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俳優・勝地涼くんのこと。

『蜉蝣峠』キャラクター考(4)  お泪

2013-11-24 16:45:53 | 蜉蝣峠
いきなり「あんたやみちゃんなの」と闇太郎に抱きつく登場シーンから、少女のようなあどけなさを放射しているお泪。しかしその一方で年齢相応の、生活に疲れたような投げやりな、やや頽廃的な色気をも時に漂わせる。
この二面性は彼女のような立場の女性――“苦界”に生きる女にあってはそう珍しくないように思える。現在自分が置かれている境遇と自分自身を厭い、その結果として純粋で綺麗だった少女の頃を懐かしむ気持ちが少女めいた一面を彼女の中に生み出したのでは。
いやむしろ天晴の「もの」にされたのは闇太郎と別れて間もない本当に少女の頃だったのだろうから、否応なく大人の女性にならざるを得ない状況の中で、むりやり引き剥がされた少女の心がかえってもう一人の自分としてずっと温存されることになったのかもしれない。
 
そしてその少女時代に繋がる存在、初恋の人でもあった闇太郎と「再会」したことで、その少女の部分が前面に引き出されてくる。出会った当初、闇太郎といる時のお泪はこの少女の顔が全開になっている。
記憶のない彼とは思い出話ができないのに多少がっかりしたかもしれないが、それでも彼女の無邪気な態度が崩れることはなかった。思い出がないかわり25年分の―年齢相応の心の澱のない闇太郎は、多分にすれてしまったお泪から見れば少年のごとくに単純かつ純粋な男で、一緒にいることで心洗われる思いがあったのではないか。

そのお泪が闇太郎に投げやりな、人生を諦めたような女の顔を見せるのは、彼に街を出るよう勧めるとき―闇太郎との別れを覚悟したときだった。
天晴公認で堂々と彼と所帯が持てる、ある意味幼い頃からの夢が叶おうとしている(プラス天晴との泥沼な関係にもケリがつけられる)というときにお泪は別れの方を選択する。それは所帯を持つ交換条件が「領主を斬ること」だったから。
闇太郎にだけは人殺しをしてほしくない、たとえそのためにようやく出会えた彼と二度と会えなくなったとしても。無垢だった少女の頃に繋がる闇太郎の存在はお泪にとってはいわば聖域であり、自分が汚れてしまったと感じているだけに彼には汚れないままでいてほしかった。闇太郎が汚れてしまえば、彼女のよりどころともいうべき美しい思い出もまた汚れてしまう。それが何より嫌だったのだろう。

結局お泪のそんな想いに反して闇太郎は領主を斬ってお泪を娶ることになる。当初は表情の暗かったお泪がそれでも闇太郎との新生活を受け入れることにしたのは、大きな問題に目をつぶることで目の前のささやかな幸せを掬い取ろうとする、長く不幸な境遇にあった人間の本能のようなものかと思う。
そしてなにより天晴が決して言ってくれなかった「好きだ」という言葉を口にしてくれたことが大きかったのだろう。後に本物のやみ太郎が現れたとき、激しく動揺しながらも最終的にお泪が闇太郎を受け入れたのもこの台詞ゆえだったのではないか。
お泪の闇太郎に対する愛情はかつてのやみ太郎に対する愛情と混ざり合ってしまっていて(同一人物だと思っていたのだから当たり前だが)、自分が愛しているのが闇太郎とやみ太郎のどちらなのかと聞かれても応えようもない。しかし少なくとも現在進行形で自分を好きだと言ってくれたのはやみ太郎でも天晴でもなくて闇太郎だった。
記憶喪失ゆえにアイデンティティも欠落してしまっている彼は、精神の基盤としてお泪を求めた。切実に自分を必要としてくれている存在にお泪はほだされてしまった。彼が親の仇と知ってもなお。
お泪の両親や村人を殺めた記憶のない闇太郎を責めたところで彼は真の意味での罪悪感を持ちようもないし、憎んでみてもどうにもならない。そうわかっていても身内としては恨んで当然だし事実恨み言を言ってもいるのだが、「どうにもならない」という諦めがあるだけに最終的には現在の闇太郎への愛情が勝った。

そして再度蜉蝣峠で会う約束をするのだが、がめ吉に刺された闇太郎は途中で力尽き、ついにお泪のもとへ辿り着くことはなかった。
はたしてお泪はいつまで蜉蝣峠で闇太郎を待ち続けたのか。闇太郎もおそらくは天晴もついでに立派夫婦も死んでしまって、ろまん街には頭を張れる人間がいなくなってしまった(そう考えるとろまん街自体どうなってゆくのか。男たちは軒並み死んでしまったように見えるしやはり潰されるのか。新領主殺しの責任も下手人の天晴が死んでしまってるとはいえ何らかの形でかかってくるかもしれないし)。
現在の亭主もかつての主人もなく帰る家を失ってしまったお泪はこの先どこへ行くのか。一応は旅なれている銀之助以上に彼女の先行きは見えない。
あんな行動に出てまでお泪の幸せを願ってくれたがめ吉のためにも、何らかの形で幸せと思える新しい人生にめぐりあって欲しいものです。


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『蜉蝣峠』キャラクター考(3)  銀之助

2013-11-16 23:10:09 | 蜉蝣峠
最初に『蜉蝣峠』公式ページで銀之助のビジュアル―唇の片端を吊り上げた不敵な笑顔を見たとき、「おお悪っぽい!今回は色悪な役どころか!?」なんて期待をしたものでしたが、そこは宮藤さんのこと、勝地くんにシリアスな役を振ってくださるわけがなく(笑)、やはり銀之助は愛すべきキュートなおバカ男子でした。 

それにしても、である。オープニングテーマ曲の歌詞にもあるように、「キンタマ取られて笑ってる」彼はバカも度が過ぎやしないか。出血もいまだに止まりきっていないのにそれを「(暑いから)忘れてた」とあっさり言う。
さすがにこれは『蜉蝣峠』(2)でも書いたように空元気、悲惨すぎる現実から目を背けているゆえの態度なんではないだろうか。

銀之助は闇医者に一物を縫い合わせてもらう目的でろまん街を目指していると闇太郎に語っているが、おそらく本心では元通りの状態に復元することなど不可能だとわかっている。だから彼は治療に不可欠の睾丸を食ってしまった闇太郎を、大して怒りを感じることもなく旅の道連れにしているし、ろまん街に辿りついてからもダメモトで闇医者を捜そうとする様子もない。
無駄と知りつつなぜろまん街を目指したのか。一座を追い出されて帰る場所を失い、ほかに行くべき場所もなく、しかしどこかへ行かないわけにはいかない。この先の暮らしの目処、目標の一切を失った銀之助がひとまず見出し得た目的地が「アンパンの旦那」に教えられた〈この先の宿場にいる闇医者〉だったのではないか。
彼もまた蜉蝣峠に足を踏み入れる前から「男に戻れる」という蜉蝣にすすんで囚われていたのだ。そして(これ以上のバカを演じるのが限界になったために)蜉蝣峠にいられなくなった――自分同様に居場所を失った闇太郎に手を差し伸べ、蜉蝣を追ってろまん街へと向かうのである。

ろまん街へ着いてからの銀之助は、実際に医者を訪ねて引導を渡されることを回避したまま、いつしか自分が男性器を欠損したことを本当に忘れ果ててしまったように見える。相変わらずの女好きを発揮し、彼女たちと遊ぶことに何のためらいもない。
本来トイレにいくたび思い知らされざるを得ない事柄のはずなのに、銀之助は意識に蓋をして通常の男であるかのような幻想の中に生き続ける。
しかし“女とコトに及べない”という決定的事態にあってさすがに自分を騙しきれなくなり、「途中で」「ないなあって」現実に気付かざるを得なかった。それでも「あるテイで」、今度は女たちを騙そうとした銀之助はあっさりと失敗して袋叩きにあい、何もなかったように男として生きられるという幻想を木っ端微塵にされる。
さらにその幻想が元で、結果的に初代お菓子を死に追いやるようなことになってしまった。ここまでふらふらと現実から目を背けてきた銀之助も、そのために人死にを出したことで自分の処世術を見直さざるを得なくなった。


かくて初めて銀之助は「真剣に」「男としては生きられない」現実に向き合うことになったわけだが、正直途方にくれるしかなかったろう。
そこに二代目お菓子として、「女」≒ニューハーフとして生きる道が強引に提示されたのである。闇太郎に睾丸を食われたとき「それ食われたらおいら・・・女形になるしかねえやー」と言っていたのが現実になったというか現実はさらに過酷だったというか。
しかしお寸たちに脅されたとはいえ、いやいやながらも銀之助はお菓子を名乗って蟹衛門の相手役を務めている。ともかくも新たな生きる方向性が見つかったわけであるから。
もっとも酌婦ならまだしも、さすがに実事はどうあっても受けつけられなかった。この時点で女として生きる方向性も閉ざされたようなものだが、闇太郎が田丸善兵衛を斬った騒ぎでそのあたりがうやむやになったまま銀之助は「二代目お菓子」を継続している。
おそらく宴席に出るくらいで客との同衾―「女」になれないことを突きつけられる決定打―はその後は経験せずにすんだんじゃないか。そしてそんな状況の中サルキジと親しくなっていく。


銀之助が出会って早々にサルキジに惹かれた理由は何か。『蜉蝣峠』(2)では彼の〈男らしさ〉が眩しく感じられるのでは、と書いたが、第一幕であれだけ女好きが強調されていた銀之助があっさり女の心になって男を慕うようになるというのもやや腑に落ちない感がある。
思うにもう男としては生きられないことを突きつけられ(実際には生殖機能・男性器を失ったら男でなくなるというものではないが、ろまん街の女たちも銀之助自身も交合不能な男を男とは見なせないようだ)、かといって男の客を取ることもできずに、〈男でも女でもない〉アイデンティティーの喪失がもたらす不安に陥っていた銀之助は、サルキジならば男でも受け入れられるかもしれない、彼となら女として生きることもできるかもしれないと感じたのではないか。
そうなれれば銀之助は「女として」アイデンティティーを獲得し、「何者でもない」不安からは逃れることができる。その思いが銀之助を男とは知らない、ゆえに自分を女として見てくれるサルキジに彼を引き寄せたのではないか。本来女好きの銀之助だけに、無意識にサルキジに女の匂いを嗅ぎ付けていた部分もあるかもしれない。

けれども一度「あるテイで」通そうとして失敗した経験のある銀之助は、さすがに今度は完全に女で通せると楽観することはできなかった。絶対バレるに決まっている。サルキジにいつどうやって打ち明けるべきか、でも打ち明ければもう自分を女とは見てくれなくなる。
第一部では明るかった銀之助は「お菓子ちゃん」になってからどこか淋しげな笑顔を見せるようになった。サルキジと親しくなってからはまた明るさを取り戻したように見えたが、次第に悩みを深めていったのだろう。彼が闇太郎を助けるためとはいえサルキジを銃で撃つという思い切った行動に出たのは、(ガラにもなく)悩み続けることにいい加減煮詰まった結果だったのかもしれない。

そして知らされたサルキジが実は女だったという驚愕の事実。このときサルキジが、自分は身体は女だが男として生きたい、お菓子は身体は男(どうやらサルキジは彼が生殖器を欠損していることを知らない)だが女として生き、そのうえで付き合おう――そう提案していたなら、きっと銀之助はサルキジを殺さずに済んだ。それは男ではいられずしかし女の身体でもない銀之助をそのまま受け入れることを意味しているのだから。そうすればサルキジの隣りが銀之助の居場になったろうに。
しかしサルキジが提案したのはその逆だった。自分が女に戻るから銀之助にも男に戻れという。それは「男」に戻りたくても物理的に戻れない銀之助にとってはフラれたに等しい。
さらに悪かったのはサルキジが「女」に戻る、戻りたいと思っていたということ。サルキジが「男」でなくなれば「女」としての銀之助―お菓子としてのアイデンティーを保証してくれる存在がなくなってしまう。
一度はジェンダーの混乱による銀之助の不安を和らげておきながら、こんな形でそれを台無しにする。裏切られたような気がしてもおかしくない。
そして何より「お菓子は走ってるサルキジを追いかけるのが好きだから」という言葉通り、女になったサルキジなんて見たくなかったんでしょう。

