カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 復活節第六主日

2010年05月07日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、
山野に新録が目立ち、風もさわやかになり、ようやく夏の気配が漂い始めました。蛙が啼き始めます。湖や川、海などに清々しい風が吹き渡っています、若葉の間から洩れてくる陽が、水辺にゆらゆらと揺れます。若葉を通した木洩れ日のよろしさは、この上もありません。山開きは熊本では阿蘇山が4月29日に行われます。日本の登山は山缶宗教や民間行事と密接な関係がありました。夏の一定期間に限り禁を解いて「山開き」といいます。山を祭る神社では開山祭を、秋の初めに閉山祭を行うのが例であった。今の山開きはスポーツとしての登山開始を意味するようになっています。5月に教会から特別に大切にされた「母の日」を迎えることになりました。母の日は、限りのない感謝の心を示す時です。キリスト信者は自分の母を通して神様からいただいた命を大切にしながら大きく感謝を表します。もちろんまず自分の生母ですが、それに十字架の下でキリスト信者を任命された皆の母としてのマリア様です。マリア様はイエス様のお母様でありながら、イエス様の内に生きる者たちのお母様です。神様の母であるマリア様は私たちをずっと見守って、私たちの為に神様に取りなしてくださいます。それで5月はマリア様にささげられた月として、キリスト信者がいろんな方法でロザリオを唱えて神様の母であるマリア様を誉めたたえながら、お祈りささげます。マリア様は母として私たちの弱さ、苦しみ、労苦を見ておられますので、その中でいつも私たちの祈りを聞きいれてくださり慰め、見守っていてくださいます。キリスト信者にとって、マリア様は欠かせない存在で、いつでもマリア様のご絵、ご像、メダイなどを見てなんでも願って祈ります。そして、主の昇天の祝日を祝います。イエス様は天国に昇られましたが、天国はどこに置かれてあるのか、これはキリスト信者にとって欠かせない課題です。ではルカ福音記者の福音書を通して、答えるようにしてみましょう。
ルカによる福音書24・46-53
これから復活の喜びを味わった教会全体やその典礼も、大きな情熱を持って主の昇天と聖霊降臨の祝日に向かっています。当福音書はイエス様の最後の晩餐の話の一部を紹介しています。基本的に4つの課題が取り上げられています。1)イエス様に対する愛はイエス様の言葉を聞くことによってあらわすことが出来ます。2)イエス様は出てこられた神様の元にもどります。3)イエス様は弟子たちに弁護者と指導者として聖霊を送ります。4)イエス様が神様のところに帰る前に平和を贈り物として弟子たちに与えます。今日の典礼はイエス様の言葉を受け入れる人は聖霊を贈り物として与えられ、聖霊の宿になります。それはまさしく教会の心です。それに注目すべきことは、ヨハネの福音記者によれば、最後の晩餐の時のイエス様が話されたことはその時だけではなく、おそらく復活後も同じように話された可能性があります。イエス様を愛する人はイエス様の言葉を聞いて受け入れますがその時、先生であるイエス様と弟子としての関係を定められています。信仰によってキリスト信者は愛情で先生であるイエス様に結びついて従っています。キリスト信者はイエス様の言葉を聞き、理解し、身につけ、広めています。先生であるイエス様の言葉を弟子と私たちの心にとめることによって、神様の愛が自分の中に宿られたことを経験します。神様が教会に送り込んだ聖霊は、教会の中でイエス様が与えた言葉、教え、その心を実現する役割を持っています。聖書は大理石のように固まった言葉ではありません、聖霊によった生き生きした言葉であり、歴史の流れの中でいつも新しく、どんな時代でも人の心の中で燃えています。最後に「平和」も復活されたイエス様の贈り物であり、その平和は祈りや観想されたイエス様の言葉から発生します。キリスト信者は信仰によってそれを自分の心の中、共同体の中で造りあげるのではなく、むしろ発見するように誘われています。                   モヨリ神父

「掛け軸は紫光書道会の提供」

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