「西日本は大荒れの天気になるでしょう」との天気予報。
またしても週末に天気が崩れる、、、今年はどうなっているんでしょうね。
といっても、土曜日はぎりぎりもちそうなので、奥琵琶湖に歩きに行って来ました。
お目当ては、琵琶湖八景にも数えられる、琵琶湖随一の桜の名所「海津大崎」(かいづおおさき)。奥琵琶湖だけあって、今が満開です。
コースはこれ。
JR永原駅から琵琶湖に出て、海津大崎の“半島”を回って、湖岸沿いに近江今津駅までの20km。
37000歩。道は平坦な上に、常に琵琶湖が見えて景色がいいので、そんなに疲れませんよ。
ただし、JR永原駅って、敦賀の3つ手前、近江塩津の1つ手前。随分と遠いです。
少しゆっくりめに永原駅に到着。9時半。
(右上がホーム。ウッドハウスが駅。永原の駅はちょっと変わった感じ。)
丸子船の帆をイメージしたオブジェが迎えてくれます。
永原駅から琵琶湖までは一本道。
農家の庭先にスイセンが満開。スイセンも時期が少し遅めですね。
すたすた歩いて約10分。琵琶湖の手前の民家では何と庭で椎茸の原木栽培。新鮮な椎茸が収穫できるのは嬉しいだろうけど、ここはずっと日陰なの、、、
(少し椎茸が生えています。「なめこ栽培」を思い出してしまいます。)
そして、出ました、琵琶湖!
湖岸沿いの道は既に桜並木。すごい。
振り返ると、奥琵琶湖パークウェイが見えます。
道路は既に交通規制(一方通行)。
警備のおじさん(おじいさん)が「あっち(奥琵琶湖)が今年はたまげるほどいいよぉ。」って教えてくれました。が、徒歩じゃ“あっち”は無理なんですよねぇ、、、
湖岸沿いは、奈良の「山の辺の道」の向こうを張った、近江「湖の辺の道」(うみのべのみち)となっています。
満開の桜のもと、過ごし方は様々。
バスフィッシングをする人。
カヤック遊びをする家族。
花見船で湖上からお花見をする観光客。
じーっとシャッターチャンスを待つカメラマン。
ご夫婦でお弁当を食べる人生の大先輩。
快適な道を歩きます。こんな感じでずっと桜並木。
海津大崎までの道はトンネルが多い。
というのも、湖西線に乗っていると、一つ手前のマキノ駅から永原駅の間はほとんどトンネル。これは“半島”にそびえる「東山」の下を鉄道が走っているから。湖岸沿いの道も自ずとトンネルが多くなるわけです。
そろそろ海津大崎です。露店が出現。
到着しました。
車は大渋滞。
このあたりまで南下して来ると、散り始めています。花吹雪が気持ちいいです。
大崎寺にお参りします。
(階段を登ると入口に。ここで維持協力金¥100を納めます。)
朱塗りですが、周りの景色によくマッチしています。
大崎寺は「大崎観音」と呼ばれているそうです。ご本尊の十一面観音様は聖徳太子の作と言われています。
見所は、阿弥陀堂の「安土の血天井」。
「安土の血天井」とは、安土城落城の時の血がしみ込んだ城の建材をそのまま利用してこの阿弥陀堂の天井を張ったことに由来します。梅雨の季節には雨がしみて今も血が浮き出てくるとか。
このあたりが海津大崎の一番賑わっている所ですので、商売も俗っぽくなります。「犬の船長さんがいるお花見船はいかがですかぁ~」とか。
(どうせなら船長コスチュームを着せるとかすればいいのに。私は好きじゃないけど。)
海津大崎の桜並木は、昭和11年に始まります。約4kmにわたって並木が続きますが、今も苗木を植樹しているようです。
プレートを見ると、どうやら、高島市やマキノ町の中学校・高校の皆さんがコツコツと植樹してくれているようです。地元を大切にする素晴らしい活動だと思いました。
先に進みましょう。
伝説の名所もあります。ここは「義経の隠れ岩」。
義経が奥州に逃れる際に隠れたという岩。少々無理があります。ただ、海津付近に上陸し一時身を隠して北国に逃れて行ったということは、謡曲「安宅」に謡われています。
本当に桜並木が美しい。もちろん「日本のさくら名所百選」です。
次は、海津の集落に立ち寄るのですが、その前に、一時湖岸から離れて、内陸の一本桜「清水の桜」を見に行きます。
海津の交差点から歩くこと約15分。到着。
樹齢300年以上のアズマヒガンザクラ。越前加賀の前田公が上洛の折、何度も振り返って見たことから「見返り桜」とも言われています。水上勉の「櫻守」にも描かれている名木です。
海津集落に戻ります。湖に出て、「海津の石積み」を見るのが目的ですが、途中、集落の共同水場がありました。
ここで食器を洗ったりするのだと思います。確か、近江八幡あたりでは各家の台所に引き込まれていたと思いますが、ここは共同ですね。
もちろん、残飯を食べてくれる鯉(巨大だった!)がたくさんいました。
海津の集落は古い街並みを残しています。
所々に湖に通じる“路地”があります。何とも言えない風情のある景色です。
さぁ、湖に出てみましょう。
これまで歩いてきた桜並木と、海津集落の石積みが素晴らしい景観を見せてくれます。
この石積み、江戸時代のこの地の代官、西与一左衛門さんが、度重なる大波による被害を防止するために築いたものだそうです。
西さんは石積み築造だけでなく、この地で善政を行ったので、その業績が語り継がれる名代官でした。集落のお寺には今も碑が残っています。
集落には酒蔵もあります。
「新酒ができましたぁ~。どうぞ
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