サルキジを殺害してそれっきり作中から姿を消した銀之助は、ラスト蜉蝣峠の場面で再度登場する。このときの彼は髪型はお菓子の時のようなのに、化粧はなし、装束はサルキジのものと、あたかも鵺のような姿をしている。
しかしこの外観はむしろ「女か男かもわかんねえ」自分をそのまま肯定し受け入れた証のように思えます。もはや彼は蜉蝣峠で己の願望を投影した幻を見ることもなく、むりやり行き先を設定して〈どこへ行くのか自分でもわからない〉不安定さを誤魔化そうともしない。
この後銀之助がどうなったのかはわからないですが、「あるテイ」や「ないテイ」を装うことなく生きられる場所を見つけていればいいなと思います。

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『蜉蝣峠』キャラクター考(2)  天晴

2013-11-07 23:59:04 | 蜉蝣峠
初登場シーンからいきなり立派組の石松を刺し殺す、それも後ろからという卑怯なまでの容赦なさを見せ付けてくれる天晴。しかもここで暴れ出す理由が「シャモになる夢を見た」「だからすこぶる機嫌が悪い」といういたって身勝手なもの。鬱屈とその反動による狂暴さが背中合わせになった、机龍之介を思わせる破滅型のニヒルなヒーロー。
とにかく暇さえあれば酒を飲み続け、流石先生の見立てでは五臓が弱りきってる、三年五年のうちには死ぬ、とのこと。その生き方はあたかも緩慢な自殺といった風情がある。それは25年前の事件と無関係ではないだろう。


事件以前の天晴がどんな性格だったかはわからない。しかし沢谷村の一揆を鎮圧した後になってから闇太郎=久太郎に「可哀想だがおまえ仕官なんかできねえぞ。うそだと思うならろまん街へ行ってみな」と告げたこと――彼の母親がどんな目にあってるか知りながら、手遅れになってから久太郎にそれを知らせる、しかも挑発するような口調で―というあたり、とうてい性格がいいとはいいがたい。
しかしお泪の両親を手にかけながら知らん顔して彼女を女房にすることがどうしてもできなかったところに彼なりの倫理観が感じとれる。もちろんお泪に手をつけてなかったとは思えない、お泪の天晴に対する態度からも二人が過去形だとしても男女の関係だったことは間違いないだろうが、女房にまですることにはどうにも抵抗があった。
すぐ近くで姉が年がら年中結婚したり離婚したりするのを目の当たりにしているのに、存外お固い一面を持っているのだ。つまりはそれだけお泪に本気だったということではないか。
 
にもかかわらず、彼は闇太郎の正体を早々と察しながら、お泪と彼が一緒になるのを後押ししている。闇太郎―久太郎もまたお泪にとっては両親の仇である。幼馴染の男と信じて親の仇と一緒になる―極めて悲劇的な状況を、なぜか愛する女に背負わせようとした・・・その心理は屈折しすぎていてにわかには理解しがたい。しかし根底にあるのは第一に闇太郎―久太郎への憎しみのように思える。そしてお泪への、愛ゆえのサディスティックな衝動。
天晴も久太郎もともに沢谷村の一揆鎮圧に関わったお泪の仇でありながら、久太郎は一切の記憶を失ってしまった。天晴がずっとお泪に対して抱かざるをえなかった罪悪感(もしかすれば罪もない百姓たちを殺したことへの罪悪感もあったかもしれない)を久太郎は全く感じていない。素直に彼女が幼馴染の恋人と信じ素直に彼女を愛した。お泪の方も、天晴との不幸な結びつきに陥る前の、無邪気だった少女時代を懐かしむ気持ちを闇太郎への愛着に転化させていった。
自分同様の罪を犯しながら自分には叶わない暖かな愛情を彼女との間に通わせていること、それが天晴には許しがたかった。
ゆえに代官を斬ればお泪と添わせるという、闇太郎―久太郎とお泪双方にとっての残酷な提案を持ちかけてみれば、闇太郎はあっさりそれに乗っかってお泪と夫婦になった。最初は人殺しの上に成り立った結婚だけに釈然としない様子だったお泪も、しばらく闇太郎と暮らすうちに天晴に対しても平気でのろけるようになってしまう。
不毛な愛であろうと確かに自分を想っていたはずのお泪が、天晴がけしかけた結果とはいえ本気で闇太郎を愛するようになっている――その様子に天晴は憎しみと倒錯した喜びを同時に感じていたのではないか。

おそらく天晴は25年の間、ずっと自分を熱くしてくれるものを求めていた。故郷の街は死に体で、愛しても自身の罪悪感ゆえ結ばれえないお泪との関係に疲弊し、しかし自ら死を選ぶだけのきっかけもなく・・・憂さを酒でまぎらわしながらだらだらと生き続ける日々。
そこに松枝久太郎が現れた。自分を超えるほどの剣の技量を持ち、父親の仇でもある男。しかも記憶を一切―都合の悪い思い出を全て―忘れ果てているという。どれをとっても天晴の神経を逆撫でせずにはいない存在。久太郎―闇太郎を利用して、彼を踏み台に今度こそ武士に成り上がってやろう。その思いつきは天晴をさぞ喜ばせただろう。
今さら武士階級に執着しているというよりあの久太郎を踏み台にするということが(25年前にも踏み台にしようとしてとんでもないしっぺ返しを食っただけに)天晴には痛快に思えたのではないか。闇太郎への憎しみ、彼を苦しめることが長く人生に倦んでいた天晴にとっての生き甲斐になったかのごとくである。
本物のやみ太郎の闖入によって闇太郎が偽者だと発覚し計画は頓挫したものの、天晴としては闇太郎を苦しめられれば正直何だってよかったのでは。松枝久太郎が何をしたか、彼の身に何が起こったかをなるべく劇的に闇太郎に暴露し、最終的に彼との死闘を演じるに至った。
闇太郎となら本気で力を尽くして戦うことができる。天晴は自分を熱くしてくれる男・闇太郎との戦いを自らの死に所に定めたのだ。おそらく闇太郎が久太郎だと気付いた時点でいずれこうなると悟っていたのかもしれない。
お泪を闇太郎に彼の素性を知らせぬまま自分の持ち物のごとく(実際お泪は天晴に金で買われた身であるが)投げ与えるように添わせたのも、闇太郎を愛しつつあるお泪への一種の復讐というだけでなく、闇太郎との対決・自分の死を前に彼女との関係にケリをつけておきたかった心理もあったのではないか。
もちろん天晴とて腕には覚えがあり闇太郎に負ける、死ぬと決まったわけではないのだが、25年の倦怠の末に訪れた大イベント―闇太郎を利用しての謀略、その果てにある闇太郎との死闘に嬉々として臨む天晴を見ていると、彼が生き残ってふたたび以前にも勝る倦怠に沈んでゆく姿が想像できない。
おそらく天晴自身も生き残った自分を想像できないし想像する必要も感じてなかった、そこから先の人生はもうないものと思い切っていたように見えるのである。それが彼にとってはもっとも幸福な幕切れであるのかもしれない。
何ともデスペレートな人間ではあるが、その生き方が天晴に倒錯的な、妖しいほどの男の色気を与えている。お泪が天晴を怖れながら彼を愛さずにいられなかったのも頷ける。ひとえに演じ手である堤さんの技量と資質あってのことだろう。ほれぼれ。

ところで天晴について気になるのは例の「シャモリ」である。『蜉蝣峠』(3)で書いたように、あの軍鶏は天晴の抑圧された一面、密かな願望が具現化した姿であると思われる。
鳥というと空を自在に翔ける自由の象徴のように感じるが、軍鶏は鳥といっても飛べない鳥である。闘鶏に使われる好戦的な鳥という点で天晴にはふさわしいともいえるが、飛べない鳥を夢想したということは天晴が軍鶏の姿に仮託したものは「自由」ではない。
ほかにこの軍鶏の特徴といえば、産卵シーンで明らかになったように意外にもメスだということだ。こう言うと銀之助やサルキジなどジェンダーの不安定なキャラクターも多い作品だけに、天晴が密かに女性化願望を抱いているように思ってしまいそうだが、おそらく肝は「産卵」の方にある。新しい命を産み落とす、またその卵を与えることで飢えた人の命を救うという行為。
日頃「虫の居所が悪い」というだけの理由で刀を振り回し平気で他人を殺す天晴だが、心のどこかで命を奪うばかりの自分に鬱屈していて、命を生み出す・救う側になりたいと願っていたのではないか。そう考えると死神のような、歪んだ生き方を貫いて死んでいった天晴が、何とも哀れに思えるのである。

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『蜉蝣峠』キャラクター考(1)  闇太郎

2013-10-30 07:32:54 | 蜉蝣峠
一言で言うならアイデンティティーを持たない男。「蜉蝣峠」(3)で書いたように、メインキャラの多くはジェンダーをはじめとするアイデンティティーの不安定さを抱えているのだが、記憶のない闇太郎においてそれはもっとも顕著である。
「闇太郎」と呼びかけられればそれが自分の名前だと信じ、「蜉蝣峠で待て」と言われれば愚直に待ち続ける。記憶のない、したがって何の目的も持たない彼にとって「蜉蝣峠で待つ」ことが唯一の目的であり精神の拠り所となったからだ。
とはいえ、そのまま何もせずに20年以上も一ヶ所で人を待ち続けるというのははっきりいって異常である。いかに記憶がないとはいえ、記憶喪失になった時点以降の記憶はあるわけで、生きていく中で自然と新たなアイデンティティーが生まれるのが普通だろう。そして果たされるあてのない約束にいつまでも囚われるのもバカバカしくなり、何もない峠での生活にあきあきして何処かへと旅立ってゆく。本物の闇太郎―やみ太郎が早々に江戸に出てしまったように。

しかし闇太郎は飽きることなく蜉蝣峠に留まりつづけた。誰と交わしたともわからぬ約束に操を立てているのではない。会ったばかりの銀之助に誘われればあっさりと彼について蜉蝣峠を後にしている。
下半身丸出しの姿や自分の大便まで食べたことについて闇太郎は「大衆とは勝手なものだ。次会うときはさらなるバカを期待する。おれは期待にこたえてバカになる」と答えている。期待されたからバカのように振る舞ううちそれがエスカレートするのは芸人にかぎらず三枚目キャラで通っている一般人にもありがちではあるが、なかなか露出・スカトロジーまでいけるものではない。それをつい「期待にこたえて」しまうところに、闇太郎の恐るべき主体性のなさが表れている。蜉蝣峠で待てと言われたから待ち、おれについてこいと言われたから銀之助についていき、バカを期待されたからバカを演じる。まるで書き込まれた命令通りに動くロボットのごとくである。
闇太郎は「バカではない。常識はある」というが、その言動を見る限り、常識はあっても上手く機能しているとは言い難い。「ただ記憶がない。思い出がない。だから蜉蝣の向こうに幻を見ることもない」と彼は続けるが、記憶を失ってから20年以上経っているのだから、その後の思い出も人間関係もあってしかるべきなのである。彼の精神機能は記憶を失った25年前の状態で停滞してしまっているように見える。

