・いったい本当は何者なんだと立派に聞かれた闇太郎は、それがわかるならこんなところにくすぶっていないと答える。
闇太郎にとってここは「くすぶっている」、いやいや身を置いている場所だったのか。お泪のために積極的にこの街で暮らすことを選んだのだと思ってたが。天晴同様この街がどん詰まりなのはわかっていて、でもそこにしか居場所を見出せなかったということでしょうか。
・それでも、おれが何者でもあんたには問題じゃないはずだ、おれは領主を斬った、あんたは縄張り争いに勝った、おれは所帯を持たせてもらった、それで十分だ、と天晴に語る闇太郎。
この箇条書き風のビジネスライクな言葉の選び方、あえて単純に物事を割り切ろうとする作法は、闇太郎のドライさと一種の頭の良さを感じさせます。失くした過去を嘆いても仕方ない、現状可能な中で自分にとってベターな道を選びそれでよしとしようという、闇太郎なりの前向きな態度。
そんな闇太郎に天晴は「てめえの素性が何者か知ったらおまえこの街にいれねえ」と言い出す。天晴が闇太郎の正体について重大な情報を握っていることを初めてあからさまに示したシーン。闇太郎を〈そう〉させた責任は天晴にも少なからず(天晴自身がこの街にいられなくなるほどに)あるだろうに。
・天晴が自分の素性を知ってると気付いてはっとする闇太郎を天晴はどこやらへ連れ出す。後に残されてさっぱり飲み込めない顔の立派とお寸は、サルキジに様子を見てくるよう命じる。
サルキジは困惑したような顔で「やだよどうして今さらあんたの指図なんかで」とお寸に口答えして立派に殴られる。「ばかやろてめえ実のかあちゃんに向かって」「あんたー」「お寸」とまたまた抱き合い口を吸い合う二人。ええー。
「また元サヤかよ」「めんどくせえなあ」というサルキジの台詞に劇場中が同意だったに違いない。
・行きゃいいんだろ、と向こうへ行きかけるサルキジに銀之助は「あたしも行く」と声をかける。女言葉がすっかり板について。メンタル的にもずいぶん女っぽくなってきた印象です。
・そんな二人のやりとりにお寸は「あんたらずいぶん仲いいみたいだけど、まさか」と顔をしかめる。歓迎ではない感じです。そりゃお菓子が本当は男だと知ってますからね(とこの時は思った)。
サルキジは「やめろい、そんなんじゃねえ」と否定したそばから「まあ、男と女だ、いずれそうなるかもしれねえけどな」とほとんど二人の仲を肯定したような台詞とともに銀之助の手を取る。
この台詞に、立派とお寸も「男と女って・・・」「まあ確かに男と女だけど」と困惑ぎみ。この親子三人の台詞に本当はあんな意味があったとは。ここで銀之助がちょっと困った顔をしてるのは彼が自分たちが「男と女」ではない、とまだこの時点では思ってるからですね。
・「行くぜお菓子」と声をかけて、また羽ばたくような仕草で走っていくサルキジに口を押さえながら見とれる銀之助。すっかり恋する乙女の顔です(笑)。
お寸は「あんたあの子のどこがいいの」と尋ねる。この時お寸は泣き笑いめいた複雑な表情で、声も不思議なほど優しい。男であって男でない銀之助を娘の相手として歓迎はしようがない、でも娘を慕ってくれることを嬉しくも思う、そんな心情なんでしょうか。
・お寸の問いに銀之助は「走ってる、ところです」と意味深な答えを返す。確かにサルキジは例の羽ばたくようなポーズで無駄に走り回ってる感じはある。
〈男をあげる〉ことにやたらとこだわり、荒っぽい(しかし子供っぽい)行動を繰り返すサルキジの〈男らしさ〉が、男でいられなくなってしまった銀之助には眩しく感じられるのかも。
・道を間違えたのに気づいて反対側に走り直すサルキジを「もうー、かっこいいっつうの!」と極上の笑顔でぶりっこポーズしてから追ってゆく銀之助。道間違ってるのにどこがかっこいいんだか。あばたもエクボみたいなべた惚れっぷりがうかがえます。
