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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

南朝の里 賀名生梅林

2012年03月25日 | まち歩き

雨のPAKU杯」ツアー、本当に楽しかったです。

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ゴルフに宴会と全力で楽しみましたが、疲れも出なかったので、日曜日にちょっと歩きに行って来ました。

南北朝時代の歴史ファンの方ならご存知かもしれませんが、奈良の三大梅林のひとつ、「賀名生梅林」です。

これ読めませんよね。「賀名生」と書いて「あのう」と読みます。

 

スマホの歩数計をチェックすると、「雨のPAKU杯」は15000歩、今日の賀名生梅林と五条散策は25000歩でした。体重がベスト近くまで戻ってきました。

 

 

賀名生梅林に行くにあたっての一番の難点、それは朝の交通の便が悪いということです。よって、かなり早く出発。

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天王寺→王寺→高田→五条、という乗り継ぎ。最後の和歌山線はまさかのICOCA利用対象外エリア。どうかしてるぜぇ。

 

JR和歌山線の五条駅。ポツーンとありますが、のんびりしていていい感じ。

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バス停も昭和テイスト。

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8:11の十津川温泉行きのバスを逃すと2時間以上間が空きます。

 

小ぶりなバスに私だけ。電車もほとんど人がいませんでしたが。

R0021767(バスはICOCAが使える。)

 

目的地までバスで15分ですが、山道を結構登るので、歩くときつい。バス利用が賢明だと思います。

最寄のバス停は「賀名生和田北口」。到着。

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ここから梅林の散策コースの入口はすぐ。定番のコースはこのとおり(黒点線)。山を登って下りる、一周5kmぐらいの程良さです。

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この後感動の景色を見ることになるのですが、「歓迎」は至って地味。好感度大。

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登り始めて5分。「一目万本」という、いきなりの見所。

Dsc_0062(クリックすると、少し大きくなって、ちょっと見やすくなります。)

桜ほどの華やかさがないので少し分かりづらいですが、斜面一面が梅。生で見ると見事な景色です。

 

コースは全て舗装路。軽トラが時々走ります。というのも、この梅林は実を取るための「梅畑」。

R0021831(梅の実の作柄を見るための樹。)

 

日曜日も農家の方が作業中。

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樹芯を切って(成長点を止めて)、横に枝を張るようにされた梅。

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そんな実益のための梅林ということを思いつつ散策を続行。

 

大阪城の観賞用の梅もいいものですが、大胆に枝をはらわれた梅の風情もまた良し。

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どんどん登ります。「見返り千本」あたり。

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梅林の“中心部”にある「教蓮寺」が梅の間から見えます。1500年の建立だとか。

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さらに登って、「東雲千本」。

樹芯を止めればこれだけ横に枝を張るんですね。見事な樹形。たくさん梅の実が生りそう。

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ザ・満開。

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このあたりがコースで一番高い所でしょうか、「奥の千本」。

梅農家でしょうか、超立派な家です。

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上の写真の右上の山の頂上までは行けませんが、少し近付いて見上げてみます。

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全ての斜面が梅畑のようです。緑の直線・青空・梅畑。いいですね。

 

それにしても、この急斜面での作業はきついでしょうねぇ。どうやって実を採るのか。

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「奥の千本」あたりはまだ満開前。

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下りに入った気がします。いい景色です。

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どこに行っても、どこまで行っても梅畑。

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今シーズン一番の紅梅。畑ではなく、民家の庭先にありました。

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で、最後の眺望点、「西の千本」。

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いくら見ても見飽きないですなぁ。

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最後の梅畑。梅干しの季節に来たら、この里はどんな光景が広がっているのでしょうか。

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畑にあるのは白梅がほとんど。実を採る品種は白梅なんですかね。

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賀名生梅林。私の“一面もの”リストに間違いなく登録です。

 

さて、バス停の所まで戻って来ました。

バスはこれだけしかない。時刻チェックは必須です。

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バスの時刻までの時間調整も兼ねて、バス停からすぐの、一時期、南朝の皇居があった「賀名生皇居跡」へ。

R0021852(枝垂れ桜の巨樹はまだまだつぼみ。)

扁額には「皇居」と。

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この扁額、天誅組の参謀吉村寅太郎の筆によるとのこと(これはレプリカ?で、本物は歴史民俗資料館にあります)。天誅組については、この後の五条散策で勉強です。

 

南北朝というと、歴史の授業でさらっとは勉強しましたが、詳細はどうだっけ?