それは彼の記憶喪失が外傷によるものでなく精神的なもの―母が陵辱され自害したことに激昂した自身が行った大量虐殺に対するショックに由来していたことが原因ではないか。それに先立って沢谷村で百姓らを斬殺したことも影響していただろう。
想像になるが、母の悲劇そのものは彼の記憶喪失に直接関係ないのではないか。ショックだったのは間違いないだろうが、彼が自身の記憶を封印してしまったのは、自分が殺人鬼と化した事実を認めたくなかったというのがまず一番のように思える。
松枝久太郎は天晴をしのぐほどの腕前を持っているわけだが、太平の世ではその腕を発揮する機会などまず存在しない。それが家を再興するためにいやいや請け負ったのだろう沢谷村の一揆鎮圧で初めて人を斬る機会を得た。全く手ごたえのない相手ではあったろうが、初めての人斬りに久太郎は予想外の喜びを覚えてしまったのではないか。
しかし殺人を楽しむなどとは彼の道義心が許さず、あくまで任務で仕方なくやったことだと己を納得させたのだろうが、それが母の死を契機として弾けてしまった。仇の片割れであるうずらの親分は斬ったものの主犯である蟹衛門は取り逃がし、にもかかわらず蟹衛門をあくまで追いかけるかわりに関係ない街の人々を当たるを幸いに斬り殺した。その行動は復讐鬼というより快楽殺人者に近い。
そして我に返り自分のやったことに気づいた時、彼はそれを正視するに耐えなかったのだろう。結局蟹衛門を取り逃がしながら早々と記憶を失ってしまった―戦う意欲を失ったことが、彼にとって復讐がさほど大きなウェイトを持っていなかったことの証明に思える。さらに、家の再興を願う心にまんまと付け入られて、汚い仕事をやらされたあげくその間に母が攫われ陵辱され死ぬまでに追いつめられた事実に、自身の立身願望、ひいては武士とは何なのかに強い疑問を抱き、それまでの目標が崩れ落ちてしまったことで彼のアイデンティティーにも亀裂が入ってしまったのではないだろうか。

闇太郎についてもう一つ印象深いのは、彼が戦いのさい大きな傷を負うたびに「痛えー!」と絶叫していること。深手を負ったのだから痛くて当然なのだが、普通物語のヒーローというものはああも大っぴらに痛みを訴えたりしない。
物語の序盤、銀之助が自分の排泄物を食らう闇太郎を「これは新たなヒーローの誕生なのか?」と評しているが、「公然と痛がる」点においても闇太郎は新しいヒーロー像を築いたといえそうだ。
 
この「斬られて痛がる」ことは、ろまん街に入ってそうそうに天晴と戦ったときに見せた食べ物への執着と根は同じである。痛覚と空腹感――いずれも命に関わる切実な肉体的感覚だ。飢えが長く続けば人は死ぬし、激痛の原因を放置してもやはり死ぬのだから。それこそ記憶のあるなし、アイデンティティーがどうこうより余程生きるうえで重要な機能である。
アイデンティティーのあやふやな闇太郎にとって、自身の肉体の存在、生きている実感をはっきり示してくれるこうした生理的感覚がいわばアイデンティティーの代わりを果たしていたのではないか。
それはまるで赤ん坊を思わせる。赤ん坊には過去の記憶などろくにないし、おなかがすいた、暑い寒い、おむつが濡れて気持ち悪いといった生理的感覚ばかりで生きている。登場当初の闇太郎の下半身丸出しスタイルや自分の大便・銀之助の睾丸を食べたりかじったりする行動もまさに赤ん坊のものだ。

しかし赤ん坊なら経験を積み重ね日々成長してゆくところを、闇太郎は記憶を失ったあの日のまま成長を止めてしまった。蜉蝣峠を下りて時間が流れ出してからは記憶はなくとも比較的常識をもってふるまっているものの、再び蜉蝣峠に戻ってきたラスト、彼が最後に呼んだのは母親だった。
記憶がないがゆえに赤子同然となった男は、一度は新しい人生を歩き出しながら、記憶を取り戻したことであの日に返り母を慕う子供となって死んだ。結局彼は最後まであの一夜に囚われたままだったのだと思うと何ともやりきれない話である。

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『蜉蝣峠』(3)(注・ネタバレしてます)

2013-10-23 06:00:06 | 蜉蝣峠
いかにもコメディ、というよりコントのようなやりとりの連続で幕を開けるこの作品、その実内容は至ってヘビー、むしろヘビーだからこそふんだんにギャグやパワフルな歌と踊りを入れて暗くなりすぎないよう釣り合いを取っているように感じます。
なにせ「蜉蝣峠」というタイトルが示すように、主な登場人物は皆精神的な立ち位置が何とも不安定なのである。

まず主人公である闇太郎。彼は25年より以前の記憶を失っており、自分の出自もわからず行く当て帰る当てもない。その闇太郎を蜉蝣峠から連れ出す銀之助は不義密通の代償に男性器を切除されており、そのためにやがて女として生きざるを得ない状況に陥る。闇太郎は記憶がないゆえにアイデンティティーも欠落してしまっているが、銀之助の場合は男性器を失ったことに端を発するジェンダーの不安定さのためにアイデンティティーを揺るがされている。

ジェンダーが不安定なキャラクターはもう一人いる。中盤から登場し、女装した銀之助と恋仲?になるサルキジだ。やたらと男らしさにこだわり女っぽさとは対極にあった彼が実は女だと告白する場面には驚かされたが、サルキジ自身が言う通り、本当は女だからこそ意識してここぞとばかり男らしい態度を取っていたわけで、彼もまたジェンダー不安、アイデンティティーの危うさを抱えているのだ。一代目お菓子ちゃんの存在も含め、この舞台ではジェンダー不安が大きな牽引力となっている。

それをはっきり示しているのが闇太郎とお泪の子供時代のシーンだろう。当然二役とも子役というか別の役者が演じるわけだが、闇太郎の子供時代を演じるのはかたや女性である中谷さとみさん、お泪役はかたやサルキジ役の木村了くんである。
木村くんの出番は一幕も終盤になってからだから回想シーンのある序盤は体が空いているのは確かだが、闇太郎の子供時代でなくお泪のほうの子供時代を演じる必然性はなにか。宮藤さん、もしくはいのうえさんは意図的に作中人物のジェンダーを混乱させているとしか思えない。

また一方で、虚無的に生き酒に溺れ時に人を斬りまくる天晴は演じ手である堤さんが軍鶏の役も兼ねている。天晴初登場直後のセリフに「軍鶏になる夢を見た」とあることからも、あえて堤さんに軍鶏を演じさせたのは単なるファンサービスではなく、常に鬱屈している天晴の、日頃抑圧されている一面をあの軍鶏の姿と言動で匂わせているのだと察しがつく。記憶喪失、ジェンダーの混乱を抱えた闇太郎や銀之介たちに続いて登場する天晴もまたそのアイデンティティーに二重性、曖昧さを抱えているのだ。
そして無口ではないのだが本心は一向見せようとしない天晴と対照的に軍鶏はしゃべるしゃべる。この軍鶏が闇太郎にシメられやっと沈黙したところからようやく物語は動き出すのである。

このようにアイデンティティーに曖昧なものを抱えた人々――闇太郎・天晴・銀之助が初めて登場する場所が蜉蝣峠だ。
この「蜉蝣峠から物語が始まる」というのがまた秀逸である。導入部で闇太郎が陽炎について説明する中にあるように、「餓えと暑さで頭がおかしくなってくると人は幻を見る。おっかさんや生き別れた女や絞め殺して食ったであろう軍鶏の姿を見る」。
軍鶏はともかくとして、おっかさんと生き別れた女については後の話を見たあとだと予言のようにも響くのだが、つまりは人が自分の心の中に引っ掛かっている存在、見たいと思っているものを投影するのが陽炎=蜉蝣ということだ。
見たいものを見せてくれる、会いたい人に会わせてくれるがすべては蜉蝣にすぎない。蜉蝣峠での再会を期した闇太郎とお泪にとっては約束の地とも呼べる場所――その蜉蝣峠から物語が始まることによって、そこには幻のほか何もないことを観客は前もって知らされているのだ。この無慈悲な構成。ろまん街―漢字で書けば牢満街―の名を闇太郎は夢がないと言ったが、蜉蝣峠という場所、蜉蝣峠から物語が始まる構成にこそ夢も希望もない。
そもそも、主題歌?の「蜉蝣峠を上ったり下ったり」という歌詞が示すように、本来峠とは旅の中継地点であって目的地ではない。お泪だって蜉蝣峠でやみ太郎と待ち合わせた際には、いや闇太郎と約束した際にも、彼と再会した上でより遠方に逃げるつもりでいたはずだ。
しかし25年前に記憶を失いまっさらな状態で「蜉蝣峠」の名を吹き込まれた闇太郎はそこが目的地になってしまった。そしてそれ以上どこに行くこともできずに精神を淀ませ腐らせていったのだ。自分が誰かもわからないまま目的地になりえない場所を目的地としてしまった―そこに闇太郎の悲しさがある。
ラストでお泪は蜉蝣峠で闇太郎が来るのをいつまでも待つと宣言するが、その闇太郎がすでに死んだらしいことが観客には示唆されている。今度はお泪がかつての闇太郎のように来るあてのない人間を待ち続けて蜉蝣峠で身を腐らせていってしまうのだろうか。

もう一つ巧みなのは、この芝居が天保年間の物語と設定されているところだ(25年前の大通り魔事件が文政元年なので作品の舞台は天保14年≒1843年となる)。
闇太郎こと松枝久太郎は武家の出であり、没落した家を再興し武士として立身するため蟹衛門の口車に乗って沢谷村の一揆を強制鎮圧したし、天晴の父であるうずらの親分は天晴を侍にしようとの野心を抱きやはりそのために蟹衛門に接近、天晴は久太郎ともども沢谷村の一揆鎮圧に尽力している。沢谷村の悲劇、引き続いての大通り魔の大量殺人の背後には武士の身分への執着があった。
しかし彼らが知るよしもないことだが天保といえば江戸も末期、10年後-1853年のペリー来航をきっかけに開国か攘夷かで国を二分する騒ぎとなり結局幕府は瓦解するのである。久太郎が恨みもない百姓たちを殺してまで士官しようとしたことも、うずらが息子を武士にしようと画策したことも、彼らが執着した「武士」という身分それ自体が数十年のうちに消滅してしまう。
執着する値打ちのないものに執着し、あげくに多くの血を流し、久太郎は母と己のアイデンティティーを失くし天晴は父を失った。悲劇の根底にあった武士階級への執心もまた蜉蝣に過ぎなかった―舞台を天保に設定したのはまさにその虚しさを観客に伝えるための仕掛けだったのだろう。

皆がそれぞれに幻を追い、結局は何もつかめずに終わってゆく。その虚無感をパワフルなギャグと歌と踊りでコーティングした―一見暗さを覆い隠すようでいてその躁状態がやがて空元気に感じられるようになりなお虚無感を増す、口当たりは軽く中身は重い、そんなお芝居でした。


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『蜉蝣峠』(2)-10(注・ネタバレしてます)

2013-10-16 20:35:15 | 蜉蝣峠
・全ての敵を斬り終えた闇太郎は短刀を構えるお寸に土下座して「後生です。行かせてください」と頭を下げる。さすがにこの人までは斬れなかったか。
考えてみれば闇太郎にお泪を添わせたのは天晴であって、お寸には大した借りはなかった気もするんですが。むしろ母が死んだ経緯もあり、〈女に非道なことはしない〉が闇太郎の中で無意識のルールになってるような気がします。

・お寸に「待たせてるんです、峠に女待たせてるんです」と訴える闇太郎。お寸はお泪のことを知ってるのになぜ名前でなく「女」という言い方をしたのだろう。
自分を待っている存在がいることがより強調されている感じで、彼にサルキジを殺されたと思ってる側からすりゃなお腹の立つ言い草になっています。

・「お泪はあんたを待ってたわけじゃないだろ。あの子が待ってたのは沢谷村の闇太郎だ」「あたしはあんたを待ってた。親分殺したあんたをね」。
父が死んだ時には立派と初夜の真っ最中で事件に気づきもしなかった、先に銀之助に大通り魔について語ったときはそのことに特に後悔もなさそうな様子だったお寸ですが、やはり自分たちがよろしくやってる間に父親を殺されたのがショックだったんでしょうね。待ってたというからには親の仇を討つ気があったようですが、大通り魔が話どおりの血も涙もない殺人鬼だったらお寸のかなう余地はなかったろう。
お寸の糾弾に素直に「すみません」と闇太郎は詫びる。彼の方こそうずらを自分の母の仇と糾弾してよい立場ですが、はっきり思い出したわけでない、久太郎としての自覚が乏しいために、怒りが湧いてこないということか。

