≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
ご存知ですか? 精華町のええとこ! ふるさと案内人と歩く。
春爛漫の里山 巡礼記の道 古墳 いちご園
菱田~僧坊~谷集落を辿る旅
4月22日(火)
コース 約6㎞
近鉄狛田駅前(スタート)→第17番 菱田長福寺跡/西方寺→川西側線跡→山田池・下狛新池→第16番 下狛僧坊・若王子→第15番 僧坊鞍岡山 神宮寺跡/鞍岡神社→鞍岡山古墳群→下馬遺跡→いちご園→JR祝園駅
この、第15回 ふるさと発見の旅に参加して初めて知りました、南山城三十三札所があるってことを・・・
南山城三十三所は1684年~1688年(貞享のころ)綴喜・相楽二郡の代表的な観音霊場が選ばれていた、発起人は相楽郡綺田村(山城町内)東光寺に住まいする僧「如範(じょはん)」が西国巡礼にならって南山城内に三十三の霊場を選び、ご詠歌を作って人々に勧めた・・・。
札所は精華町七、加茂町五、木津町五、山城町六、田辺町七、井手町三、約42㎞、当時でも数日で一巡できたそうです。
最初は賑わっていたそうですが諸般の事情により南山城三十三所は消えていった・・・
狛田駅東側集合、簡単なストレッチ体操の後、南山城三十三所 第十七番 菱田 長福寺へ、このお寺跡は現在菱田区集会所になってます、十一面観音は西方寺にお祀りされてました。この日ご住職が特別に開扉してくださいました。
西方寺
近鉄、JR線路を越えて「川西側線跡」を見学
川西側線は祝園弾薬庫へと続くJR片町線からの引き込み線でした。
途中の煤谷川には鉄橋跡がありました。
クリックで説明板は拡大します
平成19年以前の写真
祝園弾薬庫
昭和18年(1943)の晩秋、在学していた旧制商業学校3年生に、0月0日から3日間、00部隊に出動、作業に従事するといった通告を受けた。集合は早朝の京都駅前、未だ陽の昇り切らない薄暗い時刻であった。終結した約150人は当時の奈良電、現在の近鉄京都線の急行に乗車、臨時停車した「狛田」で下車、隊列を整えて生駒山脈北部に連なる丘陵に通じる道路を行進した。
少し行くと踏切があり、その先、道路と線路が並行する。一面に立ち込める朝霧の背後から蒸気機関車の排気音が追って来た。やがてC11形タンク機関車に牽かれた貨物列車が隊列の横を通り過ぎて行った。約2㎞ほど進むと営門があり「祝園部隊」の表札が掲げられていた。
当時学生間で秘密事項として流布していた「帝国海軍に戦艦大和あり、陸軍の弾薬庫祝園部隊が府下南部にあり」と称されていた砲弾工場、貯蔵庫である。
ここは、昭和14年京阪沿線の枚方にあった禁野(きんや)弾薬庫が大爆発を起こし、施設が壊滅、周辺地域は被害を受け、京阪も数日間不通となる大事故があった。軍部は急遽代替施設をこの地に設け、片町線田辺~祝園間の途中で分岐する引き込み線を敷設していた。弾筒に火薬を充填する作業場、山間の窪地に点在する貯蔵庫、それらを結ぶ道路とトロッコの線路からなっている。
初めのうちはいつ爆発するか判らないと、ヒヤヒヤしながらの作業であったが、2日目からは度胸もつき、充填や運搬の作業を終えた。
帰途も営門を出て駅へ向かって行進していると、背後から汽笛を鳴らし、貨物列車が下り勾配を滑るように隊列を追い抜いて片町線との分岐点へ向かって行った。約60年前の出来事だが未だに私の頭脳の一隅にその光景が刻み込まれている。
(随筆:田辺・川西側線、片町線より)
山田池
下狛新池
田んぼに大切な水源ですね。
大きな池の周りの渕を歩いて次のお寺に移動です。
第十六番 下狛僧坊 若王子
第十五番 僧坊鞍岡山 神宮寺跡から鞍岡神社、鞍岡神社の境内からは精華町が一望できる・・・っと期待してたんです(息子たちが子どもの頃、一緒に眺めた記憶が)
樹木が生い茂ってて・・・
鞍岡神社
左:阿像 右:吽像
菅原道真公とご縁があるようです。
精華町に遺跡や古墳群があるってこと初めて知りました。
下馬遺跡は甘南備丘陵の南東側斜面に位置する。
発掘調査では、平安時代後半から室町時代を中心とする時期の集落遺跡であることがわかった。
鞍岡山古墳群は鞍岡山1号墳から4号墳と四基の古墳が所在。
鞍岡山3号墳➱こちらを離れたところから見学。
最終お楽しみ
”味わえます 大地と愛情が育む逸品”美味しいモノが溢れているまち
《いちご》
精華町の特産品の代表である「いちご」は、30年以上に渡って精華町の顔となっている。京都府内最大の栽培面積を誇り、いちご狩りは毎年3万人以上を集める観光の中心としても活躍している。
いちご狩りは1月中旬から5月までで、品種は「さがほのか」「とよのか」「章姫(あきひめ)」などが栽培されています。
実はいちご狩りはお弁当タイムの後だったんですよ「ダイジョウブかなぁ?」大丈夫でしたね、デザート感覚で・・・幾つ食べれた?かな。覚えてないくらい・・・
精華町に住み始めて40年以上になります
「知らなかったぁ 精華町のええとこ・・・」
煤谷川土手に・・・
現在の祝園分屯地営門
2014.5.2 撮影
ふるさと案内人さんからのお知らせ
今月、5月の22日(木)は
第11回 せいか小さな旅・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・ です。
9時 近鉄京都線・山田川駅改札口前 集合、 12時 精華町光台五丁目/春の丘公園 解散
(事前申込み不要)参加費:100円(当日徴収)
※前日午後7時の天気予報で降水確率50%以上は中止。
今回は、精華町の山田川堤を西へ、そして乾谷・新谷の里山へ。
この乾谷里山ルートは、今回初めて歩くところです。 新緑と田植え前の段々畑、里山風景をたっぷり味わっていただける・・・かな?!
