【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

ぞうれっしゃがやってきた

2022-09-08 | 絵本

②小出隆司・作 箕田源二郎・絵


③さむい、冬のある朝。
 どんよりくもった、はい色の空から、つめたい雨がふっていました。
 そのなかを、四頭のぞうが、ぞうつかいのおねえさんたちにつきそわれて、のっし、のっしと、あるいていました。
ぞうの名まえは、アドン、エルド、マカニー、キーコです。
すみなれたサーカスだんから、名古屋の東山動物園にうりわたされたのです。
ぞうつかいのおねえさんたちは、目になみだをうかべていました。


④動物園につくと、ぞうたちは、雨にぬれたぞうのひろばに、せいぞろいして、子どもたちにあいさつです。
ごばんのりや、さかだち、たるまわしを、じょうずにしました。


⓹また、長いはなで、たいこをたたいたり、ラッパやしょうをふいたりしました。
チンドン チンドン チンドン ドン
ジャンジャン ブーブー ジャン ブーブー
おとぎの国の音楽会のようです。みんなは、おおよろこびでした。


⑥動物園の人たちは、ぞうをむかえて、うきうきしていました。
けれども、ぞうつかいのおねえさんたちは、ぞうとわかれるのが、かなしくてたまりません。
おりにはいったまま、いつまでも、ぞうのそばから、はなれようとしませんでした。
はしらのかげから、そのようすを見ていた園長さんの目には、なみだが、ひかっていました。
そして、「おねえさんたちのためにも、だいじにそだてなくては。」
と、心のそこから思いました。


⑦その年(1937年)日本は、となりの中国と、せんそうをはじめました。
「日本かった」
「兵たいさん、ばんざい」
動物園では、かざりをつけてもらったぞうたちが、日の丸のはたをくわえ、軍歌にあわせて、こうしんしたり、ばんざいをしたりしました。

⑧しかし、それを見ている人たちのなかには、これから、せんそうにゆかなければならない人のすがたが、ありました。


⑨ぞうたちのだいすきな食べものは、こんがりこげたおにぎりです。
しいくがかりのおじさんたちが、たきたてのごはんに、ふうふうと、いきをふきかけながら、おおきなおにぎりをつくります。
そのにおいをかぎつけた、ぞうたちは、三かくにとがった、かわいらしい口から、ぽたぽたとよだれをたらします。もう、じっとしていられなくなり、おりのなかをうごきまわります。
そんなぞうたちの口に、おにぎりを、ぽいとなげこんでやります。ぞうたちは、ほそい目をさらにほそめて、ひと口に、ぱくんとのみこみます。しいくがかりのおじさんたちは、ぞうが、ますますかわいくなっていくのでした。


⑩せんそうが長びき、ぞうたちのくらしも、くるしくなってきました。
冬だというのに、だんぼうも、じゅうぶんにはしてもらえず、さむさに、ふるえていました。
だいすきなおにぎりも、もらえなくなり、いつも、おなかをすかしていました。
しいくがかりのおじさんたちは、せめて、えさだけはと思い、園内のあき地や、近くの山をたがやして、やさいやいもをつくりはじめました。
ところが、日本は、さらにアメリカなど世界の国ぐにと、せんそうをはじめてしまいました。


⑪あつい夏の日。しいくがかりのおじさんたちが、畑をたがやしていると、東京の上野動物園から、かなしいしらせがとどきました。
軍のめいれいで、ぞうやライオンなどの動物が、ころされたというのです。
「つみもない動物たちを、なぜだ!!」
おじさんたちは、くわをなげなげ出して、そのばにしゃがみこんでしまいました。

はじめのうちは、いきおいよく、かちすすんでいた日本軍は、やがてまけはじめました。
そして、アメリカ軍のひこうきが、たくさんとんできて、しょういだんや、ばくだんを日本の町におとすようになりました。


⑫東山動物園にも、ついに、ばくだんがおとされました。チンパンジーのバンブーは、あたたかいおりをこわされ、園長さんにしがみついて、かばのおりにひなんしました。


⑬くうしゅうは、だんだんはげしくなり、名古屋の町は、つぎつぎとやかれていきました。
子どもたちは、家をはなれて、いなかへそかいしました。


⑭園長さんは、動物園をけいごする人たちに、とりかこまれています。
「われわれは、動物園のかいごのために、家にもかえれない。」
「人間がだいじか、動物がだいじか、どちらだ、ひこくみんめ!!。」
「早く、動物たちをころさせろ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
園長さんは、なんとか、動物たちをまもりぬけないものかと、ひっしに考えましたが、よいほうほうがみつかりません。
園長さんのまぶたに、むねんのなみだがひかり、ひとすじ、ふたすじと、ほおをつたいました。
「ざんねんです。やってください。」
あとは、ことばになりませんでした。


⑮おなかをすかしていたとらは、どくいりのにくを食べ、くるしみながらしにました。
りこうなライオンは、それを、口にしようとはしません。ダダダダっとじゅう声がとどろき、そのばで動かなくまりました。


⑯よくなついていた月のわぐまは、えさがもらえると思い、よろこんで立ちあがったところを、ねらいうちされました。

園長さんは、ぞうだけでも助けたいと、軍やけいさつに、なんどもたのみにゆきました。
そのかいがあって、ぞうはころされずにすみました。

⑰ところが、キーコが、しんでしまいました。
さむいうえに、食べものも、じゅうぶんもらえず、よわっていたのです。

アドンも、キーコのあとをおうように、しんでしまいました。
生きのこっている、マカニーとエルドも、日に日にやせほそり、よわっていきます。
「おまえたちだけは、しなないでおくれ。」
しいくがかりのおじさんたちは、ぞうによりそってはげましました。