・「娘まで死なせてしまった」と涙声になるお寸に「娘?」と闇太郎は訝しげに聞き返す。「そうさ、ヤクザの家に生まれてなきゃ嫁に出す年頃だったよ」。
サルキジが女だと知らない、サルキジが銀之助に撃たれたのは見ていても死んだとは知らない闇太郎は果たしてお寸の死んだ娘=サルキジなのを理解できただろうか。サルキジの他にも娘がいたとか誤解してそうです。
それにしてもこの跡目問題、前にも書きましたが天晴に継がせるんじゃいけなかったのか?サルキジが生まれたのは大通り魔事件の後なんだからすでに天晴が侍になる目は潰えていたはずなのに。
サルキジの後に男の子が生まれないとも限らないし、そもそもお寸がそうだったように年頃の娘になったサルキジに婿を取るんじゃなぜいけなかったのか。なまじ男で通させたりすれば婿取りももちろん嫁取りも叶わず、結局サルキジの代で後継ぎ問題が再燃するだけなのでは。
まあ天晴が立派に対抗して一派を立ち上げてしまったから、〈敵〉となった天晴に立派組を継がすわけにはいかない、逆に天晴に立派組を渡さないためにれっきとした後継ぎがいるのを示す必要があってサルキジを男装させた、というあたりがありえる解釈でしょうか。

・立派と二人がかりで闇太郎に斬りかかるが、闇太郎がよけたはずみに立派の刀でお寸が斬られてしまう。返り血にまみれた立派を脇から飛び出した天晴が斬り捨てる。
斬り捨てたタイミングと「がらにもねえことするからこうなんだよ」という台詞からすれば、今もって姉貴には多少情があって、姉を殺された怒りゆえの行動のように見えます。それにしてもこの時の天晴の刀さばきがめちゃくちゃ速くて、堤さんの技術に見惚れてしまいました。

・「見ろ、てめえが作った死体の山を」と闇太郎に示す天晴。人のこと言えた立場か、と言いたくなります。
沈んだ声で「人間になんて生まれてこなければよかった」と言う闇太郎に「そうかもしんねえな」と天晴は同意する。だからこそ夢の中では軍鶏なのか。
「生まれとか名前とかどこの村のなに太郎なんてそんなのを気にするのは人間だけだもんな」「侍も百姓もヤクザも死んだら仏さ」と続ける台詞にも天晴の人間(というか人間社会)嫌い、厭世的気分がうかがえます。

・天晴に斬りつけられ「いってえー!」と叫ぶ闇太郎に「痛えじゃねえよなぜよけねえ」と天晴は当然の疑問をぶつける。対する答えは「おれが悪党だからだ」。
覚えてはなくとも事情はどうあろうと25年前にこの宿場の人間をほぼ皆殺しにした、今も戦いたくないといいながら結局立ち塞がった連中を全て斬り倒してしまった自分は「悪」だと感じているのか。「死なない」「死ねねえんだよ畜生」と思いながら、あえて天晴に斬られるにまかせている(先にもヤクザたちの攻撃に下駄だけで立ち向かった)闇太郎は、かつて自分が殺した、その怨嗟を遠因として非業の死を遂げたお寸の身内である天晴に斬られてやることで、その「悪」の禊をしようとしたのかも。
しかし「おれが悪党だからだ」という台詞からすると「人間になんて生まれてこなければよかった」「人に生まれたばっかりに人でなしよばわり」と言いながらも闇太郎は人であることから逃げていない。軍鶏に憧れ、しがらみを放棄して人であることも止めようとしている天晴との違いがここにあります。

・ついに天晴の刀を受け止めた=初めて抵抗した闇太郎は「思い出したー!」と叫びながら応戦。接戦のあげくついに天晴が闇太郎にとどめを刺した――と思ったところで下駄で天晴の顔を殴り飛ばして逆転、ついに刀を抜いてほぼ一方的に天晴を斬り殴り二人とも倒れるという相撃ち状態に。
すでにヤクザたちとさんざん戦い、天晴にもさんざん斬り立てられているのに相打ちにもちこんだ闇太郎はどれだけ打たれ強いのか。天晴だって並々ならぬ使い手のはずなのに。今も昔も天晴が久太郎にやたら残酷なのは、ろまん街では随一の実力者だった自分が久太郎には大きく遅れを取ってると感じていたがゆえなのかも?

・争いが果てたところへ握り飯を持ったがめ吉が来る。闇太郎生きてるかと呼びかけられて虫の息の闇太郎は何とか起き上がり、がめ吉の手を借りてだが立ち上がる。「もつかな、蜉蝣峠まで」と闇太郎はいうが、今までもっているのがそもそも信じられない。どれだけ不死身なのか。
ところで天晴の方の生死はどうなんでしょうか。身動きしてないのでやっぱり絶命したんですかね。

・「おまえは大丈夫だ、ほら握り飯だ」と闇太郎の体を支えて歩き、握り飯を渡したがめ吉は後ろ手に抜いた包丁で突然闇太郎を刺す。ろまん街へやってきて以来、つねに闇太郎たちに親切にしてくれたがめ吉のまさかの裏切り行為。
なぜ、と思いますが「ごめんなー、これ以上あの娘に辛い思いさせたくないんだ」というがめ吉の言葉からは、自分が人もあろうに大通り魔をやみ太郎と間違えたために今日の混乱を招いた、お泪が知らずに仇の妻になるようなはめに陥ったことに深く責任を感じてるのがわかります。
これで闇太郎が峠に辿り着けず死んでしまえばお泪は来ない闇太郎をいつまでも待たねばならなくなるのに。お泪が全て承知したうえで闇太郎を受け入れたと知りながら二人の再会を妨害しようとするのは、闇太郎と一緒になればお泪はひどく苦労するにちがいない、それは蜉蝣峠で待ちぼうけをくわされること以上に彼女にとって不幸だ、とがめ吉が判断したからでしょう。

・それでも闇太郎は死なず、がめ吉の体を突きのけて歩き出す。この時がめ吉は「人でなし」と叫びますが、お泪のためを思うなら会うべきではないのに蜉蝣峠へ向かおうとする、その行為を闇太郎の身勝手、自分が彼女に対して犯した罪への反省がないと見なしたゆえか。
「人に生まれたばっかりに人でなしよばわり」と辛そうに天晴に語った闇太郎が、一番信頼していたろう相手にその言葉を投げつけられてふらふらと一人去っていく――何とも言えない孤独を感じさせるシーンです。

・蜉蝣峠に一人立つお泪。人の気配に「やみちゃん」と振り向くと「おれだよ」と答えるのは銀之助。髪型はお菓子の時のようなのに、化粧はなし、装束はサルキジのものという鵺のような姿。
「いつまで待ってるの」「来るまで。だって約束したんだもの」「誰と」「やみたろう」「どっちの」。これは天晴なみに残酷な問いかけではある。今彼女が待っているのは明らかに久太郎=大通り魔=闇太郎である男の方。銀之助もそれはわかっているはずなのにこういう事を言う。
闇太郎への愛情の中に子供時代のやみ太郎(やみ太)への想いを投影してる部分があるに違いない、というよりやみ太郎を好きだったがゆえに、彼であるはずの闇太郎を愛し夫婦になったお泪の中でやみ太郎への想いと闇太郎への想いは不可分である。だから「どっちの」という問いにはお泪だって答えようがない。
わかっていてこんなことを聞くのは、銀之助はもう愛しい人に会うすべもない、その苦しさをずっと抱えているから好きな人に会える希望がある、待つことができるお泪を羨む気持ちがあるからでしょう。お泪もそれを理解しているから彼の問いに怒ったりはしない。ところでお泪はサルキジを殺したのが銀之助なのを知ってるんでしょうか。

・誰かの姿がちらっと視界をよぎり、「来たー」と嬉しそうに近寄ろうとするお泪は「ねえあれやみちゃんじゃない」と銀之助に尋ねるが、先に立って覗きこむようにした銀之助は「ごめん、おいら、見えねえや」と寂しげに笑う。それに対してお泪は「一度くらい話あわせてくれたって、いいじゃない」。
この台詞からこうしたやりとりが二人の間ですでに何度も交わされていること、お泪自身が闇太郎が本当に来ることを半ば信じてないことがわかります。そんなお泪に銀之助ははっきり自分には見えないといい、「蜉蝣は、あんたにしか見えねえんだよ」と残酷な真実を告げる。
銀之助としては生き残れたとも思えない闇太郎をお泪が無駄に待ち続けることに同意はできない、しかし我が身に顧みて「闇太郎が来てくれる」という蜉蝣=幻を追いかけるお泪を不幸だとも言い切れない、そんな複雑な思いなんではないでしょうか。
少し後で「じゃ、先いくわ」とお泪に声をかけていますが、いつの日か気がすんだら蜉蝣峠に、過去に縛られるのをやめて新しい人生に向かって旅立てと示唆しているようにも思えます。

・「じゃ、先いくわ」「どこへ」「知るか、女か男かもわかんねえのに」。そう言いつつも言葉づかいは完全に男の銀之助に返っている。
乾いた笑いを浮かべる銀之助にお泪も割り切ったような笑顔になって達者でねーと声をかける。ある意味自分に似た傷を抱えた銀之助が去るのは内心心細かったでしょうけども。

・路上(おそらく蜉蝣峠)で倒れている闇太郎。「久太郎」と陽炎の向こうから綺麗な女の声が呼ぶ。「母上」と体を起こそうとして力尽きる闇太郎。
アバンタイトルで闇太郎自身が口にしたように、彼もまた蜉蝣峠で母親の幻を見た。ここからそう遠くない場所でお泪が闇太郎を待っているというのに、彼は最後の最後、久太郎として母親の名を呼んだ。お泪にとってはあまりに哀しい幕切れ。これなら確かにがめ吉の願ったとおりお泪は闇太郎に再会することなく、闇太郎は自分の事を一番に想ってくれていると信じたまま待ち続ける方が幸せなのかも。
そして闇太郎が倒れ、動くもののなくなった蜉蝣峠にただ風の音だけが寂しく鳴っている。無常を感じさせる哀切なラストです。



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『蜉蝣峠』(2)-9(注・ネタバレしてます)

2013-10-10 07:04:04 | 蜉蝣峠
・ろまん街の一同が闇太郎の家を囲み、出て来い、叩っきってやると口々に叫ぶ。この間まで世直し大明神と称えていた相手にこの手の平の返しよう。大通り魔から生き延びた英雄と思っていたのが実は大通り魔本人だったというのだから(大通り魔に家族や友人を殺された人もごまんといる、むしろ小さい街なんだから全員そうかもしれない)無理もないですが。
・・・あれ?街の連中は闇太郎=大通り魔なのも知ってたっけ?天晴はわざわざ闇太郎と二人きりになってからその話をしたはずだけど。少し後で「うずらの親分の25年越しのとむらいだ」と言ってるのでやはり知ってるんだろうなあ。天晴がバラしたか?

