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about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『未来講師めぐる』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2009-06-29 01:30:02 | 未来講師めぐる
・朝ジョギングするめぐると大作。ゴール地点の「ダイアナ」でホットドッグを食べる二人。これ結構カロリー高くないのかなあ。何かあまり運動した意味がないような気も?
このホットドッグやっぱりユーキのおごりだったりするんでしょうか。恋人のみならずその教え子の食費まで持つんじゃ、時給900円なのに大変だ。

・ホットドッグを食べると大作が29歳イケメンバージョンに。一方でユーキは43歳ぷよぷよバージョンへ。本人はそんなことはつゆ知らず「毎日走ってるとお兄さんみたいにスリムになれるぞ」なんて言ってるのがなんともはや。
別にユーキ自身は自分の20年後の外見なんて知らないんだから身の程知らずな発言じゃないんですけどね。

・「ユーキくんも一緒に走ろうよ!」(20年後に太るのを防止するため)と言われて、「なぜ?」と疑問形だったのに結局素直に一緒にジョギングを始めるユーキ。とことんめぐるには弱いです。
めぐるたちと並んで走るユーキくん、ヘンな掛け声と闘魂ハチマキにもかかわらず、すらっとした立ち姿がえらくいい男なんですが♪

・変装してめぐるたちの後をつけていたはまるが、レンガ模様のビニールタイル?を投げて大作の足型を取る。このあとの会話からするに、大作にジョギングシューズをプレゼントするためだったよう。
バースデイのビビンバといい、娘への愛情表現が妙に間接的なんですよね。そして金に飽かせての行動ばかり。この前のシーンでユーキの時給を聞いてきたのもそうですが、金でしか物の価値を量れない。これは後々めぐるにガツンと指摘されることになります。

・大作の姉・陽子が一緒に走りたいと意思表明。初登場とうってかわったしおらしい態度は、大作の努力を見て自分も痩せられる希望をもったことで、かつてのユーキ同様太ってるために諦めてた恋愛―女の子らしい幸せを掴めるかも、と思ったからなんでしょうね。
この回、「太ってる=恋愛できない」「恋愛はまず見た目が大事」という図式が繰り返し描かれていて、何とも容赦ないというか。終盤の「優しい男の子が好きなんだ」で救いを用意したかと思えばそのまま素直にオチないし。

・表の看板を派手に笑った江口に対して、塾長がいきなり後ろからダイナミックな飛び蹴り(飛びパンチ?はっきり見えなかった)を。しかもわざとかそうじゃないのか「裏ビデオ」とか呼びかけるし。
江口も「裏じゃなくてエロっす。いやエロでもないけど」とお約束な答えを返してくれます。

・通りすがりの女の子(みちる=黒川智花さん)にぶつかられたために、塾の看板が「太先輩アカデミー」に。看板書き間違えたからって看板にあわせて名称を変更せんでもよかろうに。とりあえず余計な点の上に紙でも貼っておくとかさあ。
個人的には「太」よりもその隣のうさぎっぽいキャラクター(塾のマスコットキャラ・ビクトリー先輩)のウマヘタ絵の方が気になります。

・食べすぎで倒れて担架で運ばれる大作。口にホットドッグ右手にソフトクリーム左手に?のわかりやすい&無茶な食べすぎの構図がベタで笑えます。

・保健室で体重をはかり70キロを切ったと知った大作は、喜びのあまりパンツ一丁のまま廊下へ飛び出す。おいおい、と思ったら案の定女子に悲鳴上げられてましたね。

・自分のために必死で痩せた大作に対し、あっさり笑顔で「ごめんね、でもわかって。(彼のことを)好きになっちゃったの」と答える雪子。9歳なのに悪女っぷり全開です。
将来大作くんは彼女と結婚するわけですが、苦労してないかなあ。

・「負けるってわかってて挑戦しないのと、負けるってわかってて挑戦するのとは全然違うんだよ?」
基本はコメディなこの作品ですが、一話に一箇所ははっと胸をつかれる人生訓が盛り込まれてたりする。笑わせて笑わせてどこかほろっとさせる。そしてどこかしら明日に向かう勇気が出てくるような。
思えば一週間を終えた金曜日の夜に見るには最適のドラマでした。

・サッカーボールを巧みに操りながら登校する山内くん。この「生活即練習」な光景に、何だか『キャプテン翼』を思い出してしまった。

・山内くんを金で買収しようとするはまる。小学生相手に札びら切るなよ(笑)。拒絶されて「金だぞ!金はいらんのか!?」ほんとうにお金以外の価値観がわからない人なんだなあ・・・。
知らない人から金を貰うのに抵抗があった(あれだけ大金出されたらかえって恐いわな)というだけでなく、「絶対負けねー!」と負けじ魂を優先させた山内くん、顔だけでなく中身も男前です。

・山内くん応援団は見事に女の子ばっかり。雪子ちゃんが「先輩ー」と言ってるから一つ年上なんですね。この年頃の一歳差はスポーツで競いあううえではかなり不利では。まあそれ以前の問題という気もしますけどね。
「ぜってー負けねー」と不敵に笑う山内くん、肥満児で一つ年下の大作くんを頭からバカにしてかからず真剣に戦う気でいる。爽やかな子だなあ。
「見た目より中身」な大作くんの恋のライバルを、安直に「見た目はいいけど中身はヤな奴」にしなかったのはさすがの匙加減。

・応援団の彼女たちが振ってるうちわに山内くんの顔が。彼女たちの手製?小学生にしてファングッズまで存在するとは。恐るべし山内くん。

・「よーい、ドン!」の合図でスタートを切る大作くんと山内くん。スローモーションで捉えた走る二人の姿、よく見ると山内くんの靴ひもがぶらぶらしてるのがわかる。そのあとのこけるシーンの伏線ですね。

・山内くんが転んだスキにゴールインすることをせず、彼に手を差し伸べる大作くん。しばしその手を見つめてから振り払い、走ってゴールを決める山内くん。
山内くんが大作くんの手を振り払ったのは邪険なようですが、負けず嫌いの、そしてサッカー少年だけに勝負の非情さをよく理解してる彼としては自然な行動ですね。しばし逡巡したあたり大作くんの優しさはちゃんと受け止めているわけだし。
ここは二人とも態度が男前だなと思います。

・雪子が三人で動物園に行こうというのを断る大作くん。その理由はめぐるの方が好きになってしまったから。
じゃあ何のために走ったのか、ということになりますが、これは「負けるとわかってて~」というめぐるの言葉に動かされたからでしょうね。つまりは自分自身に勝つため。そして自分を励ましてくれためぐるの気持ちに応えるため。
山内くんのほうもあの負けず嫌いっぷりから推すに、雪子ちゃんと動物園に行きたいからというより挑まれた勝負から逃げるのは男らしくない、負けたくない、という気持ちから勝負を受けたように思えます。
そもそも山内くんはどの程度雪子ちゃんに気があったものやら。最後に「雪子ちゃん~」と甘い声をかけたりしてますけどね。

・山内くんに肩を揺すられても地面に座り込んだままの雪子ちゃん。その表情には屈辱感があらわ。
自分を好きだったはずの男が別の女に靡いたと知るなり彼に執着しはじめるという・・・。子供ながらすごく女の性(イヤな面)を体現してるような子です雪子ちゃん。
ここから山内くんそっちのけで大作くんへのラブコールがはじまり結婚に繋がったわけでしょうね。数年後には大作くんの美形化がはじまったんでしょうし。

・めぐると大作の動物園デート。「あー!」と口を開ける大作29の表情と声の無邪気さときたら。
シーン的には少ないものの阿部さんの子供演技は実に見事で、外見と言動のギャップで笑いを誘ってくれました。イケメンであることがそのまま笑いになるという(笑)

・象に興奮する大作くんと、「大きいねえ、格好いいねえ」と言いながら大作くんの顔ばかり見てるめぐる。
めぐるの手にはフランクフルト?が二本。格好いい大作とデートするために常に満腹状態をキープしたいのはわかりますが。この日だけでめぐる何キロか太ったんじゃ。

・20年後の大作くんにメールを送るめぐる。ということは現時点で9歳の大作くんはメアドつまりは携帯を持ってるわけですか?今どきの子としてそう珍しくはないけどあの両親のキャラからしてもちょっと意外。しかし息子の名前「大雪」ってそのまんまじゃん。

・いかにも高価そうな毛皮のコートで「デリ金田」を訪れ、店中の商品を買い占めるはまる。乞食ルックから毛皮まで、はまるのファッションは幅広すぎです。

・訛りまくりのカントリー少女みちる登場。ここまで訛るのもなかなか難しいと思うので、これは黒川さん名演技です。

・エンディング恒例の「キャストが子供の頃なりたかった職業(子供の頃夢見てた20年後の自分)」の絵。今回は勝地くん。
彼の夢が「野球選手」だったのはファンの間では有名ですね。勝地くんはピッチャーだった(今も草野球チームで一応はエース。「一応」と付けたのはほとんど試合やってないらしいため(笑))ので、この絵の左の方にいるピッチャーが「20年後の自分」なわけですね。いや本当に書いたのはスタッフさんでしょうけど。

(つづく)

 


