カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 年間第十八主日

2010年07月29日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、

「真の愛徳は互いの精神的一致を求めます。そこに至るには柔和と相手の考えに護歩することが一番です。」
                                    聖フランシスコ・サレシオ
素麺は奈良時代唐から伝えられた唐菓子の一つ「索餅」(麦縄とも書く)で、国内では奈良桜井市が発祥の地とされる。小麦粉を食塩水でこねて、ごく細くする為に胡麻油などをぬって伸ばします。一年寝かせたものが味が良いとされます。これを茹でて冷やしたものを冷素麺と言います。食欲の落ちる夏場には涼味を呼ぶ食品としてかかせません。また、この苦しい暑さの中で風鈴の音にそよ風を感じる時、体だけではなく心まで涼しさがしみ込んで大きな喜びを味わいます。風のように、風鈴の音のように神様の言葉はわたし達の心に届きます。その音、またそよ風は聖霊と神様の存在をたとえています。神秘的に神様が語ってくださることは多いのです、命について、真理について、愛について話されていますから、それに耳を傾けなければなりません。わたし達にたくさんの良い行いも勧めてくださいます。人間であるだれでも、神様の神秘的なしるしを探し求めています。神様のしるしは、そよ風のようにわたし達の中で思いを変えて、素晴らしい世界、神様のふところの愛を見せてくださいます。八月のルカの福音書の個所の特徴は、神様の思いです。あるいはどのようにして人間と違って神様が考えてくださるのかを語られています。
ルカ福音書12・13-21
キリスト信者は出来るだけ欲張らないように生きるとをイエス様の言葉に強調されています。今日のミサの最初の祈りも、自己中心的な心から、欲張りな心を解放できるように神様に願っています。人間は自力でこのような欲望から自身を解放することができないので、それに打ち勝つ為に神様の力と支えが欠かせないのです。
ところで、ルカの福音書のテキストは二つに分けられていますが、両方の場合とも、欲張る心にならないようにとのイエス様の注意につながっています。神様は自分より財産を頼る人を望まれないし、人生の成功も財産を目標にして望む人は神様の前に豊かになりません。当福音書の第一部は自分の兄弟と分けようとする遺産についてイエス様に相談に乗ってもらうように願うのです。第二部は自分に出来た財産について満足して喜んだ人の思いのたとえ話です。上記のたとえ話に正しい望みが含まれていても、イエス様が強調するのは、どちらにしても欲張る心も隠されてあるから、注意しなければならないということです。自分に対する正義を求める時、あるいは自分の出来た仕事に対して喜ぶのは当たり前ですが、物や財産に欲張りな心がとらわれれば神様の心から離れてしまいます。実はイエス様が批判されるのは自己中心的な心の態度で、そして全て自分の為に何でも欲しがりながら、隣人には何も分かち合わない心です。このように「欲張り」という単語によってイエス様が心の硬さ、偶像崇拝、自分の欲望を満たすために人の尊さと権利を踏みつける心の態度も示し、その改心を求めています。だからイエス様が注目されるのは単なる欲望のことではなく、人に対する無私の心です。言い換えれば欲望とは人間の愛に対して総合的な罪の源だということです。イエス様は一般の人の考えの見直しを求めています。どんな時でも人生の素晴らしい経験の中で、欲張る心に縛られないように暖かく勧められています。
                                  モヨリ神父


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