カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 年間第25主日 

2016年09月16日 | 神父様からメッセージ(C年)


 昭和26年、老人の福祉と敬老について啓蒙することを歌い文句に「老人の日」が設けられ、週間行事も行われてきた。現在は九月の第三月曜が国民の祝日の「敬老の日」として、公私を問わずその趣旨に沿うべく、各地で多彩なイベントなどが催されています。人生はそれぞれの季節によって、辛いことがあり嬉しい時もあります。老年に入ることは、人生の一番辛い時ではないと思います。年寄りになっても幸せな生活を送ることが出来ます。まず、自分の人生を振り返ってみると、神様からいただいた恵みを沢山見ることが出来ます。感謝の心が深くなり、それは自分の人生に全部及んでいきます。自分の言葉の重さによって人を指導し、素晴らしい真理を紹介し、自分の心も大きな喜びで満たされていきます。そうしてこのような思いに満ちた心の高齢者は、大きな平和を味わい、まだ若い人たちにも限りない人生の価値を伝えることができます。イエス様の言葉をも自分の人生に結びつけて見、神様から任せられた人生を上手に使うことができれば、神様が大きな報いを与えてくださいます。神様のみ旨の通り生きたものたちは素晴らしい心の平和を味わえます。
「ルカ福音書 16・1-13」
 神様は人間に自分が父であることを示し、愛と赦しで満ちた人生を任せ、ご自分の永遠の命、普遍的な喜びを供えてくださいます。それに対して人間は、この世の持ち物を通して豊かさ、名誉、栄光を探し求めています。自分の人生で何を選択するかによって、自分の人生の価値観のもとに、人と神様との関わりの中で、どれかを選ぶとすれば、選んだことに対して他を拒否しなければなりません。当主日の集会祈願は共同体の声になって、このように神様に願っています:「貧しさに徹して生きる道を示してください。まことの豊かさを知ることが出来ますように。」また第一朗読によると、富にとらわれた人は現実を見失い、富に縛られて、相手を物理的なもので犠牲にします。福音書の課題は正義に生きるように勧めますが、わたし達の思いは神様の思いに従って富の為ではなく人の為、むしろ他人に富を分かちあって生きるように勧めています。イエス様が語られた例え話を通して、豊かに生きる為にいくつかの教えを勧めてくださいます。まず、思いがけない不幸な目にあっても、あきらめないでそれを肯定的な行動で乗り越えなければなりません。主人に不正な管理人が誉められたのは、厳しい時があっても賢く、徹底的に働いたからです。イエス様の弟子でも、どんな時でも、このように行わなければなりません。次に富の使い方についても教えがあります。富に対して人間は中立になることができません。心が富にとらわれた場合、富の力に口説かれる場合が多く、冷静に神様に忠実に生きることはできません。どうしても不正な道の方に引っ張られて、その下り坂をたどるようになります。どんな場合でも現世的なものに元づいて考えれば、人生を乱します。正儀と不正義を同時に生きることはできませんから、イエス様の弟子は常に目覚めているべきです。そして神様の恵みによって迷わず正義の道を選ぶべきです。                        
                            モヨリ神父 



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