サルキジといる時の銀之助はどんどん女化してる気味があります。サルキジに惹かれることで、女として生きざるを得なくなった現在の自分を肯定できるようになってきたんでしょうか。
・サルキジと銀之助が去ったのと入れ替わりに無罪放免となった流石が戻ってくる。「この流石転んでもただでは起きません。実に興味深い噂話を仕入れてきました」「闇太郎は本物の闇太郎じゃなかったんです」。
確かに数十分前なら特ダネだったでしょうが、ちょっとタイミングが遅かった。実際「それ今さんざんやったから」「本物見ちゃたし。そいつがつかまったおかげであんたは出てこれたの」とお寸はにべもない。
けれど流石の握ってたネタはこれで終わりじゃなかった。「あの男まだこのあたりにいるってことですよね。じゃ、この話やめようかな」などと言いつつ、流石はこの宿場の外れにある松枝家の当主の話をはじめる。
いわく当主は病弱だったため妻子を残して自害し、その息子の松枝久太郎は文政元年=大通り魔事件の年から行方不明になっている、久太郎が闇太郎の正体だと自分が出会った罪人は言っていたと。
「この話が本当なら大変なことになりますよ」。この時点ではまだ大通り魔事件に被害者として巻き込まれた久太郎が記憶を失ったために闇太郎と取り違えられたという解釈も可能なわけですが、やがて話はろまん街のヒーロー闇太郎がヒーローでなかったばかりか最大の敵役だったという方向へ進んでいきます。
・場面変わって、語り合う天晴と闇太郎。「おれがお泪と所帯を持たなかったのはおれがお泪の父親を殺したからだ。お泪は何も知らないが」「お泪の父というと確か一揆の首謀者」「村人たちの前で隠密に殺された。その隠密がおれだ」。〈闇太郎が実は大通り魔だった〉に次ぐ衝撃の事実。
「おれの親父は立派の兄貴に跡目を継がせ一人息子のおれを侍にしようと考えていた。ヤクザの倅を侍にするには金と頭を使うしかねえ。親父は役人だった蟹衛門にかけあった。蟹衛門はこう約束した」「隠密として沢谷村に潜入し一揆をつぶしたら家来にしてやろう」「そしてある男を紹介された。年は同じくらいだが育ちのよさそうな男だった」「誰だ」「松枝久太郎。聞き覚えあるんじゃねえか」。
うずら・天晴親子にこう話を持ちかけた一方で、蟹衛門は久太郎に対しては潜入捜査をすれば家禄を与え士官させてやると約束する。「そう蟹衛門にそそのかされたんだそうです」とここから過去話が流石の語りに引き継がれる。この引継ぎが実に自然で、この場面以降天晴と流石が交代に過去を語ってゆく。
重要な謎解きのシーンだけにどうしても台詞で語る部分が多くならざるを得ない。それを一人の役者にさせず二人で代わる代わる語らせることでメリハリをつけ単調にならないよう工夫がされています。その時語り手になっている側にスポットライトを当てることで、場面が転換したのと同様の効果をあげているのも定石ながら上手い。
・例の沢谷村の百姓たちが斬りまくられる映像がここで入る。逃げ惑う人々も今度は実物に。任務を終え村を去った後になって天晴は「なあ久太郎、かわいそうだがおまえ仕官なんかできねえぞ。うそだと思うならろまん街へ行ってみな」と謎の台詞を吐く。
どういう意味かは流石先生が「蟹衛門には最初から久太郎を仕官させる気などなかった。久太郎の留守に母親のお鶴を連れ去りろまん街へ売り払ってしまった」と説明してくれる。
お鶴の美貌に目をつけたのはわかるとして、直接自分が囲うのでなくいったんろまん街に女郎として売ってから客として通うというのも不思議な感じ。むしろ蟹衛門がお鶴に思し召しのあるのを察したうずらの親分が子分たちにお鶴をさらわせ、むりやり女郎に仕立てて蟹衛門の相手をさせたという方が後の展開にすんなり繋がる気がします。
