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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

鯖街道を歩く

2011年10月16日 | 旅行記

昨晩は本降りでお天気が心配でしたが、今朝はすっかり晴れました。

ということで、計画通り、鯖街道を歩きに行くことに。コースは、朽木宿から熊川宿までの15km。宇治回遊よりも距離を延ばしてみました。

R0019043 (本日集めたパンフなど。)

コースの特徴は、見所はスタートの朽木宿とゴールの熊川宿の2スポット、両宿場町の間の道はひたすら歩く、というちょっと微妙なもの。さて、どんな散策になるか。

 

現地のバスの時刻に合わせてゆっくりめの7:45大阪発の敦賀行き新快速で出発。日曜日のせいか、空いています。

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近江今津よりも手前の安曇川(あどがわ)駅で下車。誰もいません。

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朽木宿行きのバスもおじさん一人だけ。途中の停留所も全て無人。快適というか寂しいというか、ちょっと複雑ですな。

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30分で、朽木宿に最寄りのバス停「朽木学校前」に到着。偶然停まっていたバスは出町柳行きの京都バス。小浜から始まる鯖街道、ここから終点の出町柳へバスが出ているとは。

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朽木宿を歩く前に、興聖寺(こうしょうじ)と旧秀隣寺庭園に立ち寄ります。バス停から少々南下。

10分ほどで興聖寺に到着。ちょっと荒れ気味。

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本堂へ。

R0018916 (背景の山に青空。雰囲気がいい。)

ご本尊を拝見させていただくには¥300必要です。本堂右脇の玄関で「おはようございま~す。お願いしま~す。」と大声を張り上げるも誰も出て来てくれません。小銭がなかったので拝観料を置いて勝手に見せてもらうわけにもいかず諦めました。残念

帰ってからネットで調べました。ご本尊。

Photo_2 (ネットより拝借。)

お不動様もいらっしゃるようです。

Photo_3 (ネットより拝借。)

旧秀隣寺庭園は、興聖寺の境内と言ってもいい所に、驚くほど小ぢんまりとあります。

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この庭園は、1528年、12代将軍足利義晴が、京都の兵乱を避け、朽木稙綱を頼ってこの地に身を寄せた際、稙綱が将軍のために建てた岩神館の敷地内に造営された庭園とのことです。

素人でも分かりますが、背後の遠くの山(蛇谷ヶ峰)を借景にした、武家の庭らしい素朴な印象です。

ちなみに、旧秀隣寺庭園は司馬遼太郎の「街道をゆく」にも登場します。くどいですが、引用を。

・・・荒れて子供の遊び場になっているのがなんともうれしく、室町末期の将軍の荒涼たる生涯をしのぶのにこれほどふさわしい光景はないだろうとおもった。むろん、観光という自然破壊のエネルギーはこの朽木谷までおよんでおらず、やってくる観光客もいない。・・・

、、、そうか、自分は相当珍しい「観光客」なのか、、、

 

ご本尊を拝見できませんでしたので、あっさり終了。さて、ここから北上です。

国道367号線沿いで最初に出会うのが鯖寿司屋の「朽木旭屋」。

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本当ならここで最初の鯖寿司を食べたいところですが、11時開店。今日は出だしから残念続きです。

ちなみに、旭屋の最高級鯖寿司はこれ。「真・幻」¥12600。あり得ない値段。

Photo (ネットより拝借。)

鯖寿司の値段はどうやら肉の厚さで決まるようです。これは究極の鯖を使った「肉厚MAX」の鯖寿司だそうです。

 

道の駅「くつき新本陣」に到着です。

R0018927 (秋から夏に戻ったような暑さ&快晴。)

「新本陣」では日曜日に朝市が開催されています。

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ここで鯖寿司一本を購入。全くノーチェックの「山味菜」(何て読むの?)というお店?のもので¥1500也。

とにかく鯖寿司だらけでどれを買っていいかさっぱり分かりません。道の駅の店内には近隣の料理旅館や鯖寿司屋のハーフサイズ的なものもありました。ハーフで2つ買えば良かったかなぁ。

鯖寿司以外ではシイタケが名産のようです。おばあちゃんが朝市の脇でしゃがんで焼いていたのがかなり美味しいそう。ですが、売り物なのか自分用なのか微妙な雰囲気だったので手を出せず、、、焼きシイタケ、大好物なんですが、、、また残念

 

道の駅を出て少し行くと、朽木宿の入口です。

R0018932 (鯖が銀色に輝くからメタリック?)