・闇太郎を糾弾する人々を指揮してるのは立派。いつのまにか身奇麗になって。闇太郎の立場が上がったら街を追われた立派は、闇太郎の評判が地に落ちたことで復活を遂げたらしい。
彼に対する街の人々の待遇の変化もまあ見事な手の平の返しよう。天晴がこの街に絶望してるのも無理ない気がします。

・「闇太郎を仕留めたやろうにはなあ、20両くれてやる」。口先だけで景気のいいことを言っている立派。財源あるのかな。
そこへやってきた若い衆(かたぎっぽい)が「おかみさん、あんたの息子が」と悲報を告げる。サルキジは立派の息子でもあるんだが。結局街の人間がうずらの親分の跡目と見なしているのはお寸の方で、立派はお寸の亭主にすぎない、だからお寸が立派をどう遇するかで人々の対応も百八十度変わるということなのかも。

・「サルキジがどうかしたのかい」と問い質したお寸は「殺された」との言葉に立派ともども顔色を変える。しかし「ピストルで腹打たれて、ここへ来る途中の藪の中に捨てられてた」というのが解せない。銀之助がサルキジの死骸にそんな扱いをしたとは。
おそらくサルキジの装束(鎧)を剥いでしまったので、体つきで女と知られないよう、人に見つかりにくい場所に隠したということじゃないかと思うんですが。としたらこの発見者はサルキジが女なのに気付いたろうか。

・「一緒にいた女郎はどうした。お菓子って女郎はどうした」「サルキジのほかには、誰も」という会話の流れから、銀之助に疑いがかかるかと思ったら「50両だー。大通り魔ぶっ殺したやつには50両くれてやるよー!」とお寸は夜叉の形相で叫ぶ。少し前には立派が20両出すと言うのに、そんな金どこにあると怒っていたのに。やはり子を失った母の怒りは格別ということだろう(そのわりにサルキジへの扱いが酷なんだけど)。
ここで銀之助より闇太郎が疑われたのは、サルキジといい雰囲気だった銀之助にサルキジを殺す理由が見当たらないこと、闇太郎と天晴の会話を聞きにいったサルキジが功名心から闇太郎に喧嘩を売り、結果返り討ちにあうというのがいかにもありそうな展開だったことにあるのだろう。明らかにサルキジと上手くいってなかった天晴を疑ってないのはやはり姉弟の情ゆえか。

・がめ吉は闇太郎の女房として闇太郎ともども吊るし上げられかねないお泪を、協力的な女郎ともども逃がそうと図る。お泪が闇太郎の正体を知らなかったことはあの場にいた人間には明白なんですが、それでも夫婦である以上同罪という扱いなんでしょうか。
お泪が街の外の人間で大通り魔の直接の被害者じゃないことも、〈よそ者〉に対する冷たさという形で多少反映されている気もします。だからこそ同様に外から売られてきた人間が多そうな女郎たちの中には同情の気持ちが強かったのかもしれません。

・さらに百姓たちまで闇太郎吊るし上げのために攻めてくる。彼らはかつて一揆を武力鎮圧した男=大通り魔だと知ってるんだろうか。単に村出身のヒーローだと思ってたものが別人でしかも大通り魔だった事態に激昂してるんだろうか。

・百姓たちが闇太郎の家を襲撃しそうなところへ天晴が出てくる。しかし悠長にがめ吉に酒を言いつける姿に、さしも弟びいきのお寸も「天晴、あんたこの大事なときに」と切れています。それに対し天晴は「わかってるねえちゃん。だがしらふじゃどうにもなんねえだろ」と答える。
実際天晴は闇太郎を舐めてかかってるどころじゃない。ここが自分の花の咲かせ場所、どうしようもない人生の最大のハイライトと心得ているからこその景気づけなんでしょう。

・立派は天晴に「もうお前の出る幕じゃない、この切らずの立派が刀抜いたからには何も切らないではおさまらない」と見得をきる。
一人娘を殺されてさすがの立派も根性が座ったかと思ったら、暖簾をめくって闇太郎が出てきたとたん悲鳴を上げて一目散に逃げる(笑)。天晴いわく「みごとなダッシュじゃねえか」。
なんだかんだ言ってこの人を今まで見捨てきらずにきたお寸はずいぶん寛大なような気がしました・・・。

・深編み笠の闇太郎は丁重に「あんたたちとやりあうつもりはありません。とてもよくしてもらった、だからつい長居してしまいました」「お世話になりました」と頭を下げる。装束と台詞から彼が街を出て行くつもりでいること、無理とはわかっていても何とか血を流さず穏便に片付けたいと思っていることがうかがえます。

・そんな闇太郎にお寸が怒りをぶつける。「ねえだんな、ここから生きて出ようだなんて虫が良すぎるんじゃありませんか」。
ところでお寸は自分の弟がやったことについては知らないのだろうか。ろまん街の人間こそ斬ってはいないけれど(といっても大通り魔事件に直接関与してないだけで、立派組との抗争の中ではずいぶん斬ってる)、今ここに集っている沢谷村の百姓たちにとっては天晴は仇である。闇太郎がこの場でそれを暴露すれば(自分の記憶ではなく天晴自身が語った話ではあるが、だからこそ動かぬ証拠だともいえる)天晴やその姉のお寸もただではすまないところじゃないか。
そうせずに黙って街を出ようとする闇太郎は人がいいというか。言葉どおり彼らと「やりあうつもりは」なく「とてもよくしてもらった」ことへの感謝があるからでしょうね。

・お寸の弾劾に対して闇太郎は「身に覚えがありません」と答える。忘れていれば許されるものじゃないのはお泪の言う通りですが、考えてみればこれは相当危うい状況ではある。
闇太郎=久太郎=大通り魔だというのは流石が罪人から聞きこんだ話であり、久太郎が大通り魔事件の年から行方不明になっている以外の根拠が薄い。大通り魔の被害者は皆殺されたため遺族は彼の顔を知らず、唯一大通り魔に出会いながら生き残ったがめ吉は失明している。直接久太郎を知っている天晴にしてからが25年を経て面変わりした闇太郎を顔を見ただけでは久太郎と気づけなかった。そして大通り魔と名指された本人の闇太郎は〈身に覚えがない〉。
思えば記憶喪失の男なんてのは濡れ衣を着せるにはうってつけの相手である。しかも回りから人殺しと呼ばれれば「きっとそうなんだろう」と納得してしまうような自我のあやふやな男である。じつは闇太郎は(沢谷村のやみ太郎と別人なのは間違いないが)松枝久太郎でも大通り魔でもない、あるいは松枝久太郎ではあるが大通り魔ではないという可能性もあるわけだ。すべては天晴のでっち上げだった・・・とか。
まあラストで「思い出した!」と叫んだ闇太郎が自分が大通り魔であることを否定してないので、闇太郎=大通り魔で間違いないんでしょうけど。

・「そんなにおれが憎いか。おれはあんたたちが好きだ。だからあんたたちがおれを人殺しと呼ぶかぎりはきっとそうなんだろう。斬って気が済むなら斬ればいい」と編み笠を投げ捨てる。旅装束の一部を捨てたということは、彼がこのまま穏便に街を出る望みを捨てたことを表しています。
しかしここで死ぬ覚悟を決めたかというとそうではなく、「だがはじめに言っておく。おれは死なない。死ぬわけにゃあ、いかない」。つまりは相手の気が済むまでずたずたに斬られようとも、たとえなますにされようともそれでも死ぬつもりはない、と。
そんな無茶な、いくら強かろうと多勢に無勢もいいところ、まして抵抗する気がないんじゃあ、と思ったら下駄を脱いで両手に構え、斬りかかってくる連中をを下駄で防御していた。さすがに無抵抗で一方的に斬られたんじゃ身が持たない、抵抗はするけど殺す意志はないというところでしょう。
それまでは意気軒昂ながらも遠巻きにしてた連中が一気に闇太郎に斬りかかったのは、「殺す意志はない」のを見定めたからですかね。なんか卑怯な気も。

・戦いが闇太郎の家の中に移ったのを見て、がめ吉はお泪に逃げるよう言う。しかしお泪と女郎たちが脱出しようとする前に天晴が立ちふさがる。
がめ吉が酒を差し出して気をそらそうとするが、天晴は受け取りながらもがめ吉を殴り倒して「もうちょっといいじゃねえか」とお泪に迫る。
いかに闇太郎が強いとはいえ向こうは大多数、まして一人も殺さず済ます気でいれば闇太郎の圧倒的不利は明らか。お泪をこの場にとどめるのは彼女に闇太郎の無惨な死に様を見せつけようとするのに等しい。お泪には大変な苦痛であろうし、闇太郎にしたって自分が死なないまでも痛がり苦しむ姿を見せたいはずがない。天晴もお泪が好きなはずなのになぜ彼女を苦しめるような真似ばかりするんだか。

・いってえーと叫びながら家から飛び出してきた闇太郎に思わず「やみちゃん」と呼びかけるお泪に「やみちゃんじゃねえよ」と天晴が残酷な突っ込みを入れる。
そこへ「ミーはやりましたー」と上擦った声で宣言したのは流石先生。さすが腐っても武士だったか。しかしとどめに行こうとして結局返り討ち。まあ手負いの闇太郎にあっさりやられるあたりが流石の分でしょうね。

・闇太郎の戦う姿を指して、これが大通り魔だとお泪に示す天晴。このあたりの天晴のお泪に対する残酷さには驚く。闇太郎にとってはお泪に嫌われるのが一番辛いはずで、闇太郎に打撃を与えるためにお泪が闇太郎を恐れ嫌うように仕向けたいのか。
しかしお泪は「泣いてる。あの人、泣いてる」と表面に惑わされず闇太郎の本質を見ている。ただそれも天晴に言わせれば「泣いてたって笑ってたって変わりはねえ、殺人鬼よ」。
確かに闇太郎に倒された人間が量産されている事実に変わりはない。大通り魔事件の記憶と一緒で、やられた側にしてみれば〈心では泣いていた〉を免罪符にされてはたまったものじゃない。この状況でも刀を抜かず下駄で戦ってるのは相手を殺すまいという配慮あってのことだから、殺人鬼呼ばわりは不当な気はしますが。

・闇太郎はすがりついてくるお泪を先に行けと強引に落としたものの、そこを後ろからもろに刺されて自宅の前で倒れる。倒れた闇太郎に遠巻きにしてた周囲が少しずつ近づいてくる。相手は一人、しかもすでに倒れて動かないのにおそるおそるな反応に、闇太郎の強さに回りがいかに圧倒されてたかがわかります。

・そこへ蟹衛門と吉田が一緒に現れる。蟹衛門の許可を得て貴様ら博徒らを取り締まりにきたという吉田の口上に天晴は会心の笑みを浮かべる。もともと天晴の書いた筋書きでしたからね。
今日この時間に博徒取締りがあるのを天晴は知ってたんでしょうか。お寸は反発してますが、もともと可愛い弟が仕組んだことだと知ったらどう思ったことやら。

・今それどこじゃない、生きるか死ぬかの戦いだと怒鳴るお寸。これまで新領主蟹衛門に媚びを売ってきたお寸ですが、彼の態度の変容にショックを受けるでもなく、今が取り込み中でダメなら後ならいいのか、と突っ込みたくなるような台詞を返している。
それだけ親の、宿場の仇である闇太郎との決着を邪魔されたくないんでしょうね。

・蟹衛門は一人残らずひっとらえよと命令。一人残らずだと(この時点では味方だと思ってるはずの)天晴まで捕縛する気でしょうか。まあ姉の前で裏切り者とわかってもあれだし、すぐに牢から出してやればいいだけの話ですからね。

・にやにや笑って見ている蟹衛門を天晴が笑いながら後ろから刺す。初登場時といい、天晴には後ろから刺すというシチュエーションが多い。
後ろから刺す行為には卑怯というイメージがありますが、実力の点では正面からいっても問題なく勝てるだろう天晴があえて後ろから刺すことを選んでいるのは相手の意表をつくのが好きなんでは。「まさか」という相手の表情を見たいというか油断している相手にその油断のツケを払わせたいというか。
そう考えると自分と姉夫婦で勢力を二分しているこの宿場を蟹衛門に売り渡すような行為も、それを知ったときのお寸たちの「まさか」という顔を見る時を楽しみにしてたりするのかも。

・「おおっと手がすべった」「なぜだ天晴」「おれは変わった、いや違うな、おれはあんたみてえなチンケな小悪党が一番嫌えなんだ」。自分では手を汚さず一番汚い真似をしてるくせに安全圏にいる蟹衛門にイラっとくるのは無理からぬことですが、そんな蟹衛門とひとまずは手を組み侍にしてもらう気になってたはずの天晴がなぜこの行動に出たのか。
本人も「おれは変わった」と言ってますが、世直し大明神として祭り上げる予定だった闇太郎がやみ太郎登場によって評判が地に堕ち計画を変えざるを得なくなった、その時点で蟹衛門と組む必要もなくなったということでしょう。
では天晴はこれからどうしようと計画しているのか。行動を見るかぎり、もう一切のしがらみも野心も捨てて、好き勝手他人を斬りまくることにしたように思えます。闇太郎の戦いに触発され、彼との勝負を自分の死に場所と定めたということでしょう。

・蟹衛門の体から刀を引き抜いて蹴り飛ばす天晴。対して蟹衛門は「おのれー」と叫んで反撃しようとする。斬られたわりに元気だな。まあずたずたに斬られてなお起き上がってきたとしてもなんか納得できそうな人です。アメーバのような生命力を感じさせるというか。