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『未来講師めぐる』(2)-3(注・ネタバレしてます)

2009-06-26 00:49:14 | 未来講師めぐる
〈第2回〉

・振り向いた20年後の雪子ちゃん(松本梨菜ちゃん)のお腹(臨月間近)で突き飛ばされた格好になるめぐる。しかし現実には9歳の雪子ちゃんにしてみれば何でめぐるが急によろけたのかわけがわからないはず。
第1回でも書きましたが、めぐるの目にそう見えてるだけで実際にお腹が出てるわけじゃないんだけどな。まあお腹を通過しちゃうより、ないはずのものに押されてよろける方が絵的に面白いからいいや。
しかし何で授業中に間食してるのだめぐる。お腹が鳴っちゃあいけないからってなあ。

・満腹になった後ユーキについ冷たくなってしまうめぐる。しかしユーキ43の服のセンス、23歳当時と全然変わらない。変わらなすぎて目の毒というか。めぐるの態度にしょぼんと俯いてるところが何か可愛いです。

・「モッカって野球選手いましたよね、大洋に」。この後数話にわたって登場する「助っ人外人」ネタ初登場。面白いのか面白くないのかマイナーなのかそうでもないのか微妙なネタの振り方が妙に可笑しい。
しかし「大洋ホエールズ」とは懐かしい名前だ。モッカの所属チームは正しくは中日だそうですが。

・モッカネタでなぜか激昂する塾長に締め上げられた江口が妙にうっとりした表情で塾長の背中を撫で回してるのはなんだ(笑)。江口の行動は何かいちいち変態チックに見えてしまう。基本線としては正統派女好きだと思うんですけどね。

・「モッカは首位打者になったことはない。なれなかったんだ、一度も」。真剣な、そして泣き出しそうなほど痛々しく張り詰めた表情でふと顔をそむけ足早に立ち去る塾長。実は大ファンだったのか。切ないような笑えるような。
この塾長の言動に対して「生理ですかね」とはめぐるもいる前で問題発言だぞ江口。

・「ヘイヘイヘイ!みんなすっごいうんこが出たんだぜ」で始まる塾長のポージング付きの迷ゼリフ。メイキングによると、武田さんこの台詞でNG出しまくってました。
そりゃこのテンションでこの台詞、しかも踊り付きは相当キツい。こんな台詞を言わされるとはほとんど拷問。それを何度もやり直しするはめになるのもまた拷問。
本当に塾長は言動の一つ一つを見るにつけ、武田さんお疲れさまでしたと言いたくなる。

・おじいちゃんの回想?でディスコで「関係なーい」と踊っているはまる。4話のユーキの「どーでもいい」踊りや9話のめぐるの「信じなーい」踊りのルーツはここにあった?

・20年後も髪型(色とか量とか)が全然変わらないところから塾長のヅラ疑惑がつのる。塾長ももっとさりげなく髪も年取らせていけばいいのに。56歳であの頭はないよなあ。

・「お客さまのお手の方が火傷という形になってまいります」。藪中店長の言い回しに笑う。でもコンビニやスーパーでの紋切り型の口上を思えば、本気で言う人いそうな気もする。
「火傷という形にはならない」と一言ずつ区切るような口調でツっこみを入れるユーキ43の喋り方がいい味。というかユーキくんあのセーター20年間着てるのか?

・実験のために焼肉やらケーキやら食いまくり、ユーキに「ギャル曽根っすか?」と驚かれるめぐる。この調子じゃユーキがずるぷよになる以前にめぐるがずる、はともかくぷよぷよになるがな。
この「ええっ!?めぐる、ギャル曽根っすか?」の言い方がちょっと早口すぎて、まだもひとつ役がこなれてないような印象。ユーキがいよいよ本調子になるのは第4回からですね。

・テストが終わると同時に栄養失調で倒れる肥満児・大作くん。彼のお腹のバンソーコーはなんなんだろう。

・病院で大作が栄養失調と聞いて驚くめぐるに「太ってるからって栄養が足りてるとは限りませんから」と怒る看護婦(婦長?)さん。
この看護婦さん自身が太めなところに可笑しみがある。「ああ・・・」とめぐるが看護婦さんの体を見つめつつ納得してるのも。

・突然地響きとともに画面が揺れるので、地震が起きた描写なのかと思えば、大作の両親(ともに太っている)が廊下を走ってきたためとわかる。なんという漫画的なベタさ。お父さんパパイヤ鈴木さんだし。

・「DELI金田」の定番メニューを見せられながら、目を細め幸せ満点の笑顔なめぐる。この時の笑顔が何となくギャル曽根さんぽいのは意識してですかね?

・これまた太めの大作姉・陽子が帰宅。ロールケーキ一本を無造作につかみ揚げ物をつまみ、みかんを数個取り・・・のとんでもない食欲。
「ちゃんと手を洗ってから」「手を洗ってもダメよ、あんなに食べちゃ」とお父さんとめぐるがそれぞれにツッこみを入れてますが、お客がいる前で店の商品を無造作に口に入れ挨拶もしない無作法さが一番問題な気がするなあ。

・金田家の食事風景の紹介。食事量の膨大さは予想通りですが、いちいちウーロン茶のペットボトル(2L)がどんに食卓に置かれ、めぐるが「ストップ!」というと回想シーンなのに動きが止まり、両親がウーロン茶の効能を説明する間子供たちはストップモーションのままなのがナイス演出。
しかしこの家食費ハンパないだろうな・・・デリ儲かってるんですね。しかし夕食の「一人あたりケーキをホールで一個」はないだろ(笑)。

・大作の部屋。小物までやたらと食べ物(の絵や模型?)だらけ。そしてそこは「見るだけ」と張り紙がしてある。「一日五食」の色紙が飾ってあるとか(モットーなのか?)。美術さん細かいなあ。

・大作に好きな子がいると立ち聞いて、部屋の外で「100パー無理」と爆笑する陽子。うわ鬼姉。大作の恋が実らないと断言する理由が彼の体型にあるんだとしたら全然他人事じゃないじゃんかよう。
まあこれが自分が(体型ゆえに)恋することを諦めてしまっているための言い草なのだと考えたら何気に哀しい発言なのかもですが。口のまわりに生クリームついたままでお客さん(めぐる)の前に平気で出るあたり女捨ててる感じですし。陽子とお父さんがそろって階段下りようとしてつかえちゃうのも芸が細かい。

・その日の吉田家の夕飯は揚げ物。金田家からのおみやげなんでしょうが、老人と女性の二人世帯にはちょっと量が多くないか?ダイエットやめるからってなあ。

・最近のユーキへの態度を自分も見た目重視だったと反省するめぐる。しかし続いての台詞が「来年太るわけじゃない。まだ20年あるんだから」。当面は見た目が大丈夫だから許容できる・・・結局見た目重視なんじゃん!
ストレートにいい子に描かず、それでも「今のユーキくんが好き。だからそれでいい」の一言でちょっとほろっとさせる匙加減が上手いです。

・「20年後おまえがデブ専になればいい」というおじいちゃんに対して「それはない」とにべもなく言い切るめぐる。
しかし実際には20年どころか数ヶ月で「お腹いっぱいになったあとはずるむけでぷよぷよのユーキくんでなくちゃイヤ」になってしまうのだから慣れとは恐ろしいものです。これはこれで見た目重視なような気も。

・食事中、にわかにおじいちゃんが死人に見えてしまうめぐる。頭に三角布、顔色の白さは千鶴ちゃんと一緒ですが、鼻と耳に詰め物までしてあるあたり、いやあ細かい。
「他人の20年後の姿が見える」というのはホラーSFにもなりかねない設定だったんだなあと気づいた。おじいちゃんの場合自分で自分の姿が見える(自分の死期がわかる)わけだし。でもグロくならずにユーモラスな味わいにとどめてある。後ろに小さく「チーン」と仏壇の鐘の音が効果音で入るとか。これもバランス感覚ですね。

・「もう踊らされるのはごめん」と言いながらクラブで踊っているはまる。オールバック(あからさまにカツラ)に白いスーツ姿・・・竹内力さんみたいだ。そのあとなぜかボロルックに着替えるし。

・講師室の一点(何らかの球体―のちに地球儀とわかる)を深刻な顔で見つめる江口と高尾山。何ごとかと思えば(笑)。
公式ページで塾長のキャラ説明のところに早々と書かれていた「ヅラ疑惑」が初めて本式に登場したのがこの場面では。その前の「20年後も髪型がそのまま」と言うのはこの伏線だったわけだ(笑)。

・ヅラ問題に焦る二人を尻目にお菓子置き場のかりんとうを眺めているめぐる。しかもそれを買ってきたという江口に「かりんとうってセンスないですよね」。なんたる言い草ですか。

・「ヅラを忘れていったのはわざとではないか」との持論を展開する高尾山先生。早口の長台詞を独特の節回しで聞き取りやすくかつ面白く表現する。正名さんさすが。
そのあとの「見ないで。見ないであげて」も言葉遣いといい声のトーンといい、やたら女性的なのに笑いました。その後地球儀をいじる江口の顔芸も可笑しい。

・「いやいやいや」と言いながら入ってくる塾長。「いやいやいや」が長すぎて見事なまでに不自然。しかし塾長どうやってヅラ取り戻した&取り戻すまでのあいだは頭をどう誤魔化してたんだろう。帽子かぶってた?