このあたりは「朽木市場」という地区名なので、「市場商店街」という通称のようです。

朽木宿は、きれいな小川が流れる脇に柳がそよぐ、いい雰囲気の宿場町。

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鯖街道は、鉄道や自動車という近代陸運が発達するまでは現役の街道だったので、レトロな建物も現用で残っています。代表格はこれ「丸八百貨店」。田舎の何でも屋さんですな。

R0018936 (ちょっとモダン。今は無料休憩所や喫茶、資料館、ギャラリーに使われているとか。)

蔵も多い。往時の繁栄が偲ばれます。

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珍しいというか、マニアックな史跡、「信長休憩地」。

R0018947 (一番右端の案内板の所。)

信長が朝倉攻めのために北上している際、浅井長政に裏切られ、一転、朽木谷を通って京都に逃げる時に、ここ一帯の領主である朽木氏が通行と案内を保証した。その途中に休憩したのがこの場所とのこと。当時は「圓満堂」というお堂があったらしいですが、今は案内板がひっそりと立っているだけ。かなり地味。

ここで朽木宿は終わり。次は熊川宿までひたすら歩くのみ。

 

国道367号線をてくてく歩きます。檜峠という所まではごく緩い上り坂。

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ずっとこんな道なので単調。緩やかでも長く続くと上り坂はきつい。

どれだけ歩いたでしょうか、やっと変化が。道が開けました。大きな分岐です。

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さらにひたすら歩く。ふと見上げた丘。

R0018952 (紅葉してなくもない。)

 

「檜峠はまだか、、、」と汗だくになっていたら、どうやら知らないうちに峠を越えていたようです。そういえば緩やかな下り坂だな、、、

と思ったら、保坂(ほうざか)集落に出た! 半分以上来たことになります。

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バス停の少し手前の集落の入口にいらっしゃる保坂の「六地蔵」。

R0018958 (道中の安全をお祈りして、、、)

さらに手前の石のテーブルらしき所で昼食タイム。朽木の道の駅で買った鯖寿司を広げます。

R0018953 (別にパッケージはいいか。本物の竹の皮に包まれています。左奥に見えるのが六地蔵の祠。ちょっと場所をお借りします。)

朝市で試食した時には「ちょっと酢が強いかな」と思ったのですが、空腹のせいか、これがうまい! もちろん、醤油なしで鯖の旨みだけでいただきます。

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そこそこ肉厚です。¥1500なのでこんなもんでしょう。

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歩いている途中は、正直、「鯖寿司より焼肉弁当がほしい、、、」なんて思ったりしましたが、なんのなんの、イケますなぁ。結局半分ちょっと食べてしまいました。

ごちそうさまでした。さぁ、再スタートです。

 

保坂集落に往時から佇むこの石標が再スタート地点です。ここで国道367号線とお別れし、西へ。国道303号線に合流するまで旧道を歩きます。

R0018963 (「左 志ゆんれいみち」(巡礼道)、「右 京都」と彫られています。)

山間の小さな集落、保坂を後にします。

R0018966

保坂は、小浜から京都への「若狭街道(鯖街道)」と、小浜から今津への「九里半街道」が合流する所で、往時は繁栄していたとのことです。

 

またまた熊川宿を目指してひたすら歩きます。旧道なので全く車も通りません。水坂(みさか)峠という峠を越えます。

風も涼しく、しばし秋堪能。見上げた山。

R0018970 (紅葉してなくもない。)

旧道が終わり、国道303号線に合流です。

R0018971 (偶然の、1時間に1本のJRバス。)

国道沿いですが、歩道があるので歩きやすいです。

「八幡神社」。少し荒れてるなぁ、、、

R0018972

このあたりは杉山集落といいます。集落は国道を挟んで歩道と反対側。交通量が多いので、のぞきに行くのはやめておきます。

R0018974

 

今日一番の難所、というか嫌な場所。「寒風トンネル」(歩道あり)。

R0018982 (トンネルを出てから振り返ったところです。)

歩きでトンネルを通るのは嫌なもんですね。一人だとなおさら。寒風トンネルというだけあって、風が冷たかったです。

北川という川。いい清流です。

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この景色に出会ったら、そこはもう福井県。ついにここまで来ました。

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10分もしないうちに熊川宿の東端に到着です。

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10:30に朽木宿を出て、13:30に熊川宿に到着。15kmを3時間。時速5kmですかね。

 

