自身の「フォロー管理」をご覧になってください。
そこには「わたしがフォローした人」と「わたしをフォローしている人」二つの欄がありますので「わたしをフォローしている人」を開けばすぐにわかると思います。

 「足跡」を残さない方もいますので、これまでは基本的に「全員にアクセス」を心がけていましたが、今回の「改変」で「更新」があった方へのみのアクセスも可能となりました。

 私の住んでいる家、仕事をしている圃場、携帯の電波さえ極めて弱く、電波を探して「発信」しているような状況です。ポケットの中の携帯は、運が良ければ「受信」…

 TVにしても「地デジ」対応で映らなくなりました。もちろんラジオの電波も届きません。

わたしには有線のPCが主要な情報源なのです。スマホを持っても意味がありません。

 


雨宮処凛がゆく! 第484回:また「3人産め」発言と、女性議員がいなかった市と、私が貶められた言葉。の巻

2019年06月06日 | 社会・経済

雨宮処凛がゆく!  第484回:また「3人産め」発言と、女性議員がいなかった市と、私が貶められた言葉。の巻

マガジン9  2019年6月5日

https://maga9.jp/190605-2/

 “失言担当大臣”・桜田前オリンピック担当大臣がまたやらかした。

 5月29日、自民党のパーティーで「子どもを3人くらい産むようお願いしてもらいたい」と発言したのだ。この発言には与野党問わず非難が集まり、桜田氏はその後、「子どもを安心して産み・育てやすい環境を作ることが重要だとの思いで発言した。それを押し付けたり、誰かを傷つけたりする意図はなかった」と釈明。が、自民党議員によるこの手の失言には、枚挙にいとまがない。

 少し遡っても、2018年にはやはり自民党の加藤寛治議員が結婚式で「ぜひとも3人以上、子どもを産み育ててほしい」とスピーチするなどと発言して大きな批判を受けた。また、19年2月には、麻生大臣が「年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいるけど、子どもを産まなかった方が問題」などと発言、やはり非難を浴びた。

 政治家に限らず、18年から振り返ってみても、セクハラや性差別に関する出来事は呆れるほど続いている。ざっと思い出すだけで、18年だけでも財務省事務次官のセクハラ問題、東京医大の女子一律減点問題などが続き、「#MeToo」関連では、アラーキーへの告発、また、はあちゅう氏による告発などが相次いだ。芸能界ではTOKIOのメンバーが未成年へのわいせつ疑惑で書類送検され、またその年の瀬には、広河隆一氏の性暴力問題が大きく報じられた。

 そして今年は新年早々、『SPA!』の「ヤレる女子大生ランキング」に大学生たちから非難の声が上がる。同時期、大手コンビニが相次いで「エロ本」の販売をやめることを発表。そうして今年の3月から4月にかけて、性暴力を巡る裁判での無罪判決が続き、4月11日に初めての「フラワーデモ」が開催された。

 このように、着実にジェンダーへの意識が高まっている中、桜田大臣はその流れをぶった斬るような「子どもを3人くらい産んで」発言をしたわけである。

 が、こんなことは氷山の一角だ。最近、私が一番ショックを受けたのは、統一地方選における鹿児島県垂水市を巡るあれこれだ。なんでもこれまで女性議員が一度も誕生したことがないそうで、それは全国でも垂水市だけだという。この4月に行われた統一地方選の報道に戦慄した人も多いのではないだろうか。

 それは垂水市の男性市議たちの発言。ある市議は、女性市議誕生の是非について、「期待はない、かえってやりにくいと思う」「下手な言葉を言えばセクハラ、パワハラと言われる恐れもある」などと発言。また、別の市議は、女性市議がいないデメリットについて問われると「それはない」と発言。強制的に昭和に引き戻されたような感覚に、そしてこのご時世、取材に答えてそんな発言をできてしまう男性市議の感覚に、ただただ言葉を失った。

 「パリテ」などが言われる時代、女性市議が約50年間にわたり、ただの一人もいなかったことに疑問を持たずにいられる男社会に生きる男性市議たちの、暴力的なほどの残酷さ。無自覚さ。この4月に行われた統一地方選は、男女の候補者数をできる限り平等にするよう求める「候補者男女均等法」の施行後、初のものだった。そこで選挙前月の3月、垂水市議会議長は朝日新聞のインタビューにて、以下のように語っている(朝日新聞2019年3月8日 男女均等 政治では? 「女性ゼロ 弊害は感じない」)。

 「『男尊女卑がある』とか『封建的な土地柄だ』とか指摘を受けますが、そんなことは絶対にない。たまたま誕生していないだけ」

 「女性議員がいない弊害を感じたことはありません」

 「女性議員の発言に気付かされることはあるかもしれないですけど、間近で聞いたことがないので」

 「市役所でも、女性が課長以上の役職に就いたことがありません。役所からは『何度も打診はしているけど、断られる』と聞きました。議会で質問を受けるのが大変というのが理由で、『課長になりたくない』という人は男性にもいます」

 「昨年、候補者男女均等法が成立しましたが、私としては、昔から男女平等だと思うのに、女性の背中を押そうという法律ができることは不思議です。女性も被選挙権があるので自分で勝ち抜けばいい。女性議員がここまで生まれてこなかったのは、本当にたまたまだと言いたいわけです」

 このようなインタビューを読むにつけ、日本社会は「男の、男による、男のための社会」なんだなと遠い目になってしまう。しかし、これを読んで「まったくその通り、何が問題なの?」という人たちがいることもわかっている。そのような人にどんな言葉で何を言えばいいのだろう、とずっと思っている。

 例えば、女性が課長になりたくないことについて。「本人が断ってるんだから仕方ない」という声はもちろんあるだろう。が、断る理由は本当に「議会で質問を受けるのが大変」だからなのだろうか。それだけなのだろうか。もしかしたら、他にも男性モデルの働き方しかないとか、女性に負担が集中しがちな家事や子育て、介護と両立できる働き方を提示していないとか、そんな理由があるのではないだろうか。そしてそのような、「なぜ女性が断るのか」を、より深く考えるのが市議の仕事ではないのだろうか?