・天晴から真相を知らされた久太郎は怒り心頭ろまん街へ急行する。その頃ろまん街では逃げようとしたお鶴が捕らえられ、「よくもこのうずらの顔に泥塗りやがったな」と激怒する親分に「私は侍の家内。女郎ではありません」と反駁して蟹衛門がそれをかばうという、大通り魔の事件が以前語られた時と同じシーンがそのまま出てくる。
先には単に大通り魔事件の遠景でしかなかったワンシーンが実は大通り魔の凶行の動機だったことがわかり、あたかもパズルのピースがあるべきところにはまったようなカタルシスを呼び起こします。
・にもかかわらずお寸の「ここはしょって」というすげない台詞によってさっさとシーン終了してしまう。このシーンがどういう意味を持っていたかが伝わりさえすればいい、それ以上すでにわかっている内容を演じるのはくだくだしいだけ、という思い切りの良さと、それを「はしょって」というメタな台詞でギャグ的にさくっと処理する手際が光る一幕です。
・「久太郎は母親が陵辱される現場を見てしまった」。行為の途中お鶴は舌を噛みきって自害、驚く蟹衛門をうずらたちが逃がす。
この時久太郎は「母上」と声を出してますが、お鶴や蟹衛門は彼に気づいてたのだろうか?お鶴が自害したのは息子に見られたことを恥じたゆえだったかもしれませんが、蟹衛門とうずら、少なくともうずらは久太郎の存在には気づかず、交合の最中に女が死んだことに驚き、人が死んだ以上その場に役人がいた、自害の原因となったことが知られては立場が悪いからと蟹衛門を逃がしただけで、久太郎の報復を恐れたわけではないように思います。
というのは蟹衛門を逃がした後にうずらがお鶴の死体を犯すような素振りを見せているから。もし久太郎がいるのに気づいてたら、そんな殺してくれと言わんばかりの行為に走らないでしょうからね。
・真っ先にうずらを斬った久太郎は以降殺人鬼化し、街の人々を次々手にかける。死屍累々の中がめ吉が死体から死体へと呼びかける、これも以前に紹介されたシーンが登場。
久太郎は蟹衛門を探したが蟹衛門は裏口から逃げてしまい、ここで我に返ったのか呆然自失状態に。目を傷つけられて何も見えなくなったがめ吉は自失している久太郎に「やみ太郎」と呼びかける。そして握り飯を渡し、蜉蝣峠へ行くんだろといって背を押す。
なぜ久太郎が自分を闇太郎だと誤認したのか、その真相を我々はすでにがめ吉の語りの形で見せられていたことにここで気づかされる。これもまたカタルシスを与えてくれる場面です。
しかし失明という大変な事態に見舞われながら、通りすがりに過ぎないやみ太郎をここまで案じて面倒みてくれるがめ吉の優しさには感心します。結果的にその思いやりが状況をこれだけややこしくしてしまったわけですが。
・「あの晩久太郎は過去を捨て己を捨てた。そして蜉蝣峠の闇太郎として今日まで生きてきたってわけだ」。天晴が話し終わるといつの間にか闇太郎の姿がなく、代わりにお泪が現れる。
お泪はいったいどこから二人の話を聞いていたのか。天晴にしてみれば今まで伏せてきた〈自分はお泪の父親を殺した男〉という事実をお泪に知られた可能性が大きいわけで、かなりショックな状況だと思うんですが、天晴は動揺するふうもなく「もしもあの男が久太郎なら」「おれと同じおまえの仇だ。おまえの親父をそしてお袋さんを叩き切った男だ」「あいつはおれの親父も殺した。おれにとっても久太郎は仇だ。立派やねえちゃんや宿場の連中にとってもな」と自ら父親殺しの犯人であることを話してしまう。
お泪はやめてやめてと泣きそうな声で叫びながら走り去る。夫婦になったばかりの闇太郎が親の仇でしかも殺人鬼だったということが一番のショックなのは間違いないでしょうが、かつては慕う気持ちもあったと思われる天晴が親の仇だったことはお泪の中でどの程度の重さを持っているのか、いささか気になります。
