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俳優・勝地涼くんのこと。

『盲導犬クイールの一生』(1)

2007-10-12 00:54:53 | 他作品
2003年にNHK総合で放映(全七回)。クイールという名の盲導犬の生後間もない時期から永眠までを、人々との関わりを重視して描いた半ノンフィクションドラマ。
のちに『クイール』のタイトルで映画化もされ、盲導犬に対する世間の知名度・理解度を上げるのに大いに貢献したものと思われます。

勝地くんは不登校の少年・政晴役で第三話にゲスト出演(第二話にも顔見せ程度にちょこっと出てきます)。
この作品の彼(当時16歳)は実に可愛いとの評判を方々で見かけていたので、出番はほぼ一話のみということもあり、演技やストーリー上の役割よりむしろビジュアル要素に期待しながら視聴したのですが――。

・・・・・・すごい。

正直ビジュアルに目がいったのは3回以上見返してからで(確かに可愛かった)、もっぱら彼の演技に目が釘付けでした。
もともと大げさな芝居をする人ではないけれど、演出家の意図なのか、いつも以上に表情も声音も抑え気味。
前半は自室のベランダや河川敷?などで台詞もなくただ佇んでいるシーンばかりなのに、あるかなしかの表情が政晴の内面の鬱屈した思いを伝えてくる。
下手すれば単にぼーっとしてるようにしか見えなくなってしまうだろうに、まだ16歳の俳優にこんな難易度の高い演技を要求した演出の思い切りに驚かされました。

バットダコは次第に薄くなり、少し本気で走っただけで息が上がってしまう。
日々脆弱になってゆく自身の身体と一人向き合いながら、今の自分の弱さを知ればこそ何を始めることもできずにいる。
そんな不安や苛立ちを諦めで包んで皮膚の一枚下に抑え込んでいる緊迫感と苦しさが、一見静かな彼の佇まいから存分に伝わってきました。

クイールにボールをぶつけようとしたと誤解されても、ちゃんと釈明せずに「すみませんでした」と頭を下げて話を打ち切ってしまう。
全てに自信を失い、人と関わることさえ億劫になってしまっているのが、力なく歩き去る後ろ姿に集約されているようでした。

(彼が外に心を開いてゆくのは三都子(沢口靖子さん)に追いかけられたこと、ついでクイールと駆け回って遊んだことがきっかけになっている。
本来野球少年の政晴は日常的にかなりの運動量をこなしていたはずなので、運動しない=不自然な状態はそれ自体かなりのストレスだったと思われます。
体を動かすことが心を開いてゆくのに繋がる流れはとても自然)。

そしてこの前半部の無表情に近い表情があればこそ、中盤以降、クイールと遊ぶときの笑顔や交通事故で野球をあきらめた事情を語るときの涙(これらの表情の動きもかなり控えめです)が活きる。
彼が少しずつ表情を取り戻してゆくのに(それが涙であってさえ)なんだか嬉しい心地になります。
夏祭りの帰り、両親に三都子と勇(勝村政信さん)とクーちゃんを紹介する場面などごく自然に明るい笑顔を見せてますし。
(なのに政晴の両親は、長らく引き篭もりがちで表情も失っていた息子がああやって笑えるようになったことに全然反応しないのですよね。あの親じゃ無理もない、という感じですが)

(つづく)


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『末っ子長男姉三人』

2007-10-08 02:00:35 | 他作品
2003年TBS系列で放映。優しい年下の夫・柏倉一郎(岡田准一くん)と結婚した春子(深津絵里さん)が、姑のみならず思いがけず実家に戻ってきたアクの強い小姑三人と同居するはめになって悪戦苦闘するさまを描くホームコメディ。

多分に我が儘な柏倉家の面々(たいていは姉たち)が毎回のように衝突を繰り返し派手な罵りあいなども繰り広げながら、物語全体はどこかほわんと暖かで品のある雰囲気をもっているのは、勝地くんのおすすめ本である『寺内貫太郎一家』(もともとはドラマだったものを脚本家の向田邦子さんがノベライズしたものと思われます)に共通するものがあるかも。
おばあちゃんがある歌手の熱狂的ファンだったり(『末っ子~』ではさだまさしさん、『寺内~』では沢田研二さん)、その歌手の方が最終回にゲスト出演したりするあたりが特に。

勝地くんの役どころは賀来千香子さん演じる柏倉家の長姉・節子の息子・米山健一。
勝地くんいわく「自分とは似ていない」(でも知り合いには似てると言われたそうな)ちょっと、というかかなりドライな高校生男子を、さらっと演じていました(実際は豪華共演者の方々を前に緊張の極地だったらしいですが)。
公式サイトのフォト日記(なぜかレギュラー出演者ではない(第2話、第3話、第8話、第10話に登場)勝地くんによる舞台裏の写真つき日記が当時不定期連載されていました。「撮影日記」の10月13日、10月26日、11月9日、11月19日、12月5日、12月19日が勝地くんの担当です。なお12月17日分のスタッフ日記にもフォト日記についての補足あり)で、
「台本を読んだ時は、可愛くない奴だな~と思ったけど、最終回までには愛されるキャラクターにしたいな」と話していた通り、一見クールな言葉の端に家族への愛情を上手く表していたと思います。
「息子の声くらい分かれよ」と言うときの声が存外優しい響きだったこととか。
最終話の号泣シーンは健一のキャラからするとちょっと意外でしたが、お父さんの台詞をまんまなぞったような「何時何分?」に笑いました。大泣きしてるわりに妙に言うことが事務的というか。

ところで、このフォト日記で勝地くんは「相変わらず健一はクールすぎ!(中略)自分で演じながら、こんな健一はみなさんから愛されてんのかな~??と不安になってしまう」と書いてるんですが、自分のイメージが悪くなることでなく「健一」が視聴者に悪く思われることを恐れているかのような表現が、親しい友達のことを「あいつ誤解されやすいけど、本当はいい奴なんだよ」と周囲にアピールしてまわってるみたいで、微笑ましいなあと思ったものでした。

個人的見解ですが、彼は役そのものになりきるというより、その役の最大の理解者としてその魅力を余すところなく観客に届ける媒介を務めようとしているように感じます。
インタビューなどで役柄について語っているのを読むと、あくまで自分自身とは別個に存在するキャラクターの性格を懸命に理解し、自身の感情を擦り合わせるようにして表現しようとする彼の努力が伝わってくる気がするので。
『CREA』2007年7月号で鈴木杏ちゃんがコメントしていたように「役を心から愛し、そして心で演じる役者」なんですよね。