<コース予定>約5Km
近鉄山田川駅 ⇒山田川堤を西へ ⇒旧山田川荘小学校跡⇒乾谷大師堂 ⇒光明寺 ⇒乾谷の里山 ⇒光台五丁目/春の丘公園(解散)
初夏の息吹を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング・・・ です。
※お帰りは近くのバス停から祝園駅行のバスに乗車、20分程で近鉄/JRの祝園駅に到着です。
今度の22日(木)9時 お待ちしています。。。
ご存知ですか? 精華町のええとこ! ふるさと案内人と歩く。
春爛漫の里山 巡礼記の道 古墳 いちご園
菱田~僧坊~谷集落を辿る旅
4月22日(火)
コース 約6㎞
近鉄狛田駅前(スタート)→第17番 菱田長福寺跡/西方寺→川西側線跡→山田池・下狛新池→第16番 下狛僧坊・若王子→第15番 僧坊鞍岡山 神宮寺跡/鞍岡神社→鞍岡山古墳群→下馬遺跡→いちご園→JR祝園駅
この、第15回 ふるさと発見の旅に参加して初めて知りました、南山城三十三札所があるってことを・・・
南山城三十三所は1684年~1688年(貞享のころ)綴喜・相楽二郡の代表的な観音霊場が選ばれていた、発起人は相楽郡綺田村(山城町内)東光寺に住まいする僧「如範(じょはん)」が西国巡礼にならって南山城内に三十三の霊場を選び、ご詠歌を作って人々に勧めた・・・。
札所は精華町七、加茂町五、木津町五、山城町六、田辺町七、井手町三、約42㎞、当時でも数日で一巡できたそうです。
最初は賑わっていたそうですが諸般の事情により南山城三十三所は消えていった・・・
狛田駅東側集合、簡単なストレッチ体操の後、南山城三十三所 第十七番 菱田 長福寺へ、このお寺跡は現在菱田区集会所になってます、十一面観音は西方寺にお祀りされてました。この日ご住職が特別に開扉してくださいました。
西方寺
近鉄、JR線路を越えて「川西側線跡」を見学
川西側線は祝園弾薬庫へと続くJR片町線からの引き込み線でした。
途中の煤谷川には鉄橋跡がありました。
クリックで説明板は拡大します
平成19年以前の写真
祝園弾薬庫
昭和18年(1943)の晩秋、在学していた旧制商業学校3年生に、0月0日から3日間、00部隊に出動、作業に従事するといった通告を受けた。集合は早朝の京都駅前、未だ陽の昇り切らない薄暗い時刻であった。終結した約150人は当時の奈良電、現在の近鉄京都線の急行に乗車、臨時停車した「狛田」で下車、隊列を整えて生駒山脈北部に連なる丘陵に通じる道路を行進した。
少し行くと踏切があり、その先、道路と線路が並行する。一面に立ち込める朝霧の背後から蒸気機関車の排気音が追って来た。やがてC11形タンク機関車に牽かれた貨物列車が隊列の横を通り過ぎて行った。約2㎞ほど進むと営門があり「祝園部隊」の表札が掲げられていた。
当時学生間で秘密事項として流布していた「帝国海軍に戦艦大和あり、陸軍の弾薬庫祝園部隊が府下南部にあり」と称されていた砲弾工場、貯蔵庫である。
ここは、昭和14年京阪沿線の枚方にあった禁野(きんや)弾薬庫が大爆発を起こし、施設が壊滅、周辺地域は被害を受け、京阪も数日間不通となる大事故があった。軍部は急遽代替施設をこの地に設け、片町線田辺~祝園間の途中で分岐する引き込み線を敷設していた。弾筒に火薬を充填する作業場、山間の窪地に点在する貯蔵庫、それらを結ぶ道路とトロッコの線路からなっている。
初めのうちはいつ爆発するか判らないと、ヒヤヒヤしながらの作業であったが、2日目からは度胸もつき、充填や運搬の作業を終えた。
帰途も営門を出て駅へ向かって行進していると、背後から汽笛を鳴らし、貨物列車が下り勾配を滑るように隊列を追い抜いて片町線との分岐点へ向かって行った。約60年前の出来事だが未だに私の頭脳の一隅にその光景が刻み込まれている。
(随筆:田辺・川西側線、片町線より)
山田池
下狛新池
田んぼに大切な水源ですね。
大きな池の周りの渕を歩いて次のお寺に移動です。
第十六番 下狛僧坊 若王子