闇太郎にとってここは「くすぶっている」、いやいや身を置いている場所だったのか。お泪のために積極的にこの街で暮らすことを選んだのだと思ってたが。天晴同様この街がどん詰まりなのはわかっていて、でもそこにしか居場所を見出せなかったということでしょうか。
・それでも、おれが何者でもあんたには問題じゃないはずだ、おれは領主を斬った、あんたは縄張り争いに勝った、おれは所帯を持たせてもらった、それで十分だ、と天晴に語る闇太郎。
この箇条書き風のビジネスライクな言葉の選び方、あえて単純に物事を割り切ろうとする作法は、闇太郎のドライさと一種の頭の良さを感じさせます。失くした過去を嘆いても仕方ない、現状可能な中で自分にとってベターな道を選びそれでよしとしようという、闇太郎なりの前向きな態度。
そんな闇太郎に天晴は「てめえの素性が何者か知ったらおまえこの街にいれねえ」と言い出す。天晴が闇太郎の正体について重大な情報を握っていることを初めてあからさまに示したシーン。闇太郎を〈そう〉させた責任は天晴にも少なからず(天晴自身がこの街にいられなくなるほどに)あるだろうに。
・天晴が自分の素性を知ってると気付いてはっとする闇太郎を天晴はどこやらへ連れ出す。後に残されてさっぱり飲み込めない顔の立派とお寸は、サルキジに様子を見てくるよう命じる。
サルキジは困惑したような顔で「やだよどうして今さらあんたの指図なんかで」とお寸に口答えして立派に殴られる。「ばかやろてめえ実のかあちゃんに向かって」「あんたー」「お寸」とまたまた抱き合い口を吸い合う二人。ええー。
「また元サヤかよ」「めんどくせえなあ」というサルキジの台詞に劇場中が同意だったに違いない。
・行きゃいいんだろ、と向こうへ行きかけるサルキジに銀之助は「あたしも行く」と声をかける。女言葉がすっかり板について。メンタル的にもずいぶん女っぽくなってきた印象です。
・そんな二人のやりとりにお寸は「あんたらずいぶん仲いいみたいだけど、まさか」と顔をしかめる。歓迎ではない感じです。そりゃお菓子が本当は男だと知ってますからね(とこの時は思った)。
サルキジは「やめろい、そんなんじゃねえ」と否定したそばから「まあ、男と女だ、いずれそうなるかもしれねえけどな」とほとんど二人の仲を肯定したような台詞とともに銀之助の手を取る。
この台詞に、立派とお寸も「男と女って・・・」「まあ確かに男と女だけど」と困惑ぎみ。この親子三人の台詞に本当はあんな意味があったとは。ここで銀之助がちょっと困った顔をしてるのは彼が自分たちが「男と女」ではない、とまだこの時点では思ってるからですね。
・「行くぜお菓子」と声をかけて、また羽ばたくような仕草で走っていくサルキジに口を押さえながら見とれる銀之助。すっかり恋する乙女の顔です(笑)。
お寸は「あんたあの子のどこがいいの」と尋ねる。この時お寸は泣き笑いめいた複雑な表情で、声も不思議なほど優しい。男であって男でない銀之助を娘の相手として歓迎はしようがない、でも娘を慕ってくれることを嬉しくも思う、そんな心情なんでしょうか。
・お寸の問いに銀之助は「走ってる、ところです」と意味深な答えを返す。確かにサルキジは例の羽ばたくようなポーズで無駄に走り回ってる感じはある。
〈男をあげる〉ことにやたらとこだわり、荒っぽい(しかし子供っぽい)行動を繰り返すサルキジの〈男らしさ〉が、男でいられなくなってしまった銀之助には眩しく感じられるのかも。
・道を間違えたのに気づいて反対側に走り直すサルキジを「もうー、かっこいいっつうの!」と極上の笑顔でぶりっこポーズしてから追ってゆく銀之助。道間違ってるのにどこがかっこいいんだか。あばたもエクボみたいなべた惚れっぷりがうかがえます。