・めぐる先生の英語の授業。なぜ「apple」「bread」「chiken」と来て次が「rice」なんだ?

・チョークがなんとかりんとうに(笑)。いやー毎度この無茶さ加減が見ものでした。かりんとうを口に入れるまでの(入れてからも)めぐるの自問自答っぷりも実に可愛らしい。

・一口食べたらやみつきになってしまっためぐるは筆記用具を引っくり返すがそれ以上かりんとうは入っていない。そりゃそーだわな。
そしてかりんとうの袋を抱えて廊下を走るめぐるの姿。ちょっとちょっと、授業中断してお菓子を優先させたと!?こんなことでいいのか塾講師。

・20年後の大作くんは何と細身の超イケメン(阿部力さん)に。それを見て内心「F4?」とかつぶやいてしまうめぐる。これは大ヒットドラマ『花より男子』(阿部さんがオールマイティのイケメン四人組「F4」の一人で出演)ネタですね。
29歳の大作は何故かお洒落なスーツ姿。そして何故か胸ポケットには赤いバラ(笑)。なんですかこのわかりやすい王子キャラは。にもかかわらずあいかわらずお腹出した格好(服がめくれあがってる)で臍のところにバンソーコーが。何故だ。
しかも話し方や泣きじゃくる仕草はまるっきり子供と言う・・・うーんこのまま大作29がレギュラー化してたらすごい萌えキャラだったかも。

・大作のピュアな心に感動するめぐる。そのわりに感動しながらかりんとうむさぼり食うのはどーよ?と思ったが、大作29見たさだったわけですね。
そして大作に対する「ピュアデブさん」なる形容に笑った。すごい造語だ。

・ユーキの語るデブ連鎖論。ここでも「エンドレスデブ」なる造語が。似たものカップルか。しかし跳び箱飛べなくてストレスで食べて太るのは文科省の出る幕ではあるまい。
このときの「食べるでしょ、太るでしょ」の言い方をDVD特典の座談会で江口役星野さんが絶賛してました。

・「だって俺、その頃のアダ名、「タル」っすよ」。笑顔でさらっと語るユーキ。
あくまで過去形で今はスレンダーだからだろうけど、彼女の前でいいカッコしたがらないと言うか、気張らず自然なところがユーキくんの良さのように思います。

・「ダイアナ」の看板の後ろから現れるはまる。「ダイアナ」の制服どっから持ち出したんだ。そしてその髪型とサングラスはなんなんだ。ユーキの時給を聞いて鼻で笑ってるし。
「なんだよ、感じわりーよ?」ってユーキくんのツッこみがいい味。年上の彼女に微妙に敬語だったり、尻上がりで止める話し方だったり、ユーキくんの会話はごく一般的な今時の男の子な感じです。

(つづく)

 


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『未来講師めぐる』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2009-06-23 00:25:24 | 未来講師めぐる
・おじいちゃんの元へ走るめぐるの視界に飛び込むまわりの人々。公園で遊ぶ子供たちは警察官だったりホステスだったり。画で見ると実にシュールだ・・・。

・「おまえのその能力は何の役にも立たんからだ。しいて言えば、自慢。」 
人の未来が見える=予知能力というのは、その気になればいくらでも利用(悪用も)できると思うのだが。実際後半出てくる永作おじさんも愛子ママもそれをネタに金儲けしてたし。
けれど能力を我欲のために利用しようとせず、人にない力を持ってることで優越感にひたることも否定する(せいぜいちょっと「自慢」に思う程度)おじいちゃんの姿勢はすごく清清しいです。
まあ見えるのが20年先じゃ予知が正しいことを証明するのに時間がかかりすぎるから、そのへんが「役に立たん」と言われる所以ではあるんでしょうけど。

・「嫌いだよ。散歩なんて。迷うし疲れるし」。
おじいちゃんのこの台詞は地井さんのレギュラー番組「ちい散歩」にかけてのギャグですね。そして「迷うし」の言葉にたがわず、第3回で迷いまくってました。

・吉田家の系図が公開。古いところでは「ヘレネ」とかご先祖ギリシャ人?な名前や「山椒」「胡椒」などスパイス系、「特盛」「並盛」など丼系、「遅松」「トド松」などおそ松くん系の名前など突っ込みどころ満載。

・「ほうっておいたらユーキくんは」「ぷよぷよのずるむけだなあ」っておじいちゃんヒドい(笑)。
しかしユーキの未来の姿を知ってるということは、これまで満腹時にユーキの20年後を観察したことがあるのか。だとしたら偶然見てしまったのか可愛い孫娘の恋人だけに将来が気になって意図的に「見て」みたのか。
ところで当然おじいちゃんはめぐるの20年後も見て知ってるわけですよね?あの食欲から察するに、ユーキ43以上に太りまくってそうな気がするんですが。

・「考えてみたら今勉強してることが将来役に立つ子なんて、ほんの一握りなんだよね」。
この台詞は何気に重い。学習塾を舞台にしたのは、小学生から中学生くらいの少年少女が20年後に相撲取りやシスターやSMの女王様になっている(今勉強してることが将来役に立っていない)姿を違和感なく見せるためだったのかなとも思えます。

・黒板消しがいつの間にかカステラに化けている(笑)。こんなことってありうるか!?と視聴者がツッこむ前に、めぐる自身に「こんなことってありえる?」とツっこませるのが上手い。
そして動揺するめぐるのモノローグ、「this is カステラ」といちいち英訳してみたり「カステラで字は消えません」と一人ツっこみしたりのパニックぷりから「カステラなんか・・・食べちゃえ!」に至る流れもちょっとおバカで食いしん坊の(何だかんだ言ってカステラ食いたかっただけじゃないのかと)めぐるのキャラを可愛く魅力的に押し出していて見事。
ここの場面、めぐるの声といい表情の一つ一つと言い、「あーっ」と叫びながら教卓の後ろに倒れこむ動作とか、いちいち可愛すぎます。この可愛さは深田さんなればこそ。

・教卓の陰でカステラをむさぼり食うめぐる。あの量のカステラ一気食いとはすごい。太るよめぐる。
ところでこの回、めぐるがスーツの下に着てるベスト?も腕時計も教卓上のペンケース?もみんな色がライトイエロー。『めぐる』の小道具はかなり凝っている印象なので、カステラの黄色と色合いを合わせてそうしてるのかも?こうした色の統一感を出す演出は、他の回でもちらほらとうかがえました。

・振り向くとライフセーバー姿のムキムキな今市くん(西原信裕くん)が。顔は中学生バージョンと一緒ですよね?
あの筋肉は肉襦袢かそれとも合成なのか?まさか自前ってことはないよなあ。

・生徒の中に一人青ざめた顔に三角形の布を頭につけた少女=千鶴(森岡朋奈ちゃん)が。そりゃ生徒のうちに一人くらい20年後を待たず夭折する子もいておかしくないんですが、頭に三角の布という実にわかりやすい映像表現にウケた。
思えば20年後の人々が皆職業を示すような格好をしてるのもマンガ的わかりやすさってヤツですね。

・千鶴に真面目に授業するよう抗議されためぐるは「オバケに注意されちゃった」と肩をすくめる。いやその子数年以内に死ぬんですが?この軽い反応に何ともいえないおかしみがある。
「あなたたちの心配はまた今度ね」とか、赤坂くん以上に千鶴ちゃんを助ける方が急務な気もするんですが、まあドラマとしては赤坂くんほっといて千鶴の話に行くのも中途半端なので「また今度」にならざるをえないんですが。
そしてちゃんと先になってから、めぐるは千鶴のために心を砕き結果的に彼女の命を救っている。いいかげんみたいに見えても、生徒のために自ら奔走するのがめぐるの良さですね。ただの食いしん坊じゃないぞ。

・ペンキ職人の格好で現れる20年後の赤坂くん(金子賢さん)。左手にペンキを下げているわかりやすさが笑えます。めぐるも「ペンキ屋さん!」とか呼びかけちゃってるし。

・授業が終わって帰ってゆく生徒たちがまだ20年後の姿をしてる。最初に小5クラスの生徒の未来を見てしまったときは、すぐに元に戻ったのに。今回はカステラの量も半端じゃなかったですからね(あとで自ら「カステラは腹持ちがいい」からと解釈を加えてます)。
お相撲さんがめぐるの右横を(太ってるため)すり抜けられず、左側に回って通り抜けてますが、たぶん中学三年時の彼はそこまで太ってはないですよね?20年後の姿はあくまでめぐるの目にそう見えてるだけで、実際に彼らの外見が変化してるわけじゃないので、見た目と実際のギャップ(今回のような中学時なら通れる場所を20年後の彼は体型的に通れない)をどう処理するのかと思ってたんですが、20年後の外見基準で「なんで本当に太ったわけじゃないのに通れないんだよ!」と視聴者の笑いを取る方向に持っていった模様。

