カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 第32主日

2016年11月03日 | 神父様からメッセージ(C年)

「だれでも死を考えるとその後に何があるのだろうかと思います。つまりどんな人間にとっても、どんな時代でも、人間が「死の後」について悩み、あちらこちらとその悩みの答えを探し求めました。無神論者の答えは、イエス様の時代のサドカイ派と同じように、死んだら全てが終わり、何もないと思っていました。しかしどんな宗教でも、信仰をもつ者にとっても、死の後は神秘的な世界に入り、永遠に生きることを理解し認めています。キリスト信者にとっても、死の後は神秘的な方法で永遠に生きることです。生きるだけではなく、イエス様の約束によって、イエス様が皆の為に天国で準備してくださり、皆を待ち、受け入れようとしています。ご自分のふところの中に皆が集まるように、一人も滅びないように希望しながら、永遠に大きな喜びを供えてくださいます
「ルカによる福音書 20・27-38」
 使徒パウロは、死後についてこう話しています。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちのために天国で住む場所を準備された」コリント(1)2―9。ヨハネ3―2も同じようなことを強調しています。使徒たちが強調するのは、人間が死後に素晴らしい真実を迎えるということです。その時にイエス様に従った者たちは、イエス様のいとしい者になるのです。当時のサドカイ派は、社会的に優秀な者で、司祭の一部も属していました。彼らの考えでは、人間の復活を否定していました。それでイエス様に、7人の夫を亡くした女性は死後だれの妻になれるのかと、イエス様を驚かし試す意図で尋ねました。その無防備な質問に対して、イエス様は優しく死後のあり様を、心から理解するように指導します。死後のこと、未来も、頭で理解するのではなく信仰の世界に属しているので、直感で感じる現実となります。イエス様は上記のように具体的な出来事から、聞き手を考えさせて、死後のあり様が現在のあり様と根本的に違っているとわからせようとします。イエス様はお父さんが子供に話すように死後のことを説明するよりも、ヒントを通して分からせようとします。キリストに従った者たちは、死ぬ時に素晴らしい天使のようになり、イエス様と一緒に復活して神の子のように永久に生きることになります。イエス様はサドカイ派の人が分かりやすいポイントを、もう一つ上げています。死は汚れの世界に属していますが神様は清いもので、聖人達から証されました。神様は死によって汚れるものではありません。神様は命の神であり、永遠に生きています。だから生きておられる神様のところに行く者、そして生きておられる神様に属する者は、神様と共に永遠に生きています。このようにイエス様に従う者は死後、未来に向かい何も恐れることなく、大きな希望と喜びに抱かれることになるのです。                                     
                                    モヨリ神父

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