・その蟹衛門を後ろから闇太郎が斬る。ここまで刀を抜かずにきた闇太郎が刀を抜いた相手は母親を陵辱した蟹衛門だった。二十五年目にしてついに母の仇討ちを果たしたわけですね。闇太郎にどの程度その自覚があったかは自分が久太郎という実感がないだろうだけに微妙ですが。
蟹衛門を斬った闇太郎を天晴は「やるやんけ」と評する。口調がまるきりシャモリです。軍鶏になった夢が天晴の密かな願望の表れだとすれば、しがらみを放棄して気持ちよく人斬りに徹しようとしてる天晴が抑圧されていた自己を取り戻したことが、このシャモリ口調によって匂わされてるのかもしれません。

・「ちっとは思い出したか久太郎」「なんとなくな」「見ろ、あんたのおかげで宿場が生き返ったぜ」。
役人をがんがん斬りまくり屍の山を築きながらこの台詞。天晴にとってはとっくに死に体の宿場ではあったでしょうが、これじゃ生き返るどころか宿場の構成員自体がいなくなってしまう。むしろ生き返ったのは宿場と自分の現状にずっと鬱屈していた天晴自身。赤フンをチラ見せしながら刀を振るいまくる天晴は今までになく楽しそうです。
一方相手を殺さぬようもっぱら下駄で戦ってきた闇太郎は「あんたたちが好きだ」と評したはずのヤクザたちを相手にこれまたがんがん斬りまくる。25年前彼を狂気に走らせた仇を斬ったのが呼び水になったのか「なんとなく」過去を思い出した結果、ヤクザ全体が憎くなったのか大通り魔の本能に火がついてしまったのか。
この変わり身の早さ、結局「泣いてたって笑ってたって変わりはねえ、殺人鬼よ」という天晴の評価が正しかったんでしょうか。

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『蜉蝣峠』(2)-8(注・ネタバレしてます)

2013-10-05 20:04:44 | 蜉蝣峠
・蜉蝣峠で向き合う闇太郎と天晴。「いつ気がついた」「ぴんときたのはおまえがおれの刀を下駄ではじいたとき」。
つまりは初めて戦ったときということ。それ以降ずっと何食わぬ顔で闇太郎の結婚の段取りまでしたのだから人が悪い。
しかし外見では彼が松枝久太郎だとわからなかったんでしょうか。25年でそんなに面変わりしたのか。

・「おれが何かするまでもなくこの宿場は死に体よ。役人は腐ってる。百姓は文句ばかりで働かねえ。ヤクザも博徒も腹の座ったやつはいねえ」「だから大通り魔が帰ってきたのかもな」とほがらかな笑顔で笑い立ち去る天晴。
かつては一揆を無理矢理に鎮圧され、今も重くなった年貢に苦しむ沢谷村の百姓たちは気の毒、被害者というイメージでしたが、彼らの貧しさは彼ら自身にも原因があることを天晴の言葉は示唆しています。

・天晴が去ったそばから銃声がする。自分を狙ってると気づいた闇太郎は「やめろ。おれみたいなうすら馬鹿殺しても意味がないんだ」といいながら下駄を両手に装着して身構える。
そして謎の敵を追い詰めたと思ったらそれは銀之助だった。驚いた隙に後ろから銃声がして闇太郎は左肩を撃たれる。
「きゃっほーい、はじめて当たった」と喜んでいるのはサルキジ。「はじめて」というのが彼の弱さを示しているようでなんか情けないです。
一方銀之助は闇太郎に駆け寄り助け起こそうとする。シチュエーション的にサルキジに言い含められた銀之助が闇太郎の気を逸らすための囮を演じたのかと思ったんですが、闇太郎をかばう銀之助の言動からすると、サルキジが闇太郎を害する気でいるとは知らずに(もともとはお寸の言いつけで天晴と闇太郎の様子を見に来ただけだったし)、言われるまま行動した結果闇太郎が撃たれたことに驚き闇太郎をかばった、というところでしょうか。

・傷を負い痛がる闇太郎に「あたりめえだよ鉛の玉だからな」「よそもんがでけえつらしようとするからこうなるんだ」と凄みをきかすサルキジ。いまだ縄張り争い的な狭い視野でしか物を見られない。
すでにろまん街は死に体だと天晴が口にしているだけに、そのろまん街での覇権にこだわるサルキジが余計小さく感じられます。

・「いってえよー」と手放しで苦しがる闇太郎に「なんだおまえ、泣いてんのか?」と嘲弄しながらサルキジは近寄る。そのまま散々蹴りつけるのを銀之助が抱きついて「おねがいやめて」と止めるが「うるっせえ、女は黙ってろ」ともぎ放し突き飛ばす。
ひどいようですが「伝説の大通り魔を手にかけりゃみんなおれに一目置く。親父みてえになりたくないんだ」という台詞からは、一応はろまん街を二分するヤクザの親分でありながら腕も度胸もさっぱりで回りから内心バカにされている、結果闇太郎が領主を斬ったことで力関係の均衡が崩れたらたちまち地位を追われるに至った父親のみじめさがよくよく頭に焼きついてるんでしょうね。
「男をあげて名を残すんだ」と続くあたり、本来男ではないサルキジがどれだけ無理をしてるのかがわかるようです。

・サルキジが銃を構えるのに「やめて」と飛びついた銀之助は、もみあいになりまた突き飛ばされる。ヤクザの跡目として極道教育受けてきたとはいえ、体は女のサルキジに力で全然叶わない銀之助って・・・。「色男金と力はなかりけり」ということかしら。

・闇太郎に近づいたサルキジは下駄で張り倒される。銃が落ちたのを見て銀之助はよろけながら銃を拾って走り去ろうとする。「返せこのアマ」と刀を抜いたサルキジを、銀之助は銃を構えて撃つ。少し前まではバカップル然としていた二人が闇太郎をめぐって殺しあうような展開になるとは。
しかしサルキジは本当に銀之助を斬るつもりがあったんだろうか。後のシーンの(銀之助に刃物を向けたことなどなかったような)会話からするととても殺意があったようには思えないけれど。銀之助の方も「付き合えません!」とお断りを入れるくらいだから殺す気は無かったものと思われます。

・よろけるサルキジに「おれ、男なんだ」とお菓子ちゃんとは打って変わったきりっとした声で銀之助は告げる。そして闇太郎に「お泪さんとこ、行ってやれよ」と少し泣き出しそうにも聞こえる優しい声で言う。久しぶりに、というより今までになく銀之助が男らしいところを見せてくれる。
そして「こっち長くなりそうだし」と泣き笑いのような顔でうながす銀之助に、闇太郎も「すまん」と一言を残してその場から駆け去る。友人が荒っぽいヤクザ者とそれぞれ得物を持って向かい合っているというのに、あえて助言に従い銀之助を置いていったのは、二人の仲をおよそ察し、銀之助が自分で決着をつけるべき事柄、彼もサルキジと二人きりになることを望んでいると判断したからでしょう。

・刀を構えて闇太郎を追おうとするサルキジに銀之助が銃で狙いをつける。そのままぎこちない笑顔で「もとは銀之助っていう売れない役者なんだ」「あんたのかあちゃんに脅されて女のふりしてた、サルキジごめん、だから、キミとは付き合えません!」
緊迫した空気を一気に台無しにするようなオチの台詞に笑う。「ねるとん」かなんかみたいだ。頭下げる仕草もそんな感じ。
「男なんだ」は「女は黙ってろ」という台詞への解答でもありますが、それ以上にサルキジに惹かれていくにしたがって、言わなきゃ言わなきゃと思い続けてきた言葉だったんでしょう。でも言えばサルキジとの関係は終わってしまうから言えずに悩んで・・・。銀之助がサルキジを撃ったのは、闇太郎を助けるためよりそんなサルキジとの関係に疲れたゆえだったのかもしれません。

・「・・・知ってるよ」とあっさり答えるサルキジに驚く銀之助。「全然女に見えねえもん、そんな化粧じゃ女の目はごまかせない。」「え?」「おれ、女なんだ」「ええっ」。思いがけないサルキジの告白に驚く銀之助。観客席も一緒に驚いた。
組の跡目をつぐために男として育てられたのだと説明して胸をはだけてみせるサルキジの姿に2006年の正月ドラマ『里見八犬伝』を思い出した勝地くんファンは多いのでは。やはり〈実は男(女)だった〉というのを示すのに胸をはだけるのは一番わかりやすいアピールですね。
驚きのあまり口をあんぐりと開ける銀之助。すごい顔だな(笑)。顔芸の域に達してます。

・「だから必要以上に男男言ってたのか」「言ってないと不安になるから、まあ言うと余計に不安になっちゃうんだけど。だって、女だもん」。最後のなよっとした言い方がなんとも。こりゃ銀之助的にはたしかに幻滅かもなあ。「うわー複雑」って呆れたような言い方にはそんなに幻滅してる風はないんですが。
しかし撃たれたはずのサルキジはえらく元気だな。撃たれたあとよろけてるから当たってるはずなんだけど。

・「よかったぜそっちが先に打ち明けてくれてよ。おれはおまえに惚れてる!男同士や女同士じゃ拉致あかねえが、役を入れ替えればすむわけだ。男に戻っておれと一緒になってくれ」とサルキジは頭を下げる。
さっきまであれだけ男であることにこだわってた人のこの変わり身の早さはどうしたことか。銀之助は戸惑ったように背を向けてしばし無言ですが、彼の反応の方が自然だと思います。
「そりゃそうだよな、いきなり戻れて言われてもな。よしそれじゃ、せーの、って戻ろうぜ」という軽さにもびっくり。お寸に脅されたといっただけで銀之助が女装するに至った経緯も必然性も知らないだろうに。

・せーの、と合図の途中のところで銀之助はサルキジを撃つ。「ごめん、もどれないの」「どうして?」「だって、お菓子は走ってるサルキジを追いかけるのが好きだから」。銀之助の言葉を聞きながらサルの体が崩れ落ちる。
体は完全な女であるサルキジと違い、銀之助は男性器を欠損している。しかし(男に)戻れない理由としてそのことには触れず「走ってるサルキジを~」と語る。これは自分が完全な男じゃないことを知られたくなくて、それを隠す代わりに別の理由をこじつけたということではなく、「走ってるサルキジを追いかけるのが好き」→「男らしいサルキジが好きなのであって女のサルキジなんて見たくない」という意味でしょう。あと一歩で女に戻ろうとしていたまさにその瞬間にサルキジを撃ったのはそれゆえだったのだと思います。

・神社の境内でお泪は追ってきた闇太郎に「来ないで」と刃をむける。「バカのふりして近づくなんて」「ちがう。覚えてないんだ」「やめて聞きたくない」「ほんとうなんだ、あんなこと聞かされても身に覚えがない」。
闇太郎は弁明するが、「幼馴染の顔間違えるなんてばかはあたしだ。親の仇に惚れるなんて、体許すなんて」「汚い、汚い」「それでも人間?何人も人殺して忘れて、また殺してまた忘れるの?同じこと繰り返すの平気なの心は痛まないの」とお泪はやつぎばやに闇太郎を責め続ける。
確かに不可抗力とはいえ、お泪のいうように自分に都合の悪いことはきれいに忘れて罪のない顔をされたのでは被害者はたまったものではない。しかし「惚れるなんて」の一語が和解の糸筋を感じさせます。親の仇を糾弾しているにもかかわらず、痴話喧嘩めいた艶がお泪の態度には漂っていますし。

・そんなお泪の責めに「汚いなんて言わないででくれ死にたくなる」と闇太郎は泣き言を言うが、「じゃあ死ねば、死んで死んでよ」となおお泪を激昂させてしまう。
しかし抱きしめようとする闇太郎と抵抗するお泪のくんづほぐれつはやはり痴話喧嘩然としている。「死にたくなる」「死んで」なんて内容にかかわらず二人の間に流れる空気はどこか甘い。本来アツアツの新婚夫婦だったわけですから。

