カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「毎週の公教要理の錠剤」55

2013年01月19日 | 神父様からメッセージ(C年)
C年 年間第二主日  2013・1・20
 「カトリック教会の教え」から
「 信仰の自由」
「信じる」という人間の行為は神様の招きに対する人の自由な応答行為です。あらゆる信仰を持った人間は、いつでもどんな時でも神様に応える自由な行動を求めています。人間は自由に生きる為に神様から作られて、自由な良心をもって、自由に神様の方へ自由な形で帰っていきます。このような思いを土台にして、人間はどんな場所ででもどんな国ででも自分が信じる教えに従うことが出来るし、自分の信仰を示す権利を持っています。世界の歴史を見てみれば、人間が強制的に自分の信仰を廃止させられる為に圧迫され、殺された時もありました。時によって、家族から、社会から、あるいは政府からも強制的に定められた信仰に従わされました。つまり、自分が選んだ信仰の形を選び、従うことが難しかったりしました。確かに現代にこのような,強制的な制度は公には終わりました。しかし、ひそかに隠れた形で、目で見えない心理的な強制は存続しています。人類は皆それぞれの文化、教育、歴史によって自分の信仰を持っています。自分が出会った神様を拝んで祈っています。このような現実を見る人は、お互いに尊敬をもって相手の信仰を認めます。また人は教えられたように自分の信仰を保つべく、時によって、救いを探し求める人に、心の中にある思いと喜びを伝えるべきだと思います、けれども相手の意見、思い、そしてそれをまとめる宗教に対して、いつでも大きな尊敬を持つべきだと思います。そうすれば自分の信仰に対する大きな尊敬を得られると思います。キリスト信者は他の宗教の中にもイエス様から告げ知らされた神様のみ摂理の救いの計画を見出すことができるので、特別にいろんな宗教に対して、自分の宗教と同じように尊敬をもっています。同時に自分の生活の中に神様から頂いた信仰を深めつつ、聖なる生活を求めて、心の信心を育て、神様の思いの中で生きるようにしたいものです.

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