・真っ暗なお風呂で髪を洗う純一。お母さんが電気をつけても何の反応も示さない。それによってお母さんが純一の完全失明を悟る。
河合さんの生誕から教員採用試験合格までを描いた『夢をつなぐ』
(※1)では「おそれていたことがついにきた。まだ、ほんのすこし残っていた右の目の光もきえてしまったのだ。」としか書いてないので、これは映画独自のエピソードでしょうか。
だとすればリアリティのある設定かつ日常生活の破れ目から浮かび上がる残酷な事実の発覚を描く表現法は実に秀逸。
母子心中を思いとどまった時に覚悟はしてたでしょうが、それでも辛いことに変わりはなく・・・。お父さんにひそめた声で報告するお母さんの、つとめて淡々とした調子の中にその苦しみが表れています。
お父さんは無言のまま立って純一のもとへゆく。純一が大きな声で何か言っているのが聞こえますが、お父さんは何て話しかけたのでしょう。
・県大会に出ないと決めたことをめぐり純一は友人のダイスケ(渡辺卓くん)と喧嘩に。
「目が見えなくなった」という至極正当な理由があるにもかかわらず、ダイスケは同情の言葉一つなく「負け犬みたいなこと言って恥ずかしくないのか」「逃げてんのはお前だろ」と容赦なく罵る。
言葉は悪いけれど、純一を憐れんでいない、対等の存在と見ていればこそ。
「負け犬みたいなこと言って」という表現も、後の駄菓子屋のおばちゃんが失明した純一を人生の落伍者扱いにしたのと比べると、彼を「負け犬」と思ってないからこそだとわかります。
・ダイスケに突き飛ばされた純一は、やり返そうとするがよけられて目測を失い、誰もいない空間を殴っては、一旦よけた後は動いていないダイスケに「ダイスケ逃げんな!」と怒鳴る。
痛ましい場面ですが、ダイスケの表情にはここでも同情ではなくむしろ苛立ちがある。対等でありたいのに、対等であるはずなのに、もう純一とは本気の喧嘩をすることもできない。それが悔しくてならないのがうかがえます。
失明という一大事に見舞われた純一の心情に対して配慮が足りないのは確かですが、純一を好きだからこそ彼の気持ちを思いやれるほどに冷静になれないのでしょうね。
・珍しく一人で歩いている純一。もっとも駄菓子屋のおばちゃんの態度からすると、弟や友人同伴でなく一人で歩くことも別に特異ではないんでしょうが、喧嘩シーンの後だけに、いつにない孤独感を感じてしまいます。
・純一が完全失明したと気づいたおばちゃんは、さかんに同情しながら「夢があっただにねえ、目が見えんくなったらそれも叶わんねえ」「何でこんな不幸な目に」と心をえぐるような失礼な言葉を並べ立てる。
このおばちゃんの言動は観てて腹が立つより、自分も傍からは不遇と見える人に無意識に同じような態度を取ってやしないかと背筋が寒くなりました。このおばちゃんが完全に「善意の人」なのがわかるだけになおさら。
・駄菓子屋を出てすぐのところで立ち止まり、アイスキャンデーを地面に叩きつける純一。おばちゃんには(悪意がないのはわかってるだけに)力なくも「ありがとう」と作り笑いをしてみせた純一の感情が爆発するシーン。
叩きつける動作の直前、うつむいて肩を落とした後ろ姿に、すでに彼のやりきれない思いが反映しています。
・夕暮れの町を一人歩く純一は電柱にぶつかりゴミ箱につまずいて転ぶ。
住み慣れた町のこと、手探りしつつそろそろと歩けば歩けるのかもしれませんが、足どりの速さがそれを困難にしている。
おばちゃんの言葉を受けて、一人でちゃんと歩けるのを(自分に対して)証明して見せようと意地になってるのでしょう。
・純一が歩く舞阪の町を俯瞰で映す。下町風のごちゃごちゃした町並みは、一瞬純一がどこにいるかわからない(彼がつまずく―イレギュラーな動きをすることでやっとわかる)。
彼を優しく育んでくれた故郷の町がにわかに危険な障害物に満ちた迷路のように純一を苦しめているのが、このアングルによって印象づけられています。
・病院で純一の友人・進(北村栄基くん)がダイスケを殴る。
このシーン、なぜ喧嘩になったのか一切の説明がなく台詞すらありませんが、ダイスケのきつい言葉が純一を追いつめ彼が事故に遭う遠因となったことに進が激昂したのだと絵面だけでわかります。
そして話さなければわからないのに正直に純一と喧嘩したことを告白し、黙って殴られるにまかせたダイスケの男気と自責の念も同時に描かれている。殴る方も殴られる方も純一を思えばこそですね。
・傷の手当てを受ける純一。ちょっと前に「すり傷だけ」と言ってたので、確かにすり傷ではあるものの意外に大きな傷に一瞬どきっとしました。
・純一の隣りに座った森田先生(三浦友和さん)は、彼の膝に手を置き、ときどき掴むようにして話をする。
目の見えない純一に自分がここにいることを示し、純一は孤独ではないのだと伝えようとする思いやりが暖かいです。
・おばちゃんに「親が気の毒」などと言われたせいで両親には思いをぶつけるわけにいかなくなってしまった純一は、ここで先生の胸を借りてやっと泣くことができる。