 また、「女性も自分で勝ち抜けばいい」という自己責任論的な言い方にも大きな疑問を感じる。立候補というスタートラインに立つことさえ、男女は決して平等ではないからだ。「女のくせに」という声が身内から上がることもあれば、家事や子育て、介護などを理由に立候補を断念するよう説得される確率は圧倒的に女性の方が高い。ただ単に、自分が女だったら、と考えてみればいいだけの話だ。男性と違い、多くの障害が立ちはだかることに気づくだろう。その意味で、やっぱり決して対等ではないと思うのだ。この非対称性について、「もともと平等だ」と言えてしまう男性は、あまりにも鈍感だ。

 さて、今回は桜田前大臣の発言が問題となったわけだが、07年には柳沢厚労大臣(当時)の「女性は産む機械」発言があった。それより以前には、「もっと子どもを産み育てろ」などと政治家が発言しても特に問題にすらならないという時代もあった。そういう意味では、少しは進歩しているのかもしれない。だけど、三歩進んで二歩下がるくらいに、歩みは遅々として進まない。なぜ、この手のことに私はいちいち傷つくのだろう。そう考えて、思った。

 それは、一部の男性の中に、「女性は一緒に社会を作っていく主権者」という発想がないからで、そのことに、私は深く傷ついているのだ。働き、納税もし、教育も受けているのに、時に女は「女だから」という理由だけで発言権がない。主権者に、カウントされていない。それは「人」としてカウントされないのと同じことだ。

 そんなことを考えるたびに思い出すことがある。それはある場所で、ある自民党の大物議員と一緒になった時のこと。私は野党の女性議員と一緒で、彼女は私をその大物議員に紹介した。「貧困問題を追及している作家で活動家の雨宮さん」というような形で紹介された私は、平気な顔をしながらも、内心、身構えていた。国に対して、これまで散々辛辣な意見を言い、政権批判もしてきたからだ。

 たまたま居合わせたその場でその大物議員に何かを言おうという気はなかったけれど、それまで自民党議員に会った際、一方的に持論を展開されて貧困は自己責任、というような言い方をされることもあったので、何か言われたらすぐに反論しなくては、と身構えたのだ。しかし、その大物議員はずーっとニヤニヤしながら私の全身をジロジロ見ていて、私が「はじめまして」と挨拶したのにも答えずにずーっとニヤニヤしていて、そして一言、言った。

 「そーんな短いスカート履いて」

 予想外の言葉にポカンとしつつ、頭が真っ白になった。同時に、ものすごい屈辱を感じた。は? おっさん何言ってんの? と言いたかったけれど、ぐっと堪えた。

 それからその大物議員は、私と一言も話さなかった。その時は移動中で、かなりの時間を一緒にいなければならなかったのに。

 あれから、数年。ずーっともやもやしていたけれど、今、思う。あの発言は、大物議員の口からポロッと出たものなんかじゃなく、わざと言ったのだろうと。彼の中で、その手の物言いが、ニヤニヤ笑いが、そして無遠慮に全身を見る目線が、「物言う女」をくじく常套手段だったのではないだろうか。なぜなら、私はその一言で、自分がこれまでやってきた活動すべてが否定された気がした。お前なんか、「女」という「賑やかし要員」で、そもそも「物言う存在」として、一人の人間としてなんてカウントしてないんだからな、という言葉に聞こえた。真正面から活動や言論について否定されることしか経験のなかった私は、「そもそも人として認めない」「徹底的に”女扱い””お姉ちゃん扱い”しかしない」というやり方に、ざっくりと傷ついた(高齢のその議員から見れば、当時30代後半の私でも”お姉ちゃん”枠に入るはず)。貶められた、という言葉がぴったりだった。

 そんな人が今も権力のかなりトップの方にいる。この国が変わるのには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。だけど、確実に潮目は変わっている。4月の統一地方選では、垂水市に初めての女性市議も誕生したのだ。

この夏の選挙で、女性議員はどれくらい増えるだろう。その点も、しっかりと、チェックしていきたい。


blogについての一考をこの後に別記事で掲載させていただきます。



雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」82 「あなたは間違ってない」。すべての性暴力被害者への言葉。

2019年06月05日 | 社会・経済

imidas連載コラム2019/06/05

https://imidas.jp/girls/?article_id=l-60-082-19-06-g421

   「あなたは何も悪くない。あの時あなたがとった行動がベストだったんだよ。そんな言葉が当たり前に聞こえる社会になる日まで、何度でもこの言葉を口にしようと思います。声を上げれば誰かに届いてエコーします。だから諦めないで、一緒に声を上げていきましょう」

 その日、元TBS支局長からのレイプ被害を訴える伊藤詩織さんのメッセージが読み上げられた。2019411日、東京駅前の行幸通り。性暴力と性暴力判決に抗議するために、急遽開催された「フラワーデモ」でのことだ。集まった約400人の女性たちが掲げるプラカードには、「裁判官に人権教育と性教育を!」「おしえて! 性犯罪者と裁判長はどう拒否したらヤダって理解できるの?」「Yes Means Yes!」「#MeToo」などの言葉たち。この日のアクションを呼びかけたのは、作家の北原みのりさんなど。今年3月、性暴力に対して無罪判決が相次いだことを覚えている人も多いだろう。

 判決の多くに共通するのは、女性の意思に反した性交だったと認めながらも、「抵抗が著しく困難だったとは言えない」「抵抗できない状態だと男性が意識していなかった」などの理由で無罪が下されている点。