余談ですが、初めて勝地くんの書く字を見たのがこのフォト日記でした。「文字には書いた人の人間性が表れる」というのが持論の私は、当時いささかショックを受けたものでした(笑)。
もっともヘタなりに雑に書き流していないきっちりした文字は読みやすくて、他の字と混同することはまずない。そんなところに彼の真面目さや飾り気のないさっぱりした気性が表れているように思えるのは・・・欲目ですかね(笑)。


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『父帰る/屋上の狂人』(2)

2007-09-10 00:50:47 | 他作品
また公演の前から公演終了後まで大いに楽しませていただいたのが、出演者の一人・キムラ緑子さん(ドリさん)のブログ。
稽古の様子や舞台の裏話などをあれこれ書いてくれていて、勝地くんも時々登場。
役のヘアスタイルを相談されて「9・1分けでポマードで固めるといい」と適当に答えたら、本当にその通りにしてヘアメイクさんに叱られてた天然っぷりや、本番中に勢いあまってセットから転落した話(これは勝地くん本人も後に雑誌で話してました。他にもよくあちこちぶつけたり足の爪割ったりしてたそう・・・落ち着きたまえ)、
ドリさんが退場時にうっかり壁にぶつかってもがいてたら、勝地くんが(ドリさん演じる巫女を睨みつける場面なので懸命に笑いをこらえたために)凄い形相になってた件など、笑ったり心配したりしたものでした。

とりわけ印象的だったのは千秋楽の日に勝地くんが「最後の気合入れをさせて下さい!」と俳優陣みんなにリポビタンDを差し入れしたエピソード。
その気遣いもさることながら、日頃遠慮深そうな勝地くんが、カンパニー最年少にもかかわらず音頭取りめいた行動を取ったことに驚きました。
きっと一ヶ月の公演の間に本当の家族のような親近感と結束の固さが生まれていればこそだったのだろうな、となんだか胸が熱くなってしまいました。

実際『ポポロ』6月号で草くんが話していた「最近のマイブームは勝地くんの背中をつねること」「若いくせにかっこよくて演技が上手いから、ムカついてつねっちゃいました(笑)」(ともに概要)なんて稽古場の一コマや、下男役の富川一人さんがよくドリさんの肩を揉んであげてたとか、打ち上げの時に草くんが愛用の帽子をお父さん役の沢竜二さんにプレゼントしたとかの話を読むにつけ、カンパニーの仲の良さが伝わってきます。
ドリさんのブログが公演終了後まもなくリニューアルした関係で、当時のログがなくなってしまったのが残念です
(よってドリさんブログの内容は記憶で書いてますので、細部が違っているかもしれません。間違いに気づかれた方はご一報を)。

ちなみに上述のリポビタンDで乾杯したときの掛け声は「ていやー!」。
作中での末次郎の台詞というか掛け声なんですが、草くんはこの「ていやー!」がお気に入りで、TVのバラエティーなどでもしばらく「ていやー!」を使ってたらしいです。
草くんのこのお芝居&カンパニーへの思い入れがうかがえて嬉しくなったものでした。


P.S. 上で「彼(注・草くん)の圧倒的集客力があればこそ、派手な宣伝も演出も必要なかった。」と書きましたが、『GOETHE』2006年8月号によると、このあたりのバランスはキャストから劇場の選定までいっさいのプロデュースを手がけたシス・カンパニー代表・北村明子さんの豪腕に由来しているようです。
もともとSMAPのマネージャーさんから草くんの舞台企画を依頼された彼女が、
「草剛を当たり前の使い方はしたくなかった。(中略)あえて赤字かもしれないというような小劇場を選び、そこで近代演劇をやろうと」決めたとのこと。
ちなみに北村さんは「公演で赤字を出したことは一度もありません。百発百中黒字。どのターゲットに向け、どういう役者がどういう劇場でどういう芝居をすれば儲けが出るか、目算は立ちます。」のだそうです。かっこいい・・・。
8・9月号に分けて収録された北村さんインタビューからは自分にも他人にも厳しく、かつ真の意味で役者を大切にする彼女の人間性が強烈に伝わってきて、この人がキャストの一人として勝地くんを起用してくれたことが何だか誇らしかったりして。


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『父帰る/屋上の狂人』(1)

2007-09-07 02:08:50 | 他作品

2006年4月1日から30日まで、東京・三軒茶屋のシアタートラムにて上演された菊池寛原作の戯曲二本立て。
勝地くんは二作品とも主人公の弟役で出演してます。

公演情報を最初に知ったとき、「ずいぶん地味な作品をやるんだなあ」と真っ先に思ったものでした。
戯曲の知名度は高いものの、明治時代の庶民の一家をしっとりと描いた物語と演技派で固めた重厚なキャスティングは、スター役者を前面に出し、絢爛な衣装や舞台装置を駆使した大掛かりな作品の多い昨今じゃインパクトが弱いんじゃないか。
おそらく普通なら、チケット購入の列が延々続いたり連日立ち見が出たりするようなことはまずなかったたぐいの作品でしょう。
しかし「主人公を演じるのがSMAPの草剛くん」という一点のゆえに、実際には壮絶なチケット争奪戦が繰り広げられることに。
劇場のキャパシティの小ささもあいまって、観劇がかなわなかった人もさぞたくさんいたことと思います。

私自身も舞台そのものは見ていないのですが、パンフレットと、NHKの『いっと六県』という番組での紹介映像と草くんインタビュー、人様のブログや雑誌のレビューで舞台の雰囲気の一端に触れることができました。
以下、原作と出演者インタビュー、レビューなどからの伝聞ないし推測によるこの作品の魅力を少々あげてみます。 

演出の河原雅彦さんは、前衛的な劇団(パフォーマンス集団?)の総代だった方というので(プラス『Look at star』誌の連載コラムからうかがえる人柄からしても)、結構ケレン味のある演出をしてくるのではないかと想像(危惧)してたんですが、実際には原作の味わいをそのまま再現した手堅い演出がなされていたと聞いてホッとしました。
パンフレットや当時のインタビュー記事を読むと、河原さんの原作と役者陣に対する信頼のほどがうかがえます。
だからといって役者に丸投げしたわけではなく、毎日舞台を客席で観劇しては日々細かな変更を積み重ねていったのだそうで、この舞台が稀にみるほどの大絶賛を受けたのはこうした河原さんのきめ細かな演出に拠る部分が大きかったのではないでしょうか。