・話があるといいながら、カラオケで熱唱する赤坂くん。彼の歌に対する情熱が今後の展開に関わってくるとはいえ、塾の講師に相談持ちかけながら一時間歌いっぱなしって。
時間経過を気にするめぐるの「ラップに入ってしまった」という内心のつぶやきに何か笑ってしまった。

・「見た目は立派な35歳でも心は15歳、まだ子供なんだわ」のシーンで赤坂35がにこっと笑う。その表情が本当に少年のように無邪気に見える。金子さんグッジョブ。

・「数学とか将来役に立たなさそうだし」という赤坂くんに「そうね、数学はね」と素で答えてしまうめぐる。おいおい、いくら担任がエロビデオだからって正直すぎでしょ。
そのあとも「でも英語は必要!絶対!」と数学不用発言については全然フォローしてないし(笑)。あとでこれ知った江口が悶絶してましたね。

・何とか言いながら結局つけ麺屋に来ているめぐる。しかも赤坂くんと一緒。教師が教え子、それも男子と二人で、というのはまずいんじゃないのかなあ。学校じゃなくて塾だからそのへんはゆるくていいのかなあ。

・トイレで歌う外人(ペンキ屋)と赤坂くんの交流。そして赤坂くんとレイ・チャールズの出会い。
歌手志望の赤坂くんがいかにしてペンキ屋になったかという理由付けのこの強引さ。ここまで力技だともはや笑うしかない。ていうかそれを狙ってのネタですよね。

・札束もらって嬉々として去ってゆくペンキ屋を見送るはまるに、塾長がなぜ早く作業をしないのか問い質す。
この時はまるがいろいろあやしげな動きをするその一貫として、何を考えたか塾長に投げキッスをしている。このシーンの塾長、いや武田さん素で笑っちゃってる気がするんですが。

・オーディションをTVで見ながら蜜柑の皮を剥いていたおじいちゃんはそれをめぐるに渡す。なんとめぐるの分の皮をわざわざ剥いてあげていたとは!
なのに「白いの全部取って!」と要求するめぐる。どれだけわがままなんだ。めぐるが家のことはなーんもしないという設定はすでにここで出ていたんですねえ。

・メールのアットマークを20個つければ20年後にメールが送れるかもと提案するおじいちゃん。いやあ20年もあればアドレス変えてるだろうしまず無理では?
アットマークを「耳みたいなやつ」と言っちゃうような文明の利器音痴のおじいちゃんならではの発想ですが、それが本当に通用しちゃうんだから文明音痴恐るべしである。

・黒板に書かれた英語の文章に間違いがあれば直せという設問に「分かりません」という赤坂くんに、めぐるは満面の笑顔で「うん!」と答える。ちょうど20年後の赤坂くんから金髪美女との結婚を知らせる写メールが届いたからですが、黒板の文章が「He will be happy after 20 years(彼は20年後幸せになるだろう)」なのも当然関係あるはず。
「20年後幸せになるだろう」→「分かりません」を、「将来幸せになれるかわからない」という意味に捉えて「ちゃんと幸せになれるから大丈夫だよ」という意味合いの「うん」なのか、「未来のことなどわからない」という意味にとって、見えない明日に向かって懸命にもがくことこそ人生なんだから頑張れ!とエールを送る意味での「うん」なのか。

・「やなわらばー」の歌うエンディングテーマ。めぐるやみちるなどの美人数名と自分との相合傘を書く江口の含み笑いが実にいやらしい(笑)。星野さんほんとはまり役です(褒めてます)。

(つづく)

 


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『未来講師めぐる』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2009-06-19 01:24:24 | 未来講師めぐる
〈第1回〉

・導入部でいきなり街中を走るめぐる(深田恭子さん)の姿。途中映像が早回しになるのとその際のちょこまかした効果音でコミカルさ(めぐる本人はシリアスにパニクっているが作品としてはコメディであること)を表現している。
走るめぐるの様子を追う間に公園で遊ぶ子供たちやストリートダンサーのの女の子の姿を挿入し、おじいちゃん(地井武男さん)の語りの形で「この子はキャバ嬢」「この子はヤクザ」などとおよそ映像と合致しない人物評をかぶせる。
この時点では何が起こってるのか全くわからない、しかし何かしら謎があることを予感させ興味をひきつける。ツカミは上々。

・「おじいちゃんおじいちゃん!」と叫びながら走り続けためぐるが、つまずいたはずみに自宅の壁を飛び越え庭の花壇?に飛び込む。思いっきり特撮な映像が嘘臭くて笑えます。花の密生の仕方もいかにも不自然で(笑)。

・「私はめぐる。吉田めぐる」ではじまるめぐるのモノローグ。この先ずっと続く定番オープニング台詞のはじまり(やはり宮藤さん脚本の『タイガー&ドラゴン』もキャラ回り持ちで定番オープニングパターンをやってましたね)。
こうしたパターンの繰り返しが『めぐる』の面白さの一翼を担っています。

・めぐるが勤める進学塾「大親切アカデミー(仮)」の看板が大写しに。(1)でも書きましたが、最初番組公式ページで「塾の名称がしょっちゅう変更になる」設定を知ったときには何かすべってる感をおぼえたんですが、これも毎回のお約束になることでしっかり笑わせて頂きました。パターン化することで愛着が湧くというか。
回を追うごとにこの作品にはまっていった、キャラクターの一人一人、ネタの一つ一つまで愛おしく感じられるようになったのは、ここに秘訣があったように思います。

・生徒の中学生(後から思えば今市くん)に「pineapple」の綴り間違いを指摘されるシーンでピコピコハンマーみたいなユーモラスで可愛い効果音が鳴る。こうした効果音も『めぐる』の魅力の一つ。
スタッフさんたちがこのドラマを愛情を込めて大切に作っていったのがよく伝わってきます。

・めぐるをつけ麺屋に誘う江口=エロビデオ先生(星野源さん)。ロッカーに体をもたせかけ右手をロッカーの上について左手親指で後方を指差す。
そのキザなポーズと喋り方で、もうエロビデオのキャラクターをわずかの間に体現している。星野さんの表現力と演出の匙加減に拍手。

・江口の台詞に高尾山先生(正名僕蔵さん)からのツッコミが。ここでの「上沼恵美子と黒柳徹子、どっちが人の話を聞いてるか」という高尾山発言に見られるような、ストーリーに何の関係もない、かつちょっと毒を含んだ台詞をさらっと会話の中に混ぜてくるのが宮藤流のユーモアですね。このしょーもなさが味。

・江口の話にろくに関心を示さず講師室に常設のお菓子置き場でキャンディを物色するめぐる。めぐるの食いしん坊キャラがさりげなく示されている。
ついでに全編通して活躍(?)するこのお菓子置き場が、講師室の場面で画面に花を添える効果をあげています。他にもぬいぐるみやカラーファイルなどの小道具がこの講師室をいかにも楽しい雰囲気に演出している。

・門伝塾長(武田真治さん)登場。こちらも動作や表情がいちいちキザですが、江口のような残念感がない。
でも素直にかっこいいというよりは「ちょっとずれてるヘンな人」という印象になっているのが上手いです。後々はっきりするように、それが塾長のキャラなわけですから。

・つけ麺屋に同行したがる塾長に、江口はあからさまに嫌そうな顔をしたあと「板橋(の店)なら入れますよ。地図書きましょう」と言い出す。そこまでして塾長を連れてきたくないか(笑)。いかに三人しか入れないにしてもねえ。
さっきのシーンに続けて高尾山先生が江口の計画をぶち壊すようなツッコミを入れているのが、反復による笑いを引き出しています。

・「私がつけ麺を食べている間おじいちゃんの話をします」とナレーションしながら、「20年前」の表示とともにいきなりバブル期のディスコで踊るめぐるの父・はまる(船越英一郎さん)の姿に。「まちがえた。これは父です」とはまる関連の話題をいったん締めて本題の回想へ移っていく。
構成としては話の流れがスムーズじゃなくなってますが、早めにはまるの一癖ありそうなキャラを印象づける効果を上げています。

・ぼろぼろの浮浪者ルックでめぐるを訪ねてくるはまる。このとき連れてるホステス風の女性がいちいち腰に手をやって体をそらせるようないかにもなポーズをつけてるのが笑えます。

・父はまるの栄光と没落を描くめぐるの回想。わかりやすいバブリーさとその弾け方(笑)。わざとベタベタにしてあることで笑いを誘う。

・いろいろあってタイトルバックがやっと出る。コミカルなテーマ曲をバックにした、アニメと合成されたキャラクターのコミカルな動きがバカバカしくも可愛らしい。このオープニングにも回を重ねるごとに愛着が出ましたねえ・・・。

・講師室で赤坂くん(佐藤和也くん)の成績不振と流星高校受験について語りあう先生たち。
塾長の独特の節をつけた話し方が、説明台詞も鬱陶しくならずに聞かせる。会話に江口がからんでくるタイミングもグッド。

・生徒と普通にメールをやりとりすると話すめぐるに、江口は「中三て言ったら体も心も立派な大人の男性なんです」と危険性を力説するが、「大人の男性」という時に両手で作ってみせるラインが・・・(笑)。それは女体型だ。このシーンにツッコんだ人多かったろうな。