312日、福岡地裁。テキーラなどを飲まされ、意識が朦朧(もうろう)としていた女性に性的暴行をしたとされる事件。女性が抵抗できない状況を認めつつも、男性は女性が合意していたと勘違いしていたとし、無罪。

319日、静岡地裁。強制性交致傷罪に問われた男性が、「被告から見て明らかにそれとわかる形での抵抗はなかった」として、無罪。

326日、名古屋地裁。娘が中学2年の時から性虐待をしていた父親が、無罪。その理由は「心理的に著しく抵抗できなかった状態とは認められない」から。

328日、静岡地裁。17年当時12歳の長女を2年間にわたり週3回の頻度で強姦した罪に問われていた父親に対し、「家が狭い」ことを理由に、長女の証言は信用できないとして、無罪。

 わずか1カ月の間にこれほど続いた司法判断を受け、この日のアクションが急遽、開催されたのだ。

 この日、集まった女性たちは次々と飛び入りでスピーチした。そんな中、もっとも耳に残ったのは「あなたは悪くない」「あなたは間違ってない」という言葉だった。被害に遭った女性を責めるような世論はいまだにあるけれど、だけど、ちっともあなたは悪くない。

 そんな言葉を耳にして、ふと自分がセクハラの被害に遭った時のことを思い出した。20代の頃、まだ作家になる前で、キャバクラで働いていた頃。キャバクラの客にも日々散々な目に遭っていたけれど、それはプライベートな人間関係で起きた。

 詳しいことは省くが、とにかく男性と密室で二人きりという状態で、突然接触を伴うセクハラを受けたのだ。怒りを前面に出して帰ればいいものを、相手との人間関係上、キレたり突然帰ったりとかそういうことを「しちゃいけない」と思い込んでいた。困り果てた挙げ句、私はトイレに行くふりをして当時信頼していた男性に電話をかけた。

 こんなことになってて、怖いから逃げたいんだけど、どうしていいのかわからなくて……。混乱しながらそんなことを言ったと思う。「助けに来てくれる」ことは期待してなかった。そこまでは無理だけど、例えば電話でその相手に何か言ってくれたら、というくらいの淡い期待はあった。というか、どう考えてもその時は自分の人生の中で五本の指に入るくらいの危機で、すがるように助けを求めてかけた電話だった。

  だけど、電話の相手はものすごく冷淡だった。呆れた様子で、怒りを隠さない声で言ったのは、以下のようなことだった。

 そういう目に遭う自分が悪い。隙があるからそういうことになる。っていうかいい年してるんだから、子どもじゃないんだから自分でなんとかしたら? こんなふうに電話とか、かけてこられても困るっていうか……。

 顔がカッと熱くなった。ああ、私ってなんて浅はかでバカで甘え腐ってるんだろう……。「穴があったら入りたい」という言葉はこういう時のためにあるのだと思った。セクハラを受けるという恥の上に、さらに「助けを求める」という恥を上塗りした気分で、「なんて勘違い女なんだろう!」と、消えたいような気持ちになった。

 結局、私はなんとかしてセクハラの密室から逃げ出した。

 今思えば、「人間関係を壊しちゃマズい」とか「怒って帰るなんて失礼にあたるのでは」なんて、そんなことどうでもよかったのだ。セクハラをされた時点で、その相手との人間関係なんて終わっているのだ。向こうが破壊してるんだから終わらせるべきなのだ。だけど、それまでその相手は私の中で「信頼できるいい人」の部類に入っていた。そんな人が突如「セクハラ男」に豹変したことに、私の脳はついていけなかった。これこそが「正常性バイアス」だろう。だからこそ、ただただ混乱の中にいた。

 その日は逃げ出したものの、どうしても許せなくて、後日、セクハラ男と共通の知り合いに相談することも考えた。だけど、共通の知人として頭に浮かぶのは男性ばかりで、セクハラ男と知り合ったコミュニティーに女性は一人もいなかった。

「相談なんかしたら、いい酒の肴になってみんなに笑い者にされるだけだ」

 すぐにそう思った。そしてそう思ったことに、また深く傷付いた。みんなのことを信頼し、対等な関係だとばかり思っていたのに、そう思っていたのは自分だけだったのだ。やっぱり自分は「勘違い女」なのだと自分を恥じた。

 それからしばらく、最悪の気分の日々を過ごした。忘れようとしても忘れられなくて、だけどそのたびに、助けを求めた相手にかけられた冷たい言葉を思い出した。もしかして、悪いのはセクハラ男じゃなくて私なのでは? 後日、助けを求めた人に会った時、突然あんな電話をしたことを謝った。

「その後どうなったか」とか少しは心配してくれたのではと思ったけれど、まったく何も聞かれなかった。ただ、私に「隙がある」ことに対して怒っているようだった。怒られるの、私じゃなくない? そう思ったけれど、何も言わなかった。

 それから二度と、この手のことで私は助けを求めなくなった。誰にも。自分でなんとかするのが当たり前。変に人に相談したら、自分が軽蔑されるだけ。初めて助けを求めた時の「突き放された」という経験が、私のSOSを強固に封じた。

   だからこそ、友人や知人に性被害について相談された時、どうしていいのかわからなかった。もちろん自分がされたように突き放したりはしなかったけれど、かと言って話を聞くしかできなかった。私がなんら有効なアドバイスや情報を持っていないことに、特にこの十数年はがっかりされることが幾度かあった。