また「父帰る」は舞台を茶の間(屋内)に限定して玄関へ向かう廊下を舞台奥に設定している(舞台の奥行きを利用している)のに対し、「屋上の狂人」は屋外、主人公がほぼずっと屋根に上がっているため舞台装置が上へ伸びる形になっているのも見事なコントラスト。
囲炉裏にかけた鉄瓶が湯気を吐き出す音までこだわるなど、美術面のクオリティも相当なものだったようです。
出演者の写真を使わない公演ポスター(「父帰る」は茶の間の風景、「屋上の狂人」は夕焼け空)も役者人気におぶさらない、作品そのものの質で勝負していることを象徴してるように思えます。 

そうした重厚な質の高さを可能にしたのは、矛盾するようですがまさに役者人気、主演の草くんにあったと思います。彼の圧倒的集客力があればこそ、派手な宣伝も演出も必要なかった。
もちろん草くんが客寄せのために起用されたということではないです。「父帰る」では幼い頃から家長を務めてきた威厳ある青年、「屋上の狂人」では知恵遅れの若者という、全く正反対の役を見事に演じ分けたその実力は、作品そのもの同様に各方面からの大絶賛を浴びていました
(草くんはこの両作品の演技で2006年の読売演劇大賞・杉村春子賞を受賞。また「屋上の狂人」も優秀作品賞に選ばれました。ソースこちら)。

対照的に二作品で同じような役柄―真面目で優秀な、家族思い・兄思いの弟―を演じたのが勝地くん。
といっても「父帰る」では23歳の社会人、「屋上の狂人」では17歳の旧制中学生、かたや大人しめの兄に甘える部分のある青年、かたや障害者の兄を守ろうとする強気な少年・・・というキャラクターの違いをきちんと演じ分けていたようです。
そして(他のキャストの方にも言えることですが)台詞の内容に頼ることなく、表情や声のトーンで役の心情を巧みに伝えていたらしい。
『演劇ぶっく』2006年6月号の勝地くんインタビューを読むと、彼が河原さんの細かい演出指導をきっちりと咀嚼し、作品の中での自分の立ち位置を把握してそこからブレないように心がけて演じていたのがよくわかります
(「本当は僕的には、お兄さんに「末やあ!」って言われるだけで泣きそうになるんですけど(笑)、でも僕がそこで感動してしまうと、観ているお客様からするとただの悲しい話になってしまう。」というコメントに、勝地涼個人の感情は感情として切り離したうえで、「末次郎(注・「屋上の狂人」での役名)ならどう感じるか、どう動くべきか」を理解し表現しようとしていたのを感じました)。

人様の感想など見るに、勝地くんや河原さんの意図は十二分に観客に届いていたようです。
上演当時、ブログで「屋上の狂人」のラストシーンの末次郎の兄に向ける心情(口先だけで兄に話を合わせてるのではなく、兄と同じ物を本心から「見たい」と願っている)を詳しく考察されていた方がいらしたのですが、その少し後に発売された前掲『演劇ぶっく』のインタビューを読んだら、そのシーンの演技の意図(演出意図)がまさにその方の読み取った通りだったのに驚きました。
表情や目線、声の調子から末次郎の心中を正確に把握したその方も、それを可能にした勝地くんの表現力もどちらも凄い。
原作のト書きにはただ「やや不狂人の悲哀を感ずる如く」とあるのが、優れた演出家と演者を得たことでより細やかに描き出された
(この号の『演劇ぶっく』には河原さんのインタビューも載っていて、両舞台の演出について話されてるんですが、その着眼点の確かさと気構えには改めて感銘を受けました。とくに明治期の日常生活での所作に関するくだり)。
演劇というものの醍醐味を思い知らされた気がしました。見てもないくせに。

(つづく)


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『少しは恩返しができたかな』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2007-07-24 01:02:24 | 他作品
・卒業式にやってきたカズくんに駆け寄る卓球部の面々。
真っ先に両手を広げて駆け寄った男子を、カズくんに抱きつく寸前で両隣の二人が引き離し笑顔で背中をどやしている。
「だって俺もう嬉しくて」「嬉しいのはみんな同じだろ」「(抱きついたらカズが)つぶれちゃうだろ」(カッコ内太字部分はよく聞き取れなかったんですが前後からするとこんな内容だったんだろうと推測)
といった会話と行動に、カズくんが卒業式に無事出席できたことを心底喜びつつ、彼の体への気遣いを忘れない少年たちの心優しさを感じました。
そしてこれまでは皆から距離を置いていた(職員会議の席に乗り込む場面ですでに一緒に行動はしてましたが)拓巳が自然に中に混ざって笑顔でふざけあっている。こちらの方が彼の本来の姿なんでしょうね。
最初にカズくんの病室で皆とかち合ったときの「牧内の奴、最近いつもああだよな」という台詞からも、拓巳のシニカルな態度は(あの時点での)「最近」だけのもの、彼の常態ではないのがわかります。

・卓球部の仲間と久しぶりに卓球(ダブルス)に興じるカズくん。対戦相手の二人が、返しやすいように軽く玉を打ってくれてるのがわかる。
そして一瞬よろけたカズくんに気づきすっと真顔になる拓巳。そのあともちらちらとカズくんの様子を気にしている。
最初に病室を見舞ったシーンもそうですが、ちょっとした表情の動きで感情を伝えるのが勝地くんは上手いなあ。

・カズくんが自宅で倒れるシーン。その少し前から咳き込んでいる様子、体の運び方が本当にしんどそう。

・病院の屋上でカズくんとすれ違いざまに「ごめんね」と言われた佐々木さんの表情がさっと変わる。
カズくんの容態を知る彼女は謝罪の意味を即座に理解したのでしょうね。

・カズくんの病室を尋ねたものの、「患者安静中」の張り紙を見て、歩き去る拓巳。異様にゆっくりな足取りに彼の重苦しい心持ちがよく表れている。
そしてちょうど部屋から出てきたお母さんに呼び止められて振り向いた時の表情は、今にも泣き出しそうでありながら、同時にカズくんの容態についての質問と不安をぶつけられる相手に出会えた、感情のはけ口を見出した安堵も浮かんでいるように思えました。

