カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

毎週の一言 C年 年間第十三主日

2010年06月24日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、

「神から離れないということは、すべて失ってもよいということにも通じるのです。つまり、この世に縛られないということです。」 聖フランシスコ サレシオ

6月21日頃、北半球では昼が最も長い日になり、反対に夜が最も短い日となります。夏の真ん中、薔薇や半夏生の季節です。太陽が最も高く輝き、しかし梅雨の真っただ中であるため晴天に恵まれることは少なく、しかし梅雨があることこそ一年間の水も蓄えることが出来ます。この日北ヨ-ロッパなどでは白夜が見られ、北海道の北端部でも白夜に近い明るさがみられます。潤しの雨の結果として、山も街も若葉青葉でそまる頃に吹く強い風を「青嵐」といいます。爆風ではなく、爽快感のある明るい風であります。時として激しく吹きます。一方この頃に吹く弱い風は「薫風」と呼ばれています。
さて、マタイ福音書の課題として、イエス様の共同体内の人間関係が描かれています。イエス様が絶え間なく勧めているのは、大きな慈しみと憐れみで包まれた心を持つことです。確かにわたし達の目の中にある丸太は、わたし達の視野をせまくするので、いつも相手を寛大な心で受け入れることができません。イエス様が知らない人でも挨拶するように、また何か頼みごとをする人に、より大きく応えてあげるように、敵でさえも愛するように勧められています。敵にも一切仕返しを思わず、いつでも相手を尊敬しながら相手をイエス様自身であるように思い、お互いに傷付けられたことがあってもいつも赦し合うように勧められています。
ルカによる福音書9・51-62
どんな人間でも皆が神様から独特な方法で招ばれています。神様の想像力である聖霊は、この世で神様に導くいろんな道を完備してくださいました。その道の選択によって誰でも、喜びをもって神様のところまで行くことが出来ます。だれでも、それぞれ神様から定められた道を通って神様の心まで、あらゆる形で達することができます。当福音書の始まりは、イエス様がサマリア人から拒否されたことを語っています。イエス様が人を救われるため来られたとき、返ってその人に拒否されました。このようにイエス様に従う弟子は、自分の先生の運命を受けて、人に拒否されること、自分の愛情を評価されないこと、自分の犠牲と奉仕を認められないことをも受け入れて、イエス様に従うことになります。弟子たちが先生であるイエス様に忠実に従ったことは、人間としての評価を受ける為ではなく、むしろ神様の誘いに忠実に応える為です。イエス様が自分に従う人に対して、そしてその従い方について注意します。イエス様に従う方法の一つは共同体に奉仕することです。しかしイエス様がそれに以外の目的も注意します。そしてイエス様に従う人は聖霊の導きに従うものになります。それはむしろ、イエス様から選ばれたものなのです。神様の呼びかけは人の現世の関係を消すことなく、しかし神様の関係を優先するように勧められています。イエス様にとって家族関係でさえ、神の国を広めることよりも大切ではありません、しかし、家族の関係は神の国を広めるために重要なサポートになっていると教えてくださいます。

                             モヨリ神父

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。