「雨宮さんだったら、こういう時どうすればいいかとか、いろいろ知ってると思ったのに」

 そう言われることがあったからだ。

それはこの十数年、私が貧困問題の活動をしているからで、「さまざまな行政の制度に詳しそうだから、何か情報を持っているのではないか」という期待があったらしかった。少なくとも、生活困窮やホームレス状態の人々の「生活再建」につながる情報ならたくさん持っていた。私の周りには支援者がたくさんいて、信頼できる支援団体がたくさんあるから「こういうことならこの人」「そのケースならこの団体に相談したら」というアドバイスができた。

 そうできたのは、活動を通して、何日も食べていないホームレス状態の人が「支援のプロ」に鮮やかに助けられる場面なんかを間近で多く見てきたからだった。ある人は生活保護につながり、ある人はシェルターに入るという形で、さっきまで「もう自殺するしかない」と思いつめていた人が住む場所を得、生活再建のための基礎を得る。そんな光景に、いつも震えるほど感動した。

 だけど私は、性被害に遭った人が「助けられる」のを見たことがなかった。そもそもどこに相談に行けばいいのか、どこが信じられる窓口なのか、使える制度でどのようなものがあるのか、まったくと言っていいほど情報がなかった。なぜか、調べることもできなかった。調べたりしたら、その件以外にもいろんな嫌なことを思い出しそうで、いつも手が止まった。

そうして、40代半ばとなった、この春。411日のフラワーデモで、私はガンと頭を殴られるような思いをした。あるライターの女性が、マイクを握って言ったのだ。「自分は電車の中で痴漢されている女性を見たら助ける活動をしている」と。

 個人的に、たった一人でそんな活動をしているのだという。痴漢をするような男性に声をかけるのは、恐ろしく怖いことだと彼女は言った。何をしてくるかわからないからだ。毎回、「殺されるかもしれない」という気持ちで声をかけるという。だけど、そんなふうに自分が誰かを助けることで、「誰一人、痴漢被害者を助けない」世界ではなくなる。そのために勇気を振り絞って、見知らぬ誰かを助けているのだという。

 話を聞いて、驚いた。驚くと同時に、私は自分が助けを求めても「助けられなかった」ことに、ものすごく傷付いていたのだと初めてくらいに、気づいた。差し出した手を、振り払われたようなあの時のショック。だからこそ、自分の痛みにあえて鈍感になっていた。だけど、自分の痛みを麻痺させていれば、他人の痛みにも鈍感になる。同時に、なぜ自分が性被害絡みのことになると、何も調べたりせずフリーズ状態になるのかわかった気がした。

 今、私は、友人や知人が被害に遭い、相談されたら前よりは有効なアドバイスができると思う。それはフラワーデモに象徴される場を始めとして、多くの「性被害に遭った女性たちに寄り添う」人々と出会ったからだ。

 正面からその問題に向き合えるようになるまで、20年以上かかったことに、愕然とする。同時に、ふと思った。性被害の問題に関わらず、例えば電車内のベビーカーに対する異様な冷たさとか、他者を決して助けない振る舞いがこれほど蔓延してるのって、みんな、誰かに「助けられた」経験がないからなのかもしれないと。「助けられている」現場を見たことがないからかもしれないと。だから、ライターの女性がしている「誰かを助ける行動」って、それを見せていくことって、世界を変えるくらいにすごいことなのかもしれないと。

4月のフラワーデモの1カ月後、再び東京駅前の行幸通りでデモが開催された。

「あなたは間違ってない」

 またしても、多くの女性たちがスピーチで口にした。

 私は間違ってなかった。勘違い女じゃなかった。

 初めてくらいにそう思えて、そうしたら、ずっと囚われていた何かから解放された気がした。


今日は1日雨の予報。今日の農作業はハウスの中と決めて「出勤」したのだが、なんと畑は濡れていない。適度の湿りで培土(土寄せ)にはうってつけの状態。ならば、いつ降り出すかわからないが、できる限りジャガイモの培土を済ませようと作業に取り掛かった。しかし、昼前にまた降り出したので昼食にした。90分ほどの休憩の後、畑に出るとほとんど濡れていない。また培土の続きができた。
 ちょうど培土が終わった時にまた降り出したので、ハウス内の作業に切り替えたのだが、これまたすぐに止んでしまった。
 作業をやめて帰りの車。数百メートル走ると猛烈な雨。これ、畑にも降っているのだろうかと空を見上げるとそちらは明るい。確かめに戻りたい衝動にかられたが、やめた。なるようにしかならない。
 途中、大きな虹が2重にかかり、とてもきれいで写真に収めたかっ
たが「おいおい、まだ出るなよ、もう少し降らせろよ」て感じでスルー。いつになったら沼の水位が上がるだろう?


社会的な支援をためらわないで!

2019年06月04日 | うつ・ひきこもり

BLOG

8050問題」と川崎・登戸殺傷事件を介護現場から考える

親が高齢になり、子どもの引きこもり期間が長ければ長いほど、その支援は難しくなってしまう。

  ハフポスト20190604

 

川内潤

NPO法人となりのかいご代表理事

 

   528日、川崎・登戸で50代の男がスクールバスを待っていた小学生や保護者らに次々と襲いかかり、うち2人が死亡する痛ましい事件が起きた。

その後も、531日に40代の引きこもりの息子が70代の母親と口論になり、母親と妹を刺し、自らも命を絶った。

61日には70代の元農林水産省事務次官が川崎・登戸殺傷事件を受けて、40代で引きこもりだった長男の将来を悲観し、胸などを包丁で刺し殺害する事件が起きた。

これらの事件を受け、問題視されているのが「8050問題」だ。

   「8050問題」とは、主に50代前後の引きこもりが長期化している子どもを、80代前後の高齢の親が養うというもので、子どもが引きこもり生活で社会との接点を失う中で、親に病気や介護問題が起き、親子共倒れになるリスクが問題視されている。