・拓巳のことをカズくんのお母さんは「拓巳くん」と呼ぶ。普通息子の友達を呼ぶなら名字で「牧内くん」か息子の影響で「タクくん」になるんじゃないか。
卓球部の友達の中で拓巳が別格のような扱いになってるのも合わせ、カズくんと拓巳は小学校もしくは幼稚園以来の幼馴染の設定なのかも、とふと思いました。
ただそれなら「俺、ガキの頃小児喘息だったんだ」なんて告白は出てこない(当然知ってるから)はずなので、特に意味はないのかな・・・。

・「俺、カズに優しくしてやんなかったから・・・」と涙ぐむ拓巳。
受験のことで精神的にいっぱいいっぱいで、他の友人たちのようにカズくんを支えてやらなかった(随所で当時の彼としては精一杯の思いやりを示していたように思えますが)自分を責めつつ、今度はその自責の念と親友を失う不安でいっぱいいっぱいで、目の前のお母さんの気持ちを気遣えないという、一種皮肉な場面。

・涙の跡を隠そうともせず真っ直ぐに拓巳を見つめて「カズは大丈夫」だと語るお母さん。
辛さを懸命に押し殺して拓巳の不安を(おそらく幾分は彼の無神経さに苛立ちつつ)否定してあげながら、自分自身にもカズくんは助かるはずだと言い聞かせている。息子を思うゆえのお母さんの強さと哀しさが伝わってきます。

・アメリカ留学を中止するつもりだとカズくんに告げるお兄ちゃん(高橋一生くん)。笑顔で、かつ明るい調子で喋っているのに涙声。
「涙をこらえて明るい態度を演じている」ではなくて、涙をこらえて「明るい態度を演じている」ようにしか見えないのにびっくり。
このシーンに限らず、高橋くんのお芝居は本当にナチュラルで作為が感じられない。いやはやすごい。

・兄を説得しアメリカ留学を決意させたあとのカズくんの微笑みがひどく透明感に満ちている。
半ば人間界の存在じゃなくなりかけているみたいで、もう長くないのだな、と感じさせる・・・(死の前日、ラーメンを食べたときの表情も)。
そんな表情ができてしまう二宮くん、すごい。

・一人夜の病室で弱弱しく「上を向いて歩こう」を歌うカズくん。
一家四人で食事に行ったとき、カズくんの病状悪化を知らされた両親が車の中で語り合うときにも歌われてきたこの歌。最初、食事の帰りで歌うシーンではなんか話から浮いているように思えましたが、この場面のための伏線だったんだなあ・・・。
力ない声で自分を励ますような歌を歌いながら咳き込んでしまうカズくんの姿がとても哀しかった。すぐ直前の場面で「和憲くんはもう一週間持たない」と言われて泣き崩れる両親の姿も痛ましい。

・四年後、東大の卒業式で集合写真を取る元卓球部員たち。
拓巳は無事医学部に入れたのならまだ卒業ではないはず。それにカズくんと受験会場で出会うシーンで「東大、明日だろ」と言っているので、彼は東大を受けてない模様。
実際卒業証書を持っていないので、拓巳はどこか別の大学の医学部に通っていて、同窓会をかねて東大の卒業式の日に東大卒業組+カズくんのお母さんと落ち合ったものと思われます。
彼のほかにも卒業証書を持ってないメンバーが3人いるので、おそらく彼らもよその大学なんでしょうね。

 


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『少しは恩返しができたかな』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2007-07-21 01:16:28 | 他作品
作品の性格上、ストーリー(実話)部分にはあまり触れず、主として役者の演技・演出について心に留まった点を箇条書きで抜き出してみました。

 

・どうせ抗癌剤で抜けてしまうなら、とお母さんに頼んで頭を剃ってもらうカズくん。
二宮くんは頭の形がいいですねえ。実に綺麗な坊主頭になっていました。
坊主にしてから最初の撮影日に、勝地くんが二宮くんの頭を撫でつつ「おっ、やさしい」とか言ってたそうですが、きっと凹凸のないまあるい手触りだったのを「やさしい」と表現したんでしょうね。

・拓巳がドアをくぐり病室の様子を窺うカットの直後に、ドアに背を向けてベッドにぼんやりと腰掛けているカズくんの背中が映されるので、これは拓巳の視界なのでしょうね。
久しぶりに会う親友の、内面の不安を浮き彫りにしたかのような姿に、きっと心中では動揺しながらあえて「ヒマそうだな」と皮肉めいた声をかける。「おっ、タク!」と応じるカズくんもさっきまでと打ってかわった明るい顔と声で拓巳を迎える。
どちらの態度も相手の気分を暗くさせまいとする優しい強がりに思えます。

・カズくんと拓巳のやりとりは普通に同年の友人同士に見える。実際には二宮くんが3歳年上で、勝地くんは普段彼に半ば敬語で話してる(「寒くないっすか?」とか)というのが意外なほど。さすがに二宮くん、「永遠の17歳」と言われるだけはある(笑)。
ちなみに看護士・佐々木実緒を演じた池脇千鶴さんも撮影当時24歳ですが、彼女も十分高校生で通りそう。

・カズくんが帽子を取る前後で彼の頭を見る拓巳の表情。
大げさな表情の変化はいっさいないのに、ちょっとした目線の動きやすっと真顔になるところに、先に廊下を歩いてきた時の足取りの重さ、病室の前でちょっと佇んでいたことと同様、病中の友人に何を言ってあげればいいのか戸惑う少年の心情が表れている。

・卓球部の友人たちとかち合い、帰ろうとする拓巳を「まだ居ればいいじゃん」と引きとめようとするカズくん。拓巳と卓球部のメンバーたちの仲がしっくり行かなくなってるのを取り持とうとする心遣い。
「安心しろよ。もう見舞いなんか来ねえから」と憎まれ口を聞く拓巳に、「タク」とちょっと咎めるような口調で呼び掛けるのも、彼の態度が気に障ったからではなく、拓巳が皆から反感を買うのを心配したからですね。
命に関わる大病を患っていながら友人を気遣えるカズくんの優しさと精神力の強さに驚きます。