・「中三の性欲」の話から若者言葉「パねえ」の話に。公式サイトのブログ名(パねログ)にもなったこの「パねえ」、勝地くんが高校時代に使ってた言葉として宮藤さんに何気なく話したのが使われたそう。うーん影響力大きいぞ(笑)。

・塾の名前変更を検討する塾長が、模範的塾の名称をヘンなジェスチャー付きであげる。ドラマ放映開始前のメイキング番組によると、この場面結構苦戦したんだとか。
塾長は常にヘンなテンションでヘンな行動をする人なので、武田さんもさぞ大変だったと思います。

・自分が陰で「エロビデオ」をあだ名されているのを知って激昂する江口に高尾山が「江口ひでお」だから「エロビテオ」になるのだと図解する場面で、バックに「アーン」と女性の甘い声が入るのがベタだけどナイス。
「親しまれてるってことじゃないか。あやかりたいよ」と江口の頭上の空気(オーラ)を自分の頭にかぶせるような仕草をして手を合わせる塾長も笑えます。

・江口に私立中学の教師を辞めた理由をつっこまれた高尾山が「淫行ですが何か!?」と逆ギレする。この発言で一見地味な高尾山のインパクトが一気に増した(笑)。
しかし(女生徒への)淫行で辞めた教師を、若い女の子も受け持つ進学塾の講師として採用するのもどーよ。

・ユーキくん登場。意味なく「あはははは」と軽やかに笑いながらローラースケートで滑ってくる。ああなんて無駄に爽やかなんだろう。
しかし(1)でも書きましたがこのバイトの制服、足の細さと長さ(ローラースケート履いてるせいもあるけど)を際立たせていてナイスです。ゴミ箱に勢いよく突っ込んでゴミ箱の底から頭だけ出した状態になるのもベタすぎて(苦笑)。

・焼肉屋でのめぐるとユーキ。めぐるを呼び捨てにする課題に懸命に挑むユーキの「めぐる、何食べますか」に始まる、「いちいち頭に「めぐる」とつける台詞」連発が可笑しい。
この場面、声の調子や間の取り方、早口な喋り方、せわしなく水を飲み干す様子などでユーキの緊張を上手く表現していて、さりげなく名演技だと思います。

・ビビンバを注文したかどうかでユーキと店員がもめる。この時店員が口にした「アミンバ」ネタがまさか最終回で再び使われるとは。用意周到な伏線、というよりふと思い出して使ったんだろーな。

・中学の頃デブだったから塾を辞めた、という話のところでデブッた男性がテーブルの前を通り過ぎる。こういうどーでもいいような小ネタの数々が妙にツボにはまります。

・ユーキのわかるようなわからないような話に「面白いからいいや」とにこにこするめぐる。笑い返すユーキ。もう見るからに頭悪そうなカップルですが何か微笑ましい。
こんな彼らの関係は多少の波乱はあっても基本的に変わりませんでしたね。

・ジュージューパラダイス店長藪中(佐藤二朗さん)登場。喋り方から雰囲気からウザさ満点。第一話の時点でよもやこの店&店長が毎回のように登場することになろうとは思いもしなかった。毎度のように店長と言い争いながら、それでもこの店に来るんだよなユーキ(笑)。頭下げたままぐいぐい迫ってくる店長の頭をユーキが押さえてるのも笑えます。

・女子トイレで「さすがにおなかいっぱいだー」とおなかをさするめぐる。能力覚醒への前振りシーンですが、それにしてもあの量を全部食べたんだ?さすがは食いしん坊キャラ。

・ユーキ43(田口浩正さん)登場。事前情報なしに見た視聴者には、ユーキの20年後の姿が見えてるのだとすぐにはわかるまい(第4回のアキラ=塚本高史くんみたいな老け方ならぱっと見てわかりやすいのだけど)。
しかしめぐるが彼を評して言う「太ってハゲてニヤニヤした」おじさん、という表現はあんまりな(笑)。そこまで太ってもハゲてもないような。まあ、今は可愛い彼氏がああなると思えばいささかショックではあっても見慣れてくれば十分可愛いオジさんという感じで、実にナイスキャスティングだと思います。
ちなみにユーキ43が田口さんになったのは、勝地くんがインタビューで「20年後はどんな風になってると思うか」との質問に「田口浩正さん」と答えたかららしいです。別のインタビューでは「20年後には田口さんみたいな俳優になっていたい」と答えたのがこのキャスティングのきっかけ、みたいな表現になってましたがどっちが正しいのやら。

・あやしいオジさん(実は未来のユーキ)に見つからないうちにと、そそくさと立ち去るめぐるとユーキの後ろで店員の女性が「10万もらった」とバンザイしてる。
これは台本によれば、はまるがこの日の会計を気前良く払ってくれていた(めぐるの誕生日だからと特製ビビンバを注文したのも彼)という意味らしい。編集段階でシーンをカットしたせいなんでしょうが、ちとわかりづらい。

・「エロビデオ先生」と二回呼びかけて無視されためぐるが、「エロ、ヴィデオ先生」と英語発音で呼びかけ直す。こういう下らない小ネタが大好きですホント。

・赤坂くんが心配だと言いながら、無意識に塾長の持ってるお菓子のお皿に手が出てるめぐる。どこまで食いしん坊。
さらに高尾山が1日遅れのバースデープレゼントだとスイーツのケースを差し出すが、あれ全部めぐる専用!?でもめぐるならあっさり食いつくしそうな気が。

・小5クラスの生徒たちがいきなり大人に見えた謎を解明するため、教室を飛び出して講師室に戻りシュークリームを頬張って駆け戻るめぐる。
授業中のはずなのに、このあからさまな奇行に対して高尾山も塾長も「よっぽど美味しかったんでしょう」「うれしいねえ」と完全野放し状態。確かに(先生たちにとって)居心地は良さそうな職場だけど、この塾から有名高校合格者が出ない理由がわかる気がする(笑)。

・動揺のままに塾を飛び出しユーキの元へ向かうめぐる。まずはおじいちゃんよりユーキなのね、とちょっと微笑ましい。
めぐるに向かってローラースケートで走ってくるユーキ43の足さばきがちょっと危うい。番組放映開始前のスペシャル番組で、勝地くんが「田口さんからあんまり上手にスケート滑るな、先輩つぶしかって言われた」と笑って話してましたが、なるほど。
でもこのよたよた感もユーキ43らしくてかえってナイス。

・ちなみにユーキ43の服は23歳のユーキと同じ「ダイアナ」の制服のまま。
他の生徒たちは皆年齢に応じた(その職業を表すような)服装に変わってるのに、なぜユーキだけ服は今のまま?と思ったら数話後に理由が明かされましたね。20年後もダイアナで働いてたのね。

(つづく)

 


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『未来講師めぐる』(1)-3(注・ちょいネタバレしてます)

2009-06-16 01:22:22 | 未来講師めぐる

さて作品そのものについて。
正直最初公式サイトで塾長のヅラ疑惑や塾の名称がしょっちゅう変わるなどの設定を読んだときには、いかにも奇をてらった上っすべりの設定のように感じて、ドラマそれ自体も設定倒れの上っすべりになりやしないかといささか心配になったものでした。
第1回を見た時点ではもろもろの設定や個性的すぎるキャラの性格、演出などがやはりあまり上手く噛み合っていない感があって不安が的中したかと思いかけました。
しかし回を追うごとに、最初は極端すぎると感じたキャラクターへの愛着が増してゆき、うるさいほどに過剰に思えた設定や演出のもろもろ、そこから生まれる世界観が、いつのまにかたまらなく愛おしいものへと変わっていったのに驚きました。

私は宮藤さんの作品を見たのは『めぐる』が最初だったんですが、その後ほかの作品もいろいろ観てみると、全体にスロースタータータイプというか、世界観に馴染んでゆくほどに急激に面白さ、愛着度合いのボルテージが上がる作品が多いように思えます。
宮藤さんはもともと舞台出身で、読売文学賞を受賞した『GO』をはじめ映画でも活躍していますが、ある程度長い期間をかけて視聴者と付き合ってゆく連続ドラマの形式が一番宮藤脚本の特性、魅力に見合っているんじゃないでしょうか。『池袋ウエストゲートパーク』しかり『木更津キャッツアイ』しかり。

そしてそんな脚本の魅力を増幅させたのが役者陣の演技であり、ポップな(ときにぶっとんだ)演出だった。
番組終了直後に出版されたドラマの脚本(『未来講師めぐる』(角川書店、2008年刊行)。以下の文中で「脚本」と書いているのはこの本のことです)を読みましたが、基本的には脚本に忠実に映像化してあるにもかかわらず、やはりドラマの方が面白さが倍増しています。

たとえば「ところで100%めぐるは?」というユーキの問いを受けての江口の台詞「100%お休みです」が、実際のドラマでは「100%まだです」に変わっている。江口役星野さんのアドリブなのか現場で演出家の直しが入ったのかはわかりませんが、このほうがより会話のテンポが良くなり面白いシーンに仕上がっています。
また第9回で千鶴から倦怠期かと指摘されたユーキが「飽きる?めぐるがユーキに?ユーキがめぐるに?お互いに!?」とパニくる場面も、脚本では単に台詞だけ示されているのを「ユーキが一人言を言いながら画面をフルに使ってムダにちょこちょこ(早回しで)動き回りヘンなポージングをする」という形に演出していて、テンポよくメリハリをつけてコミカルに見せていた(このシーン、勝地くんの台詞の言い方、間の取り方も秀逸でした)。