川崎・登戸殺傷事件においても、51歳の容疑者は80代の伯父伯母の家でひきこもり生活を送っていたという。

   認識を誤っていただきたくないのは、「引きこもり=危険人物」と短絡的に考えることだ。むしろ、凶行な行動に移すケースは稀であり、社会から孤立してしまう状況が見えなくなってしまうことがより問題を深刻化させてしまうのだと考えている。

   つまり、この事件を「50代の引きこもりが引き起こした、凶悪で凄惨な事件」と自分には関係ない“対岸の火”とするのではなく、私たちが意図せず社会から排除してきてしまった方々へ目を向ける機会として、一人ひとりが具体的な行動につなげるために、このコラムを書かせていただくことにした。

   なぜ、介護相談をしている私がこの問題について考えているかというと、以前、私がご自宅に訪問する介護の現場で働いていたときに、まさに「8050問題」を目の当たりにしていたからだ。

   あるご家庭には“開かずの間”というものがあり、要介護状態にある男性の介護に伺うと、妻から「あの部屋の前を通るときは、静かに通ってください」とお願いされることがあった。息子さんは仕事をしておらず、ずっと部屋の中に居て、親の介護には非協力的だという。

   これはもう10年以上前の話であるが、介護職という立場でさまざまな家庭を垣間見る日々の中では、決して珍しいことではなかった。そのため私にとってはかなり前から「8050問題」は身近な問題で、それに対して常に悔しさと危機感を持ち続けていた。

   そこで、今回の事件で問題視されている「8050問題」については、介護の現場や現在の主な活動である家族を介護する人をサポートする中で感じた見解と、二度と同じような事件を起こさないための私なりの考えをお伝えしたい。

   “開かずの間”に引きこもっていた子どもたちには、社会のレールから外れてしまったさまざまな理由があったのだろう。

   そんな子どもを親は突き放すことができず、家族だけで抱え込み、気が付けば数十年という月日が過ぎてしまい、支援を活用しての自立をするには手遅れの状態に…。

   これは介護にも同じことがいえ、介護も家族で抱え込めば抱え込むほど、最終的には家族全員が共倒れしてしまうなど手遅れの状態になってしまう。

  引きこもりのケースでは、介護とは違い、たいていの場合は自分のことは自分でできるので、子育ての延長で親が食事の世話さえすれば一旦は何とかなってしまう。

   引きこもりとなった原因の中には、発達障害や精神障害によるケースもあるだろう。しかし、親のサポートでなんとか生活できてしまうため、そういった障害を持っていたとしてもなかなか支援にはつながらない。

ところが、親が病気になり介護が必要になったとたんにそのバランスが崩れ始める。

   そこで初めて「今度は自分が親の世話をするのか?」「今の自分に親の世話ができるのか?」「収入がないままで、これから生活していくことができるか?」など、自立した生活が困難な中で、急に訪れた親の介護問題で引きこもりの子どもたちは危機的状況に飲み込まれていく。

   そして、社会的支援とつながらないまま長引いた引きこもり生活により、親以外には頼れる人がいないと思い込んでしまう。

   今回の事件でも、容疑者の親族が川崎市の相談機関にたびたび相談をしていたそうだ。だが、すでにそのころには問題が複雑化し、支援が難しいものとなっていたと思われる。

親が高齢になり、子どもの引きこもり期間が長ければ長いほど、その支援は難しくなってしまう。

   決して、容疑者を擁護するわけではないが、マスコミなどの情報によると、容疑者は学生時代から、日常生活の中でさまざまな問題を抱えていたようだ。もし、そのころから何らかの支援につながっていれば、こんなに悲しい事件は起きなかったかもしれない。

だからといって、引きこもりの子どもを抱えている親御さんを責めるつもりは一切ない。

   介護もそうであるが、問題を抱えている当事者たちは目の前の問題に向き合えなかったり、気づかないまま時が過ぎてしまったりすることがある。さらに同居している親は自分の子供に対して、強く言えなくなっていることもあるだろう。

   そこで介護している人をサポートする活動をしている私が重要視しているのが、冷静な判断ができる、離れて暮らすきょうだいや親類の客観的な視点なのである。

   私はさまざまな企業で、その社員たちに対して個別の介護相談を行っている。その中で「きょうだいが実家に引きこもっていて親が困っている」という相談も少なくない。

   親の介護問題とともに引きこもりのきょうだいについて個別相談に来てくださる方々には、大きな期待を寄せている。それは問題が複雑化する前であったり、まだ解決への打ち手がある時期での相談であることが多いからだ。

   引きこもりの当事者である親子たちは、その期間が長ければ長いほど自分からは“SOS”が出せない状態になっている。また、もし“SOS”を出していても、現状の社会ではそれに気づいてくれる機会は少ないかもしれない。

   長く働いていない、社会とのつながりが持てなくなっている家族がいるという状況に気付いた段階で、きょうだいや親類が、実家の地域にある相談支援センターやメンタルクリニック、保健所など、とにかく早目に社会的な支援の相談窓口につないで欲しい。

   直接、説得するだけが解決手段ではない。自分が説得できない場合は、その旨も含めてさまざまな相談窓口に伝えるのだ。

   一緒に住んでいる家族に介護が必要になって追い込まれてからの支援では、福祉の支援を受け、つながるまでにどうしても時間がかかってしまう。遠慮せず早い段階で相談窓口に一報いただきたい。

   企業に出張して介護や介護のセミナーをする中で、きょうだいや親類からの早い段階での相談をいただけることで、「8050問題」を早期に発見することが難しいケースになりかねない事態を、未然に防ぐ可能性に偶然にも気付くことができた。

どうか「まだ何とかなっているから大丈夫」と思わず、社会的な支援につながっていただくことをためらわないでいただきたい。

   誰もがどのような状況になっても生きやすい、豊かな社会づくりは一人ひとりの日々の小さな行動が必要であることを、今回の事件から受け取っていただきたいと切に願っている。


待望の雨。

週間天気予報から傘マークが消えてがっかりしていたのだが、昨夜見た予報に突然現れた。しかも、今日の昼過ぎからである。ラッキーと思いはしたが、降ってみなければわからない。また肩透かしを食らうかもしれない。今のところ、さほどの雨ではないが恵の雨である。

このコンテナがすっぽりと水没してポンプアップしていたのがこのありさま。

雨が来る前にカボチャ、ズッキーニ、トウキビ、ビーツ、ジャーマンカモミール等、定植完了。もう少し野菜の苗が残っているが植える場所がなくなってしまった。


ひきこもりは犯罪者予備軍ではない!