・カズくんと拓巳が卓球しながら会話する場面。二人とも卓球のトレーニングをしたとはいえ、ごく滑らかにラリーを続けつつ、声の抑揚も表情も豊かに演じているのは大したもの。
『POTATO』2006年4月号で勝地くんが、「(ニノくんは)台詞のテンポを考えて玉を返してくれるんです。すごいと思いません?」と語っていましたが、勝地くんも負けずにすごかったです。

・「俺は受験を頑張るから、お前も頑張って病気を治せって」と真顔で告げる拓巳。真摯な目の光に思わず気圧されそうでした。
放映当時、「目が強いから制服着てると高校生より防大生に見える」との評を見かけましたが、わかる気がします。実際撮影の一年前まではリアル高校生だったんですけどね。

・自分たちも受験勉強が忙しいはずなのに、カズくんの分までノートを取ったり、英語ヒアリングのためのテープを録音したりしてくれる友人たち。
後に校長先生にカズくんを卒業させてくれるよう訴えたさい、「北原が頑張ってたから僕らも頑張れたっていうか」と語ってたように恩着せがましい部分も全くない。彼らの熱い友情に驚かされました。
この友人たちの中に拓巳の姿はありませんが、それは拓巳と卓球部のメンバーの間に溝が出来ているせいばかりではなく、拓巳がカズくんの健康を心配するゆえに彼の受験を快く思っていないのも一因なのが、後に明かされます。
かつて小児喘息に苦しんだ経験があり、医者を目指しているだけに、まず体の心配が先に立つのでしょうね。

・模試会場で離れた席からカズくんを見つめる拓巳。軽く微笑むカズくんから目をそらし、そのくせ立ち上がったあとに足を止めてまたカズくんをじっと見つめている。
最初は単にテストの出来が悪かったせいで暗い表情をしてるのかと思ったんですが、よく見返してみるとカズくんを見る拓巳の目にはどこか痛ましげな光がある。
病気を押して受験に向かう親友を直視するのが辛くて顔を背けてしまうのだろうなと感じました。
けれど同時に病気に負けていないカズくんの強さに引きつけられる部分もあって、だから目をそらしたかと思うとまた見つめ直してもしまう。
後に本番の面接が終わった直後のカズくんとばったり会ったとき、拓巳が「カズがその体で受験勉強するの賛成じゃなかった。けど、何か逆だけど俺がおまえにパワーをもらった気がするよ」(この時のカズくんの「勝手に取るなよ」という返しも、二人の気の置けなさが伝わってきて良い感じ)と語る、その心境の変化につながってゆく前振り的なシーン。

・歯の痛みを押して勉強を続けるカズくん。
「痛み止め飲んだんだけど全然効きやしないよ」と力なく言う時のふがふがした話し方が、本当に歯の激痛に耐えているかのようで(しかも台詞はしっかり聞き取れる)、二宮くんの表現力に驚かされました。

・氷入りのビニール袋を抱えてホテルへと走るお母さんが転ぶ場面。その思い切り良い倒れ方は本当に怪我をしなかったか心配になるほど。
カズくんの頬に氷を当て肩を抱く仕草と表情にも母の愛が満ち溢れていて、ここのくだりは大竹さんの演技力に目が釘付けでした。

(つづく)


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『少しは恩返しができたかな』(1)(注・ややネタバレしてます)

2007-07-17 01:19:11 | 他作品
2006年3月22日にTBSで放映。
ユーイング肉腫という難病と戦いながら東大に合格を果たしたものの、大学には一日通ったきりで19歳の生涯を閉じた北原和憲さんの、発病から死までの一年十ヶ月をお母様の美貴子さんが綴った同名のノンフィクションを映像化。

ドラマに先立って原作を読んでみて、一番驚かされたのは先生と友達の一種献身的なサポート。
現代にこんな麗しい師弟愛や友情がなお存在していたことに心がじんとなりました。

ジャニーズの中でも演技派の呼び声が高い「嵐」の二宮和也くんを主役に迎え、周囲も地味だが演技派のキャストで固めた。
この「周囲のキャスト」については演技力以外に二宮くんとの演技の相性も考慮されたのか、彼と共演経験があって個人的にも親しい人が少なくない。
母親役の大竹しのぶさん、榊先生役の勝村政信さん、卓球部の友達(キャプテン)役の郭智博くん、そして親友・牧内拓巳役の勝地くん
(キャストの仲良しぶり、現場の和気藹々とした雰囲気が当時の勝地くんの事務所メッセージや二宮くんのブログ「ゲームニッキ」からうかがえました)。

キャスティング以外でも、番宣が控えめだったこと、変にエモーショナルに走らない抑えた演出に、製作スタッフの「本気」を見た気がしました。

勝地くんの演じた牧内拓巳という少年ですが、結構ヒドい子だな、と思います。
こう書くと語弊がありますが、要はストレス耐性が低い、精神的に弱いがゆえに時に周囲を傷つけてしまう男の子という印象でした。

受験のために一人早く卓球部をやめ、懸命に勉強しても思うように成績が上がらない。
一見クールに装っているものの内心の不安を上手くコントロールできず、それがカズくんや卓球部の友達に対する突っかかるような態度となって表れてしまう。
病気による肉体的精神的苦痛をこらえて明るく笑いつづけるカズくんとはまさに好対照。

受験が終わってストレスから解放された後は明るく男気のある少年へと変化し(むしろ本来の姿に戻ったというのが正しいのでしょう)卓球部のメンバーとも仲直りしていますが、カズくんから珍しく弱気なメールをもらったと言って、カズくんのお母さんの前でボロボロ泣くあたりは相変わらず。
面会謝絶になるほどカズくんの病状が悪化している状況で最も辛い思いをしているのは普通に考えれば身内であろう。
その身内であるお母さんにむかって、さらに辛さを増幅させるだろうメールを見せて「カズの病気は治るんだよね?そうだよね?」と訴えてしまう。
親友が死んでしまうかもしれない、その不安感を胸の内に抱えきれず、一番適切でない相手に感情をぶつけてしまう。
嫌味な態度に出るか感情をストレートに出すかの違いはあれど、不安や動揺を表に出さず内に止めておくことができないのは高校の頃と変わらない。