・「死にたくない、おれが死んだらあんたも死んでしまう、おれにはあんたしかいない。あんたのほかに思い出がない」「殺したくない、あんたは殺したくない」。
「死にたくない」「殺したくない」と闇太郎の主張は明快なようでいて、死にたくない理由は自分が死ねばお泪も死ぬから、お泪を死なせたくないから、とお泪のために命を惜しむように言ったそばから「あんたのほかに思い出がない」から「あんたを殺したくない」と自分のためにお泪の命を惜しむような言葉も口にする。このへん闇太郎の論理はねじれている。
自分のために死なないでくれというと身勝手な言い草のようですが、それだけお泪の命も自分の命と等しく大事だということでしょう。
「あんたのほかに思い出がない」という台詞や少し後の「死にたくない、死にたくない」と彼女の腰にすがりついて顔を埋めるシーンに顕著ですが、この子供のような寄る辺なさ、甘えるような態度がかえって闇太郎をたまらなく魅力的な男にしている。
お泪の抵抗は次第に弱まり、すがりつく闇太郎の腕をぽかぽかなぐっていたのがついに「いやあー」と泣きながら闇太郎を抱きしめるに至る。そんなお泪の口を吸いながら押し倒す闇太郎。そして暗転。見事な女の落としっぷり。手管でやってるわけじゃないんだろうところがかえってすごいです。

・身づくろいして立ち上がった闇太郎はお泪に「蜉蝣峠で待っててくれ」と言い残して立ち去る。「約束した。あんたを村へ連れていく」という闇太郎に「だめだよお、村の連中にとってもあんた、仇なんだから」とお泪は答える。
甘えた声に結局お泪が闇太郎を許してしまったこと、過去の憎しみより現在の彼への愛情を取ったことが集約されています。

・「でもここにいたらあんたも殺される。隙を見て逃げろ、必ず行く」と告げる闇太郎にお泪は「やみちゃん」と呼びかける。
やはり闇太郎と呼ぶのか。確かに他に呼びようがないのだけれど、過去はともかく今現在目の前にいる男をそのまま受け入れようとするお泪の思いがにじんでいる気がします。

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『蜉蝣峠』(2)-7(注・ネタバレしてます)

2013-09-28 12:44:28 | 蜉蝣峠
・いったい本当は何者なんだと立派に聞かれた闇太郎は、それがわかるならこんなところにくすぶっていないと答える。
闇太郎にとってここは「くすぶっている」、いやいや身を置いている場所だったのか。お泪のために積極的にこの街で暮らすことを選んだのだと思ってたが。天晴同様この街がどん詰まりなのはわかっていて、でもそこにしか居場所を見出せなかったということでしょうか。

・それでも、おれが何者でもあんたには問題じゃないはずだ、おれは領主を斬った、あんたは縄張り争いに勝った、おれは所帯を持たせてもらった、それで十分だ、と天晴に語る闇太郎。
この箇条書き風のビジネスライクな言葉の選び方、あえて単純に物事を割り切ろうとする作法は、闇太郎のドライさと一種の頭の良さを感じさせます。失くした過去を嘆いても仕方ない、現状可能な中で自分にとってベターな道を選びそれでよしとしようという、闇太郎なりの前向きな態度。
そんな闇太郎に天晴は「てめえの素性が何者か知ったらおまえこの街にいれねえ」と言い出す。天晴が闇太郎の正体について重大な情報を握っていることを初めてあからさまに示したシーン。闇太郎を〈そう〉させた責任は天晴にも少なからず(天晴自身がこの街にいられなくなるほどに)あるだろうに。

・天晴が自分の素性を知ってると気付いてはっとする闇太郎を天晴はどこやらへ連れ出す。後に残されてさっぱり飲み込めない顔の立派とお寸は、サルキジに様子を見てくるよう命じる。
サルキジは困惑したような顔で「やだよどうして今さらあんたの指図なんかで」とお寸に口答えして立派に殴られる。「ばかやろてめえ実のかあちゃんに向かって」「あんたー」「お寸」とまたまた抱き合い口を吸い合う二人。ええー。
「また元サヤかよ」「めんどくせえなあ」というサルキジの台詞に劇場中が同意だったに違いない。

・行きゃいいんだろ、と向こうへ行きかけるサルキジに銀之助は「あたしも行く」と声をかける。女言葉がすっかり板について。メンタル的にもずいぶん女っぽくなってきた印象です。

・そんな二人のやりとりにお寸は「あんたらずいぶん仲いいみたいだけど、まさか」と顔をしかめる。歓迎ではない感じです。そりゃお菓子が本当は男だと知ってますからね(とこの時は思った)。
サルキジは「やめろい、そんなんじゃねえ」と否定したそばから「まあ、男と女だ、いずれそうなるかもしれねえけどな」とほとんど二人の仲を肯定したような台詞とともに銀之助の手を取る。
この台詞に、立派とお寸も「男と女って・・・」「まあ確かに男と女だけど」と困惑ぎみ。この親子三人の台詞に本当はあんな意味があったとは。ここで銀之助がちょっと困った顔をしてるのは彼が自分たちが「男と女」ではない、とまだこの時点では思ってるからですね。

・「行くぜお菓子」と声をかけて、また羽ばたくような仕草で走っていくサルキジに口を押さえながら見とれる銀之助。すっかり恋する乙女の顔です(笑)。
お寸は「あんたあの子のどこがいいの」と尋ねる。この時お寸は泣き笑いめいた複雑な表情で、声も不思議なほど優しい。男であって男でない銀之助を娘の相手として歓迎はしようがない、でも娘を慕ってくれることを嬉しくも思う、そんな心情なんでしょうか。

・お寸の問いに銀之助は「走ってる、ところです」と意味深な答えを返す。確かにサルキジは例の羽ばたくようなポーズで無駄に走り回ってる感じはある。
〈男をあげる〉ことにやたらとこだわり、荒っぽい(しかし子供っぽい)行動を繰り返すサルキジの〈男らしさ〉が、男でいられなくなってしまった銀之助には眩しく感じられるのかも。

・道を間違えたのに気づいて反対側に走り直すサルキジを「もうー、かっこいいっつうの!」と極上の笑顔でぶりっこポーズしてから追ってゆく銀之助。道間違ってるのにどこがかっこいいんだか。あばたもエクボみたいなべた惚れっぷりがうかがえます。
サルキジといる時の銀之助はどんどん女化してる気味があります。サルキジに惹かれることで、女として生きざるを得なくなった現在の自分を肯定できるようになってきたんでしょうか。

・サルキジと銀之助が去ったのと入れ替わりに無罪放免となった流石が戻ってくる。「この流石転んでもただでは起きません。実に興味深い噂話を仕入れてきました」「闇太郎は本物の闇太郎じゃなかったんです」。
確かに数十分前なら特ダネだったでしょうが、ちょっとタイミングが遅かった。実際「それ今さんざんやったから」「本物見ちゃたし。そいつがつかまったおかげであんたは出てこれたの」とお寸はにべもない。
けれど流石の握ってたネタはこれで終わりじゃなかった。「あの男まだこのあたりにいるってことですよね。じゃ、この話やめようかな」などと言いつつ、流石はこの宿場の外れにある松枝家の当主の話をはじめる。
いわく当主は病弱だったため妻子を残して自害し、その息子の松枝久太郎は文政元年=大通り魔事件の年から行方不明になっている、久太郎が闇太郎の正体だと自分が出会った罪人は言っていたと。
「この話が本当なら大変なことになりますよ」。この時点ではまだ大通り魔事件に被害者として巻き込まれた久太郎が記憶を失ったために闇太郎と取り違えられたという解釈も可能なわけですが、やがて話はろまん街のヒーロー闇太郎がヒーローでなかったばかりか最大の敵役だったという方向へ進んでいきます。

・場面変わって、語り合う天晴と闇太郎。「おれがお泪と所帯を持たなかったのはおれがお泪の父親を殺したからだ。お泪は何も知らないが」「お泪の父というと確か一揆の首謀者」「村人たちの前で隠密に殺された。その隠密がおれだ」。〈闇太郎が実は大通り魔だった〉に次ぐ衝撃の事実。
「おれの親父は立派の兄貴に跡目を継がせ一人息子のおれを侍にしようと考えていた。ヤクザの倅を侍にするには金と頭を使うしかねえ。親父は役人だった蟹衛門にかけあった。蟹衛門はこう約束した」「隠密として沢谷村に潜入し一揆をつぶしたら家来にしてやろう」「そしてある男を紹介された。年は同じくらいだが育ちのよさそうな男だった」「誰だ」「松枝久太郎。聞き覚えあるんじゃねえか」。
うずら・天晴親子にこう話を持ちかけた一方で、蟹衛門は久太郎に対しては潜入捜査をすれば家禄を与え士官させてやると約束する。「そう蟹衛門にそそのかされたんだそうです」とここから過去話が流石の語りに引き継がれる。この引継ぎが実に自然で、この場面以降天晴と流石が交代に過去を語ってゆく。
重要な謎解きのシーンだけにどうしても台詞で語る部分が多くならざるを得ない。それを一人の役者にさせず二人で代わる代わる語らせることでメリハリをつけ単調にならないよう工夫がされています。その時語り手になっている側にスポットライトを当てることで、場面が転換したのと同様の効果をあげているのも定石ながら上手い。

・例の沢谷村の百姓たちが斬りまくられる映像がここで入る。逃げ惑う人々も今度は実物に。任務を終え村を去った後になって天晴は「なあ久太郎、かわいそうだがおまえ仕官なんかできねえぞ。うそだと思うならろまん街へ行ってみな」と謎の台詞を吐く。
どういう意味かは流石先生が「蟹衛門には最初から久太郎を仕官させる気などなかった。久太郎の留守に母親のお鶴を連れ去りろまん街へ売り払ってしまった」と説明してくれる。
お鶴の美貌に目をつけたのはわかるとして、直接自分が囲うのでなくいったんろまん街に女郎として売ってから客として通うというのも不思議な感じ。むしろ蟹衛門がお鶴に思し召しのあるのを察したうずらの親分が子分たちにお鶴をさらわせ、むりやり女郎に仕立てて蟹衛門の相手をさせたという方が後の展開にすんなり繋がる気がします。

・天晴から真相を知らされた久太郎は怒り心頭ろまん街へ急行する。その頃ろまん街では逃げようとしたお鶴が捕らえられ、「よくもこのうずらの顔に泥塗りやがったな」と激怒する親分に「私は侍の家内。女郎ではありません」と反駁して蟹衛門がそれをかばうという、大通り魔の事件が以前語られた時と同じシーンがそのまま出てくる。
先には単に大通り魔事件の遠景でしかなかったワンシーンが実は大通り魔の凶行の動機だったことがわかり、あたかもパズルのピースがあるべきところにはまったようなカタルシスを呼び起こします。

・にもかかわらずお寸の「ここはしょって」というすげない台詞によってさっさとシーン終了してしまう。このシーンがどういう意味を持っていたかが伝わりさえすればいい、それ以上すでにわかっている内容を演じるのはくだくだしいだけ、という思い切りの良さと、それを「はしょって」というメタな台詞でギャグ的にさくっと処理する手際が光る一幕です。

・「久太郎は母親が陵辱される現場を見てしまった」。行為の途中お鶴は舌を噛みきって自害、驚く蟹衛門をうずらたちが逃がす。
この時久太郎は「母上」と声を出してますが、お鶴や蟹衛門は彼に気づいてたのだろうか?お鶴が自害したのは息子に見られたことを恥じたゆえだったかもしれませんが、蟹衛門とうずら、少なくともうずらは久太郎の存在には気づかず、交合の最中に女が死んだことに驚き、人が死んだ以上その場に役人がいた、自害の原因となったことが知られては立場が悪いからと蟹衛門を逃がしただけで、久太郎の報復を恐れたわけではないように思います。
というのは蟹衛門を逃がした後にうずらがお鶴の死体を犯すような素振りを見せているから。もし久太郎がいるのに気づいてたら、そんな殺してくれと言わんばかりの行為に走らないでしょうからね。

