児童虐待というテーマ、現在と少年時代を行き来するストーリー形式から、子役にかかる比重は非常に大きく、彼らの演技が駄目だったらドラマ全体のクオリティが甚だしく下がったことは疑い得ない。
スタッフの、いい作品を作ろうとする意欲からいって、当然子役も演技力最優先で厳選したものと思われます。
デビュー早々でその中に入ったというのは結構すごいのでは(主人公・優希の少女期を演じた邑野未亜ちゃんと勝地くんは同じ事務所ですが、この作品は事務所つながりのキャスティングはやらない気がする)。
一つにはビジュアル的要因も大きかったと思います。当時の彼が持つどこか陰のある、儚げな雰囲気があの役柄には合っていた。
それと、笙一郎を演じた渡部さんと顔立ちがどことなく似てるんですよね。実際「この二人が似ている」という意見はあちこちで見かけました。
正直最初は「そんなに似てるかなあ?」と思ってたんですが、モウルがアロハシャツをずたずたに破くシーンで鏡?に映ったモウル(勝地くん)の顔が現在の笙一郎(渡部さん)の顔に変じる形で回想から現実に戻る演出があったさい、二人の顔が切り替わった瞬間がわからなかった。
その時「やっぱり似てるんだなあ」としみじみ感じたものでした(今じゃ見返すたびにそっくりすぎて驚いてます)。
勝地くんにとっては渡部さんと共演(同一人物の昔と今なので一緒のシーンは当然ないけれど)したという意味でも忘れられない作品だと思います。
何でも撮影終了後に子役三人で渡部さんのところに挨拶にいったら、「少年時代を演じたのが君だったから、俺もあの演技ができた。ありがとう」(概要)と抱きしめられたのだとか。
これは子供心に相当嬉しかったでしょうね。以来ずっと「好きな俳優は?」という質問に「渡部篤郎さん」と答え続けてるのもわかろうものです
(もともと勝地くんのお兄さんが渡部さんファンで、家でよく渡部さんのモノマネとかしていたそうで。勝地くんの渡部さんのモノマネはお兄さん直伝?)。
ビジュアルがプラスに作用する一方ネックになっていたのが、声。これはもうこの時期の男の子は仕方ないんですけどね。
普通に喋る場面はいいんですが、叫んだり感情をこめて喋る部分になると声が割れてしまう。
互いの心の傷を告白しあうシーンなどかなりひどい声になっちゃってました(浅利くんのほうも、ちょっと台詞がこもり気味で上っ滑りする感じでした。表情がいいだけに惜しいなあ)。
16歳あたりからすっかりいい声に落ち着いて、今や声が彼の大きな武器になっていることを思うと隔世の感があります(大げさ)。
最後に個人的に好きな場面について少し。
勝地くんが出てるということを抜きにしても少年時代のパートの方がより好きだったりするんですが、なかでも三人が森へ入ったさい川で水遊びをするシーンは格別。
川へ向かう途中の、木々の間から差し込む太陽の眩しさ。水遊びに興じる彼ら、とりわけ優希のいつになく翳りのない笑顔。日の光を映して揺らめく水の透明感。空に放った飛沫の煌き。
全てがきらきらと、静かで澄んだ輝きに満ちていた。深い傷を抱えた彼らの本当に短い幸福な時間。刹那の輝きとわかっているからこそ、その美しさが心に残ります。
この場面に限らず、「ルフィン」という通称の由来になったホースを抱えて暴れるシーン、三人の出会いとなる海のシーンなど、優希には水にまつわる描写が非常に多い気がします。
ドラマ独自のラストで海辺の町が登場することからしても意識的にそうしてあるのでしょう。
最後の手紙にもある「少しも汚れてはいない」「あなたの魂は、美しいまま」なのを象徴するものとしての「水」なのでしょうね。