さらにはめぐるとユーキを中心に皆さんが披露してくれる各種のコスプレ――第5回の幼稚園児も第6回のSPルックも第8回の芋虫めぐるも第9回のモーモーつなぎ他も脚本段階では何も書かれていない。
演出と衣装さんのノリが脚本の内容をふくらませて、一般視聴者には普通に面白く各俳優ファンにはお宝もののシーンをがんがん生み出してくれました。遊川和彦さん(『さとうきび畑の唄』の脚本家さんです)が書いてらしたことが思い出されます(※1)。それは蜷川さんとは対照的に(『カリギュラ』(1)-2参照)演出家・監督が脚本を変えることをむしろ歓迎する宮藤さんの姿勢による部分も大だったと思います(※2)

もう一つ特筆したいのは、番組公式サイト内のブログ「パねログ」について。
キャスト・スタッフの有志が回り持ちで撮影裏話をあれこれ紹介してくれているのは連続ドラマの公式ブログには多いパターンかと思いますが、プロデューサーさんにお願いされた(圧力をかけられた)勝地くんが何とほぼ毎週ブログを書き込んでくれたのでした。
所属事務所(フォスター)のメッセージコーナーがなくなって以来久々に、勝地くん自身の手になる文章に触れましたが(携帯サイトは登録してないもので)、今時の若者には珍しく顔文字や絵文字を一切使わない文章は、あいかわらず丁寧な言葉使いながらも適度にくだけていて、明るく真面目で爽やかな人柄をうかがわせます。毎回共演者とのスナップや作中でのコスプレ姿を写した写真を紹介してくれるサービス精神も満載。
このブログの存在が、「愛すべきバカ」なユーキのキャラクターとあいまって、勝地くんのイメージを大いにアップしたことは疑いえないでしょう。

勝地くん以外の執筆者の方々、とりわけスタッフさんたちの文章にも作品への愛情と自分の仕事への誇りがひしひしと感じられて、読んでいてわくわくさせられたものです。 
素晴らしい脚本に引っ張られるように、役者・スタッフみんなのノリと意気込みが注ぎ込まれた、奇跡のようなコラボレーションの起きた大傑作だと思います。

 

※1-「『G・T・O』『オヤジぃ。』を書いた脚本家 遊川和彦が語る――『21世紀のTVドラマと宮藤官九郎』」(『宮藤官九郎全仕事』(宝島社、2004年)収録)。「クドカンのドラマなんかは、つくっている現場も楽しいと思いますよ。美術さんも「こんなの作ってみました!」とか、俳優も「こんなふうにしたらどうだろう?」とか、みんなが本気になる。当たり前のものを当たり前につくろうとしているなら、そうはならない。彼の脚本がいいから、みんなを本気にさせているんですよ。」

※2-『キネマ旬報』2009年2月上旬号(キネマ旬報社)の宮藤官九郎インタビュー。「僕は役者が面白く見えていないと嫌で、上手くいってないギャグとか、台本通りにやられるとたまらないんですよ。そんなの、現場でスベってるなら変えればいいじゃん、と。一字一句、脚本を変えるなという作家さんもいるとは思うんですけど、僕のはそんないいものじゃないですから(笑)。『あのセリフ、ハマってなかったんで変えました』とか『あのギャグ、上手く行かなかったんでカットしました』とか言ってくれる監督はすごく好きですね。そもそも僕は、完成品は監督のものだって割り切ってますから、脚本に対して遠慮されると困っちゃうんですよ。監督のものなんだから、脚本変えていいのに、という。」


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『未来講師めぐる』(1)-2

2009-06-13 00:31:54 | 未来講師めぐる
もう一つの危惧ポイントであった髪型について。例のプチリーゼントヘアは移動ホットドッグ屋のアルバイト仕様で、ほかに私服の時のニット帽姿、屋内での帽子を脱いだ状態、と主に3種のヘアスタイルが登場しました。
ニットを被ってるときは、帽子で前髪が上がってる分きりっとした眉が際立って、男らしい、格好いい印象が強い。対して帽子を脱ぐと、(前年の舞台『カリギュラ』のシピオンを思わせる)緩くパーマのかかった茶髪と前髪で眉が適度に隠れるために一気に可愛さが増す。

そして当初は不安だったバイトスタイルの頭ですが、実際動くところを見てみると、あの一見素頓狂な髪型が彼の端整な顔立ちを引き立てていることに気づきました。
制服の明るい紺の上着と赤いシャツも彼の白い肌に映えるし、たいていローラースケートを履いているのも脚をさらに長く見せる。
また私服のときは、色のコントラストのはっきりした制服とは逆にピンクを主とするパステルカラーとチェック柄・星柄など可愛い系のアイテムで構成されていて、これまた色白の肌とふわふわ髪に実によく似合う。
格好よくて可愛くて綺麗で・・・1ドラマで3回美味しいとでもいいましょうか。

さらには第4回以降毎回のように披露してくれるギャル男風、幼稚園児、SPなどのコスプレといい、勝地くんの魅力をいろんな角度から見せまくってくれました。宮藤さん及びスタッフの皆様には1ファンとして本当に感謝しきりです。

勝地くんはこれまで『さとうきび畑の唄』や『亡国のイージス』などのイメージから、世間的には何かしら重いものを背負った真面目で影のある青年がはまる俳優さんと見なされてきた感がありました。
こうした役がはまっているのは確かなんですが、古くは『1980』、新しいところでは『SOUL TRAIN』『東京タワー』などコメディ芝居も演じているし、それらを実に上手くこなしている。彼のコメディ芝居の才能が一般にあまり知られてないのはもったいないなとつねづね感じていました。

なのでこの『めぐる』を見た方々が「あんな面白い演技もできる人だったんだ」といった評価を多く寄せていたのには内心快哉を叫んだものです。
深夜枠のドラマであり視聴率もそんなに高くなかったものの、何と言っても連続ドラマ、そして毎回メインどころで活躍してるわけですから、これまでにないほど広く彼のコメディ演技を視聴者に印象づける形になりました。

もともと宮藤さんは、これもコメディ芝居(というか全編しょーもないギャグ)の『犬顔家の一族の陰謀』で勝地くんに「目をつけた」だけに、『めぐる』以降も『少年メリケンサック』のマサル、『蜉蝣峠』の銀之助とコメディ演技が主の役に勝地くんを起用しつづけ、すっかり「クドカン作品の勝地涼はおバカキャラ」というのを定着させてしまいました。
同時に、端整な容姿にもかかわらず不思議と美形設定の役を演じることのなかった勝地くんをはっきりと「イケメンのモテキャラ」に設定している。
(といっても役柄がワンパターンなわけでもなく、「イケメン」「おバカ」以外はユーキもマサルも銀之助もまるで似通ったところはない)

しかしいわゆる「若手イケメン俳優」らしい扱いかと言えばそうではない。以前「「演技派俳優」という事」で勝地くんは(外見に反して)カテゴリー的には「非イケメン演技派」枠じゃないかと書きましたが、宮藤作品の勝地くんはさらに一歩進んで「綺麗な顔はネタのうち」な状態に至っている。
現時点での最新作『蜉蝣峠』など海千山千の「劇団☆新感線」の役者陣に見事に馴染んでしまって、ほとんど「怪優」ゾーンに入りかかってるんじゃないか。
勝地くんの新たな可能性を引き出し続けてくれている宮藤さん、次は勝地くんにどんな無茶振りをしてくれるのか、今から楽しみです。

(つづく)

 


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『未来講師めぐる』(1)-1

2009-06-10 01:54:39 | 未来講師めぐる

2008年1月期テレビ朝日系列で放映。宮藤官九郎さん脚本、深田恭子さん主演の極上のラブ&ホーム&お仕事コメディードラマ。

勝地くんは深田さん演じる主人公めぐるの年下の彼氏・海老沢ユーキ役で、『ハケンの品格』以来一年ぶりの連続ドラマにして連ドラでは初の二番手。宮藤さんとは前年の夏に「劇団☆新感線」の舞台『犬顔家の一族の陰謀』で共演しており楽屋も一緒だったことから、当時すでに執筆に入っていた『めぐる』に呼ばれたという経緯があったそうです(それ以前にも『この胸いっぱいの愛を』で共演していますが)。
ほかも宮藤さんと親交の深い舞台系の方たちなど宮藤作品常連の役者さんたちが多くキャスティングされ、実にアクの強い、しかしほのぼのとした不思議に心地好いドラマを作り上げていました。

