第10章
・「今日僕は彼女に告白する」はいいとして、「何なら結婚を申し込んでもいい」・・・。
出会って数日、口をきいたのは数回でこのヒートっぷり。妄想パワーでどんどん暴走するあたりはさすが野木と気が合うだけあるというか。
・自分の嫁の外見を表現するのに「バケモノみたいな」ってひどい(笑)。それで通じちゃうし。
彼女が川村とデキてる、という須藤のものすごい発想に笑った。
最終章の「野木さんのこと、好きになっちゃったの」もそうですが、第一の妄想を一部だけ塗り替えた第二の妄想がちょっと間を空けて出てくる映像表現も笑いを増幅している。
・いきなりすごい打ち明け話をはじめるおじさん(蛭子能収さん)。リストラ親父といい、須藤は他人の長話にしょっちゅう付き合わされてしまう。キャラ的にすごーくわかりますけど。
・ついに念力に頼りだす須藤。今お客が入ってきたら、随分アヤしい店員だと思うことだろう・・・。
・「すべては僕の勘違い・・・。だとしたら僕はとんだピエロ?」 いやはじめっから・・・。
・『マルキン』を見て川村と「白い女」が仲直ししたんだろうなーとやたら楽しげな野木。先には川村への意趣返しに彼女と須藤をくっつけようと煽っていたのに。
内心須藤に彼女ができるのは、さらに気にくわない事態なんでしょうねえ。
野木が出てゆくのを見送る須藤のふくれっつらがえらく可愛いです。
・自転車の前でハイテンションで足をばたつかせながら言葉以前の奇声を発する須藤。その後のバンザイ三唱以上に心底の喜びっぷりが伝わってきました。
こういうとこ、須藤は格好悪いけど可愛いんですよねえ。
最終章
・「僕の妄想はもう妄想ではない。現実になってるんだ」。いや妄想だから(笑)。
それにしても彼女が別れ話のもつれで川村に殴られてるところを妄想して、本気で助けに向かってしまう須藤は妄想と現実の境目を見失ってるわけで・・・考えてみると一歩間違えばサイコホラーにもなりうる題材ですねこの話。
・川村のハーレーを追ってママチャリを方向転換させる須藤の意外と敏捷な動き。たしかに「今の僕はかっこいい」かも。
店に到着して自転車を普通に止めずにことさら倒してゆくのも、急いでたからというよりカッコ付けの一環のように思えます。
・川村に殴られる野木の情けなさ過ぎる弱っちさ。ポルシェさんこの作品がほとんど初演技とは思えません。
しかし須藤は無視で野木のみポコったのは、「白い女」からあのビデオは野木が押し付けた(須藤はむしろ別のを勧めてた)と聞いてたからか。単に須藤が不在だったからか。
「あの人たちが勧めたの」という野木引用による彼女の台詞からだと後者っぽいです。須藤は悪くないんだけどなあ。
・「ウンコ」を連呼するナレーション。おいおいおい(笑)。
このシーンといい、「もうパンパンだ」のあたりといい、どんな顔してナレーションしてたのやら。
・怪我に構わず野木に事情を話せと迫る須藤。
このシーンに限らないですが、高めの声と「これがなんなの?」のような子供っぽいしゃべり方のせいで、須藤は設定年齢(25歳)よりずいぶん少年ぽく初々しい印象があります。
撮影当時勝地くんはまだ19歳なので設定年齢より若く見えるのは当然なんですが、苦労してないぶん精神的に幼い今どきの若者って感じで、むしろその初々しさがはまってます。
・「濃厚ホイッププリン」のPOP、なぜにラーメンマン(笑)。
・賞味期限切れもしくは期限切れ近いプリンをあげた程度で「いつかやらしてくれる」と期待するコンビニ店員たち。この物語に出てくる男は川村以外みんな妄想屋ばかりか。
・なぜか須藤たちは川村の家を知っている。全然仲良くないのに。そして勇ましく川村の家に行ってからの格好悪さはさすがです。
・須藤と野木が妄想する「白い女」と川村の情事。こんなところでこけし再登場。
正直なところ原作を読んだとき、須藤が彼女に幻滅したのはつまるところ彼女がキャバ嬢なのが原因ぽいのがちょっと引っかかったのです(キャバ嬢の何が悪いのだ)。