ただまだ二十歳に満たない彼の若さと、その動揺が親友を案じるゆえのものなのを思えば、十分に同情の余地はある。
放映から間もない頃、このドラマの感想を検索していたら、やはりカズくんのお母さんの前で泣いてしまう拓巳の無神経さに言及していた方がいて、「年齢を思えば無理もない」とフォローしつつ「そうした拓巳の性格を勝地涼は上手く表現していたと思う」(概要)と評してらしたのを読んで、我が意を得たりと思ったものでした。

原作には拓巳にあたる人物は存在せず、「医者志望」とか「卓球部を抜けた」とかの設定のみ実在の人物から少しずつ借りて、性格面は全くオリジナルに作り上げられたキャラになっています。
回りの皆がカズくんを気遣い彼に味方する中で、親友でありながら一人突っ張った態度を取る拓巳は物語のスパイス的役割を担っていますが、同時にカズくんと対になる、カズくんの影というべき存在でもあったように思われます。
外見も話し方も大人しそうなのに人一倍強靭な精神力を持つカズくん。外見も態度も強気なのに精神的には存外脆い拓巳。
全く対照的な二人を並べて描くことで、カズくんの強さ、優しさを視聴者に対してより強く打ち出そうと狙ったのではないでしょうか。
そうした製作側の意図に勝地くんはしっかり応えていたんじゃないかと思います。

考えてみればこのドラマの撮影前後(2006年2月)に『幸福な食卓』を撮影してるんですよね。
そちらで演じた大浦勉学はヒロインに対する細やかな気遣いと大らかさを合わせ持ったキャパシティの大きな男の子だった。
ほぼ同時期に正反対と言っていい「普通の少年」を演じているわけですね。


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『はなまるカフェ』

2007-07-03 02:10:36 | 他作品
2006年1月18日放映分に勝地くんがゲスト出演。20日に放映された自然ドキュメンタリー番組『1秒の世界』(勝地くんは富士山の環境破壊問題についてレポーターをつとめている)の番宣だったようです。
生放送とあって見てるこちらも緊張しましたが、勝地くんがにこにこ喋ってるのを見て一安心。『週刊なびTV』よりさらにリラックスした感じで、表情も豊かでした。
そして表情や仕草や声のトーンのいちいちが・・・つくづく可愛らしい。例によって箇条書きで追ってみます。

・出演作品一覧に『永遠の仔』や『新・愛の嵐』が入らず、2分程度しか出演してない『涙そうそう』が入るあたりがTBS(笑)。

・「おめざ」の「渡り蟹のトマトクリームほうとう」、美味しそうです。でもカロリーも高そうだ・・・。

・「役者の先輩(升毅さん)の娘さんの店なの、で・・・」と言いかけて、ちょっと「あれ?」って風に首をかしげるのがなんか可愛いです。「娘さんの店」と「娘さんの働いてる店」では大分違いますからねー。
ところで勝地くんと升毅さんってどこかで共演してましたっけ?

・勝地くんの「お母さん」発言。
私はわりに言葉遣いには(自分を棚にあげて)うるさい方でして、普通なら「人前では父・母って言わなくちゃダメだよー!」とツッコむところなんですが・・・勝地くん限定で「アリ」ですね(超欲目)。
「お母さん」ていう時の表情や声のトーンが実にその、可愛らしくてですね。あの顔であの声で、「お母さん」って呼ばれる勝地くんのお母様がうらやましい、とか埒もないことを考えてしまいました。
←P.S. 最近はもう若手俳優(女優)さんの「お父さん」「お母さん」は全然気にならなくなりました。勝地くん効果ですな。
←さらにP.S. 2007年になってからのインタビュー記事では「母」になってるものが多い。編集部で直したのかとも思ったんですが(18歳のころのインタビューでもちゃんと「母」になってるものもあったので)、一方でお父さんは「親父」になってたりする。この不統一加減は彼の喋ったままを書いた、ということですよね?母って言えるようになったんだー、成長したねえ、と何か感慨を覚えてしまいます。

・「(お店の)手伝いはしますか?」という質問。「たま~にしますけど・・・」から「いや、してないです」までの表情の変化が実に可愛い。とくに「たま~に」と言う前の片目を細めたところとか。
しかし「お母さんがお洒落な繁華街のお洒落なお花屋さんを経営」「そのお店がドラマのロケに使われそれを見学してたらスカウト」ってほとんど少女マンガの世界のよう。

・お母さんは「お母さん」なのにお父さんは「親父」(「お父さん」とも言ってたんで、普段面と向かってはそう呼んでるんでしょうね)。
お父さんに対してはちょっと身構えちゃう感じ、お母さんに対しては照れと甘えが混在してる感じが、年頃の男の子らしくて微笑ましい。

・「友達がお父さんとサシで飯を食う」とはどういう状況なのか(笑)。
勝地くんも小栗旬くんの家族に交じってご飯食べたりするそうですが、勝地家も小栗家も「息子の友達と食事をする」というのが日常茶飯事になってるようですね。
今どき珍しくも微笑ましいなあ。

・大黒柱のお父さんのお話。「怒ると怖い」といいつつ「ほんとは優しい」とフォローを入れ・・・成長とともにお父さんの言わんとするところがわかってきて、今は怖いというより尊敬している、と。
お父さんについて語る口調だけでも、お父さんを大好きな気持ちが伝わってきます。
←P.S.『Vivi』2007年2月号のインタビューで「二十歳の抱負」を聞かれたさい、「金銭管理を自分でできるようにしたい」と言った後に「将来は、黙って見守る親になりたい」と続けていて、「それ二十歳の抱負じゃないじゃん!」と笑ってしまいましたが、前後でお父さんの話が出ているので(「(金銭管理を自分でできるようにしたい。)親父にもそう言われてるし」(概要)、「うちの父親も無口なんですよ。」)、つまりは「お父さんのような父親になりたい」なんですよね(ここ最近のインタビューでは「自分も父親になったらあんなふうになりたい」とはっきり話してます)。
これは親の身にしてみれば子供からの最大の賛辞なんじゃないでしょうか。
お父さんはこの記事読まれたんだろうか。また「見たよ」とかボソっと言われたのかな(笑)。