当初出演情報を聞いたさいには、人気のクドカン脚本、それも二番手とあってなかなかに期待がふくらんだのですが、公式サイトのプチリーゼントな写真を見て爆笑。「おバカキャラ」の設定はいいんですがこの髪型は・・・。『東京タワー』の平栗くん(モヒカン)以来の衝撃でした。何かこの写真だけでドラマを見るべきかどうか思わず悩んでしまいました(笑)。
さらにもうひとつ引っ掛かったのが20年後のユーキを田口浩正さんが演じるということ。もちろん田口さんが嫌とかいうことではなく、「今はイケメンの彼氏が、満腹時には残念な20年先の姿に見えてしまう」という設定上、視聴者の笑いを取り注目と人気を集めるのはどうしても田口さんバージョンのユーキのほうになってしまう。
勝地くんバージョンのユーキは単に「ちょっとおバカな二枚目」というだけの影の薄いキャラになっちゃうんじゃないかなあなどと危惧してしまったわけです。

結果的には、ええもう全くの杞憂でした。影が薄いどころか、おバカ度満点で紆余曲折あれどめぐるを愛しつづけるユーキは、限りなく可愛く魅力的なキャラクターでした。
第3話あたりまではまだ少し演技の上で固い部分もあったのですが、ユーキが主人公と言ってもよい第4回でのはじけっぷりを機に完全にユーキのキャラを自分のものにし(番組公式サイト内のブログ「パねログ」によると第4回(時期とユーキの衣装からの判断)を見にいらした宮藤さんに「もうちょっとテンションあげても平気だよ」とのアドバイスをもらったそうなので、それがあのはじけた演技につながったのかも)、実にすべての言動を自然に、生き生きと演じきっていました。本当に海老沢ユーキという人物がその場に実在しているとしか思えないほどに。
勝地くんが「パねログ」やDVD特典の座談会で「これまで演じてきた中で一番好きになったキャラ」だと語っていたのも納得です。個人的に近年の勝地くんのベストアクトだと思います。

(つづく)

 


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カリギュラの幸福論(3)(注・ネタバレしてます)

2009-06-06 01:05:59 | カリギュラ
あるいはカリギュラにとって不死とは魂の不変を指していたのかもしれない。終盤セゾニアを殺すに先立って、彼は「本当の苦しみは、苦悩もまた永続しない、という事実に気づくことだ。苦悩ですら、意味を奪われている。」と語る。
この真理は冒頭ですでに「第一の貴族」が口にしている。「ありがたいことに、悲しみは永遠ではありません」。
人の心は移り変わってゆく。愛も悲しみも時とともに薄れてゆく。それを第一の貴族は「ありがたい」と感じているが、まさにその事がカリギュラには許せない。魂の懊悩も時が経てば癒えてしまうのだとすれば、その懊悩も懊悩する魂自体も実に安っぽい軽軽しい物という事になるではないか。

そして「愛があるだけでは充分ではない。(ドリジュラが亡くなった)当時おれが理解したのはそのこと。(中略)ひとりの人間を愛する、それはいっしょに年を取っていくのを受け入れること。おれにはこの愛ができない。年老いたドリュジラは、死んだドリュジラよりも悪い」と言うカリギュラは、自分自身が不変の愛を持ち合わせていないことを承知している。
おそらくドリュジラが死んだとき、彼は年老いて醜くなるドリュジラを見なくて済んだことに心のどこかで安堵して、この事実に気づいたのだろう。

しかし自身が不変の愛を持たないと知りつつ可変的な魂の軽軽しさを憎んだ彼は、自分の内に不変性を持ちえそうな物を愛の代わりに探し当てようとした。所詮あらゆる感情は移ろうもの。そこで彼が見つけたものが「論理」だった。
論理は反駁され否定されることはあっても移ろい消えてゆく類のものではない。むしろ別の論理によって反駁されることは、論理というものの力と正しさ、曖昧なところのない明確さを証明してくれる。
そしてそれゆえに感情という極めて個人的なものと違って、不特定多数で共有することができる。カリギュラはセゾニアに叫ぶ。「愛などとるにたりない。おれはそれを学んだ。正しいものは別にある。国の財政だ!」 
財務長官の側から話題を振られたのが発端とはいえ、彼がその恐怖政治を国の財政問題からスタートしたのは思えば必然だった。金銭はもっとも価値が目に見えやすい、至って明確かつ物質的な存在であるからだ。

しかし論理を押し通すその過程で、彼は時に不必要なまでに残酷だった。人々を啓蒙すべく無差別に処刑を行うのはまだわかるとして、なぜ苛烈な拷問を行い舌を抜いたりする必要があったのか。神の残酷さに抵抗するために同じく残酷に行動しているのか。
もしかするとそれは彼が苦悩の永続を望んでいたゆえではないか。
愛に代わる不変の存在として彼は論理を見出したが、それはそれとしてドリュジラを失った時、「人は死ぬ、そして人は幸福ではない」という真理を知った時の苦悩が薄れてゆくことが耐え難かったのではないだろうか。その苦悩こそが彼が論理を押し進めるうえでの原動力ともなっているのだから。

際限なく他人を苦しめることで自分自身をも苦しめる(そこには同時に自分の苦しみを分かち合ってほしいという甘えもあったのかもしれないが)(※3)。心が苦悩に慣れて鈍ってしまわないように、その行動の残酷さ・馬鹿馬鹿しさはエスカレートしてゆく。
それでも彼は結局「苦悩もまた永続しない」「何一つ永続しない!」と叫ばざるを得なかった。
しかしこの時の彼は苦悩に慣れて心が動かなくなっているようには思えない。むしろひどく疲れ傷ついている。
苦悩も恐怖も永続しないのは、人の心がそれに耐え得ないからだ。ドリュジラの死から三年、意識的に苦悩を長引かせてきたカリギュラは、心が苦悩に慣れてしまったと感じるほどに――もはやまともに苦悩を感じ取れないほどに、精神を疲弊させてしまったのだ。
そしてやはり三年もの間、死の恐怖と苦悩に苛まれつづけた貴族たちは、もはや精神の限界点を超えたためにその苦悩の源であるカリギュラを殺すのである。

魂の不変を求めて自身と他人の苦悩を刺激し続けたカリギュラ。その結果彼は「苦悩もまた永続しない」ことを発見したが、彼はその発見こそを「本当の苦しみ」だとも言っている。
これは明らかにパラドックスだが、つまるところ彼はやはり苦しみ続けているのであり、だとすればやはり彼はやはり永遠に続くものを手に入れたのである。ゆえに彼はその心境を「法外な幸福」と語るのだ。
そこには苦悩が幸福であり、永続しない苦悩に永続的に苦しむという二重の矛盾がある。非論理的な情熱を持って論理を追求するという、最初から矛盾に満ちた企てはついに袋小路に迷いこんだように見える。
しかしカリギュラは「幸福とは、これだ」と言う。傍目には壁に突き当たったと見えるものが彼にとっては到達点だったのか。

第三幕以降、エリコンの忠言をあえて無視し反乱を企んだケレアを罰しなかったカリギュラは、死を望んでいた、ケレアたち反逆者を利用してカミュが言うところの「高度な自殺」をはかろうとしていたように見える。
もともと生殺与奪の権利が神に握られていることに反発して暴君の道を歩んだカリギュラが、自身の死ぬ時と場所、状況をかなりの程度自由に選択できる「自殺」に惹かれたのは自然の成り行きだし、(2)でも書いたように「死というゴールが与えられたことで彼は「最後まで理屈を通す」ことに成功した」。
しかしそんな「自由」なら凡夫でも充分手にする事が可能である。人間の代表として神に肩を並べようと企て、その途方も無い計画のために多くの人間を屠ってきたカリギュラの終着点が自死だとすれば何とも虚しいことだ。

カリギュラの意図が最後まで理屈を通すことそのものにあったにせよ、魂の不変を求めて論理と苦悩を極限まで追求したのにせよ、彼の企ては半分失敗している。
彼は自分自身に関する限りは目的地に到達し幸福を手にしたと言ってよいかもしれない。血塗られた、不幸としか見えない幸福でも本人がそう主張する以上、彼にとってはそれが幸福に違いないのだ。
しかし彼は、「人はもう死ぬことはなく、幸福になる」――いわば公共の福祉を目指していたはずなのに、他人のことは一切救えなかったのだ。

もっとも人々にプラスの影響をもたらした一面もなくはない。ケレアは言う。「あの男は考えることを強要する。みんなにむりやり考えさせる。安全ではない、ということが、人を考えさせるんだ」。
「何について」考えさせるのかケレアは語っていないが、おそらくは「生について」だろう。
絶えず死の恐怖にさらされていることが、必然的に彼らに生を意識させる。これまではうかうかと安楽に人生を送ってきたものが、生き残るために神経を尖らせ必死にならざるを得ない。ある意味彼らはカリギュラのおかげで、これまでになく真剣に充実した生を生きたのである。
カリギュラは彼らの生に対する「蒙を開く」ことにはある程度成功したと言える。
(「ある程度」というのは、「死」をテーマに詩人たちが詩作を行ったさい、カリギュラの心に叶う詩を書いたのがシピオン一人だけだったからである。彼らの生に対する理解は結局その程度にしかならなかったともいえる)(※4)
ただそれを「幸福」と感じうるのは、苦悩に幸福を見出せる一部の「超人」だけであろうが。