第十五番 僧坊鞍岡山 神宮寺跡から鞍岡神社、鞍岡神社の境内からは精華町が一望できる・・・っと期待してたんです(息子たちが子どもの頃、一緒に眺めた記憶が)
樹木が生い茂ってて・・・
鞍岡神社
左:阿像 右:吽像
菅原道真公とご縁があるようです。
精華町に遺跡や古墳群があるってこと初めて知りました。
下馬遺跡は甘南備丘陵の南東側斜面に位置する。
発掘調査では、平安時代後半から室町時代を中心とする時期の集落遺跡であることがわかった。
鞍岡山古墳群は鞍岡山1号墳から4号墳と四基の古墳が所在。
鞍岡山3号墳➱こちらを離れたところから見学。
最終お楽しみ
”味わえます 大地と愛情が育む逸品”美味しいモノが溢れているまち
《いちご》
精華町の特産品の代表である「いちご」は、30年以上に渡って精華町の顔となっている。京都府内最大の栽培面積を誇り、いちご狩りは毎年3万人以上を集める観光の中心としても活躍している。
いちご狩りは1月中旬から5月までで、品種は「さがほのか」「とよのか」「章姫(あきひめ)」などが栽培されています。
実はいちご狩りはお弁当タイムの後だったんですよ「ダイジョウブかなぁ?」大丈夫でしたね、デザート感覚で・・・幾つ食べれた?かな。覚えてないくらい・・・
精華町に住み始めて40年以上になります
「知らなかったぁ 精華町のええとこ・・・」
煤谷川土手に・・・
現在の祝園分屯地営門
2014.5.2 撮影
ふるさと案内人さんからのお知らせ
今月、5月の22日(木)は
第11回 せいか小さな旅・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・ です。
9時 近鉄京都線・山田川駅改札口前 集合、 12時 精華町光台五丁目/春の丘公園 解散
(事前申込み不要)参加費:100円(当日徴収)
※前日午後7時の天気予報で降水確率50%以上は中止。
今回は、精華町の山田川堤を西へ、そして乾谷・新谷の里山へ。
この乾谷里山ルートは、今回初めて歩くところです。 新緑と田植え前の段々畑、里山風景をたっぷり味わっていただける・・・かな?!
<コース予定>約5Km
近鉄山田川駅 ⇒山田川堤を西へ ⇒旧山田川荘小学校跡⇒乾谷大師堂 ⇒光明寺 ⇒乾谷の里山 ⇒光台五丁目/春の丘公園(解散)
初夏の息吹を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング・・・ です。
※お帰りは近くのバス停から祝園駅行のバスに乗車、20分程で近鉄/JRの祝園駅に到着です。
今度の22日(木)9時 お待ちしています。。。
ふるさと案内人の会の清水です。
今月、5月の22日は、第11回 せいか小さな旅
・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・ です。
9時 近鉄京都線・山田川駅改札口前 集合、 12時 精華町光台五丁目/春の丘公園 解散
(事前申込み不要)参加費:100円(当日徴収)
※前日午後7時の天気予報で降水確率50%以上は中止。
今回は、精華町の山田川堤を西へ、、西へ、、そして乾谷・新谷の里山へ。
この乾谷里山ルートは、今回初めて歩くところです。 新緑と田植え前の段々畑、里山風景をたっぷり味わっていただける・・・かな?!
<コース予定>約5Km
近鉄山田川駅 ⇒山田川堤を西へ ⇒旧山田川荘小学校跡⇒乾谷大師堂 ⇒光明寺 ⇒乾谷の里山 ⇒光台五丁目/春の丘公園(解散)
初夏の息吹を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング・・・ です。
※お帰りは近くのバス停から祝園駅行のバスに乗車、20分程で近鉄/JRの祝園駅に到着です。
今度の22日、9時。お待ちしています。。。
地元の人以外では案外と知られざる・・・っとのポイントを線で繋いでいく、
ふるさと案内人さんのとっておきのお話もプラスされて、楽しくためになるウォーキングになってるんじゃないでしょうか・・・
期待してますよ。