サルキジといる時の銀之助はどんどん女化してる気味があります。サルキジに惹かれることで、女として生きざるを得なくなった現在の自分を肯定できるようになってきたんでしょうか。
・サルキジと銀之助が去ったのと入れ替わりに無罪放免となった流石が戻ってくる。「この流石転んでもただでは起きません。実に興味深い噂話を仕入れてきました」「闇太郎は本物の闇太郎じゃなかったんです」。
確かに数十分前なら特ダネだったでしょうが、ちょっとタイミングが遅かった。実際「それ今さんざんやったから」「本物見ちゃたし。そいつがつかまったおかげであんたは出てこれたの」とお寸はにべもない。
けれど流石の握ってたネタはこれで終わりじゃなかった。「あの男まだこのあたりにいるってことですよね。じゃ、この話やめようかな」などと言いつつ、流石はこの宿場の外れにある松枝家の当主の話をはじめる。
いわく当主は病弱だったため妻子を残して自害し、その息子の松枝久太郎は文政元年=大通り魔事件の年から行方不明になっている、久太郎が闇太郎の正体だと自分が出会った罪人は言っていたと。
「この話が本当なら大変なことになりますよ」。この時点ではまだ大通り魔事件に被害者として巻き込まれた久太郎が記憶を失ったために闇太郎と取り違えられたという解釈も可能なわけですが、やがて話はろまん街のヒーロー闇太郎がヒーローでなかったばかりか最大の敵役だったという方向へ進んでいきます。
・場面変わって、語り合う天晴と闇太郎。「おれがお泪と所帯を持たなかったのはおれがお泪の父親を殺したからだ。お泪は何も知らないが」「お泪の父というと確か一揆の首謀者」「村人たちの前で隠密に殺された。その隠密がおれだ」。〈闇太郎が実は大通り魔だった〉に次ぐ衝撃の事実。
「おれの親父は立派の兄貴に跡目を継がせ一人息子のおれを侍にしようと考えていた。ヤクザの倅を侍にするには金と頭を使うしかねえ。親父は役人だった蟹衛門にかけあった。蟹衛門はこう約束した」「隠密として沢谷村に潜入し一揆をつぶしたら家来にしてやろう」「そしてある男を紹介された。年は同じくらいだが育ちのよさそうな男だった」「誰だ」「松枝久太郎。聞き覚えあるんじゃねえか」。
うずら・天晴親子にこう話を持ちかけた一方で、蟹衛門は久太郎に対しては潜入捜査をすれば家禄を与え士官させてやると約束する。「そう蟹衛門にそそのかされたんだそうです」とここから過去話が流石の語りに引き継がれる。この引継ぎが実に自然で、この場面以降天晴と流石が交代に過去を語ってゆく。
重要な謎解きのシーンだけにどうしても台詞で語る部分が多くならざるを得ない。それを一人の役者にさせず二人で代わる代わる語らせることでメリハリをつけ単調にならないよう工夫がされています。その時語り手になっている側にスポットライトを当てることで、場面が転換したのと同様の効果をあげているのも定石ながら上手い。
・例の沢谷村の百姓たちが斬りまくられる映像がここで入る。逃げ惑う人々も今度は実物に。任務を終え村を去った後になって天晴は「なあ久太郎、かわいそうだがおまえ仕官なんかできねえぞ。うそだと思うならろまん街へ行ってみな」と謎の台詞を吐く。
どういう意味かは流石先生が「蟹衛門には最初から久太郎を仕官させる気などなかった。久太郎の留守に母親のお鶴を連れ去りろまん街へ売り払ってしまった」と説明してくれる。
お鶴の美貌に目をつけたのはわかるとして、直接自分が囲うのでなくいったんろまん街に女郎として売ってから客として通うというのも不思議な感じ。むしろ蟹衛門がお鶴に思し召しのあるのを察したうずらの親分が子分たちにお鶴をさらわせ、むりやり女郎に仕立てて蟹衛門の相手をさせたという方が後の展開にすんなり繋がる気がします。
