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「安心して引きこもれる」仕組みづくりこそ、8050問題の解決策だ

2019年06月09日 | 社会・経済

DIAMONDonline  

2019.6.6  窪田順生:ノンフィクションライター

    引きこもりを巡る殺人事件が連続して起きて、にわかに注目されている「8050問題」。これまでも「自立支援」の名目で支援の手は差し伸べられてきたが、全国の中高年引きこもりの数は約61万人。とてもではないが、草の根の支援体制でどうにかできる人数ではない。それよりも、目指すべきは「親亡き後も、安心して引きこもれる体制」づくりではないか。(ノンフィクションライター 窪田順生)

「安心して引きこもれる」

環境づくりこそが望ましい

 川崎の殺傷事件に続いて、元農水事務次官が息子を刺殺する事件が起きたことで、「8050問題」が注目を集めている。80代の後期高齢者にさしかかった親が、50代の中高年引きこもりの生活の面倒をみるケースのことだが、これからの日本の大問題になるというのだ。

 内閣府の調査によると、4064歳の中高年引きこもりは約61万人ということだが、そんなものではないという専門家もいる。世間体を気にして家族が周囲に隠す「隠れ引きこもり」や、親の身の周りの世話をするという名目で同居する「パラサイトシングル」も含めると、もっと膨大な数に膨れ上がるという。

では、そんな8050問題を解決するにはどうすればいいか。

 メディアや評論家の主張の「王道」は、「1人で問題を抱えこまず周囲に相談」である。行政や専門家の力を借りて、中高年引きこもりが自立できるよう社会全体で支援をすべき、要は「自立支援」で引きこもりを1人でも減らしていこう、というわけだ。実際、某有名引きこもりの自立支援施設は、「引きこもりをなくす」というスローガンを掲げている。

 しかし、事件取材で少なからず、引きこもりの人たちや家族と過ごしてきた経験から言わせていただくと、この「解決策」はあまり良くない。「引きこもりをなくす」という表現からもわかるように、自立支援施策は、「引きこもり=撲滅すべき悪いこと」という大前提に立っている。そういう考えで、引きこもりの人たちと向き合っても、うまくいくどころか、事態を悪化させる可能性が高いのである。

 では、どうすればいいかというと、「なくす」のではなく、いかにして「無理なく続けられるようにするか」だ。親が亡くなってからも、中高年引きこもりがこれまでの生活を継続できる仕組みを早急に整備することだ。

従来の引きこもり支援では

歯が立たない3つの理由

 役所に行かずとも、生活保護の申請などの面倒な手続きができるような制度の整備、親が遺した不動産や資産を活用して、安心して引きこもり生活が送れるようなアドバイス、そして誰とも顔を合わせずにできる在宅ワークの斡旋などなど、「引きこもり生活の支援」である。

 もちろん、社会復帰したいという方には、これまで通りの就労支援をすればいい。が、引きこもりは10人いれば10通りの問題があり、中には社会に出たくないという人もいる。というよりも、そっちが大多数なのだ。そのような人たちを無理に外へ引っ張り出して、「みんなと同じように働け」と迫るより、これまでのライフスタイルを維持しながら、引きこもりの人なりに社会と関わる方が、本人にとっても、社会にとっても幸せなのだ。

「はあ?そんな甘っちょろいやり方では、引きこもりが増えていく一方で何の解決にもならないぞ!」と怒る方もいらっしゃるかもしれないが、現実問題として、初老にさしかかったような人の生き方・考え方をガラリと変えさせるのは非常に難しい。しかも、60万人以上という膨大な数の人々を変えることなど不可能だ。

だったら、社会が変わるしかない。「引きこもり」は撲滅するようなものではなく、「サラリーマン」とか「専業主婦」とかと同じような位置付けで、この社会の中に当たり前のように存在する生き方として受け入れて、それを継続できる仕組みを国や行政がつくるという方が、よほど現実的なのだ。

 そこに加えて、筆者が従来型の「引きこもり自立支援」をもうやめるべきだと思うのは、以下の3つの理由が大きい。

120年継続して状況が改善していない

2)引きこもりの人たちの「プライド」を傷つける

3)腫れ物扱いが「被害者意識」を増長させる

 まず、(1)に関してはじめに断っておくと、自立支援に尽力されている方たちを批判するような意図はまったくない。そのような方たちの血のにじむような努力によって、引きこもりではなくなったという方もいらっしゃるだろうし、献身的な活動をされている方たちに対しては、尊敬の念しかない。