⑱そして、わずかなえさを、手にいれるために、大八車(だいはちぐるま)をひいて遠くの村まででかけました。


⑲日本の軍隊が、とつぜん、東山動物園にすみこみました。そのため、動物園の門は、かたくとざされました。
ひっそりとした動物園には、二頭のぞうと、チンパンジーなどが、わずかに生きのこっているだけでした。
しいくがかりのおじさんたちも、兵隊にとられ、あとにのこったのは、ほんのすう人でした。ぞうのえさをさがすのは、ますますたいへんになりました。
ところが、ぞうのおりのつうろに、軍馬のえさが、つみこまれました。しいくがかりのおじさんたちは、それを、こっそりぬきとり、ぞうにあたえました。


⑳長かったせんそうは、やっとおわりました。
マカニーとエルドは、生きのこりました。園長さんは、しいくがかりのおじさんたちと手をとりあってよろこびあいました。
でも、マカニーとエルドは、すっかりよわってました。かわいい目はくぼみ、からだは、しぼんだふうせんのように、たよりなくなっていました。そして、いつも、おなかをこわしていました。
しいくがかりのおじさんたちは、ぞうをおりから出し、うら山をさんぽさせたり、池であそばせたりしました。


㉑ぞうたちは、だんだんげんきになり、やがて、ごばんのりや、さかだちのれんしゅうをはじめました。


㉒園長さんのもとに、東京の子どもぎかいの、だいひょうから、手紙がとどきました。ぞうを一頭かしてほしいというのです。
おおきなぞうを、東京まではこぶほうほうが、みつかりません。
まちきれなくなった東京のだいひょうが、東山動物園にやって来ました。
園長さんは、エルドをおりにのこして、マカニーを外につれ出しました。すると、エルドはたちまちなきさけび、マカニーをおいかけようとして、とびらに頭をぶつけ、けがをしてしまいました。マカニーもエルドのかなしい声をきくと、しいくがかりのおじさんをおしのけて、エルドのほうへ、かけていきました。
園長さんは東京のだいひょうに、ぞうをかすことは、できないと話してきかせました。


㉓その話をきいた国鉄は、ぞうを見たいとねがっている子どもたちのために、とくべつれっしゃを出すやくそくをしました。
これが、ぞうれっしゃです。
名古屋へむかいきしゃの中では、子どもたちが、はしゃいでいます。
「ぞうさんの大きさは、どれくらいかなあ。」
「ぞうさんには、毛がはえているとおもう?」
「ぼくは、ぞうのはなにぶらさがってみたいな。」
れっしゃが、名古屋に近づくにつれて、子供たちの心に、ぞうにあえるころこびが、だんだんとふくらんできました。
こうして、日本じゅうから子どもたちが、ぞうれっしゃにのって、ぞくぞくと東山動物園へやって来ました。


㉔マカニーとエルドは、子供たちを出むかえました。
はじめて、ぞうを見た子供たちは、おおよろこびでした。かわるがわる、ぞうのせなかに、のせてもらい、動物園をのっし、のっしと、さんぽしました。ぞうのはなの、すべりだいにものりました。


㉕♪ぶうらり、ぶうらり、ぶうらりこ
ながい、おはながたのしそう
きょうも、げんきなぼくたちに
おいで、おいでを、しているの♪
緑に包まれた、動物園に。『ぞうさんの歌』が、ひびきわたりました。

あとがき                  小出隆司
戦後まもないころ、日本に二頭しかいなくなった、名古屋の東山動物園の象を貸してほしいと、東京都台東区の子供議会の代表が、来名しました。しかし、象の輸送の方法や、象が年老いて弱っていることなど様々な条件から、その願いは、実現しませんでした。この事を知った国鉄は、特別列車(=ぞうれっしゃ)を仕立て、ぞうをひと目、見たいという子供たちのゆめをかなえてくれました。敗戦直後の殺伐とした生活を余儀なくされていた子供たちに、よろこびをもたらしました。それにしても、きびしい戦時下で東山動物園の象だけをなぜ守りぬけたのでしょうか。
それは、何よりも、北王英一元東山動物園園長の、象への限りない愛情と、軍部や警察に対しての必死の説得や、職員の皆さんの努力があったからです。
それに、最近教えていただいたことですが、当時、名古屋市千種区城山町の八幡社(末森城跡)にあった、中部軍管区司令部所属の獣医大尉であったM氏(故人)が、軍部の兵糧であったふすまを、東山動物園の象舎の通路に運びこませ、配給もとめられていた象のえさにと無言の支援をしてくれたからです。
ところで、戦争は、いつも子供や女性など、弱い者を最大の犠牲者にします。
わたしたち日本人は、今こそ、十五年戦争の歴史的、民族的な教訓を正しく受けとめ、世界に向けて、反核、軍縮の世論を高めていく運動の先頭に立つべく、歴史的な使命を負っていると思います。止めどもない軍拡競争では、決して世界の平和は実現しません。
ここに、北王英一元園長と当時の職員の方々に心から敬意を表しつつ、明日に生きる子供たちに、この歴史的事実を、現代の民話としておくります。

「ぞうれっしゃがやってきた」 
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