2019年06月03日 | 社会・経済

”ひきこもりは犯罪者予備軍?”ステレオタイプによって関係者に広がる不安 正しい理解と適切な支援を

ニコニコニュース https://news.nicovideo.jp/categories/10?news_ref=media300_header


川崎市で児童ら20人が殺傷された事件で、直後に自ら命を絶った岩崎隆一容疑者が長年にわたり「引きこもり状態」だった事がわかってきた。しかし、事件と引きこもりとを過剰に結びつけ、"犯罪者予備軍"であるかのような印象を植え付ける報道には懸念の声が上がっている。

 そんな中、当事者らの支援を行っている一般社団法人「ひきこもりUX会議」では5月31日に声明文を発表。そうした報道が偏見の助長し、無関係の当事者や家族を傷つける懸念があると訴えた。
 声明について、AbemaTVAbemaPrime』に出演した代表理事の林恭子氏は「川崎市記者会見の直後から"引きこもりだった"という点が非常に大きく報道されているため、ここ2、3日で知人の支援者のところにも"世間からそういうふうな目で見られるのではないか"と不安を訴える電話がかかってきている。これまでも様々な誤解や偏見が流布されてきたし、ただでさえ隠しておきたい、なかなか相談にも行けない、というケースも多いので、引きこもりであることと犯罪は決してイコールではないということを伝えようと声明を発表した。私がいつも不思議に思うのは、"椎間板ヘルニアで通院していた。大腸ポリープで入院の経歴があった"ということは言わず、引きこもり精神疾患ばかりが結びつけられて報道されるのか。差別的だと感じてしまう。引きこもりであったという点ではなく、孤立した状況にあったという点から見て考えてほしい」と説明す

 林氏自身も、20代半ばからひきこもりを経験した。「おそらく、引きこもりの当事者がどういう人たちなのか分かず、怖い、コミュニケーション能力がなくて暗い、ゲームネットばかりやっている若い男性というようなステレオタイプがあるのだろう。私たちの団体で一昨年、女性の当事者に実態調査を行い、369名の当事者が回答してくださったが、そういう生の声に触れていただければ、今まで思っていたイメージは違うということを分かって頂けると思う。そもそも不登校引きこもりの当事者というのは、病気や障害ではないのに学校や社会に出て行けないということに苦しさを感じている。いじめや親子関係、職場でのパワハラセクハラ、さらには親の介護をしているうちに引きこもり状態になってしまったというケースなど、要因も様々だ。例えばある20代の女性は"正社員になるか死ぬかしかないと思っている"と私に言った。つまり、多くの当事者は非常に真面目で、"このくらいの年齢ならばこうあらねばならない"という思いを持っている。また、"支えている人がいるから引きこもれるんだ。甘えだ。怠けだ"と言われることもあるが、親が亡くなったために餓死してしまったとか、地震があっても逃げなかったために亡くなってしまった方もいらっしゃる。容疑者が"食事、洗濯は自分でやっているのに引きこもりとはなんだ"と言ったと報じられているが、実際に自分のことを引きこもりだと認めたくないという方は多い。やはりそれは引きこもりイメージが悪いため、"自分はそこまで落ちたくない"という気持ちになるからだ」。
 

■「今後は"生きるための支援"が必要になってくる」


 林氏の場合、学校が合わなかったこと、母親との関係が悪かったことから身体症状が現れ、動けなくなった。高校2年生の時に不登校になり、27歳からの2年間は不安で玄関から出られず、病院に行く以外は寝たきりという引きこもり状態の生活を送った。

 「少しずつ外に出て、アルバイトも始めたが、未来が見えないという気持ちや強く自分を責める気持ちがあり、非常に強い生きづらさ、葛藤が続いた。8人目にして、ようやく理解があって相性も良い精神科の先生に出会えた。そこから何とか社会の中に隙間を見つけ、生きていこうと思えるようになったのが30代後半。だから約20年引きこもりの状態にあったといえる。それが1998年くらいのことで、引きこもりという言葉がメディアに出てくるようになって、そこで初めて自分と同じような経験をしている人たちがいることを知り、自分だけではなかった、気持ちを分かち合える人がいたと救われた」。
 


 一方、川崎市によると、岩崎容疑者と同居していた伯父夫婦との間には長期間にわたり会話はなく、1年半ほど前からどうコミュニケーションを取ればいいのか、という点について相談してきたという。また、捜査関係者によると、身元確認のため伯母に岩崎容疑者の写真を見せたところ「違うような気がする」と答えたという。ここから浮かび上がるのは、家族でさえも当事者と接するのが難しいケースがあるという事実だ。