やたらな励ましの言葉でなく、彼の気持ちを完全には理解できないことを「ごめんな」と詫びる。純一とともに苦しもうとする先生の心が、純一の張り詰めた気持ちに風穴を開けたのですね。
・先生の肩に顔を埋めて「悔しい」と純一が嗚咽する。
まず左手で先生の肩を掴んでから身体を寄せる動作は(その時先生の方に頭を向けないのも)目が見えないゆえの動き。
・これまで棒読みに近いそっけない調子で、でも時折感情を滲ませながら、泣き出しそうな顔で気持ちを語っていた純一がここで感情を爆発させる。
しかし純一や先生の顔をアップで捉えるでもなく比較的短時間で次のシーンへ移行する。感情過多にならないよう、ドキュメンタリーに近い描き方は全編に共通している。
・純一の言葉を聞きながら、部屋の外でお父さんが何度も頷いているのが印象的。
お母さんに比べ前面に出てこないお父さんですが、一歩引いたところで息子を心配し、包んでいるのが伝わってきます。
・夜のプールで一人泳ぐ純一。腕を旋回させて水を撒き散らしたり両手を伸ばして仰向けに浮かんだり。泳ぐというより水と戯れているよう。
たびたび彼の泳ぎを妨げてきたコースロープは取り払われ、自由にのびのびと、まさに水を得た魚のように見えます。
森田先生がプールサイドにいるので彼が純一をここに連れてきたのですね。自分の責任でプールを開放して。
ダイスケがここにいるのも、純一を追い込んでしまった彼の傷心を先生が思いやって同行したんでしょう。森田先生の生徒たちへの大きな愛情を感じます。
・泳ぎながら「あー!」と二度咆哮する純一の姿に、映画『空中庭園』ラスト近くでのヒロインの絶叫シーンを思い出しました。生まれ直そうとする者の魂の産声。
この夜を境に純一は「目が見えないこと」を受け入れてゆきます。
・テスト用紙が配られたとき、隣席の友人が純一が気づかないうちにさっとプリントの位置を直している。
こういう見えない心遣いが純一の周辺には溢れています。
・先生にテストの問題文を読んでくれるよう純一は頼む。
自分から率先して手を挙げ助けを求めるあたり、意地を張らず見えないことを受け入れていこうとする彼の姿勢の変化がわかります。
この時、周囲がちょっとしんとなり、問題文を読み上げ純一の手を解答欄に運んでやる先生を前の席の女生徒が気にしている・・・。
このテストの描写があることで、次のシーンで純一が「普通高校はとても無理」と宣言する心理的伏線になっている。
・あえて住み慣れた町や家族・友人を離れ、レベルの高い、そして暮らしにくいだろう(土地鑑も助けてくれる友人もいない)東京の盲学校を受験することを決める純一。大学へ行き教師になるという夢を叶えるために。
普通学校に通えず盲学校に進むことを敗北でなく挑戦にしようとする純一の姿勢は、「人にすがらなきゃ生きていけない」「夢も叶わなくなった」といった駄菓子屋のおばちゃんに身をもって反論を示したものといえます。
・ドアの向こうで聞き耳立てていた友人たちがドアが開いた弾みで屋上に倒れこんでくる。
思い切りベタな展開ですが、これは一昔前のような爽やかな青春・友情を意識的に演出したものでしょう。
彼らが純一が一緒に高校に進まないことについて(立ち聞きしてたなら純一自身が言い出したことと知ってるはずなのに)純一でなく先生の方に詰め寄ること、メンバー中に女子も混ざってることも、「ザ・青春ムービー」な感じです。
・純一の家に集い彼のために勉強会をする友人たち。脱ぎ捨てた靴の(靴自体も脱ぎ方も)汚さがいかにも中学生くらいのわんぱくな男子という感じ。
それにしても目が見えないから筆算ができないとはいえ複雑な計算を暗算でやってのける純一・・・すごいわ。
・祭りの太鼓を懸命に叩く純一。
河合さんによるとこの太鼓叩きは「こぶしの皮が破れたり、出血したりするのはあたりまえの世界」だそうで、勝地くんも太鼓シーンの練習のさい手の皮が破れてしまったそうですが、血を滲ませながらも、
「顔色ひとつ変えずに、新しいさらしを手に巻いて、太鼓の練習を続ける勝地君。そのプロ魂にぼくは内心圧倒されていた。」(※4)
撮影時彼はまだ16歳になるかどうか、役者としてのキャリアも2年半程度だったはずですが、幼くとも彼は生粋の役者なのだなあと改めて思いました。
ちなみに前掲の文章の隣りのページに幼年時代の純一を演じる小林京雄くんが太鼓のバチを持っているその手に勝地くんが後ろから手を添えている(手を取って太鼓の叩き方を教えているように見える)写真が載っています。
舞阪の太鼓は中学三年生にならないと叩けないことになっていて、実際京雄くんが太鼓を叩く場面は存在しない。京雄くんは練習の必要はないはずですが、太鼓に興味を示した彼に勝地くんが自分の練習の合間にちょっと太鼓を触らせてあげた感じなんでしょうね。
仕草や表情の優しさも含め子供好きの勝地くんらしいです。
(つづく)
※1・・・澤井希代治『夢をつなぐ 全盲の金メダリスト 河合純一物語』(ひくまの出版、1997年)
※4・・・河合純一『ぼくが映画に出たあの夏の日のこと 映画「夢 追いかけて」』撮影日記』(ひくまの出版、2003年)