 が、そのような立派な方たちがどんなに頑張ったところ、61万人以上という圧倒的なスケール感の前には歯がたたない。B29に竹やりで挑むようなものだと言いたいのである。

 引きこもりが社会問題となった1980年代から「自立支援」という対策は続けられている。1990年代後半から2000年代にかけて、「引きこもりに対する理解を深めて、彼らの自立を支援しよう」という、現在にもつながる考え方が社会に広まり始める。支援をする人たちも増えていった。

 そこから20年が経過した結果が、「中高年引きこもり61万人以上」である。もちろん、自立支援をする方たちの血のにじむような努力で、引きこもりから社会復帰したという方もいらっしゃるが、社会的には「状況は改善していない」というのが、動かし難い事実なのだ。

「自立支援」という言葉自体が

引きこもりに喧嘩を売っている

 これはつまり、この問題が「草の根の頑張り」で解決できるような類いのものではないということである。多少の税金を投入して、引きこもり支援の人員を増加するとかではなく、これまでとはまったく異なる方面からアプローチしなくてはいけないということなのだ。

 そこに加えて、従来の自立支援が問題なのは、(2)の《引きこもりの人たちの「プライド」を傷つける》という側面があるからだ。

 偏見とかディスっているわけではなく、引きこもりの人というのは、一般の人よりも「自尊心」が高いという傾向がある。それは内閣府の調査(生活状況に関する調査、平成30年)でも浮かび上がっている。

「他人から間違いや欠点を指摘されると、憂うつな気分が続く」という質問に、「はい」「どちらかといえば、はい」と答えた人の割合が、引きこもりではない人たちが34.8%だったことに対して、「広義の引きこもり群」は55.3%と明らかに高くなっている。

 また、「自分の生活のことで、人から干渉されたくない」という質問に関しても、引きこもりではない人たちが79.9%なのに対して、「広義の引きこもり群」は93.6%となっている。

 皆さんの周りにいる、他人の意見に耳を貸さない人、間違いを指摘されると不機嫌になる人を思い浮かべていただければわかるが、このような人たちは基本的に、プライドが高いのである。では、そういう人たちが「あなたが自立するように支援しますよ」「手を差し伸べますよ」なんて言われたら、どういう感情が湧き上がるのかを想像していいただきたい。

 憂鬱、苦痛、不機嫌――中には、侮辱されたと怒りの感情を爆発させる人もいるのではないか。プライドが高い人に対して「引きこもり自立支援」というのは、明らかに「上から目線」で喧嘩を売っているようなものなのだ。

「かわいそうな人」扱いが

他責傾向を増長させる

 その典型的なケースだった可能性が高いのが、川崎の事件を起こした岩崎隆一容疑者だ。

 今年1月、引きこもり傾向を相談していた市職員からアドバイスを受けて、おじが手紙を書いた。手紙の中で自分のことを「引きこもり」と書かれていることに対して、岩崎容疑者はカチンときたようで、「自分のことはちゃんとやっている。食事も洗濯も自分でやっているのに、引きこもりとは何だ」と怒ったという。

 もちろん、引きこもりの人はすべてプライドが高いなどと言うつもりは毛頭ない。受け取った手紙に「引きこもり」という文言があっても、なんとも思わないという方もいらっしゃるだろう。しかし、9割の人が「他人に干渉されたくない」と思っているのも事実だ。

 そういう人たちに、「自立支援」という、かなり一方的で押しつけがましい「干渉」をしても、反感を買うだけというのは容易に想像できよう。

 また、「自立支援」というスタンスの最大の問題なのは、(3)の《腫れ物扱いが「被害者意識」を増長させる》ということだ。

「支える」「助ける」という「上から目線」の扱いがまずいのは、引きこもりの人たちに「自分は社会からサポートされるようなかわいそうな立場の人間なのだ」と錯覚させてしまうことにある。そういう被害者意識を植え付けられた人は往々にして、周囲を困らせるパターンがよくあるのだ。