 林氏は「アウトリーチという訪問支援があるが、相手の心に土足で踏み込む行為でもあるので、やはり外からの介入は非常に難しい。あるいは父親という存在は当事者にとって社会そのもの。社会に外に出ることを突きつけられても、受け入れることは難しい。それでも家の中にいるのが幸せだと思っている人はほぼいないと思うし、多くの当事者がこのままではいけない、何とかして出ていかなければならないと考えている。だから当事者が"出てみよう。この人なら会ってみよう。この場だったら行ってみよう"と思える人や場をどれだけ用意できるかだ。もちろん当事者ごとに対応の仕方は変えないといけないが、行政や全国にある家族会に相談し、何かしらつながりを作るという方法もあるし、ここ数年で自助グループも活発になっていて、当事者だけではなく、親御さんや支援者の居場所もある。家族だけで閉じてしまわないことが大事だし、情報収集をしてほしい」

 しかし、自治体による支援には「対応が青少年部局のため引きこもりの年齢制限を30代までとしている所も」「就労支援が主になるが、中高年では需要が少ない」「介護・福祉も含めたワンストップ窓口が必要」など、40代~50代の引きこもり当事者と、70代~80代にさしかかり、精神的・経済的に限界を迎えている家族たちが直面する「8050」問題への対応には課題も残る。

 林氏は「今春の内閣府の調査で、40代以上の当事者が61万人いるという調査結果が出た。しかし実際には100万人、200万人くらいいるだろうと言われている。現場では中高年が多いことも分かっていたが、引きこもり=若者の問題として捉えられてきたこともあり、39歳までの制限があり、就労支援ばかりだった。今後は"生きるための支援"が必要になってくると思う」との考えを示した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

 元農水事務次官に殺害された長男。この事件もまさに自分の息子を「犯罪者」にしたくないという思い込みから起きた事件であろう。

「生活保護で大学進学なんてゼイタク」

2019年06月02日 | 教育・学校

本音を包み隠す厚労官僚の“良識”

  DIAMONDonline 2019.5.24

    みわよしこ:フリーランス・ライター 

 

   厚労官僚による「生活保護での大学等への進学は認められない」という国会答弁が、波紋を起こしている。「劣等処遇」という発想の根底にあるものとは(写真はイメージです) Photo:PIXTA

「生活保護での大学進学は認めない」

厚労省が国会で公言した内容とは

 厚労官僚による「生活保護での大学等への進学は認められない」という国会答弁が、大きな波紋を引き起こしている。理由は、生活保護法の「最低限度の生活」が大学進学を含まないからだそうだ(2019年5月21日、参院・文教科学委員会)。まるで「生活保護での大学等への進学は法で制約されている」と言わんばかりだが、その解釈は無理筋だ。

 とはいえ現在、生活保護のもとでの大学等への進学は、事実として認められていない。生活保護世帯の子どもたちは、高校以後の教育を受けるためには、学費と生活費を自弁する必要がある。手段の多くは、学生支援機構奨学金の借り入れやアルバイトとなり、疲労と不安でいっぱいの学生生活を送ることとなる。

 学費免除や給付型奨学金を獲得するためには、多くの場合、低所得でも貧困でもない家庭の子どもたちと同じ土俵で、より優れた成績や業績を示す必要がある。それは苛酷というより、現実離れした「無理ゲー」だ。しかも、浪人もできない。「受験勉強ができるのなら、働いてください」ということになるからだ。

 その子どもたちと接してきた、現場の心あるケースワーカーたちは、黙って座視してきたわけではなく、子どもたちの生活や学業を支え、勇気づけてきた。そして、声を上げてきた。生活が生活保護によって支えられているだけで、彼ら彼女らの学生生活は好ましい方向に激変する。中退によって奨学金という名の借金だけが残るリスクは激減する。

 生活保護世帯や貧困世帯で育った子どもたちも、支援者たちも、もちろん心ある国会議員など政治家たちも、「生活保護で生活基盤を支えられた学生生活を認めるべき」という声を挙げてきた。そして政府は、生活保護世帯からの大学進学に対する一時金(自宅内進学の場合、10万円)を制度化した。ほんの少しずつではあるが、期待できそうな動きが現れてきていた。

しかし、それらの積み重ねに寄せられた期待を、一気に打ちのめす国会答弁が行われた。その内容は、「自助努力と自己責任で高校卒業後の学びを獲得できない子どもたちは、高卒や大学中退で世の中に放り出されても仕方ない」と解釈できるだろう。この発想は、どこから来るのだろうか。

 実は、「劣等処遇」という用語1つで、おおむね説明がついてしまう。

 

日本人は身分制度が好きなのか

医療にも見え隠れする「劣等処遇」

   「劣等処遇」は、生活保護制度の中に包み隠されてきた考え方の1つだ。厚生省・厚労省の官僚たちの良識に封じ込められた場面も、間接的に存在が察せられた場面もある。2013年と2018年の生活保護法改正は、「劣等処遇」を丸見えに近づけた。

 現在の生活保護法にクッキリ現れている「劣等処遇」は、後発医薬品、いわゆるジェネリック医薬品だ。生活保護法では、2013年改正で「後発医薬品を優先」することとなり、ついで2018年改正で「後発医薬品を原則」とすることになった。背後に、「生活保護という“身分”にふさわしい医療」という発想、すなわち「生活保護なら劣等処遇」という考え方があったとすれば、2013年に「優先」、2018年「原則」と明確化されてきたことは、全く迷いなく理解できる。

 もちろん厚労省も、厚労省の方針を大筋のところで強く定めている財務省も、「劣等処遇を強める」とは言っていない。あくまでも、国としての課題の1つは医療費の増大であり、医療費を抑制することが必要だ。そのために、医薬品をジェネリック医薬品に置き換えたい。しかしながら、生活保護受給者でのジェネリック医薬品の選択率は、一般よりも低い。それどころか、医療費自費負担がないため、不要な治療や検査や医薬品を求める生活保護受給者もいる。だから、生活保護ならジェネリック医薬品を強制しなくてはならない。これが、大筋のストーリーだ。

