カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」56

2013年01月25日 | 神父様からメッセージ(C年)
C年 年間第三主日   2013・1・27
 「カトリック教会の教え」から
「信仰生活と祭儀」
「神様と言う名前があるだけで確かに神様がおられる」、それで本当に神様がおられることになるのかと、素直に一人の女の子から聞かれた時に答えました。「神様がおられる」と言うだけで人間は神様と深いつながりを持つことになります。それに従って、皆が心の中で神様を重んじながら祈っています。つまり心からの神様への祈りと礼拝によって神様と通じるようになります。宗教によって祈り方やその所作は多いのですが、生き生きとした日常生活を通しても祈ることが出来ます。キリスト教の中のカトリック独特な祈り方と礼拝、ミサなどもあります。それは偶像礼拝と違って自分の利益、幸運だけを探し求める方法ではなく、カトリック教会は神様の礼拝、賛美を通して小さい人、苦しんでいる人の幸福を祈り求めています。偶像礼拝は口だけで祈ったり、心が遠いものです。キリスト信者は心と体、日常生活全体で祈って、神様に結びついて神様を賛美します。イエス様が「真の神」の姿を教えてくださいました。キリスト信者はイエス様を見つめながら、従いながら神様の心を理解し祈ります。キリスト信者はイエス様の後ろを歩みながら、修業として苦しみや犠牲を探し求める者ではありませんが、むしろ日常生活の中で、苦しみはそれを肯定的にみて、人の為、神様の為に愛で満ちた捧げものにして乗り越えるようにしています。犠牲は神様へのもっとも高い礼拝の方法ですが、それを自分の為、自分のプライドの為に行うことになれば意味がありません。しかし人と神様への愛の目的であれば、とても優れた礼拝になります。最後に主の日、つまり日曜日は一週間の中で神様に捧げられた日ですから、その安息日の過ごし方も神様を思いながらになれば、優れた礼拝方法になります。日曜日は聖書の中で、安息日と言う表現で、神様がこの宇宙万物を創造されてから休まれた日を示していますが、実際にその祭日をキリスト信者はイエス様の復活と喜びを記念して、仕事、労働などに捕らわれないで、心と精神を高め、神様に祈り礼拝します。同時に周囲の人に自分の大事な時間を愛の中で捧げるようにします。
                                  モヨリ神父

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