・真っ先にうずらを斬った久太郎は以降殺人鬼化し、街の人々を次々手にかける。死屍累々の中がめ吉が死体から死体へと呼びかける、これも以前に紹介されたシーンが登場。
久太郎は蟹衛門を探したが蟹衛門は裏口から逃げてしまい、ここで我に返ったのか呆然自失状態に。目を傷つけられて何も見えなくなったがめ吉は自失している久太郎に「やみ太郎」と呼びかける。そして握り飯を渡し、蜉蝣峠へ行くんだろといって背を押す。
なぜ久太郎が自分を闇太郎だと誤認したのか、その真相を我々はすでにがめ吉の語りの形で見せられていたことにここで気づかされる。これもまたカタルシスを与えてくれる場面です。
しかし失明という大変な事態に見舞われながら、通りすがりに過ぎないやみ太郎をここまで案じて面倒みてくれるがめ吉の優しさには感心します。結果的にその思いやりが状況をこれだけややこしくしてしまったわけですが。
・「あの晩久太郎は過去を捨て己を捨てた。そして蜉蝣峠の闇太郎として今日まで生きてきたってわけだ」。天晴が話し終わるといつの間にか闇太郎の姿がなく、代わりにお泪が現れる。
お泪はいったいどこから二人の話を聞いていたのか。天晴にしてみれば今まで伏せてきた〈自分はお泪の父親を殺した男〉という事実をお泪に知られた可能性が大きいわけで、かなりショックな状況だと思うんですが、天晴は動揺するふうもなく「もしもあの男が久太郎なら」「おれと同じおまえの仇だ。おまえの親父をそしてお袋さんを叩き切った男だ」「あいつはおれの親父も殺した。おれにとっても久太郎は仇だ。立派やねえちゃんや宿場の連中にとってもな」と自ら父親殺しの犯人であることを話してしまう。
お泪はやめてやめてと泣きそうな声で叫びながら走り去る。夫婦になったばかりの闇太郎が親の仇でしかも殺人鬼だったということが一番のショックなのは間違いないでしょうが、かつては慕う気持ちもあったと思われる天晴が親の仇だったことはお泪の中でどの程度の重さを持っているのか、いささか気になります。

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『蜉蝣峠』(2)-6(注・ネタバレしてます)

2013-09-22 05:36:23 | 蜉蝣峠
・闇太郎の家の一階で沢谷村の一同は宴会中。いつまでも騒いでる彼らにもう遅いから帰ってくれと闇太郎は切れる。
なんか祝言からこっち闇太郎はずっと不機嫌で笑顔を全然見せてません。記憶のない今の状態では恨みもない領主を斬ってまで望んだ結婚だったはずなのに。
その迫力に皆黙り込んでしまうが、「新婚初夜だから」「とても大事な夜だからー」と力強く宣言する闇太郎に、不機嫌の理由がわかって安堵したごとくに皆引き上げていく。
と見せて隣の部屋にいたりするわけですが。それと気づいた闇太郎は二人の恩人であるがめ吉まで容赦なく追い出してます。

・「お泪、村までどれくらいだ」「村に連れてったらあんた元気になるか」と尋ねる闇太郎。
元気がないのはむしろ闇太郎のように思えますが、「あたし元気ない?」「おれはあんたを裏切っちまった。人殺しになっちまった」という闇太郎発言からは祝言以来のお泪の笑顔は無理をしてそう振る舞ってるだけで、彼女の元気をなくさせたのは彼女の望まぬ殺しをして彼女の意思を裏切ってしまった自分だと思ってること、それで責任を感じて闇太郎まで元気がなくなってたことがうかがえます。
お泪に対する思いやり、愛情を感じさせるワンシーン。

・「おれはそんなに変わっちまったか」と問う闇太郎に「そんなことない、昔のまんま」「せっかく所帯持ったんだから笑ってなくちゃね」と前向きになろうとするお泪。
なのに闇太郎は「おれはあんたが好きだ。不安なんだ。何度もそういってないとまた忘れてしまいそうで」などと言い出す。せっかく前向きになろうとしたお泪をまた不安がらせるようなことを。
しかし同時に殺し文句になってるというか、記憶喪失ゆえの足元の頼りなさに脅えて自分に懸命にすがりついてくるような闇太郎がお泪には愛おしく思えたことでしょう。
不安を消そうとするように二人は抱き合うが、実は追い出したはずの皆に思い切りデバガメされてるのに気づいて二人で撃退する。切なくも重い場面をギャグで軽くオチをつける、このへんの緩急は実に巧みです。

・変態プレイ中の蟹衛門はプレイ中にもかかわらず「この宿場は世の流れに逆行しておる、これでいいのか」と意外に真面目な話を始める。
「いいんじゃないですか」と最初は軽く受けていた天晴ですが、民の評判は上がったが出世は望めないと蟹衛門が言い出すと唐突に変態プレイ終了を宣言する。
せっかく街が繁栄して皆喜んでいる現状を蟹衛門が内心良く思ってない、この男も所詮ろまん街のためにはならないと切り捨てるつもりになったのかと思いきや、住所不定の輩を蟹衛門が取り締まれば彼の手柄になる、ろまん街の評判を聞いて集まってきた悪党たちを天晴がかくまい、増えまくったところで蟹衛門が一網打尽にすればよいなどと入れ知恵し、蟹衛門もその気になってしまう。
立派組が実質消滅した今となってはろまん街は天晴の天下だろうに、一国一城の主も同然の彼が自らその城を破砕するようなことを言い出すのに驚かされますが、すぐ後で述べるようにその「城」に天晴は執着がない、というかすでにこんな小さな宿場町で頭を張ってること自体にうんざりしてるようです。

・「そんなことしたらこの街は」と天晴の態度に驚いたような蟹衛門に「言ったでしょ。こんな宿場、どうなったって構わないって」。
さらに年貢を上げた結果百姓一揆が起きても首謀者を潰せば簡単に潰せると提案。そしてその首謀者には闇太郎を担ぎ上げる、沢谷村の連中は世直し大明神とあがめているが、当の闇太郎は中身は空っぽだからいくらでもこちらで操れる、一気に鎮圧すればまた蟹衛門どのの手柄ですよ、とそそのかす。
この計略、天晴はいささか闇太郎を甘く見すぎてはいないか。その中身空っぽの闇太郎とやり合って、相手の得物は下駄や田楽の串だったにもかかわらず遅れを取った経緯があるのに。お泪をエサに田丸善兵衛を殺させる計画が上手くいったことで、闇太郎を自分の手駒にできる自信がついたのか。

・蟹衛門が城勤めになったら自分もついて江戸に上ると言い出す天晴。「侍になるのか」と聞かれて「なりそこなってますからねえ」と吐き出すように言う。
ここで白黒反転の影絵動画で覆面の二人組が大量虐殺を行う様子が描かれる。斬られる側が鍬を持ってることから百姓だとわかる。話の流れ的に百姓一揆を武力鎮圧してるところのよう。天晴のセリフの後に続いてこのシーンが挿入されるので天晴の想像ないし記憶であろうと思われます。
この作品で百姓一揆の武力鎮圧といえば沢谷村の事件がある。天晴があの事件に関わってた(それも鎮圧側として)ことの伏線となるシーンです。

・尾羽うち枯らして蜉蝣峠にやってきた立派。乞食になって米をめぐんでもらおうとするのへ、お触書を見てた百姓たちが怒りをにじませて振り返る。領主の新年貢のお触れに善兵衛の方がましだったと激昂する人々は、やがて闇太郎ならなんとかしてくれるとすっかり盛り上がる。
そしてボコボコにされ捨て去られた立派。新年貢が重いのは立派のせいではないが、人々が窮迫してる(まもなくする予定)のときに食べ物を乞うたことが彼らの怒りを招いた、というより立派がよそ者なのを幸い八つ当たりしたというのが実情でしょう。タイミングが悪かった。

・立派は落ちぶれた自分を嘆きつつ坂を転がり落ちる。そこで嘆きの立派による独唱が始まり、続けてうずらの親分の亡霊+前領主田丸善兵衛の亡霊とトリオで歌う。歌の名前は「ヤクザ・イン・ヘブン」(笑)。
「久しぶりの劇団員だけの手作りトリオ楽しゅうございました」とのオチの台詞ともどもこの舞台で一二を争うほど笑い声が起きてました。

・天国で三人でトリオを組もうというのを、立派は顔ぶれが地味すぎるからと拒否。「もっとぎらぎらした人いませんか」と呼びかけたところで、プレスリーをさらにハデハデにしたような外見の男が登場。声はやたら部分的に甲高いし。
これがあのやみ太郎少年のなれの果て。でも子供の時と同じ歌歌ってます。

・立派はやみ太郎をろまん街に連れてきてこれが本物の闇太郎だと説明するが誰も信じない。嘘ならもっと上手くつけと言われる始末。しかしやみ太郎が沢谷村の連中の顔も名前も覚えていたことで疑いが晴れる。
なのにこれほどの証拠があるにもかかわらず天晴は偽者と決めつける。いわく「こいつには説得力がない」。無理矢理な感情論・・・のはずなのに何かすごく納得してしまう(笑)。実際周囲の反応も「たしかにこいつが闇太郎だとしたらなんだか頼りないなあ」でしたし。

・見るからに眠そうな様子でお泪が現れる。闇太郎はまだ寝てるそう。「てめえらこのところ毎晩だな。さかりのついた猫みてえに」と突っ込む天晴に「だって新婚ですもの」と可愛らしい素振りで答えるお泪。
隣家にまで聞かれているというのにまるで悪びれるところがない。しかも相手は過去の男?である天晴なのに。いろいろ不安要素はあっても闇太郎と上手くいっていて、今がとても幸せなのがわかります。
それだけにすぐ一歩先に辛い展開―本物のやみ太郎との再会にともなう闇太郎の正体の発覚が待ち受けているのを知っている観客には見ていて切ない姿でもあります。

・「説得力がない」呼ばわりされていたやみ太郎は、お泪を一目でそれと見抜いて呼びかける。あやうく偽者と決め付けられるところから一気に形勢逆転です。
明らかにやみ太郎しか知りえない思い出を次々突きつけられたお泪は動揺。「こちらが本物かもなんていまさら」。もしやみ太郎がもう少し早くろまん街に来て闇太郎より先にお泪に会っていればこんなことにはならなかった(今のやみ太郎をお泪が愛せたかどうかはともかく)。まさに「いまさら」です。

・周囲に動揺が広がる中「おれが闇太郎だ」と片肌脱いだ姿の闇太郎がついに登場。どっしりした迫力ある調子で「おまえは誰だ」と誰何されていきなり謝ってしまうやみ太郎。だめじゃん。「追い込まれると過呼吸になるんです」とか言い訳してるし。
こりゃ確かに“大通り魔事件を生き延びた男”“世直しのヒーロー”闇太郎像としてどちらが相応しいかといえば圧倒的に闇太郎に軍配が上がりますね。なんかもう人間の格自体が違うというか。
これがついこないだまで蜉蝣峠で究極のバカやってた人だとは。まあ今思えばあれはあれで迫力あるバカではあった・・・。

・そこへ八州回り(吉田)のお出まし。前領主田丸善兵衛殺しについて詮議中とのこと。そして容疑者として探してる男の名前は闇太郎だという。ということは流石先生の疑いは晴れたらしい。
ここで闇太郎を探してると言われたのを受けてなんとやみ太郎が自ら名乗って出てしまう。やっと自分をやみ太郎として認めてくれそうな人たちに出会えたと見事に状況を読めずに嬉々としているのがなんとも。当然ながら縄を打たれて連行されることになるわけですが。

・やみ太郎が引かれていくのをお泪が止めて、「やみちゃん。あんたやみちゃんなの」と問いかける。
これまで事の重大さにやみ太郎こそが本物だという事実を受け入れかねていたお泪ですが、彼が官憲に連行される瀬戸際にあってついに彼がやみ太郎であることを認めてしまう。彼女と闇太郎の関係に決定的な亀裂が入った瞬間です。
ちなみにやみ太郎はこのままフェードアウト。笑っちゃうようなテンションの高さゆえに目立ちませんが、あらぬ罪で囚われるわ幼馴染の恋人は偽者に寝取られるわ、この人も相当気の毒ではある。長らくお泪のことなど忘れて江戸で小悪党やってたんだから自業自得ではあるけれども。せめて処刑なんてされてないことを祈ります。


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