それでもカリギュラが暴政を行った三年間、生に対し限りなく真剣に向き合ったことが、もしも彼らの精神に幸福に至るための何がしかの道筋を与えていたならば、その時こそカリギュラは真に世の不条理との戦いに勝利できるのかもしれない。
少なくとも彼の暴虐が確実に突きつけた事実がある。カリギュラは自分が神の行動をなぞっていることを繰り返し強調している。その理不尽さ、不条理のゆえにカリギュラを憎むのは神を憎むことに等しい。無差別に死をばらまくカリギュラを殺すことは神を殺すこと。ケレアたちは結果的に神の不条理を否定したのである。

これまでは信仰のもとに試練と思って耐えてきたさまざまの苦痛を、神の采配と言って片付けずに立ち向かうことで、取り除くことがある程度可能になる。やがてはカリギュラが望んだように生病老死さえも人間の手でコントロールできるようになるかもしれない(現代の医学を見ても、避妊、輸血、臓器移植、遺伝子治療などかつては「神の摂理に干渉すること」と批判を受けた技術が実用化されて、これまでなら失われていた命が助かるようになった)。
いわばカリギュラは神と人との関係を洗い直したのである。

 

※3-東浦前掲書。「彼は苦しむことを恐れない。彼が恐れるのは、ひとりで苦しまなければならないことである。ひとりで苦しむことを避けるために、万人を自分と同じ苦しみに引きずり込もうとすること―それはきわめて子供っぽい反応だろうし、ある意味では、堕落したロマン主義ともいえるだろう。しかし、そこには、他人に理解されたいというきわめて人間的な欲望を見ることができる。」

※4-調佳智雄「カミュの初期作品に於ける〝繰り返し〟(1)-「死」「幸福」「男」と『カリギュラ』」(『人文社会科学研究』45号、早稲田大学創造理工学部知財・産業社会政策領域・国際文化領域人文社会科学研究会、2003年)。「詩人たちはなぜ呼び子に中断されることになったのか。彼らに共通することはいずれも、「直接的」な死を歌っていることだ。しかも、死をまるで特別なものであるかのごとく、美辞麗句を並べ立てている。はなはだしきは、思い入れよろしく、おおげさに身構える。カリギュラにとって、死はそんなおおげさなものではない。もっとありふれた、どこにでも転がっているようなものなのだ。(中略)若くして父を失ったシピオン少年は日常的な幸福の情景を歌ってカリギュラの心を捉えている。両者とも死が身近なところに、幸福のすぐ傍に、あるいは幸福そのもののなかに巣くっていることを知っているからだ。」

 


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カリギュラの幸福論(2)(注・ネタバレしてます)

2009-06-02 01:57:08 | カリギュラ

(引き続き『ストーンオーシャン』のネタバレを含む部分は反転)

一方のカリギュラも妹の死という悲劇を体験する。
この時彼はむしろ気が済むまで嘆き泣き喚けばよかったのである。あるいはシピオンに「人には宗教や、芸術や、愛がある」と語ったように、これらに救いを求めればよかった。シピオンやセゾニア、エリコンはそれぞれの仕方で彼を愛し、その心を慰めてくれただろう。
そうすれば時間はかかっても、カリギュラは口の中の嫌な味の代わりに、「大地から夜へとのぼってゆく、煙と木々と水の匂い」を再び感じ取れるようになったのではないか。
ケレアは「あの男は文学を愛しすぎた」と批判したが、むしろそのまま文学的感性に生きた方が彼のためであったかもしれない(※1)

しかし彼は運命への挑戦、極限までの論理の追及という無謀な戦いに捉われてしまった。理不尽な神の所行をより理不尽な形で真似ることで不可能を可能にし、それによって不死と幸福が手に入れられると彼は主張する。
妹の死をきっかけに絶望を知り哲学的問いかけに走ったすえ、到達した真理を万人に施すべく多くの人命を犠牲に供しながら不可能の楽園を地上に現出させようとする。
理想追求の過程で積極的に死を振りまくか死に無頓着であるだけかの違いがあるものの、彼とプッチの行動はよく似通っている。
プッチの「天国」理論がドイツの哲学者ニーチェの説く「超人」「永遠回帰」を踏まえていることはたびたび指摘されているし、カミュもまたニーチェの影響を受けているのは有名な話なので、ニーチェを介してカリギュラとプッチの幸福論は繋がっているのかもしれない。

ちなみにもう一つ彼らに共通するのが「愛情の欠如」である。万人の幸福を目的にしているわりに、彼らは救うべき対象である人間たちに愛を持っていないのだ。ゆえに彼らの行動は独善に陥らざるをえない。
プッチがはっきりその愛情を表明しているのはペルラとディオ(ともに故人)、神に対してのみである。それ以外の個々の人間に対しては、「天国」=人類救済のための障害物か路傍の石ころのような扱いをしている場面しか思い浮かばない。
彼は全人類に対して愛を持っているからこそ「天国」を目指したのだと主張するだろうが、一人一人への具体的愛情のない、ごく抽象的観念的な愛しか持たない人間は、大目的のために一部を切り捨て踏みにじることを躊躇わない。自身を善意の存在だと信じているだけ性質が悪い。
(カリギュラの愛の欠如については『カリギュラ』人物考(1)-2を参照)

ところでカリギュラは本心から「人はもう死ぬことはなく、幸福になる」世界を実現できると思っているのだろうか。
プッチ神父はスタンド能力という常人を超えた力を駆使することで月ならぬ「天国」を手に入れた。カリギュラは超能力者ではないが、ローマ皇帝として地上で最高の、神に次ぐ権力を持っている意味では一種の超人と言えるだろう。
彼は人類の代表として人としての力の限界を見極めようとした。これまで人間の限界と思われていた地点を彼が越えれば、不可能と諦めていたことを可能にすれば、それが彼に続く人間たちの指標となる。人間の可能性の幅、生き方の自由度が数段拡大する。
「不可能!おれはそれを世界の涯(は)てまで探しに行った」。彼はその過酷な挑戦によって人類全体のレベルアップを図った―アポロ11号の月面初着陸が、現時点では人類の99%以上が月に行く可能性はないにもかかわらず人類全体の偉業と見なされたように―それは明瞭である。

確かにその権力を行使して無差別に処刑を行うことで、カリギュラは人間の命を奪うことは自在にやってのけた。しかし人間を不死身にすることはどうすれば可能なのか。
「天国」も不死や復活を可能とはしなかった。そもそも本家本元の神でさえ人間の復活も不死化も行えない(行わない?)ではないか。キリストによる死者や重病人の甦生、キリスト本人の復活は『新約聖書』で奇跡として語られているが・・・。
だからこそ人の不死も可能にしようとするカリギュラは本人のいうとおり「おれの望みは、今では神々を越えている。」のである。

(ちなみに歴史書(※2)によればカリギュラは西暦12年に生まれ41年に没している。西暦0年+αに生まれたイエス・キリストとは同時代人であり、カリギュラの存命中にはキリスト教も『新約聖書』もまだ存在していない。カリギュラは危険思想の似非宗教家として処刑されたイエスの存在自体知らなかっただろう。
カリギュラ=ヴィーナスが示すように当時のローマはローマ神話の神を祀っていたと思われるが、ニーチェの哲学の影響も色濃いこの戯曲の指すところの神は明らかにキリスト教の神のイメージである。)

しかし不可能を可能にする手段として「月を手に入れたい」とだけ言うカリギュラに、具体的方策があるとも思えない。彼が語の意味通りの不死など不可能だと思っていたとしたら、彼は「人はもう死ぬことはなく、幸福になる」という言葉にどんな意図を篭めていたのか。
可能不可能はさておき、不可能を志向すること自体に価値があると考えていたのだろうか。「最後までそれで通さないから、何一つ手に入らない。最後まで理屈を通す、それだけで、たぶん充分だ。」という発言からすればそれはありえそうだ。
どのみち彼にとって現行の世界は我慢ならないものなのだ。失敗したところで今より悪い状態になりはしない。
そして彼が到達できるかどうかはともかく「不可能が王である王国」を目指したことで、確かに世界は変化した。カリギュラにとっても周りの人間にとっても。
ならば上手くすれば、「最後まで理屈を通」したあかつきには奇跡が起こりうるかもしれない。何せ今まで限界を極めた人間がいないのだから絶対に不可能だとは言い切れないではないか。

この発想は(彼がそう考えたのだとすれば)およそ非論理的なロマンティックな願望の産物である。論理を追求した結果ロマンティシズムに走るのでは矛盾もいいところだが、それがまさにカリギュラという青年の特性である。
そして彼は終盤は相当に迷い弱音を吐きながらも、自身の論理を死の瞬間まで貫徹した。死というゴールが与えられたことで彼は「最後まで理屈を通す」ことに成功した。
それによって彼は月を、永遠の生を手に入れたのだろうか。最期に彼は叫ぶ。「おれはまだ生きている!」と。

(つづく)


※1-東浦弘樹「カリギュラ、コタール、背教者、クラマンス―アルベール・カミュの描く悪魔的人物」(『人文論究』第五十四巻第一号、関西学院大学人文学会、2004年5月)。「カリギュラは文学を否定する。そこに彼の過ちがあった。他人に理解してもらうために頼るべきは、権力ではなく、文学ではなかったか。」

※2-スエトニウス『ローマ皇帝伝(下)』(国原吉之助訳、岩波書店、1986年)。

 


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