ひとまず道の駅「若狭熊川宿」で休憩。

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熊川宿は浅井長政の時代、諸役免除で大いに栄えたそうです。最盛期には200戸を超える宿場町だったとか(今は100戸とのことです)。

道の駅には資料館もあります。昔は鯖街道をこうやって運んでいた。

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写真もありました。

R0018994 (こりゃ、重労働だ。)

 

熊川宿は道の駅の裏手?が入口です。

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東の入口(というか出口のよう)です。

R0018998 (きれいに整備されてる。ちょっとびっくり。)

番所があります。

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お役人が通行を厳しくチェックします。

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本日の熊川宿。人は少ないです。いい天気だし、道幅も広いので、歩いていて気持ちいいです。

R0019014 (聞こえるのは小川の流れる音と鳥の鳴き声だけです。)

ここでも鯖寿司を食べるぞぉ~、と来る前は気合いを入れていたのですが、あまりの人の少なさに、そういうテンションにもなれず。吉野よりも美味しいという上質の葛もいただこうと思っていたのですが、、、残念

 

ということで散策のみ。

これは「芋ころがし」。熊川宿を流れる小川は水量も多く結構流れが速い。これを利用したもので、「芋ころがし」に芋を入れておくと皮がむけるそうです。

R0019012 (すごいスピードでガラガラ音を立てて回っています。)

お土産物。ススキで作ったフクロウ。¥800。たっけぇ~。

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白石神社。〆縄が印象的。

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松木神社。参道入口のモミジが立派。紅葉したらさぞ美しいと思います。

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松木神社は、江戸時代の若狭の義民松木庄左衛門の御霊を祭神としたことが始まりです。ネットより縁起を。

・・・江戸時代初期、新たに小浜藩主となった京極氏は小浜城を築く際、財政難を理由にして農民に重税を課したため、農民の生活が困窮。藩主が酒井氏に替わり小浜城が完成した後も重税が続いたことから、松木庄左衛門を中心に税の軽減を十数年に渡り訴え続け、ついに税の軽減が許されました。しかし、松木庄左衛門は磔の刑により処刑され28歳の若い命を失いました。・・・

松木さんの直訴の瞬間が像になっています。

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熊川宿の建築物の特徴、2階の低い「厨子(つし)二階」、「虫籠窓(むしこまど)」、「袖壁卯建(そでかべうだつ)」が随所に見えます。

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文化財として保存義務があるので、修繕もたいへんなようです。

R0019007 (修繕することの許可証が壁に掲示されていました。いやたいへん。)

 

30分ほどぶらぶらして西の入口に来ました。

西の端には西山稲荷がありました。が、随分と荒れているようです。

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そのすぐ隣には「孝子与七の碑」。

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270年前、貧しい暮らしの与七とその妻は、自分たちは貧しいものを食べ、父母には良いものを食べさせるなど、孝行の限りを尽くしました。時の小浜藩主がその噂を聞きつけて米数俵を与えてほめたとの逸話が残っています。

 

こちらが宿場町の西口です。小浜から鯖を持って出発したので、こちらが入口ですかね。東の端より立派です。

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熊川宿もゆっくり散策できましたので、今回の歩きはこれにて終了。

ここからはJRバスで近江今津駅を目指します。

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バスを待っている時に妻からメール。せっかく植えたホウレン草の畑をマイケルが踏み荒らしているとか。マイケル、庭をパトロールしてくれてるからあまり細かいことは言いたくないけど、ほどほどにしとけよ。

 

30分弱で近江今津駅に到着。時間があれば琵琶湖に出てみたかったのですが、1本逃すと1時間後。15分では行って戻るのは無理なので、本日最後の「残念」です。

ホームに上がると、もう14:09発の新快速が来ていました。

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車窓の風景は、収穫の終わった田んぼと琵琶湖。琵琶湖周辺が穀倉地帯であることと同時に、戦国時代、重要な土地だった所以もよく分かります。

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近江今津駅を出たところでは沖合に竹生島も見えました。いつかは長浜側から竹生島にも渡りたいですね。「長浜ブーム」が冷えた頃行ってみるかな。

 

大阪駅に16時半頃帰着。脚も何ともないようです。

今日の感想。「よく歩いたぁ~」と、ちょっと見所が少なかったかな。

でも、今日の暑さで15km、ノーダメージ。次の散策の選択の幅が広がりました。

昼食で半分残した鯖寿司は晩御飯にいただきました。鯖だけでは物足りないので、スーパーで鶏のから揚げを買ってしまいましたが。

 

次はどこに行こうか。

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