・・・1336年、足利尊氏によって都を追われた後醍醐天皇は吉野への途中、賀名生に立ち寄り、郷士、堀氏の邸宅に迎えられた。その後、1348年、後村上天皇が吉野から難を逃れ、この地にお遷りになり、長慶天皇、後亀山天皇と三代にわたって皇居となった。・・・

 

なので、この看板。

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そして、この皇居跡、今も続く堀氏の子孫の方の現存住宅として存続しています。

 

南朝の精神的支柱であった忠臣、北畠親房さんのお墓へ。ちょっと歩きます。

R0021854(ここも梅の木が。)

 

途中、対面には、先程巡ってきた梅林を見ることができます。

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吉野川の支流か? 丹生川(にゅうがわ)沿いの美しい景色も。

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到着すると、まず出会うのがこちら。

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「忠魂碑」とありますが、左右にあるのは砲弾?

碑に近付いてみると、旧陸軍の方々の碑のようです。砲弾には少しびっくりします。

 

北畠さんのお墓への階段の左には、「南朝三帝賀名生皇居址」の碑。

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そして、北畠親房さんのお墓。

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鳥居の向こうのお墓は質素です。合掌。

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北畠親房さんといえば「神皇正統記」。南朝の正統性をきちんと記した方。お墓の前の左右の献燈には「忠烈無比」、「神皇正統」と彫られています。

 

道を戻って、「賀名生の里 歴史民俗資料館」へ。

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こちらの梅も満開。

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資料館では、西吉野の歴史や暮らしの紹介に加え、南朝由来の貴重な品が展示されています。撮影禁止なので写真はありませんが、後醍醐天皇から下賜された「日の丸の御旗」や「駅鈴」など。

 

南朝時代の歴史DVDでは地名の由来の説明もありました。

・・・その昔、この一帯は、「穴生」「穴太」(あなふ)と呼ばれていた。後村上天皇は、「正平の一統」(一時的に北朝が南朝に統一された)で願いが叶ってめでたいということで、「加名生」と改める勅令を発した。その後、「加」が「賀」と書かれるようになり、明治の初期に「賀名生」で「あのう」と呼び方が統一された。・・・

なるほど。

 

このあたりでちょうどバスの時刻となりました。10:40のバスです。

その前にちょっと気になったこれ。

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古めかしい自販機なので、何の気なしにパチリと撮ると、この左側にあるパーマ屋さんからおじさんが出て来ました。

  おじさん : この自販機、何か有名なの?

  私 : どうしてですか?

  おじさん : 今日もこの自販機を何人かの人が写真を撮って行ったんや。インターネットで出てるってゆうてたから有名なんかな思て。

  私 : そうなんですか。私は何気なく撮っただけなんですけど。この自販機現役ですか。

  おじさん : 20年以上前のやつで、もう電気は切ってんねん。でも、中身は入ったままらしいで。(パネルの女性を指さして)この子が有名なアイドルとちゃうか。

  私 : う~ん、見たことがあるような気がするけど、、、帰ったら調べてみますわ。おじゃましました。

 

みたいな会話を交わしました。ぶっちゃけ、20年前の缶ジュースがまだ自販機の中に入っていることの方がすごいと思うけど。

一応、ネットで調べてみましたが、「古めかしい自販機なので写真を撮った」という人ばかり。おじさん、やっぱり「古いから珍しい」ってことみたいよ。

それにしても、このアイドルっぽい人、誰ですかね。

 

 

そんなこんなでバスが来ました。無事乗車して五条方面へ。

 

さて、これから五条の町の散策です。

車窓から見えた吉野川の雄大さにテンションも上がります。

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いい天気だぁ!

 

五条のまち歩きは、この次に。

 

 

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