・お父さんは怒るときも半端じゃないそうですが、『Boys Beat』で話していた印象とあわせると、ガーッと怒鳴るのではなく諄々と威厳と理をもって説き諭す感じなのではないかと。
普段は放任主義というかあまり口出ししないそうなので、だからこそそのお父さんが動いたときには「まずい、親父が怒った!」と息子たちも神妙にお小言を聞くんでしょうね。いや想像ですけれど。

・「中目黒上腕二頭筋」ユニフォームでの写真。キャップに「筋」て入ってるのがすごいインパクト。
こんなユニフォームの人たちが練習や試合をしてたらさぞ目立ちそうです(高岡蒼甫くんのデザインらしい。小栗くんが雑誌で話してました)。
余談ですが、勝地くんは「草野球チームでのポジションはどこか」という質問に対してしばしば「エースです!」と答えてます。「ピッチャー」じゃなくて「エースです!」ってところが何か得意気で可愛いんですが(笑)。

・忘年会はかなり気合入ってるみたいですねー。前に笠原秀幸くん(彼が上腕二頭筋のキャプテンだそうです)が雑誌で「忘年会で勝地涼主演で舞台をやった」話をしていました。しかしきらびやかなメンバーだ・・・。

・照英さんによると勝地くんは「モリッと筋肉の付く骨格をしてる」そうなんですが、とてもそんなふうには・・・。
ベンチプレスもらって一年以上経つのに相変わらず華奢なまんまだし。でも元全国三位のアスリートの言うことだしなあ・・・。
←P.S. 2007年6月25日放映の『月光音楽団』を見て、「やっぱり照英さんの見立ては正しかったんだなあ」と思いました。
服の上からは(服から出てる部分も)細っこく見えるのに・・・チーム名は伊達じゃなかった(笑)。

・初映画(『携帯忠臣蔵』)のときに共演の中井貴一さんに助けられた話。中井さん面倒見のよい方なんですね。
『イージス』の時も(アカデミー賞授賞式の映像など見ると)真田さんともども勝地くんを可愛がって下さってたようで。
「え?聞こえない」という中井さんの口真似も可愛かった。

・目のせいで先輩にからまれたりしたそうですが、わかる気がします。
アップになった時思いましたが、笑っていてさえ目が強い。目の回りだけハイライトが当たってるかのよう。
真っ白な白目と澄んだ黒目のコントラストが本当に綺麗です。

・「一秒の世界」の映像紹介。赤い服と青い服が山に登ってると、つい青い服の方が勝地くんのような気がしてしまう(『永遠の仔』のせい)。
それととくにスタイリングしてないと思われるストレートの髪に注目。
『六番目の小夜子』や『永遠の仔』で、小さい子供のようなサラサラの細い髪質を「綺麗だな」と思っていたので、久しぶり(『六小夜』は2006年1月1日のCS再放送で見たので私時間としては「最近」だったんですが)に彼のサラサラ髪が見られたのが嬉しかった。
個人的に勝地くんの髪型はこの『はなまるカフェ』みたいな感じがベストなんですが、短いとせっかくのサラサラ感がわからないのが惜しいとも思うのです。

・赤いオープンカーの写真に笑ってしまった。格好つけてんなあ(笑)。

・ラストで咳き込んじゃってましたが、お正月のスキー旅行で引いた風邪が抜けてなかったんでしょうか。水のコップを両手で持ってるのが可愛いぞ。

 

なんか「可愛い」ばっかり書いてたような気がしますが(笑)。
それにしても勝地くんはまわりの人に愛されてるんだなあと改めて思いました。照英さんや中井さんのような役者の先輩、家族や友達。
とくに友達については本人もインタビュー記事で「一番自分の支えになってくれる存在」「友達と過ごす時間が一番大事」というようなことを言ってますし。
インタビューの7割くらいはどこかで友達の話が出てきてる気がします。
ナビ代わりに車の隣に乗ってもらうとか、そういう我が儘を言える、甘えられる友達がいるというのは彼の財産だと思います。
勝地くんがまわりを大事にすればこそそれが返ってくるんでしょうね。

 


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『週刊なびTV』

2007-06-01 01:41:21 | 他作品
BS2夜の情報番組。2006年1月13日放映分に勝地くんがトークゲストで出演。
当時公開中だったアニメーション映画『銀色の髪のアギト』(勝地くんが主人公アギトの声を担当)の話が主でした。
ナビゲーターの加藤晴彦さんの天然なネタ振りや脱線をコメンテーターの玉川美沙さんがさらっとフォローする、という進行が面白かったです。

トーク番組の勝地くんを見たのはこれが初めてでした。
フレンドパークの時とはうってかわって(笑)、雑誌のインタビュー記事のイメージ通りな、落ち着きと初々しさの同居した好青年でした
(「今年で20歳」と言ったらえらく驚かれてましたが、むしろ加藤さんが31歳というのに驚きました。てっきり20代半ばくらいなのかと)。

最初野球チームの話が出たさいに、野球のユニフォームを着てる姿が想像できる、「さわやかな野球青年」「かっこいい、寡黙な感じでね」と口々に言われてましたが、まさにそんな感じ。
自分から積極的に話を進めることはしなくても、質問には丁寧に言葉を選びながら、控えめだけれどはきはきと答えてくれる。相手の目をちゃんと見て、笑顔も交えながら。
ラスト照れ笑いしながら「いえいえ」というように手を振るところとか・・・いいなあ♪

なんか勝地くんて、外見(声も含めて)と中身と演技の質が見事に一致しているような気がします。真っ直ぐで凛としていて透明感があって。
日頃顔で人を好きになることはまずないんですが、彼の顔立ちには妙に惹きつけられるのは、外見に精神がそのまま映し出されているように思えるせいかな。

アフレコの風景を紹介してくれたのは嬉しかったです
なんか笑い声が連続する場面を録っていたようですが、ブース外のスタッフが見ていた画面の動きからいって、おそらくオープニングテーマから間もない、アギトとカインがアギトの家手前のはしごを走る場面かと思われます。
『アギト』関連のインタビューでよく話していた「演じるうちに気がつけば裸足になってズポンの裾もまくっていた」エピソードも出てきました。
彼が、不慣れな声のみの表現にいかに真面目に一生懸命に取り組んだかがうかがえます。
まあこれ、本人も『シネマ・シネマ』2006年1月号で言ってたように、音響監督泣かせなんですけどね(ごそごそ動くと雑音が入ってしまう)。