忘れてはならないのは、生活保護世帯の少なくとも70%が高齢者・障害者・傷病者世帯であり、一般より医療ニーズが高いことだ。傷病者の中には、がんなどの難病に罹患したことが契機となって職業と収入を失い、生活保護以外の選択肢を失った人々も含まれる。必然的に、先発医薬品しかない疾患の罹患率も高い。だから、生活保護受給者にジェネリック医薬品を選べない場面が多くなるのは自然だ。

 しかし、政府が劣等処遇をしたいと考えているのなら、「医療費がタダだから、ご近所さんの分まで湿布薬の処方を受けて配る生活保護受給者の高齢女性」といった例に世間を注目させ、「許せない」という世論を喚起し、抵抗を受けずに「後発医薬品を優先」「後発医薬品が原則」という条文を法律に含めるだろう。これは、2013年と2018年の生活保護法改正の直前、実際に見られた現象だ。

   「生活保護でも大学へ」という動きは、「劣等処遇」があからさまになっていく時期に、並行して行われた。とはいえ厚労省としては、堂々と「生活保護なら大学に行かないでほしい」とは言いにくかったはずだ。

 その「口にチャック」は、ついに壊れてしまったようだ。

高校進学と何が違うのか

大学進学はもうゼイタクではない

 ここで改めて考えたいのは、「大学等への進学はゼイタクなのか」ということだ。

 かつての大学進学は、能力または環境や経済力に恵まれた、一部の子どもたちの特権だった。しかし現在、大学等(短大や専門学校を含む)への浪人を含む進学率は、すでに80%を超えている。もはや「行くのが普通」と考えるべきだろう。

 生活保護の過去の歴史の中には、全く同じシチュエーションがあった。1970年、生活保護のもとでの高校進学が、厚生省の通知によって認められたときだ。この年、高校進学率は80%を超えた。高校進学が当然に近くなると、若年層の就職は高卒が前提となる。

   「自立の助長」を目的とする生活保護法が、高校進学を認めないままでいると、自立を阻害することになってしまう。その観点からだけでも、進学は認めざるを得なかった。このとき、高校進学を認めた委員会の議論には、「高校まででは物足りない気もするけれども」といった文言もある。そして、高校進学を認める通知が発行された。

 それなのに、なぜ、2019年、厚労官僚は「できない」と明言することになるのだろうか。厚労省の通用門の前で待ち構え、官僚本人を質問責めにしても、納得できる回答は得られないだろう。おそらく本人も、「今、この立場にいる以上は、そう言わざるを得ない」という状況にあるはずだ。しかし、背景に「劣等処遇」があるとすれば、理解はたやすい。

 現在は、医薬品を最前線として、生活保護を「劣等処遇」の制度へとつくり変える動きが進行中だ。2013年と2018年に生活保護法が改正されただけではなく、数え切れないほどの生活保護費の引き下げや締め付けが行われている。少なくとも現政権や財務省の意向が激変しない限り、厚労省としては、大幅な脱線はできない。だから、「教育だけ劣等処遇の対象から外します」とは言えない。まことにわかりやすい話だ。

 ここで文科省が厚労省に強く反発すれば、状況は変わるかもしれない。しかし現在のところ、そういう期待を持てる状況ではない。

 

貧困の解消と教育は

地球規模の問題解決のカギ

 生活保護制度の「劣等処遇」化によって、日本は国際社会からの数多くの期待を裏切ることになるのだが、その1つに気候変動と地球温暖化がある。

 地球温暖化に関しては、まず「温暖化を抑止する」という合意があり、「産業革命以前プラス1.5℃」という数値目標がある。そして、二酸化炭素排出量など国レベルで達成すべき目標がある。しかし実際に実行するのは、各国の国民1人ひとりであり、各地域のコミュニティだ。

森林に恵まれた国が、「森林の面積を減らさない」という目標を掲げたとしよう。その森林の持ち主に補償金を支払えば、維持してもらうことは可能だ。しかし、いつまでも補償金を支払い続けることは、現実的な選択肢ではない。

 その森林を維持することで、その地域で暮らす人々の現在と将来の生活を安定させることが可能になると、事情は異なってくる。人々は、まず自分のために、そして自分の地域のために、森林を維持し、地球の他地域に貢献することになる。貢献された地域からの経済的な見返り、いわば「先進国税」の試みも、既に現実となっている。

このような好ましいサイクルを、将来にわたって維持するためには、明日のために、今日、森林を伐採せざるを得なくなる貧困の解消と、すべての人々の生涯にわたる教育機会が必要だ。先進国の都市部でも、貧困と不十分な教育は環境負荷の増大につながる。少なくとも国際会議においては、これが当然の前提だ。

 

生活保護「劣等処遇」によって

日本はどれだけの損を被るか

 生活保護のもとでの大学進学は実現しないという今回の厚労省見解を、私は心から残念に思う。何をどうすれば実現できるのか、アイディアは何も思い浮かばない。しかし、科学とコンピュータをルーツとする者の1人として、提案したいことがある。

   生活保護への「劣等処遇」を強め、大学進学は認めず、貧困を解消せず温存することによって、日本は世界の国々や人々の期待をどれだけ裏切ることになるだろうか。たとえば地球温暖化と貧困について、世界で妥当とされている計算方法を用いた場合、2010年代の生活保護政策が維持されると、どれほどの問題を生み出すことになるだろうか。日本の今後500年間の国益に対して、何百兆円の損害が生じるだろうか。

 数値と計算と統計のプロフェッショナルである財務省をはじめ、専門家集団であるはずの官僚の皆さんに、ぜひ、ごまかしなく計算していただきたい。

(フリーランス・ライター みわよしこ)


 いい天気になってしまいました。もっと雨が欲しかった。週間天気予報からも傘マークが消えてしまいました。

この木は何というものでしょう?
教えていただければ嬉しいです。