・天晴から真相を知らされた久太郎は怒り心頭ろまん街へ急行する。その頃ろまん街では逃げようとしたお鶴が捕らえられ、「よくもこのうずらの顔に泥塗りやがったな」と激怒する親分に「私は侍の家内。女郎ではありません」と反駁して蟹衛門がそれをかばうという、大通り魔の事件が以前語られた時と同じシーンがそのまま出てくる。
先には単に大通り魔事件の遠景でしかなかったワンシーンが実は大通り魔の凶行の動機だったことがわかり、あたかもパズルのピースがあるべきところにはまったようなカタルシスを呼び起こします。
・にもかかわらずお寸の「ここはしょって」というすげない台詞によってさっさとシーン終了してしまう。このシーンがどういう意味を持っていたかが伝わりさえすればいい、それ以上すでにわかっている内容を演じるのはくだくだしいだけ、という思い切りの良さと、それを「はしょって」というメタな台詞でギャグ的にさくっと処理する手際が光る一幕です。
・「久太郎は母親が陵辱される現場を見てしまった」。行為の途中お鶴は舌を噛みきって自害、驚く蟹衛門をうずらたちが逃がす。
この時久太郎は「母上」と声を出してますが、お鶴や蟹衛門は彼に気づいてたのだろうか?お鶴が自害したのは息子に見られたことを恥じたゆえだったかもしれませんが、蟹衛門とうずら、少なくともうずらは久太郎の存在には気づかず、交合の最中に女が死んだことに驚き、人が死んだ以上その場に役人がいた、自害の原因となったことが知られては立場が悪いからと蟹衛門を逃がしただけで、久太郎の報復を恐れたわけではないように思います。
というのは蟹衛門を逃がした後にうずらがお鶴の死体を犯すような素振りを見せているから。もし久太郎がいるのに気づいてたら、そんな殺してくれと言わんばかりの行為に走らないでしょうからね。
・真っ先にうずらを斬った久太郎は以降殺人鬼化し、街の人々を次々手にかける。死屍累々の中がめ吉が死体から死体へと呼びかける、これも以前に紹介されたシーンが登場。
久太郎は蟹衛門を探したが蟹衛門は裏口から逃げてしまい、ここで我に返ったのか呆然自失状態に。目を傷つけられて何も見えなくなったがめ吉は自失している久太郎に「やみ太郎」と呼びかける。そして握り飯を渡し、蜉蝣峠へ行くんだろといって背を押す。
なぜ久太郎が自分を闇太郎だと誤認したのか、その真相を我々はすでにがめ吉の語りの形で見せられていたことにここで気づかされる。これもまたカタルシスを与えてくれる場面です。
しかし失明という大変な事態に見舞われながら、通りすがりに過ぎないやみ太郎をここまで案じて面倒みてくれるがめ吉の優しさには感心します。結果的にその思いやりが状況をこれだけややこしくしてしまったわけですが。
・「あの晩久太郎は過去を捨て己を捨てた。そして蜉蝣峠の闇太郎として今日まで生きてきたってわけだ」。天晴が話し終わるといつの間にか闇太郎の姿がなく、代わりにお泪が現れる。
お泪はいったいどこから二人の話を聞いていたのか。天晴にしてみれば今まで伏せてきた〈自分はお泪の父親を殺した男〉という事実をお泪に知られた可能性が大きいわけで、かなりショックな状況だと思うんですが、天晴は動揺するふうもなく「もしもあの男が久太郎なら」「おれと同じおまえの仇だ。おまえの親父をそしてお袋さんを叩き切った男だ」「あいつはおれの親父も殺した。おれにとっても久太郎は仇だ。立派やねえちゃんや宿場の連中にとってもな」と自ら父親殺しの犯人であることを話してしまう。
お泪はやめてやめてと泣きそうな声で叫びながら走り去る。夫婦になったばかりの闇太郎が親の仇でしかも殺人鬼だったということが一番のショックなのは間違いないでしょうが、かつては慕う気持ちもあったと思われる天晴が親の仇だったことはお泪の中でどの程度の重さを持っているのか、いささか気になります。