10年くらい前、世間を震撼させた猟奇事件を起こして服役していた人物と親交があった。当時で50代後半だったが仕事はなく、大企業の役員をしていた父の家で暮らし、その父が亡くなった後も、父の残した資産で食べ繋いでいた。今でいう「中高年引きこもり」だ。

 最初は普通に友人付き合いをしていたが、何かにつけて社会が悪いとか、自分のことを評価しない、誰それが悪いという愚痴っぽい話が多いので、次第に距離を取るようになっていった。すると、ある日、携帯電話にこんな留守電が入っていた。

「そんなに僕に冷たくするのなら、これから包丁を持って渋谷のスクランブル交差点に行って誰かを刺します。捕まったら、友人から避けられて人生が嫌になったと言ってやりますよ」

 私は速攻で自宅に伺って、話相手になってご機嫌取りをする羽目になった。なにせ相手は一度、人を殺した経験がある人物なのだ。

被害者意識が募って

家族を脅す人もいる

 そういう「他責癖」のある人が、周囲の人間を「放っておいたら何するかわからないよ」と脅すというのを、身をもって体験した立場から言わせていただくと、今回の元農水事務次官による事件には、かなり思うところがある。

 被害者の44歳の息子は刺される前、隣接する小学校の運動会の「騒音」を巡って、容疑者である父と口論になって、こんなことを口走ったという。

「うるせえな、子どもをぶっ殺すぞ」

 男性はSNSでいろいろな人と交流を持っていて、殺害される直前もメッセージを投稿するなど、情報的には社会とつながりを持っていた。この発言が事実なら当然、川崎の事件を意識してのことであることは間違いない。

一方で、この男性はSNSで母親を執拗にディスって、「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ私は」と主張するなど、かなり「他責癖」のある人だった。裏を返せば、強く自分のことを「被害者」だと思っていたのだ。

 自分のような引きこもりが、川崎の事件のようなことを起こせば、父と母に対してこれ以上ないダメージを与えることになる。このような「脅し」をすれば、機嫌を直してくれと懇願して、父もひれ伏すはずだ――。そう思ったのではないか。

 もちろん、これはすべて筆者の想像に過ぎない。しかし、引きこもりの人が「暴走」する際に、強烈な「被害者意識」が原動力になることが多いのは、紛れもない事実だ。つまり、引きこもりの人を必要以上に「かわいそうな人扱い」をすることは、本人のためにも、周囲の家族のためにもならない。

引きこもりを「変える」のではなく

そのままで暮らせる社会づくりが重要

「引きこもりにもっと理解を」「社会みんなで手を差し伸べましょう」というのは、一見すると引きこもりの人たちに優しい社会ではあるのだが、他方で、引きこもりの人たちに「俺は社会から気を使われる存在」だと思わせて、その強烈な「被害者意識」から「暴走」をさせてしまう恐れがあるのだ。

 以上が、引きこもりの「自立支援」がよくない理由である。

 この手の話が注目が集めると、お約束のように「引きこもりというレッテル貼りはやめるべき」「引きこもりの人たちへの差別や偏見を助長するような言葉は控えるべき」とか騒ぐ人たちがいる。

 その主張には何の異論もないが、そのような優等生的な意見だけでは何も変わらないという現実も直視すべきだ。

 まずすべきは、引きこもりの人たちを「変える」とか、どうにかして社会に適応させるなんて、「上から目線」の傲慢な考え方を捨てることだ。

一方で、過度な哀れみや配慮もやめるべきだ。引きこもりの人が傷つくので、これを言うな、ああいう問題と結びつけるなと「タブー」扱いをしても、本人たちがいらぬ勘違いをするし、口を封じ込められた人たちの憎悪も増す。何もいいことはない。

 そういう「弱者を守れ」的な政治運動に利用するのではなく、引きこもりという人たちのありのままを受け入れればいい。そして、彼らの生き方を持続できるシステムを整備するだけでいいのだ。

 そうすれば、高齢の親に寄生することなく、1人で引きこもることができる。多くの悲劇が家族間で起きているという現実に鑑みれば、我々が目指すべきは、「引きこもりのいない社会」ではなく、「家族と離れても引きこもりができる社会」ではないのか。


 今日の江部乙の天気予報では、昼から雨。期待はまたもや裏切られた。

 


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