まあ初心な青年としては抵抗あっても仕方ない(むしろ自然)かも、でも男としての器量は川村の方が断然上だねー、などと思ってたんですが、DVDだと「白い女」と川村のセックス現場を押さえた(と思いこんだ)ことで、彼女が自分に気がないとはっきりわかって妄想が破れた、という感じになってたのでそこは納得。
・川村宅に乗り込んで「来年30なんぞ、しかも童貞なんだ!」と意味不明な暴露を始める野木。
これ実は須藤の妄想なので、須藤の中の野木イメージがこうなんですよね。ひどいなあ(笑)。
・いきなり柄悪く「白い女」を罵倒する須藤。でも微妙に敬語で一人称は「僕」(笑)。
「全然可愛くねえから!」と語尾の「ら」が巻き舌になり、「このブサイクがあ!」のくだりは一音ずつスタッカートのような発音。これじゃヤンキー通り越して長距離トラックのおっちゃんみたいだよ須藤くん。
「白いからってなあ、調子のってんじゃねえぞこの野郎!」は野木なみに意味不明だし。
思い切りすごんでるようでいて、わざとツッコミどころ満載のユーモラスな感じに仕上げている。話の展開上、直後の「白い女」を迫力で上回っちゃまずいですもんね。
・「白い女」豹変。うわあド迫力。力ない笑いをうかべながら「すみません・・・」とつぶやく須藤。妄想の中でさえ勝てないのか・・・。
・「白い女は黒い女になった」のナレーションとともに思い出の中の彼女の笑顔がブラックな表情に塗り替えられてゆく(この一連の表情が実に良い)。
まあ実際の彼女は白くも黒くもない普通の女の子だと思うんですよ。須藤に対する思わせぶりな態度も、場の雰囲気をなるべく居心地よくする工夫+仕事の癖ってだけで、悪意あってもてない男をからかったわけじゃないのでは。
メイキングで真唯ちゃんも 「「白い女」ってどんな人?」との質問に「全部良かれと思ってやってる」と答えてますし。
・何もしないまま慌てて逃げ出す二人。しかも結局ハーレーを100円玉で傷つけるだけという・・・。
100円玉でギーッてやってる時の二人、とくに須藤が妙にいい笑顔をしている。ああ小さいなあ。
・並んで座って笑いあい、やがて嗚咽する二人。これもまた青春か。一部のモテ男以外の男たちの青春とはこうしたものなのかも。
この時バックに「なぜだか僕はその時こう思った。こいつとずっと付き合っていこうと。・・・たぶん。」というナレーションが入るのですが、勝地くん自身は『TV Bros』でのポルシェさんとの対談で「その後もずっと親友だったわけではないと思うんです。青春のイチ期間だけの関係っていうのがまたいいなあって」と、この時の須藤の気持ちは一過性のもの、という見解を語ってます。
実際『ソウルトレイン』原作のあとがきによると、まこちん先生と野木のモデルになった先輩とはいつしか音信不通になってしまったそうなので、それを思うと「刹那の友情」が何だか胸に沁みてきます。
・「白い女」に恋して以来マシになっていた須藤の寝ぐせが復活している。
この須藤の寝ぐせ設定ですが、「イケてない」「ダメー」な感じを出すのに無精髭とかでなく寝ぐせをもってきてくれたのに、勝地くんファンとして感謝(笑)。
・写真撮影。妄想のプリクラで「白い女」がいた位置に野木がはまりこむ。恋は破れ友情が残ったことが端的に示されている。
・水着アイドルのグラビアを見ながら、ビキニの端のあたりを指ではがすような動作をする須藤。こらこらっ(笑)。
・『ソウルトレイン』のアピール写真、二人の手には友情の証?の100円玉。実に無駄のない綺麗なオチ。
すっかり元通りのグダグダ生活に戻ってしまった、こんな二人の青春はもうしばらくは続きそうです。オープニングと同じ音楽、同じレコードが回転する映像はその象徴ですね。
p.s. 上記の感想文を書くため『ソウルトレイン』を見返していた11月半ばごろ、当の勝地くんは蜷川幸雄演出の舞台『カリギュラ』に出演中でした。
観劇された方の感想を見るに勝地くん演じるところの詩人シピオンは、「圧倒的な透明感」「壊れそうなほどに繊細」「儚げで美しい」――。
こうした感想を読んだ後に『ソウルトレイン』を見るとあまりのギャップに笑いが止まらない。ちょっとちょっとシピオン!
彼の役の振り幅の大きさを改めて痛感し、顔で大笑いして心で感じ入ったものでありました。