玉川さんが「すごい素敵な作品ですよね」と言ったときに「ほんとに音楽もすごい素晴らしいし、映像もきれいで・・・」と答えていましたが、確かにKOKIAさんの歌うオープニング、エンディングをはじめ音楽は良かったし、リアルなCGの質感も美しかった(その分背景からちょっと浮き上がってたようにも思えましたが)。
その後『銀色の髪のアギト コンプリート』(『アギト』の設定資料他を載せたムック本)の杉山監督インタビューや監督のブログを読んだところだと、監督自身も音楽や映像にとりわけ深い思い入れを持たれていたようです。
音楽は初期段階から力を入れていた分野だけに、何かと制約が多かったであろう本編以上に監督のカラーが強く出せたというのがあったのかもしれません(『アギト』の詳しい感想は次回で)。 

番組締めの挨拶のとき(勝地くんが帰ったあと)、「今どきの若者はしっかりしてる」「若者ならではの地に足の着き方」と評されていたのが嬉しかったです。
トークの終わりごろに話していた「マイペースに目の前の仕事を一生懸命やる」というスタンスも、番組中で見せた言動の一つ一つも、堅実だし誠実だった。
勝地くんのファンになってから、彼の友達を中心に若手俳優(女優)さんのインタビュー記事をちょこちょこ読むようになったんですが、みんな仕事や家族、ときには社会のことも真剣に考えていて、映画やドラマでばんばん主役を張ってるような人でも、慢心するどころか自分の現在と未来を冷静かつ謙虚に見つめているのに感心させられます。
学校や会社という枠組みに守られていない、若くして身一つで勝負しているからなのでしょうね
(事務所の力というのはあるでしょうが、それが一般客の評価を左右できるわけじゃない)。
彼ら彼女らが切磋琢磨して、素敵な作品をどんどん生み出していってくれることを願います。

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『六番目の小夜子』(3)(注・ネタバレしてます)

2007-05-04 00:48:50 | 他作品

玲はドラマのオリジナルキャラですが、関根秋も本人の性格と果たす役割こそ原作とさほど違わないものの、バックボーンの部分はかなり異なっています。
すなわち「両親が離婚」「心臓病で一年留年」、この二つの結果として「名字の違う(父親に引き取られた)弟と同学年」の三点。

原作の秋は高校生ですがドラマでは中学生。
高校生としてさえ大人びた秋のパーソナリティの説明として親の離婚、病気、留年といった苦労を背負わせ(物語の最初の方で、秋がユキに学校では「兄ちゃん」と呼ばないよう苛立たしげに言う場面がありますが、同学年に弟がいることで自然と周りの目が「留年」と「親の離婚」に向いてしまうことに強いプレッシャーを感じているのがわかります)、さらに周囲より年上ということで自然に皆が彼を立て話を拝聴するようなスタイルを違和感なく成立させた。

そして弟・由紀夫との関係。
原作では同年の親友であるユキをなぜ弟設定に変えたのかは不明ですが、想像するならユキを弟=目下に持っていくことで、秋のユキに対するさまざまなコンプレックスをより強める効果を期待したのかも。
メインキャストの一人でありながら、作品の根幹である「サヨコ」をめぐる騒ぎにユキは直接にはほとんど関わっていない(クラスも違うし)。
彼の存在意義はもっぱら関根秋のキャラクターに陰影を加えることにあるように思えます。

運動が得意(バスケ部)で明るく単純明快な、心身とも健康そのものの弟。
二人がとっくみ合いをする場面がありますが、本気でやりあったら兄より背も高くアウトドア派のユキの方がおそらくは強い。
基本的に「陽」であるユキの存在が秋の「陰」を強調する役割を果たしている。
秋はユキに対しても、玲に対すると同様の眩しさや羨望を持っていたと思います。

同時に心臓病のゆえに自分の方が母に引き取られたことに対する罪悪感もあったはず。
「父の新生活に張りを与えるため」などという理由で父の側にやられたユキは、父が相変わらずふらふらしてるために一人で食事を取ることが多かったり、しょっちゅう母の花屋を手伝ってたりしている。
そんな家庭での孤独、離れて暮らす母への思慕を想像させる言動に触れるたび、秋は密かに心を痛めていたに違いない。

そしてユキの方も兄が自分に抱いている感情をおよそ察知していたのでしょう。
彼も基本的には「明るく単純明快」ではあっても「陽」一色の平面的なキャラ設定ではない(この作品にそんなキャラは存在しない)。
秋ほど小難しく思いつめるタイプではないものの、理由はどうあれ母が兄の方を「選んだ」ことへのわだかまりや、「選ばれなかった」辛さを知るからこそ自分が父を見捨てて母のもとへは行けないという思いが、秋と違って論理的に整理されることのないままに心の中に積もっていたのでは。

ユキが母方に引き取られるかどうかという問題が持ち上がって以降、自称「野生児」のユキの表情にも複雑な翳りがちらつくようになりますが、ユキの、というより勝地涼の魅力は、ユキ本来の「陽」の部分よりこうした「陽中の陰」の部分に多く表れていたように思います。
勝地くん本人は明るくやんちゃな少年だったようですが、俳優としての資質は当時はむしろ「陰」の方を向いていた(今は「陽」と「陰」のどちらもハマる)。
彼の持ち味はほぼ同時に撮影していた(『六小夜』が若干早い)『永遠の仔』の被虐待児童役の方でより良く発揮されたと言えるでしょう。 

話は変わりますが、お母さんと暮らしているのは秋の方なのに、お母さんが経営する花屋を手伝うのがいつもユキなのは、勝地くん自身のお母さんがお花屋さんなのに由来してるんじゃないでしょうか。
主要キャストは皆若いだけに演技の経験が浅く、とくに勝地くんはこれがほとんど初演技だったそう。
少しでも本人に近い役の方が演じやすいだろう、とスタッフが配慮した可能性はあるのでは。

そういえば、ユキはお母さんと一緒の場面は多い一方で、一緒に暮らしてるはずのお父さん(古尾谷雅人さん)とは一緒のシーンが一ヶ所もない。
ひょっとすると『永遠の仔』でも古尾谷さんと共演していて、そちらでは一種敵対する役柄だったので、勝地くんが混乱しないように、ということだったのかも。


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